ep7.ファンタジーとは?
「あなたは居たり居なかったり、よく分からない人だから、信用してない」
少女は冷たい表現で俺を見つめる。
「居ない時は、仕事を受けずに色々と調べたりしていたんだ」
爆殺された事は恥ずかしいので言わないでおこう。
「⋯⋯そう」
少女は冷たく返事をする。怒っているのだろうか。
「何か気に触ったか?」
「いいえ、別に」
もう目が合わない。不機嫌に見えるが⋯⋯何が原因なのか、俺には分からない。
「ねえ、話は歩きながらで良い? 今直ぐにでもこのファンタジー空間から早く離れて、頭の中を整理したいの。それと⋯⋯ひとつ提案があるわ」
玲奈が不快そうな顔で退室を促してくる。
ファンタジー空間?
とりあえず少女を伴って歩き出す。
「ああ、行こう。──それで、提案とは何だ?」
玲奈がニヤリと笑って提案する。
「ええ、ここって、車を停めたコインパーキングから裏口が見えるじゃない? 夜須波留の奴が来たら、私の雇った彼等を充てて、様子を見ましょう」
「⋯⋯確かに。全く姿が見えないよりは安心だな」
俺は同意する。
「でしょ? まずは裏口から出て彼等に説明するわ」
◇
裏口の鉄扉を抜けると、乾いた風が頬を撫でた。コージンビルの影は、路地全体を覆っているため、暗く、少し肌寒い。
玲奈は周囲を一瞥すると、ポケットからスマホを取り出し、短くメッセージを送った。
「これで、来てくれるわ」
明るいウェーブのかかった前髪を耳にかけながら、淡々とした声で言う。玲奈はいつの間にかポニーテールを解いていた。
裏口の向かい、廃棄された自販機の陰に、五人の男たちが潜んでいた。無骨な体格に赤いシャツの男。リーダー格だ。異国の訛りを混じえた言葉を話している。玲奈は彼に短く指示を出した。
「黒いセダンで来る男を足止めして。痛めつけてくれていいわよ。でも深追いはしないで」
彼が頷くのを確認すると、玲奈は踵を返した。
「行きましょう。ここに居たら巻き込まれるわよ」
三人は通りを抜け、コインパーキングに停めていた銀のワゴンへと乗り込み、座席に身を沈めて様子を窺う。
まだ昼前の街は、往来にも人が多い。今日は平日だ。スーツを来た人も多い。俺から見ると、まるで別世界の住人のように思えてしまう。
運転席にジン、後部座席に玲奈と少女。エンジンは切られ、時間だけがゆっくりと流れていく。
「……じゃあ、話してくれない?」
玲奈が低く言った。
「"記憶を持ち越す"って、どういうこと? あの瘴気というものを纏っていた物体は何? どうして貴女はそれを、身体に宿す事が出来るの? 苦しくはないの?」
玲奈の矢継ぎ早に放たれた質問に、俺は息を整えてから。
「一つずつだ。記憶の持ち越しについては、今のところ俺と――彼女だけが覚えているらしい。他の人間は何も知らないまま、同じ時間を繰り返してる」
少女は無言で頷き、窓の外を見つめている。玲奈は小さく笑い、額を押さえた。
「はぁ、最悪⋯⋯。確認してもやっぱりファンタジーじゃない。悪い冗談だわ。でも、それだと説明がつくのよね。貴方が最初から、私の事情を知っていた理由とか」
「信じるのか?」
「信じたくない。他に私が納得しそうな話はある?」
玲奈は心底嫌そうな顔で更に話せと求める。知りたいが、知りたくないという事か。
