6
そのひと言で、方々からは参加者たちの息が漏れてくる。
解放感からくる吐息なのか、それとも嘆きの息なのかはわからないけれど、とにかく私は、ベストを尽くせた………とは思う。
そう思いたい。
だって、もう今ここで悔やんだってどうしようもないんだから。
可能な限り細かく、丁寧に、そしてたくさん、用紙いっぱいを使って書き記したつもりだ。
そのびっしり書かれた回答用紙から、少しでも、私のMMMコンサルティングに対する想いが伝わるように………
だけど、いざペンを置いた後は、本当にこれでじゅうぶんだったのか、もっと書けることはあったんじゃないかと、続々と不安の種を蒔いてはまた鳩尾が痛くなった。
…………本当に、今日はずいぶんデリケートになってるみたい。
さりげなくそこを撫でたとき、前方の扉が開いて、受付担当だった女性が入室してきた。
手には書類の束を持っていたが、ちらりと見えたそれは、受付で記入したもののようだった。
そう言えば、さっきあの人は『何が起こっても、どんなに驚いても、絶対に声をあげないでください』と注意を促していたけれど、ひょっとして、風船が割れることを示唆していたのだろうか?
じゃあやっぱり、風船が割れたことを回答に含んで正解だったのかもしれない。
そう思うと、鳩尾の傷みも幾分か和らぐ気がした。単純なものだ。
そうしているうちに、前では試験担当の二人が女性から書類を受け取り、女性は退室していった。
二人は座席を見ながら書類を分類していくと、左右にわかれて参加者の前に立った。
「じゃあ、これから回答を確認していって、部屋に残る人と出ていってもらう人にわけるから、指示に従ってくれるかな」
律ちゃんでない方のフランクな社員が軽やかに告げた。
今度はそのひと声で、試験終了で一時的に緩んでいた部屋の空気がまたピンと張り直された。
部屋に残る人と、退出を促される人………それはどう考えても、合格と不合格のライン引きに違いない。
私は、こんなにも早く結果が出てしまうことに驚きを隠せなかった。
けれど、社員の二人は私達参加者の動揺などまったく見えていないかのように、それぞ参加者の用紙を確認しはじめたのだ。
一番右端の席は私の隣のショートヘアの女性で、彼女の回答をチェックしたのはフランクな社員だった。
彼は女性の用紙を拾い上げると、周囲にも聞こえる声で、「荷物をまとめてエントランスへ」と即座に合否発表を下したのである。
「……っ!?」
女性はよほど自信があったのか、訝し気に首を傾げたものの、男性社員はさっさと女性の後ろの席に向かってしまったので、渋々従うように立ち上がった。
一人目からの脱落宣告に、周囲からは声にならないざわめきが聞こえてくるようだった。
去り際、彼女が私の方を見てひょいっと肩をすくめた仕草が、なんだか海外ドラマの登場人物みたいで、不合格判定を受けながらも悲愴感を滲ませない姿はかっこよく見えた。
感じが良さそうで初対面から好感を覚えたけれど、こんなにもあっさりさよならになってしまうのだろうか…………
ちょっとした感傷の中、潔く部屋を出ていく彼女の背中を追っていた私だけど、そのあともフランクな社員の声が次々に聞こえてくる。
私は、人のことを考えてる場合でないと背筋を伸ばした。
「………この部屋で待機」
「……待機」
「……………この部屋で待機」
「………………ここで待機」
「荷物をまとめてエントランスへ」
「……………そのまま待機」
「…………待機かな」
後列までいくと、今度は後ろから前へ。
「……………ひとまず待機してようか」
「……この部屋で待機」
「荷物を持ってエントランスへ」
「…………うん、待機だね」
「……………このまま待機」
「………待機」
「……………座ったまま待機」
そうして、男性社員は私の真ん前でぴたりと立ち止まった。
いよいよ、そのときが訪れるのだ。
待機、待機、待機、待機……………
私は心の中で必死に唱えた。
なのに、フランクな社員は、あっけなく私から憧れや夢を奪い去ったのだった。
「荷物を持ってエントランスへ」
一瞬、意味がわからなかった。
いやもちろん言われた言葉自体はわかっている。
でも、まさかこんなにも簡単に夢の終了を告げられるなんて………
私は絶句して、男性社員を凝視した。
すると、彼はにっこり微笑んで、出口はあっちだよと言わんばかりに腕を扉方向に伸ばし、私に退室を促したのだ。
「………っ」
だめだ、泣いてしまいそう。
退室を命じられるということは、やっぱりどう考えても不合格だ。
どうしよう、体が動かない。
早く出て行かなきゃ他の人に迷惑になってしまうのに、ショックというより呆然とし過ぎて、体に力が入らないのだ。
けれど、なかなか動けない私をそのままに、男性社員は隣りの列に移っていった。
そして、また判定を再開した。
「…………このまま待機」
彼にそう告げられて、私の隣りの席の人が黙ったまま喜んでいる気配がした。
そこでようやく、私も実感した。
…………ああ、本当に私は落ちたんだ。不合格なんだ。もう、ここで働けないんだ…………
実感はやがて、絶望感としてじわじわ染み込んでくる。
そうすると、現実として受け入れざるを得なくなったのか、不思議と、体を動かせるようになった。
それはまるで氷が溶けるように、或いは呪縛が解けるように、ゆっくりと、私は言われた通りに荷物をまとめていった。
さっきの女の人みたいに凛として退場するなんて、私には到底無理そうだ。
できそうにもない。
けれどどうにか絶望と諦めを抱えながら席を立ったとき、ふと目が追ってしまったのは、私の席と反対側にいる律ちゃんだった。
律ちゃんにもあんなに相談に乗ってもらったのに…………
申し訳なさと情けなさと恥ずかしさでいっぱいになって、心の中で律ちゃんにごめんなさいと語りかけた。
すると、ふいに律ちゃんがこっちを向いたのだ。
律ちゃんは、他の人にはわかるかわからないかくらいに小さく、唇の端を上げた。
「…………?」
荷物を持って立ち上がってる私を見たら、どういう状況なのかは一目瞭然だろうに、律ちゃんは私に笑いかけたのだ。
でも律ちゃんはすぐに顔を戻すと、他の参加者に判定を伝達する仕事に戻っていった。
…………いったい今のはどういう…………
律ちゃんの意図は掴めないけど、いつもの律ちゃんなら、不合格を告げられて絶望に沈んでる私にあんな笑い方はしないはず。
だって律ちゃんなら、私が落ち込んでるときは、一緒に悲しんでくれるから。
まずは一緒に悲しんで、心に寄り添ってくれて、それからその後に、励ましてくれるはずだ。
だけど今の律ちゃんは、そうじゃなかった。
もちろん、仕事中だということもあるかもしれないけど…………
私はイレギュラーな律ちゃんに胸が曇っていったものの、退場の命には逆らえず、静かに部屋を出たのだった。




