ep4.寄る辺なき者
午前の港は、前と同じ匂いがしていた。
濁った海風が窓から入り込み、車内を撫でていく。
錆びたフェンスの向こうを、トラックが低い唸りを上げて通り過ぎて行った。
ハンドルに肘をつき、無音のスマホを見つめていた。ディスプレイには、三度目の朝の光が反射する。
──また、同じ日が始まった。
腕時計の針は九時二十八分。
秒針が、きっちりと同じテンポで動いている。
何度目の呼吸かも分からないため息を吐き、ジンは小さく呟く。
「……三回目か、初仕事」
最早、これを初仕事と呼んでいいのだろうか。
最初は何も知らず、理由も分からず殺された。
二度目は、違う選択をしても結末は同じだった。
なら三度目は、もっと別の方法を取るしかない。
簡単だ。この仕事を、降りればいい。降りられるのなら、だが。
港を見渡す。
濁った水面の向こうには、遠く出航する貨物船が見える。
あれに乗って逃げられたら──そんな甘い幻想が頭を掠めた。
首を振り、ヘッドセットに触れる。
着信音が鳴る。
スマホよ画面には、また同じ名前──花生涼太郎。
一、二、三、四。
前と同じように数を数え──そして、五で取った。
「ようジン、着いたか? 車は裏口に停めろ。表は客が来てたら嫌がられるからな」
声も、抑揚も、笑い方も、まったく同じ。
この二日間で、もう背筋が冷たくなるほど聞いた声だ。
俺は意を決して口を開いた。
「花生さん」
「ん?」
「……俺、今日の仕事、降りたいです」
一瞬、風の音だけが流れた。
「降りたい?」
「はい。どうしても……やりたくないです」
「そうか」
花生の声は、静かで、どこか遠かった。
「まあ……お前がそう言うなら仕方ねえな」
ジンは息を飲む。
あまりにあっさりと、許された。
だが──そのあとの声に、微かに違和感を覚えた。
「ジン。お前、逃げるのか?」
「……生きたいだけです」
「意味が分からんが、そっか」
短い沈黙。
そして、花生が、穏やかに言った。
「じゃあ、さよならだな」
「……え?」
次の瞬間、耳の奥を貫くほどの閃光と、鼓膜を破る轟音。
視界が白く弾け、全身を押し潰すような熱と衝撃が、ジンを飲み込んだ。
車の鉄骨がねじれ、フロントガラスが破片となって宙に舞う。潮風の匂いが、焼け焦げた油に変わった。
最後に聞こえたのは、ヘッドセット越しの──花生の、かすかな声。
「残念だよ」
全てが、崩れ落ちた。
◇
──港。
午前の風。
トラックの唸り。
エンジンを切ったままの車内で、四度目を迎えていた。
「⋯⋯社長、玲奈、そして花生さん」
この依頼で俺を殺した人物を呼んでみる。
「⋯⋯くそっ!」
柄にもなく汚く吐き捨ててしまう。
どうやら逃げる事は出来ないらしい。
"荷"を運んでも殺される。仕事を降りても殺される。
2二度目と同じ筋道をトレースして玲奈を制圧したところで、話の流れから潜入捜査官である事実を知ってしまう俺を、生かしておくことはしないだろう。
そして、ヘッドセットから着信音が鳴り響く。
画面に浮かぶ「花生涼太郎」の文字。
俺は通話を──取る気にはなれなかった。
着信音のコール数を、心の中で数を数える。
一、二、三、四──。
七回目で止んだ。二度目と同じだ。
同じ日なのだから当たり前だ。
もう一度、電話が鳴る。
今度はワンコールで取った。
「……はい」
「ようジン、着いたか? 車は裏口に停めろ。表は客が来てたら嫌がられるからな」
「……はい」
「お前、緊張してるだろ。安心しろ、やることは単純だ。渡された荷を運ぶだけなんだからな」
少し間があって、花生が激励する。
「倉治さんの弟子だろ? なら大丈夫だ。自信持っていけよ」
通話が切れた。
音がなるほど、歯を食いしばる。
他人に生殺与奪の権を支配されている、そのどうしょうもない苛立ちが湧き上がる。
だが⋯⋯やるしか無い。
仕事を受けなければ、殺される。もちろん受けても選択を誤れば殺されるが、まだ猶予はある。
居場所も味方も無い自分に、逃げ場はない。
