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その人は、私を見るなり、驚いた顔をしたのだ。
でもそれはほんの一瞬の出来事で、すぐにまたにこにこ笑顔に戻ると、私への視線は解かれた。
…………今の、何だったの?
まるで私のことを知ってそうな反応だったけど、さっきから会う人会う人、みんな思わせぶりな態度で、いちいち気になってしまう。
でもこの人は律ちゃんとも親しそうだし、もしかしたら律ちゃんから私のことを聞いていたのかもしれない。
だとしたら、律ちゃんから何て聞いていたのか気になるところだけど………今はそんなことに気を取られてる場合じゃない。
試験に集中しなきゃ。
もし、本当に律ちゃんが私のことをあの人に話していたのなら、試験結果によっては律ちゃんに恥をかかせてしまうのかもしれないんだから。
幼馴染みとして、恥ずかしくない結果を出さなきゃ。
頑張らなきゃ。
机の上の一点を見つめ気を張り直した私の前に、ふっと影がかかってくる。
その影がっ誰のものかだなんて、顔を上げるまでもなくわかってしまう。
幼馴染みなんだから。
「この用紙を一枚取って、後ろにまわしてください」
さっきの人とは違ってかしこまった言葉遣いの律ちゃんは、いつもの私と一緒にいるときの律ちゃんとはなんだか別人のようで、不思議な感じだ。
でも、見上げた先にいた律ちゃんは、私の知っているいつもの優しい律ちゃんにしか見えなくて。
用紙の束を渡される際、かすかに指先と指先が触れたのだって、きっと偶然なんかじゃないと思う。
律ちゃんはそうやって、いつも些細な仕草ひとつで私を安心させてくれるのだから。
やがて余韻を残して、律ちゃんは隣りの列に移動していった。
私は体をひねって用紙を後ろの席にまわしたけれど、意図せず見やった先で、あの無表情の男性と目が合ってしまい、慌てて逸らした。
その男性は律ちゃんじゃない方の人から用紙を受け取っていたようだけど、なぜかこちらをじっと見ていたのだ。
…………さっきから、いったい何なんだろう?
男性の何か含みありげな様子が引っ掛かってしまうけれど、律ちゃんから配られた用紙に目を通すと、そんな引っ掛かりはすぐに飛んでいってしまった。
問 今あなたがいる室内の様子をできる限り詳細に記述してください。
A4サイズの用紙の上部に、たった一問、それだけが記されていたのである。
室内の様子って…………
私は小さくあたりを見まわした。
あちらこちらの席で同じような動きをしている参加者が視界に入ってくる。
…………どう考えても、この色とりどりの風船のことを尋ねられてる気しかしない。
隣りの席のショートヘアの女性も、天井を仰いで何やら指を折っている。
おそらく、何かの数をカウントしているのだろう。
それが風船の総数なのか、色ごとの数わけなのかまではわからないけれど。
大手有名企業の入社試験なんかでは、基礎学力的な難易度ではなく、独創性や発想のユニーク度などを求められるとも聞くから、MMMコンサルティングでもそうなのかもしれない。
部屋の天井と床一面にカラフルな風船を設置し、それについてどう回答するのかでオリジナリティを見ているに違いない。
だとしたら、どう記述するのが正解なのだろう。
ただそのまま、天井と床一面にいろんな色の風船があります、と回答したところで大した評価は得られないはずだ。
何か他の参加者と被らない答えを………
私はペンを握ったまま思案した。
けれど
「さあ、用紙は行き渡ったようだね。制限時間は5分。あまりのんびりはしていられないよ?それじゃ、はじめ!」
フランクな男性社員が愉快そうにそう告げたのだ。
…………5分?今5分って言った?
慌てたのは私だけではない。
ほぼほぼ参加者全員に動揺が走ったようだったけど、私語厳禁のルールにより、誰からも声は漏れず、ただ部屋中の雰囲気は激しく揺れていた。
それでも5分という短い制限時間を知ったからには、頭を切り替えなきゃいけない。
誰もがそう考えたのだろう。
瞬く間に、用紙に記入しはじめた。
ここにいる人は優秀な人達だろうから、切り替えも早い。
私も後れをとらないように、とにかくすべての風船の色を書き出していった。
ところが、赤、青、黒、紫、白、緑、グレー、紺、ゴールド、ピンク、見える色すべてを片っ端から書いている途中で、
パアァァァァンッッ!!
部屋を切り裂くような音が響き渡ったのだ。
「…………っ!?」
全身が震えてしまうほどにびっくりして、私はすぐに音の鳴った方に顔を上げた。
すると、フランクな男性社員が満面の笑みで手に持った風船を割っていたのだ。
それが、まるでいたずら大成功!とでも言いたげな、満足げな表情に見えてしまったのは私だけではないだろう。
私以外にもちらほらと彼を見て戸惑っている人がいたのだから。
隣りのショートヘアの女性も、あの無表情な男性も。
無表情な男性に関しては、無表情のまま大きなため息をついていた。
動揺程度ならともかく、あからさまに不快感を示す男性に驚いたけれど、気持ちは理解できる。
人生を変えるかもしれない大切な試験中なのに、大きな音を立てるなんて迷惑行為でしかない。
でも…………
こそっと部屋の後方も見やったけれど、前に立っているフランクな社員に注目している参加者は少なかった。
あんな大きな音が鳴ったのに、ほとんどの人は集中を切らさず解答用紙にペンを走らせていたのだ。
冷静な彼らといちいち反応してしまう自分との差に、焦りを感じずにはいられない。
…………でもそれなら、この社員による迷惑行為も室内の様子として回答に含めたらどうだろう?
そう思いついた私は、ペンを握る手がまるで魔法にでもかかったように軽くなった。
そうして、5分が経った。
「―――――終わりだよ。ペンを置いて」




