第十九話 魔法
受付の奥に通され、扉を閉めた瞬間、空気が少しだけ変わった。
室内には一人、女性がいた。椅子に浅く腰掛け、頬杖をついてこちらを見ている。年上だろう。視線は柔らかいが、観察するような色も混じっている。
「いらっしゃいませ〜。例の子ですねぇ?」
間延びした声だった。
どこかで見た気がする。はっきり思い出せるわけではないが、記憶の端に引っかかる。
――見たこと、あるような。
だが、それ以上は浮かばない。
「ちゃんと歩けてますねぇ。あのときは、なかなか目、覚ましませんでしたから」
軽く笑う。
あのとき。
落下して、目を開けたとき、隣にいた人影。
輪郭だけが重なる。
はっきりとは思い出せないが、否定もできない。
「魔法制御担当のミレイアです〜。改めて、よろしくお願いしますねぇ」
隣に立つリシアが、簡潔に補足する。
「魔法に関する指導は、ミレイアが担当します」
ミレイアは立ち上がり、机の上の書類をぱらりとめくった。
「ええと……無自覚発動、無媒体、無詠唱、消耗感なし。うーん、なかなか豪快ですねぇ」
豪快と言われても、実感がない。
「それは、おそらく魔法の行使です」
昨日リシアに言われた言葉が、改めて繰り返される。
「……魔法を使ったことはありません」
自分では、そのつもりはない。
「昨日のダンジョンボス戦でも、あなたは使用しています」
淡々とした確認。
ミレイアは首を傾げたまま、ふと思い出したように言う。
「その前に、確認ですねぇ。魔法について、どれくらい知っていますか?」
「……ほとんど、分かりません」
「属性は?」
「土……くらいは」
「発動の仕組みは?」
「……」
答えられない。
ミレイアは小さく頷いた。
「なるほど〜。では、基礎からいきますねぇ」
「詠唱はしていませんよねぇ?」
「していません」
「魔力を練る動作も?」
「覚えはありません」
「発動の感触、使用後の消耗は?」
「……感じていません」
ミレイアは、そこで少しだけ表情を引き締めた。
「普通はですねぇ、魔法っていうのは順番があります」
指を折りながら数える。
「まず魔力を意識する。次に、媒体に乗せる。声でも、杖でも、音でもいいです。最後に発動する。これが基本です」
「魔法は必ず魔力を消費します。消耗がない、ということはありません」
続ける。
「属性は先天固定です。生まれた時点で決まっていて、後から変わることはありません」
「あなたは土属性ですねぇ」
机に置かれていた簡易図を広げる。
「属性は七つ。火、水、風、土、雷、光、闇」
指で円を描く。
「火→風→土→雷→水→火。この順で有利関係が回っています。これを円環相性と言います」
「それぞれ一つに強く、一つに弱い。二つに同時に強い属性はありません」
「光と闇は特別枠です。互いにのみ強く干渉します。他属性との明確な相性は設定されていません」
説明は止まらない。
「火・雷・光・闇は高出力型。瞬間的な破壊に向きます」
「土は出力は低めですが安定型です。制御と持続に向きます」
「水と風は汎用型。水は回復へ派生しますが、回復は別途適性が必要です」
そこで、視線をこちらへ戻す。
「なお、水属性を高圧縮すると氷として扱える理論もあります。ただし、それはエルフ圏や魔族圏で体系化されている話です。人類圏では未確立です」
さらに続ける。
「魔法は媒体が必要です。声、杖、音、場合によっては歌や旋律にも乗せられます」
「魔力を通しやすい特殊素材も存在します。武器に魔法を乗せるためのものですねぇ。ただし、これは高度技術です」
軽く笑う。
「無媒体・無詠唱・無自覚で安定発動する例は、通常理論にありません」
空気が少し重くなる。
「あなたの場合、接触を伴わず土魔法が発動しています。これも例外です」
自分では、ただ崩したいと思っただけだった。
「制御していないのに発動している」
声が静かに落ちる。
「これはですねぇ、ちょっと危ないです」
「出力が安定しない可能性があります。意図しない範囲に作用する可能性もある」
脅す口調ではない。ただの整理だ。
「自覚がないのが一番の問題なんですよ〜」
ミレイアは穏やかに続ける。
「使ったかどうか分からない。どれだけ消費したか分からない。それでは、自分の限界も測れません」
横でリシアが補足する。
「魔法は技術です。偶発的に発動するものではありません」
偶発。
自分の戦闘は、偶然だったのか。
「まぁ、いいです〜」
ミレイアが手を叩く。
「分からないなら、確認しましょう」
椅子を押し、立ち上がる。
「ギルドには練習場があります。まずは、あなたが何をしているのか、見せてもらいましょうか〜」
軽い調子だが、逃げ道はない。
リシアが扉を開ける。
「準備はできています」
廊下を進み、階段を下りる。人の声が遠ざかり、代わりに石壁に反響する足音が響く。
地下へ。
重い扉の前で、ミレイアが振り返る。
「大丈夫ですよ〜。いきなり暴走させたりはしませんから」
冗談のようで、冗談に聞こえない。
扉が開く。
広い空間が現れた。石壁に囲まれた、訓練用の区画。
ここで、何かがはっきりする。
そう思いながら、一歩踏み込んだ。




