第二話 生存
意識が戻った瞬間、まず思ったのは――生きている、という事実だった。
ぼやけた視界の奥に、天井らしきものがある。木組みの梁。淡い光。
身体を動かそうとした途端、全身に鈍い痛みが走り、思わず息が詰まった。
痛みはある。確かにある。
だが、記憶の中にある「死ぬはずの痛み」とは、明らかに違っていた。
腕を少し動かす。重いが、動く。
脚も、感覚がある。骨が砕けている感触はない。
落下した。
訳の分からない空間で、どこまでも。
衝撃もあった。
あれは、助かるはずのない衝突だった。
それなのに、身体はここにある。
「……目、覚めましたか?」
横から、落ち着いた声がした。
視線を向けると、ベッドの傍らに椅子があり、そこに一人の女性が座っていた。
暗めの茶髪を肩に流し、派手さはないが、柔らかい雰囲気の人だ。こちらを見る表情に、警戒や詮索の色はない。
「無理に動かさないでください。まだ、身体には負担が残っています」
喉が乾いていて、うまく声が出ない。
「……ここは?」
掠れた問いに、彼女は水を差し出しながら答えた。
「冒険者ギルドの療養室です」
冒険者。
ギルド。
言葉自体は知っている。ゲームや漫画の中で、何度も聞いた単語だ。
けれど、それが現実の場所として口にされると、頭の中で噛み合わない。
「……本当に、あるんだな」
思わず漏れた独り言に、彼女は小さく首を傾げた。
「覚えていないんですか?」
問いかけは静かで、責める色はなかった。
「……知らない、というより。知ってはいるんですけど」
言葉を探しながら答える。
「頭の中の知識と、今見ているものが、うまく繋がらない感じで」
彼女は少し考えるように視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……。では、混乱している状態、ということですね」
否定できなかった。
「あなたは二日前、ダンジョンの中でオーガと思われる死体と共に発見されました」
また知らない単語が来た、と思いかけて、すぐに訂正する。
知識としては知っている。だが、それが今いる世界の現実だという実感が、追いつかない。
「発見したのは、獣人の男性です。通りがかったところを拾い上げた、とだけ」
「その人は?」
「……今、どこにいるのかは分かりません」
それ以上の情報はないらしい。
視線を天井に戻し、ゆっくり息を吐く。
知らない場所。知らない世界。知らない人。
「骨折はしていましたし、致命傷になりうる傷でした。おそらくオーガがクッションとなっていなければ即死だったのでしょう。」
彼女は淡々と続ける。
「ですが、あなたは起き上がれる程度には回復している。回復の進み方が早すぎます。通常なら、まだ動かせる段階ではないはずです」
そう言われて、改めて自分の身体を見る。
痛みはあるが、起き上がろうと思えば起き上がれそうだ。
「……死ななかった、ってことですか」
彼女は一瞬だけ言葉を選ぶようにしてから、頷いた。
「ええ。あの状態から命が残った理由は分かりませんが、結果として、あなたは生きています」
壊れていないのがおかしい、のではない。
あの状況で――死ねなかった。
その感覚だけが、はっきりと残っていた。
「身元を示す物は何もありませんでした」
彼女は事務的になりすぎない、しかし現実的な声で告げる。
「ですので、今は“身元不明の負傷者”として保護されています。特別な扱いはありません。回復するまでは、ここにいてもらいます」
看病してくれているのは、この人なのだろう。
距離を詰めすぎず、だが突き放さない対応。
「……ありがとうございます」
それしか言えなかった。
「今は、休みましょう」
そう言って、彼女は静かに立ち上がる。
療養室に、再び静けさが戻った。
天井を見つめながら、ゆっくりと呼吸する。
身体は、確かにここにある。
だが、落ちてきたあの瞬間から――
ここは、元いた世界とは明らかに違う場所なのだ、という実感だけが、じわじわと胸に広がっていった。




