ep.9
ワゴンに乗り込み、エンジンをかける。午後の空が、オレンジに近付いてきた。
胸の中のざわめきが消えない。これが瘴気によるものなのか、判別はつかない。
玲奈はしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「……当たりと言えば、当たりかも」
「何がだ?」
独り言のようだったが、俺の質問に玲奈は窓の外を見ながらも会話を選んだ。
「私の目的。臓器密売ルートよ。多分、社長が先生だった頃に関わってたのかも知れない。⋯⋯製造に」
「クローン技術の事か?」
「そう。だって機関とか呼ばれている組織は、巫女の複製でお金に困ってたみたいじゃない? 同じ様な技術を使って⋯⋯」
そこで玲奈は目を見開いて言葉を切る。
「⋯⋯いいえ⋯⋯さっきの男が言っていた⋯⋯駄目になった巫女の⋯⋯」
玲奈は俯いて黙り込んでしまう。言いたいことは分かったが、俺も聞きたい話ではないので、この話はここで終わらせた方が良さそうだ。
視線を前方に戻せば、目的地の港に近い灯台が遠くに見えた。意識を自分に戻せば、今だに胸に残るのは母のいない夜と、小さな子供の頃の屈辱。辛くはないが、何度も何度も頭を過ぎれば、気分は良くない。
バックミラーを見れば、ニンは玲奈の隣で瞳を閉じて薄く呼吸をしている。彼女の性格は知らないが、流石に北嶋の話は堪えているようだ。質問したい事は幾つかあるが、今すべきではないだろう。
俺は運転席にしがみつくようにして、次の行動を考える。ここでは何を選べるか──それは、まだ分からない。だが一つだけはっきりしている。運び屋の仕事を完了させる為には、時間が戻るバグを止めなくてはならない。
そしてそれは、恐らくニンを救う事にも繋がる。
何が起きているのかは、少しずつ分かってきた気がするが、肝心のバグを解消する方法が分からない。
瘴気とは何だ? あの鉱物、星の欠片から溢れていた理由は? なぜニンは、鉱神の巫女は瘴気を溜めておけるんだ? 瘴気を注いで儀式で浄化して、それを出荷するとはどういう事だ? そして、瘴気を注いだ時に時間が戻る理由は?
いや、時間が戻るのは限界を超えたからだと、ニンが言っていたな。つまり限界を超えなければ良い。なら他所へ移す、若しくは儀式を止めて瘴気を別の場所に注いでやれば、とりあえず時間は戻らない。
まあ今回は時間が戻ると仮定して動いているから、今から向かう儀式の場の誰かから聞き出すのが良さそうだな。
◇
最後の、港の倉庫へと向かう。
今回は"儀式の始まる前"を見ておく。ニンがどういう立ち位置にいるのか、それを知る必要がある。
港の外れにある、倉庫群の一角にある古い鉄扉の建物。前に見た時は夜で、周囲は真っ暗だった。
だが昼間は違う。コンテナを運ぶフォークリフトの音、作業員の話す声と潮風の中に混ざる鉄粉の臭い。昼の動きがある分、死の気配が薄い気がする。
人気の途絶えるタイミングを見計らい、裏手から壁際を這うように移動する。割れたガラス窓の下から中を覗いた。
──そこには、組み立て途中の"装置"があった。
円形の床に鉄製の枠がはめ込まれ、中心には金属質の──星の欠片だ。かなり大きい。周囲の鉄製の枠には電源らしきケーブルが束になって伸びている。
白衣の男が一人、指示を出している。
「夜までには終わらせろ。巫女については、あの男が何とかするだろう」
巫女の行方⋯⋯ニンの事だろう。何故、彼らが行方について把握しているのか。北嶋と一緒にいた男は、さすがにまだ失神しているはずだ。
あの男とは⋯⋯夜須波留か?
