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彼女は退室した際に見せた凛とした佇まいはそのままに、表情はよりやわらかになっていた。
エントランスには他にも数名がいて、各々散らばって手持無沙汰状態で佇んでたけれど、私はともかく彼女のもとに駆け寄った。
「先ほどは、どうも………。それで、あの……こちら側っていうのは………」
「一次試験をパスしたって意味だけど?」
「……………え?」
一次試験を、パス?
そんな天と地がひっくり返るようなことをさらりと告げられて、私の声もひっくり返ってしまう。
その声に、エントランスにいた他の参加者たち全員の視線が一斉に私に向けられたけれど、そんなこと構っていられない。
私は女性に食い付くように尋ねた。
「あの、それ、本当なんですか?不合格だから退室を命じられたんじゃないんですか?」
女性は「そんなわけないじゃない」と、即答して笑った。
「でも、他の人達はまだ部屋に残ってますよね?だったら……」
「風船」
「……………え?」
私はさっき以上に素っ頓狂な声をあげてしまった。
「風、船………?」
「そうよ。風船。あなたにも見えていたんでしょう?床と天井一面に風船が飾られているのを。だってあなた、部屋に入ってからずっと、床の風船を踏まないように気を遣っていたじゃない」
「それはそうですけど………でも、あの風船がいったい何なんですか?」
私は躊躇したものの、素直に尋ねた。
”風船” というのが何らかの比喩だったり、試験と関係してくるのかもしれないとは思ったけれど、残念ながら私にはさっぱり見当つかないのだ。
するとなぜか女性に眉をしかめられてしまった。
「あなた、気付いてないの?風船が割れる音にも反応していたのに?」
「ですから、あの風船っていったい何だったんですか?」
重ねて尋ねたけれど、女性が答えをくれるよりも先に、ハァ……と大きなため息が聞こえてきた。
振り向くと、私と距離を保ったところで、あの無表情な男性が立っていた。
「………何ですか?」
と問うも、男性は「いや…」と短く答え、顔を背けてしまう。
…………なんなのよ!
ムッとせずにはいられなかったけれど、男性のさらに後ろから律ちゃんがこちらにやって来るのが見えて、反射的に私の頬から力が抜けていった。
律ちゃんは数名の参加者を伴ってエントランスに入ってきて、それを見るや否や受付の女性が「終了ですか?」と尋ねた。
「はい。こちらで全員になります。よろしくお願いします」
律ちゃんは受付の女性にそう伝えると、すぐさま踵を返した。
その際、ほんのかすかに私と目が合ったのは、きっと偶然じゃないと思う。
目が合った律ちゃんはいつもの優しい表情だった。
それはやっぱりどう考えても、不合格になった幼馴染みを励ます眼差しではなかった。
…………じゃあ、あの女性が言ったように、私は一次試験をパスできたの?
私はさっきの部屋の方に戻っていく律ちゃんを見送りながら、天と地がぐるぐるまわるようだった。
けれどそんな私の疑問は、受付の女性によって、あっという間に解決されてしまうのだった。
「それでは、こちらにいらっしゃるみなさんが一次試験通過となります。これより二次試験の案内を2グループに分けて行いますので、”M” と書かれたカードをお持ちの方は左手の廊下を進み、扉が開いている部屋にお入りください。お持ちでない方はこのエントランスでもうしばらくお待ちください」
エントランスに、ざわめきが走った瞬間だった。
「一次試験、通過………」
噛み締めるようにつぶやくと、ショートヘアの女性が「ね?言った通りでしょ?」と満足そうに笑いかけてきた。
「はい……ありがとうございます」
その返事でようやく試験結果を実感し、いっきに安堵の波が押し寄せてくる。
よかった。とりあえずは、よかった………
女性はプッと吹き出し、
「なんでそこでお礼が出てくるのかわからないけど……」
そう言いながらぴんと背筋をのばし、エントランスを見まわした。
すると、あの無表情の男性が誰よりも早く、すっと歩き出したのだ。
彼はエントランスを横切ると、受付の女性が案内した左側の通路を進んでいった。
つまり、
…………あの人も、カードを持ってたんだ?
そういうことになる。
確かに、あの人は私にもカードのことを知ってる風に言っていた。
そうしてる間に男性の姿は廊下の奥に見えなくなり、その後に続く人が次々に移動しはじめた。
嬉しそうな人もいれば、そうでない人もいたけれど、私は彼らに遅れないようにしなければと妙な焦りを覚えてしまう。
ただ、一緒にいるショートヘアの女性からはこの場を動く気配がまったく感じられず、私は彼女を残して立ち去るのに躊躇いが過った。
リクルートスーツを着ている彼女は、おそらく、あのカードを持っていないだろうから………
でも、早く行かないと締め切られてしまうかもしれない。
そんな不安が焦りをさらに煽ってくると、私が何も告げずとも、ショートヘアの女性が察したようだ。
「…………まさか、あなたカード組だったの?」
その訊き方に、眼差しに、態度のすべてに、ネガティブな色が込められていた。
態度を激変させた女性に、私は戸惑いを隠せずに問い返した。
「カード…組?」
「しらばっくれるつもり?あなたも持ってるんでしょ?カード。言われてみれば、あなたも私服着てるものね。ジャケットだから、リクルートっぽく見えなくもなかったけど………残念だわ。あなたは《《そちら側》》だったのね」
さっきまでの会話が幻かと思うほどに、女性は冷たく言い放ったのだ。
「そちら側って、どういう意味ですか………?」
重ねて尋ねても、女性はすっかり私を敵認定したのか、「そちら側はそちら側、こちら側ではないということよ」と、人が変わったように睨みつけてくる。
その豹変はもう戸惑いどころでなく、私に大きな恐怖を与えた。
危害を加えられるわけでも、言葉で誹謗されたわけでもないのに、彼女が私に憎悪を向けているのがわかり過ぎたからだ。
しかも、その憎悪の理由も、トリガーも、なにひとつ心当たりがないのだから。
ついさっきまではあんなに親切だったのに………
けれど、女性に何も言えず立ちすくんでいた私に、受付の女性が助け舟を出してくれたのだった。
「どうかされましたか?もしカードをお持ちなら、移動をお願いしますね」
私は受付の女性にパッと顔を向かせて「あ、はい、今すぐ」と返事したけれど、ショートヘアの女性はフイッと顔を背け、私から距離を取るように離れて行ってしまった。
…………そんなに、私のことを嫌うの………?
戸惑い、恐怖の次は得も言われぬショックや残念な思いが私の体を重たくさせた。
けれど、行かなくちゃ。
私はショートへの女性がこちらを見てないとわかっていても、静かに会釈をして、それからポケットにあのカードがちゃんとあることを指先で確認し、左側の廊下を進んでいったのだった。