養父の倉治も、恐らく一度目は、事務所で受けた電話の後に殺されているような気がする。
倉治の番号では無かったのは、倉治の傍で誰かが社長の電話を取ったからだ。
あの通話の時に耳に入ったノイズも、自分には分からないが、何か仕掛けがあったのだろう。
回答を間違え、即座に通話が切れたのが、その証拠だ。
短く息を吐き、爆死した前回は出来なかった、三度目のエンジンキーを押す。
俺は少し乱暴にギアを入れた。
◇
裏口の鉄扉の前に立った瞬間、既視感が皮膚の下で疼いた。
鉄錆の匂い、左上の蜘蛛の巣、曇った監視カメラの角度まで──全部が同じだ。
来る度に、意味も無い事務所の情報に詳しくなる。
インターホンを押すと、すぐに錠が外れる。
黒いパーカーの夜須波留が顔を出す。
細身で猫背気味、口の端に古い傷。
前と同じ顔。前と同じ声。
「おお、新入りか?」
「ええ、ジンです」
無表情のまま頷く。
胸の奥の感覚が冷えているのを感じた。
前回と同じ台詞を、冷静に受け止める。
もう、驚きはない。じっくりと観察する番だ。
階段の上から玲奈の声が響く。
「あなたがジン君? 来て。社長が待ってる」
同じ声、同じ言葉に同じ笑顔。
だが、もうその笑みに騙されない。
この女の目は仕事の匂いをしているからだ。
「分かりました」
言葉は丁寧だが、声の奥は鋼のように固かった。
それ以上の言葉をかけさせないよう振る舞う。
今度は──俺が主導権を握ってやる。
◇
事務所の扉を開ける。
中に立つ依頼人、"社長"と呼ばれる黒いスーツの男は、前回と同じ位置で煙草を弄んでいた。
机の上の灰皿も、溶けかけた氷も、全て配置は変わらない。
静かに立ち、必要最低限の返答だけを返す。
順序を覚えているからこそ、余計な言葉は挟まない。
バグの流れを変えるためのポイントは、恐らくここでは無い。
「女のガキだ」
その言葉が出た瞬間、胸の奥に冷たいものが流れ込んだ。
運び屋の仕事が──始まった。
ナビを受け取った俺を、玲奈が促す。
「行こうか」
「はい」
声は震えていない。
むしろ、前よりもずっも、落ち着いている。
◇
港の倉庫街の隅に、銀色のワゴン。
車の後部座席には、あの少女がいるだろうが、わざわざ確認はしない。もう足回りも見ない。
運転席に座ると、視線を感じた。バックミラー越しに目を合わせる。少女は眉根を寄せていた。
「⋯⋯送ります」
それだけ言って、エンジンを掛ける。
慌てて監視役の2人が乗り込んで来る。
助手席には夜須波留、後部には玲奈。
ナビに従い、車は港を離れて市街地へと進む。
そして──また、あの路地裏に入る時間が来た。
◇
ワゴンを路肩に停める。
歩道を挟んで目的のビルが見える。少女と玲奈が出て行く。そして夜須波留もコンビニへ行った。
5階建ての『コージンビル』。
間を空けて動きを把握してからビルの裏、路地へ向かう。前回と同じ、五人の外国人の男たちが待っていた。派手な赤いシャツの男、他にも剃り上げた頭の男がいる。よくよく見てみれば、袖から入れ墨が見える者も居た。
「……うんざりだ」
足音を立てずに男たちに向かって歩く。
赤シャツが一番目として、自分に近い者から、一、二、三、四、五人目として数える。
赤シャツの男がこちらに気付き、顎を上げた。
「おい、日本人。こっちは──」
言葉の途中で、ジンの掌底が男の顎を打ち抜いた。
首が回り、目の焦点が合わないまま、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。そのまま赤シャツの胸を押し、最後尾の2人に押し付ける。
素早く右へ移動、二人目の男の顎に肘を入れて意識を刈り取る。
倒れ込む二人目の男の身体に隠れて、三人目の視界の外から、貫手を喉に突き込む。
赤シャツを支える四人目を無視して、五人目の腹に前蹴りを入れて吹き飛ばし、壁に叩き付ける。
喉を押さえた三人目の頭を抱え込んで、顎に膝蹴りを入れて意識を刈り取る。
赤シャツを床に横たえ、四人目が向かって来た。
殴り掛かる腕を、外から内へ巻き込むようにして関節を極め、アスファルトに叩き付ける。