まさかとは思うが、ワゴンにGPSでも仕掛けられていたか? 玲奈とニンを別の場所で待機させたのは正解だったな。今は目の前の事に集中しよう。
前回、ここで光が爆ぜた。ニンが瘴気を身体から解放し、祭壇に──どうやらまだ祭壇は用意されていないようだ。あの大きな星の欠片に瘴気を吸わせていたのか? なるほど、この装置は計測する機器しか取り付けられていない。
祭壇が無いせいか、現時点では宗教的な儀式には見えない。計算された位置に並ぶ導線と、冷たい機材の並列は実験施設のようだ。霊とか呪いとかを扱う場所には見えない。
「……何だ?」
呟いた声が、窓から自分の耳に返る。大きな星の欠片を見つめていると、あの時の"声"が蘇ってきた。怒り。怨嗟。恨みのような、言葉にならない醜悪な波が押し寄せる。
まるで目の前に瘴気が存在し、触れたかのようだ。
「限界⋯⋯か」
その言葉が、自然に口から漏れた。瘴気を溜めておける場として溢れる寸前、いや既に漏れ出しているのだろう。何度か瘴気に触れた今なら、俺にも分かる。
ニンの持つ瘴気を注げば溢れる。今回で解決の糸口を見つけ出す。必ず。
別行動する前の会話を思い出す。
◇
「……私は、行かない。行けない」
玲奈は小さくそう言って、視線を逸らす。
「どういう意味だ?」
ミラー越しに見た玲奈は唇を噛んで、何も言わなかった。
代わりに、ニンが小さく首を傾げて告げる。
「玲奈さん、秋山が居ると、いつもそう」
そう言われて、俺は思い出した。確かに前のループでも、玲奈はこの倉庫の近くで車を降りなかった。それどころか、倉庫の中からあのスーツの男が出てくる瞬間──玲奈は立ち止まり、息を潜めていた。
「秋山──あの倉庫の前で待機するスーツを着た男か? そういえば、前もそうだったな」
俺が口にすると、玲奈の眉がわずかに動いた。
「待ち構えているスーツの男が立っている時は、決まって車の中に残っていたな。理由はなんだ?」
玲奈は長い沈黙の後、ため息をつく。
「……そういう指示なのよ。"先生"からの」
玲奈の声は少し震えている。
「潜入捜査とは言え、この組織にいる以上は先生の指示は絶対よ」
「俺と行動していることは──」
「指示通りよ。夜須波留が居ないだけ。なんの問題も無いわね」
なるほど、そうとも言えるか。玲奈は俺の協力者ではあるが、あくまでも潜入捜査中で、潜入先の組織のトップである社長の指示に従う振りは、続けなければならない。俺とニンに対して協力的だったので忘れていた。
だがそれは──
「信用していないのか」
「ええ無理よ、完全にはね。⋯⋯そこは察して」
玲奈は憂いのある目で俺を見つめている。
考えが足りなかった。玲奈の立場について想像力が働いていなかった。玲奈は記憶を持ち越していない。
俺と玲奈は、利害が一致している。俺は運び屋としての仕事を終える為、その過程でニンを救い、時間が戻る事態を解決したい。玲奈は組織の臓器密売ルートを洗い出したい。そしてニンを保護したい。
時間が戻っている事を実感出来ない玲奈は、今この瞬間が全てだ。先のことを考えれば、いつものルールを破る訳にはいかない。当たり前だ。
今のところ俺の話の整合性が取れているから行動を共にしているだけで、完全に身を任せるわけにはいかないという事だ。
「俺とニンは、ループに慣れすぎていたのかも知れないな」
「そう、ね。信用はしてるのよ? でも、私には理解出来ない感覚なの。任務に失敗してもやり直せば良い、なんてね」
俺とニンは顔を合わせる。俺達はループに慣れすぎて"今回がダメでもやり直せばいい"という意識でいるので、玲奈とは緊張感からして違うのだろう。
「やはり、というか⋯⋯時間が戻るというのは珍しい現象なんだな」
「当たり前でしょ。SF映画じゃないんだから」
「「SF映画?」」俺とニンの声が重なった。
それを聞いた玲奈が頭を抱える。
「え、嘘でしょ? 知らないの? サイエンスフィクション、空想科学の事よ。現実にはあり得ない事を映画の世界で再現するの。⋯⋯見たことあるでしょ?」
俺とニンが同時に首を振る。