俺は少し迷ったが、話すことにした。
「二度目に彼女を運び終えた時、中古車ディーラーで回答を間違えなくて、撃ち殺されなかった」
「回答⋯⋯ああ、何となく分かるわ。高い報酬払うのに、困難に見舞われた話を依頼人の前でする程度の運び屋なら要らないって事でしょ⋯⋯この世界って感じよね。特に彼女は組織からしても特殊な存在だもの。で、一度目は回答を間違えたのね?」
「社長と呼ばれるあの男に額を撃たれた。そしたら依頼の前の時間に戻ったんだ」
俺の撃ち殺された話に、少女が目を剥いていた。
「なるほどね、で、二度目は間違え無かった、と」
「ああ、だが帰り道で後部座席に潜んでいた玲奈に、潜入捜査官である事を教えられた。銃口を突き付けられたまま、協力者にならないなら──私の事を知られたまま放っておくと邪魔になる、と。頑なに断ったら撃たれた」
「うわ⋯やりそう。ジン、貴方が協力者じゃなかったら危ないなって、思ってたところよ」
恐ろしい事を言ってくる。だが玲奈はこういう女だ。
「⋯⋯殺伐とした世界だな」
俺の何気ない言葉に、玲奈は温度を感じさせない視線で俺を見る。どうやら余計な事を言ってしまったらしい。だが俺はお前に撃ち殺されている。
俺から目を逸らして、玲奈は別の話題を出した。
「次よ。最初、焦げた金属片に見えたアレはなに?」
俺には分からない。
少女がその言葉に反応し、静かに口を開いた。
「星の欠片」
「また、ファンタジーな単語じゃない⋯星の欠片? 欠片という事は他にも、ああ⋯⋯そういう事。つまりいつも回ってる他の所にも同じ物があって、これから同じ事をするのね?」
少女は無言で頷く。
「で、どうしてあなたなの?」
玲奈の問いに、少女は小首を傾げて答える。
「私が"瘴気"を宿すから。そう決まってる」
玲奈の表情が一瞬だけ強張る。
「瘴気⋯⋯あの部屋の黒い染みの事ね?」
少女は頷く。
「その、瘴気って何なの?」
玲奈が、如何にも聞きたくなさそうに問う。
「分からない。身体に宿して、決められた場所まで運ぶのが、私の御役目。だった⋯⋯」
少女は言葉を切る。
「だった?」
玲奈が追求する。
少女は俺に視線をやりながら答える。
「今回の場所は、もう限界だった。少なくとも一つ分は減らさないと、溢れる。溢れて結界に触れる。この星が保たない。だから、無かったことにされる。時間ごと戻して」
車内に重い沈黙が落ちた。無かったことに"される"か。誰に──とは、聞きたくないな。
「⋯⋯時間が戻るなんて、フィクションの世界でしか聞いたこと無いないわね⋯⋯嘘だと言って欲しいわ」
玲奈は右手でこめかみを押さえ呻くように言った。
「残念ながら本当だ」
フォローしたつもりが、即座に玲奈に睨まれてしまう。
「そう言えば、貴方達だけが記憶を持ち越してる理由は何なの? 私も巻き込まれてるのよね?」
それは俺も考えたが、結論は出ない。
「最初は、俺の死が起点だと考えていたんだが、生き延びたと思って寛いでいたら、時間が戻ったんだ。それで気付いた、他に原因があると」
玲奈が怪訝な顔で俺を見る。
「その言い方だと、毎回きっちり死んでたみたいに聞こえるわね」
俺は頭を掻きながら、言い返す。
「まあそうだ。死ななかったのは二度だけだな。玲奈にも撃たれたしな」
玲奈もバツが悪そうに言い返す。
