第十八話 違和感
受付カウンターの前に立ちながら、すぐに言葉が出てこなかった。相談すると決めたはずなのに、いざ口にしようとすると、自分が何をどう説明すればいいのか分からなくなる。感覚の話だ。証拠もない。ただの思い違いかもしれない。それでも、放っておくには引っかかりが強すぎた。
「……一つ、相談してもいいですか」
ようやくそう言うと、リシアは視線を上げる。
「どうぞ」
迷いのない返答だった。拒否も保留もない。聞く姿勢が最初から整っている。
逃げ道はない。なら、曖昧なままでも出すしかない。
「ダンジョンの中で戦っているとき、地面が……有利に動いているように感じました」
自分でも要領を得ない言い方だと分かる。
「踏み込んだ瞬間、足場がわずかに沈むというか、敵の体勢が崩れることがあって。でも、何かをした覚えはありません」
言葉を選びながら説明する。誇張はしていない。ただ、そのままを伝える。
リシアの手が止まった。書類を扱っていた指先が、ほんの一瞬だけ静止する。
「おそらく、それは魔法の行使です」
即答だった。
「……俺は、魔法を使ったことがありません」
反射的に出た言葉だった。これまで意図して魔法を行使した経験はない。教わったことも、詠唱したこともない。
「昨日のダンジョンボス戦でも、あなたは使用しています」
続けて告げられる。
「詠唱もしていませんでした。魔力を練る動作もありませんでした。発動の感触も、使用後の消耗も感じていませんでした。それでも、発動していた可能性があります」
淡々とした説明が続く。
「通常、魔法の行使には自覚が伴います。詠唱、集中、発動感、魔力消費の実感。そのいずれかは必ずあります」
そこで区切り、はっきりと言う。
「あなたには、それがありません」
否定でも責めでもない。ただ、事実の整理。
思い返す。
崩したいと思った。
通したいと思った。
避けたいと思った。
それだけだ。魔法を使うつもりはなかった。使ったという感覚もない。
「……ダンジョンが動いたわけではないんですか」
確認するように問うと、リシアは首を横に振る。
「その可能性はありません」
「この世界はいくつかの領域に分かれています。あなたが今生活しているのは、アステリア領――通称、人類圏です」
王都を中心に、四つの都市が存在すること。南の冒険者都市グラニス、西の魔法研究都市エルネア、東の交易都市バルディオ、北の防衛都市ヴァルグリッド。それらが王都を取り囲み、人類圏を形成している。
さらに外側には、エルフが主導する大森林の領域リュミエル、山脈地帯を拠点とするドワーフ圏、集落単位で成り立つ亜人圏、そして北から東に広がる魔族圏がある。
「それぞれは独立した文化圏です。完全に統一された世界ではありません」
そこで、わずかに声の調子が変わる。
「ですが、ダンジョンはそのいずれにも属しません」
はっきりと断言する。
「国家の施設でも、種族の兵器でもない。特定の領域の管理下にある存在でもありません」
視線がこちらに向けられる。
「意思を持たない環境存在です」
だから、と続く。
「冒険者に肩入れすることも、有利に動くこともありません」
結論は単純だった。
「味方していると感じた場合、それはあなた自身の能力による結果です」
胸の奥が静かに沈む。
世界は正常。
ダンジョンも正常。
ならば。
「……異常なのは、自分ですか」
「異常という表現は適切ではありません」
即座に否定される。
「認識と発動が一致していない状態です」
事務的な整理。感情は挟まない。
「魔法の制御は私の担当ではありません」
視線が受付奥へ向けられる。
「専門の担当に引き継ぎます」
そこで初めて名前が出る。
「ミレイアです」
案内されながら、考える。
世界の構造は理解した。領域も、立場も、ダンジョンの定義も。
だが、自分の中で起きている現象だけが、説明の外に残っている。
魔法を使った自覚はない。それでも、使っていた。
分かったのは一つだけだ。
ダンジョンがおかしいわけではない。
世界がおかしいわけでもない。
理解できていないのは、自分自身だった。