「⋯まぁいいわ。今そんな事言ってる場合じゃないから。とにかく時間が戻る前提で動くのは協力するけど、私は充分な安全マージンを取る。この仕事からニンを救い出したいけど、次回に持ち越す事にする」
玲奈の言う"次回"が、俺とニンの考える次回とは違うようだが、俺は首を縦に振る事にした。
「分かった。それで、その秋山と言う男は?」
玲奈は目を伏せたまま、答えた。
「聞かされてない。監視役と言うか、中にいる人の護衛も兼ねてそうだけど。この仕事の時は必ずいるわ」
ニンが、静かに口を開いた。
「儀式……」
その声は、かすかに震えていた。
「儀式を行わなければどうなるんだ? ニンの体調に影響はあるのか?」
ニンはゆっくりと首を振る。
「分からない。いつも必ず連れて行かれて、儀式をしてる。⋯⋯ジンが居ない時も」
「そうか。それなら⋯⋯」
◇
倉庫の向こうに沈む太陽が、赤い帯を引きながら海面に落ちていく。そこには人影があった。スーツの男の影が、それを背にして長く伸びた。
夕闇が倉庫街を包み、遠くの海鳴りが響いていた。
俺は倉庫の裏手から出て、歩き出す。スーツの男──秋山という男の目が、ゆっくりと俺へ向けられる。怪訝そうな目に変わる。向こうは初見だから当然か。
よく見れば、それなりに大きな男だ。スーツはピッタリと身体に張り着いていて、鍛えられた肉体が想像出来る。間違いなく格闘技経験者。5つ目のコージンビルに居た大きな男とはまた違う、歩き方一つとっても、肉食獣のような軽やかさがある。
ジンは5歩分程の距離を取って秋山の前に立つ。
「港で働いてる外国人か? すまないが、ここは関係者以外立ち入り禁止だ。早々に立ち去りなさい」
意外にも丁寧な物腰だ。10代の少女を誘拐して、家族ともども使い捨てるように働かせている組織の人間にしては、随分とまともな事を言う。北嶋と同じ様に、ここにいるのは本意ではないのだろうか。
「秋山、だな?」
俺の言葉を聞いた瞬間、目の前の男の存在感が膨れ上がった。いや実際には何も変わっていないのだが、そう思わせるほどの──圧力。
「⋯⋯日本語が話せるのか。俺の名を何処で聞いた?」
先程よりも数段低い声──"ドス"の効いた声音だ。
俺は軽く息を吐いて、相手に飲まれないよう弱気を振り払う。
「あんたが鉱神の巫女を待っていて、中で行う儀式の為に待機している事も知っている」
秋山は反応しない。無感情な目で俺を見ている。
「ここで瘴気を集めて浄化している事も知っている。その後──国外に出荷している事も」
驚いた。この秋山という男、何の反応もしない。間違いなくプロだ。情報を得るのは難しいだろうと判断した俺は──
一歩前に出て──後方に吹き飛ばされた。
秋山の履いている革靴の底が見える。一足飛びに繰り出された横蹴りで腹を蹴り飛ばされたらしい。完璧に体重が乗った強力な蹴りだ。鍛えている腹筋で受けたはずだが、充分以上の痛みを食らっている。
地面に転がり、そのままの勢いで立ち上がる。顔を上げれば、秋山が低い姿勢で、俺目掛けて飛び込んで来た。眼前に迫る右拳を姿勢を低くして躱し、右膝に水面蹴りを入れるが、膝を持ち上げてガードされる。
秋山が体勢を崩したところで距離を取るが、直ぐに追撃してくる。俺は応戦しながら考える。
この男、格闘技経験者というよりは、本物の"格闘家"だ。己の五体を規則正しく動かし、強力な打撃で相手の肉体を破壊する事に長けている。そして相手の動きを制限し、自分に都合のいい位置を取るのが異常に上手い。
そして重心が高くない所を見ると、恐らく投げや関節技も出来そうだ。流行りの総合格闘家というやつだろう。非の打ち所が無い。間違い無く強い。
だがまぁ──何とかなりそうだ。
秋山が踏み込んで来た足を狙い、真っ直ぐに膝を蹴る。折る迄には至らないが、かなりのダメージは与えた。秋山の顔が苦痛と、そして侮蔑の感情で歪む。
前に出る秋山の顔に、下方からスマホを投げて目元に当てる。一瞬の目眩ましにしかならないが、警戒した秋山は、さっきの膝への攻撃を警戒して、意識が下へ向く、
その隙を突いて、喉元に全力の貫手を突き込む。
「グゥ!!」秋山が呻き声をあげる。