「それは、悪かったわ。今の私じゃないとしてもね」
「いや、俺の返答も悪かったんだと思う。融通が利かなかった」
互いに謝る。少し気まずい空気が流れる。今は俺が生きているから言えることでしかないからだ。
そこで少女が言葉を挟んだ。
「私が記憶を持ち越すのは、コージンの巫女で、当事者だから。失敗させないように、だと思う。あなたが⋯⋯ジンが、記憶を持ち越している理由は、分からない」
「コージンの巫女?」
玲奈が、新たに出た単語を拾う。
「鉱石の鉱に、神。鉱神」
少女が漢字の説明をする。
鉱石とは、あの金属片の事だろうか。そう言えばビルの名前は『コージンビル』だった。あのビルも当然、無関係ではないのだろう。
「星の欠片、鉱神の巫女、瘴気。限界を迎えて、そして時間が戻り、記憶の持ち越す⋯⋯」
初めて聞く言葉を口に出して頭に、記憶する。
「やめて、頭が痛くなってきた。私は臓器密売ルートを探る為に潜入してたのに⋯⋯非公式だけど3年も訓練を受けて、ようやく配属されて、こんな⋯⋯こんなファンタジーな⋯⋯密捜なのに⋯⋯報告無理じゃん」
またファンタジーか。
「玲奈、ファンタジーというのはなんだ?」
俺の問いに、玲奈は答えない。随分と余裕を無くしているようだ。
「これなら普通の犯罪組織の方が良かった⋯⋯いえ、良くないんだけど、こんなのどうしろっての。状況に応じてフレキシブルに動けって、無茶言わないでよ」
ブツブツと吐き出す玲奈が心配になってきた。
「大丈夫か玲奈。話なら聞くぞ? 悩みは人に話すと良いらしい」
俺の言葉に、玲奈は胡乱げな顔を向けてきた。
そして──溜め息。
「はぁ──ジンって顔は結構良いわよね。あっちの血かしら。そういう事あんまり言わない方が良いわよ。まぁ、存在自体が胡散臭いから私はなびかないけど」
存在が胡散臭い⋯⋯俺のことか?
「⋯⋯胡散臭いとは?」
「無国籍、程良く東南アジア顔、世間ズレしてて常識に疎いのに頭は回る。倉治の弟子で腕は立つ。おまけに時間を遡っても記憶を残してる。かなり謎の存在よ」
そう言われると、そうかも知れない。そうか、俺は他人から見ると胡散臭いのか。もしかして通信制のクラスで、親しい友人が出来なかったのは、それが原因だったのか?
「そっちの子ほどじゃないけどね。そう言えば、あなたの名前、聞いちゃいけないらしいんだけど、今はどうなの?」
玲奈が少女の名前を聞き出す。そう言えば俺も聞いていなかった。こういう所が世間ズレしていて常識に疎いのだろうか。
「⋯⋯名前は、無い。鉱神の巫女の役割が──」
少女の回答に、玲奈の目が鋭く尖る。
「──嘘でしょ。名前は?」
少女は口を閉じ、そして躊躇いながら答えた。
「名前は⋯⋯⋯⋯捨てさせられた」
「捨て、させられた? 誰に?」
少女は俯いてしまう。
玲奈は背中をシートにつけて息を吐き出す。
「ごめん、言いたくない事は言わなくていいわ」
名前を捨てるとは、どういう事だ。よくある事なのか? 俺には分からないが、せっかくあった名前を捨てるなんて、名前の無かった俺には想像もつかない。
「でも呼び名は欲しいわね。何か希望はある?」
玲奈は少女に名前を付けるつもりらしい。
「希望⋯⋯?」
「そう、何か好きな文字とかでも良いわよ」
なぜか少女が俺を見る。──なんだ?