首を押さえる秋山の足を掬い上げて、大外刈りの要領でアスファルトの上に投げ飛ばす。転がった秋山は、マウントポジションを警戒して俺に向けて大きく足を開く──そのまま股間を踏んだ。
「ぐぁっ!? うぅ⋯⋯」
潰す程は踏んでいない。手加減はした。激痛に悶絶する秋山の頭を踏んで、意識を刈り取る。
「悪いが、こっちも仕事でな。卑怯とは言うなよ、試合じゃないんだ」
もう聞こえてはいないだろうが、服に付いた埃を叩いて落としながら、俺は秋山に言い捨てた。別に戦う事が好きなわけでも、それを生業としているわけでもない。必要だから覚えただけの技能でしかない。
秋山という男は格闘の為に肉体から何から、研ぎ澄まされていた。俺とのやり取りは勝ち負けではないので結果は気にしないでいて欲しいと思う。俺は運び屋としての仕事に支障が出ないようにしているだけだ。
気にしていても仕方がないので、俺は玲奈とニンが潜んでいる所に歩き出した。
◇
「デタラメね。貴方を育てた倉治が闘う所を見たことは無かったけど⋯⋯納得したわ。そっちのスーツの、秋山? 凄い動きしてたわよ?」
物陰から様子を窺っていたらしい玲奈とニンが顔を出す。
「純粋な強さなら彼が上だ。目的が違うからこうなった」
「勝った理由も容赦無いわね。そういうとこも、倉治に似てるわ」
その倉治が俺をそう育てたから、似るのは仕方ない。玲奈は倉治のファンのようだな。
「それより、中で隠れて様子を見よう。俺が今日という日を過ごした最長が⋯⋯確か夕方の7時前。その辺りまでは様子を見たい」
「そうね。夜須波留の奴も、そろそろ到着してるかも知れない。ここにずっといるのは危険だわ」
俺の提案に、玲奈が同意する。
確かに、中の連中の言う"あの男"が夜須波留だとしたら、それだけ信用の出来る存在なのだろう。
つまり俺達にとって、最大の障害だ。避けるに越したことはない。この仕事を斡旋した花生──そして仕事の補佐として共にいた夜須波留が、最大の敵になるとは、想像もしていなかった。
「俺が先に行く。玲奈、ニン、ゆっくり付いて来てくれ」
俺の指示に、玲奈とニンが頷いた。
◇
倉庫内への侵入は容易だった。見張りの秋山をそれほど信用しているからだろう。音が響かないようにゆっくり扉を開いてから、三人で倉庫に侵入、そして機材を梱包していたであろう、幾つもある大きな箱の隙間に身を潜めた。
「ねえ、聞いていい?」
玲奈が声を落として、俺に話し掛けてくる。
「なんだ?」
俺も同じ程度の声で返事をする。
「ジンとニンは、さっき話してた儀式に参加せずに、どうなるのか監視するのよね?」
「そのつもりだ。儀式を行わないという選択肢があるのなら、それが良いからな。運び屋としての仕事を終える為もあるが、ニンは解放してやりたい」
俺の考えを話しておく。
「儀式を始めれば、時間が戻る。ジンの仕事は終わらない」
珍しくニンが口を開く。
「そう、よね。時間が戻る⋯⋯あなた達は最初からやり直しになる。そうよね?」
玲奈が、含みのある言い回しで言い淀む。
「そうなる。玲奈、言いたい事があるなら遠慮はいらない」
俺は玲奈の言葉の先を促した。
「⋯⋯本当だとしたら、私は記憶を失うのよね? 今この時間の」
そういう事か。だがそれは⋯⋯
「俺とニンの記憶が残っている理由が分からない。条件が分かれば玲奈にも覚えておいて欲しいんだが⋯⋯」
これは本当だ。玲奈という協力者の存在は、この仕事を完遂する上で、欠かせないものだと考えている。
「悔しいわね。私にとっても、あなた達という協力者は必要なんだけど⋯⋯出来ればこのまま私の仕事を終えてしまいたいわね」
「出来る事なら、俺もそうしたいと思っている」
本音だ。玲奈は俺の頭を撃ち抜くほど過激な方法を躊躇なく取る女だが、ニンへの態度を見ても悪人ではないと分かる。
「私も⋯⋯玲奈とこうして話せたの、初めてだから。このまま解決出来たら、凄く⋯⋯嬉しい」
玲奈の態度はニンにも伝わっていたようだ。
「ありがとう。ニンがこの仕事から降りる方法を一緒に考えましょ。今からでも遅くないわ」
玲奈がニンを頭を胸に抱えた。
ニンも嫌がることなくされるがままに寄り添っている。
その後は、誰も口を開かず、じっと儀式の準備をする連中を眺め続けた。