「ジンは、どんな字?」
少女が言った言葉の意味が分からなかった。俺の名前の漢字を聞いてどうする。
答えない俺の代わりに玲奈が答える。
「人よ、ヒトと書いてジンと読むのよ。彼が仕事を受ける時の資料に書いてあった。社長は倉治さんの弟子ってだけで、他は全く読まなかったけどね」
「人⋯⋯なら、私はニンと呼んで」
「ニン、ね。分かったわ。よろしくね、ニン」
玲奈が少女──ニンに握手を求める。
「よろしくお願いします。玲奈さん」
「なぜ俺の名から──?」
「似た境遇に、いるから」
なるほど。
確かに、俺達しか記憶を持ち越せていない。
「いいじゃない。呼びやすいもの。三人とも二文字で──っ!? 伏せて」
玲奈が静かに、だが緊迫感のある声で指示を出す。
遠くの角を黒いセダンがゆっくりと曲がって来る。
コージンビルの前の道路脇に車を止めて、運転していた人物が降りてきた。
黒いパーカーの男。細身で猫背気味、口の端の古い傷は遠くて見えない。間違い無く花生──夜須波留が現れた。
「来た……」
玲奈がスマホを指で叩く。
夜須波留がコージンビルの裏口へ回る。合図を受けた外国人たちが、物陰から滑り出す。
俺はバックミラーから様子を見守る。
彼らは手際よく夜須波留を囲み、一人が背後から羽交い締めにして押さえつけた。短い怒声に、鈍い衝突音。
夜須波留は抵抗し、暴れ回って拳を振るうが、五人が相手では成す術も無い。
足元が崩れ、転がるように輪を抜け出し、反射的に胸元のホルスターから銃を引き抜いた。
「ぶち殺すぞお前ら!!」
夜須波留は口と鼻に血を滲ませながら、大声をあげて威嚇して銃を構える。銃口を向けられた男達は、両手を上げて下がる。距離を取ってから、素早く男たちが散開する。手慣れた動きだ。
夜須波留はその隙に、更に裏の路地へ走り去った。車があるので、後で取り戻るとは思うが、ビルには入らずに去る事をようだ。敵ながらいい判断だ。俺でもそうする。通路に追い詰められると逃げ場が無いからな。
玲奈はじっとその様子を見届け、目を伏せた。
「……あれで時間は稼げた。少しだけね」
「行こう。精算して来る」
「今払ったわ。スマホって便利よね」
玲奈の言葉の後に、足元で機械音が聞こえた。
「凄いな。⋯⋯スマホは確かに便利だ」
そこそこの重量があり固く、投擲にも向いている。
「それうちから支給したやつじゃない? 自分でSIM契約して使い回していいわよ」
玲奈は話しながら拳銃に何かを取り付けている。
「⋯⋯それは?」
玲奈はいたずらするように、可愛らしく笑う。色んな顔を持つ女だと感心する。
「まあ見てて。次は左に行くでしょ?」
何がちょうど良いのか分からないが、エンジンを掛けて車を動かす。ウインカーを左に出し、公道に出る前で停止する。
プシュッ プシュッ
ルームミラーで後部座席を見ると、玲奈が車内で銃を構えていた。
「後ろのタイヤを潰しといたわ。これで時間が更に稼げるはず。⋯⋯なに?」
「いや、それは消音器というやつか?」
「そう、サイレンサー。外では音が響くから発砲出来ないしね。殆ど使わないけど」
「弾丸に残った痕から銃が特定出来ると倉治から聞いたが、大丈夫なのか?」
玲奈はまたいたずらする子供のように笑う。
「私の場合、捜査するのが身内だもの。何とでもなるわよ」
物騒な話を屈託無く笑いながら話す玲奈。
やっている事や、俺を撃ち殺した事を置いておくとすれば、玲奈は美人の部類に入るだろう。髪を下ろした今は、少しだけ纏う空気が柔らかくなった今、特にそう思う。
自分はミャンマー人とのハーフだと思っていたが、やはり日本で産まれて日本で育ったせいか、日本人の女性を美しいと思う感性を持っていたらしい。
通信制の高校へ通っていた時も、スナックでバイトしている時も、女性に惹かれる事など無かったが。
自分の頭を撃ち抜いて殺した女性を美しいと思うとは、思わなかった。
多少の信頼関係は築けたと思ったが、またあの港に戻れば⋯⋯。サイレンサーを外している玲奈から視線を外し、バックミラーでニンを見る。
ニンは俺を見て、呟くように言葉を落とした。
「次へ」
「⋯⋯了解した」
俺はギアを上げ、アクセルを踏み込んだ。