そのまま顎を膝で蹴り抜いて気絶させた。
5人目は壁に叩き付けただけなので意識はあるだろうが、暫くは立てないだろう。
たった十秒。
五人が路地裏に転がっていた。
息を吐き出す。身体は震えていない。しかし高揚する自分を認識する。だがこれは、暴力そのものによる高揚では無い。
これは──全能感とも呼べる、何か。
養父の倉治に見られたら、根性を叩き直されそうだ。
路地の奥で、玲奈が目を見開いて立っていた。
「──なっ!? これ……何してるのよ」
前回までと口調が違っている。
「邪魔だったので道を開けておきました」
ジンは口の端を持ち上げて少しだけ笑みを作る。
「⋯⋯やり過ぎでしょ」
玲奈の声に、俺は振り返らない。
少女の腕を軽く引き、歩道まで導く。
意識のある男は、呻きながら起き上がれない。
痛ましそうに玲奈が見つめていた。
◇
再び車に乗り込む。
玲奈は黙り込んでスマホを見ている。
夜須波留が乾いた笑いを漏らした。
「おいおい……お前、前職何なんだよ」
「荷の安全を確保しただけです」
「安全確保ねぇ……」
何も答えず、エンジンを掛けた。
現場に居なかった夜須波留が、なぜ知っているのかは聞かない。玲奈か夜須波留の手引きであると言うのが、俺の予想だ。
少女の視線が、後部座席からじっと刺さる。
そこにあったのは怯えではなく──混乱だった。
バックミラー越しに目が合うと、その瞬間、少女がほんの少し泳いだ。
俺は少女の反応を無視して、ギアを入れた。
黙って街中を走り出す。夜須波留は寝ているように見える。玲奈はスマホを触っている。少女は──窓から外の景色を見つめていた。
死のループの中で、初めて"自分の選択が道を作る"という感覚に嵌まる自分に気付いた。
これこそが俺が求めていた展開ではないだろうか。このまま運び屋として、依頼を終わらせて事務所に戻る。玲奈を牽制して、協力も仰がせなければ良い。
そうすれば──ようやく初仕事の終わりだ。
何度も少女を運ぶ、このループが切れる。
◇
昼を少し過ぎていたが、前回よりも早い到着。
最後の中継地点。潮の匂いが強い埠頭の端。
今回は、スーツの男が待っていなかった。
どうやら早く着きすぎたようだ。
車の窓を少し下げて、外の様子を伺う。
今までと違うのは、後部座席の玲奈がドアに手を掛けていることだった。
「ジン君、私も一緒に行くわよ」
彼女は軽く顎を上げた。
「監督役よ。夜須波留、悪いけどここで待ってて」
夜須波留は不満げに舌打ちをした。
「お好きにどうぞ」
今まで車で待機していたのに、玲奈が外に出た理由はなんだろうか。違いと言えば、スーツの男が居ない事くらいか。
俺も玲奈と少女を伴って車を降りた。
足元のコンクリに散らばる砂利が、音を立てる。
倉庫まで30m程の距離を三人で並んで歩く。
倉庫の鉄扉から、スーツの男が姿を現した。
その場で玲奈が立ち止まる。
俺と少女だけが歩き続けて行き、スーツの男の目の前に立つ。無表情に、無機質な瞳、覚え難い顔をしている。
少女が俺の袖を掴む。目を向ければ、こちらを見ていた。よく見れば黒目ではない、冷たい海のような色の瞳。
そこに、ほんの一瞬だけ、笑みが浮かぶ。
しかし彼女は俺の名を呼ばなかった。
彼女は"知っている"が、距離を取っている。そういう選択をしていると、分かった。だがその選択の理由は分からないし、興味を持ってはならない。
俺にとって彼女は"荷"でしかないのだから。
「引き渡しだ、確認を」
俺のそれらしお言葉に男は頷き、少女を連れて行く。
スーツの男と共に、細い肩が遠ざかる。
風が一度止んだ。
三度目の配達──二度目の再配達か。
本職の配達員なら苦情を出しているかも知れない。
下らない事を考えている自分に笑みが溢れた。
少女は、これで届け終わった。そう思った瞬間、胸の奥から不快感がわずかに湧き出す。
余計な詮索だ。
少女が何者なのかなど、知る必要は無いのだから。
◇
依頼人の待つ工場への帰り道。
玲奈は後部座席で黙ったまま、スマホを弄っていた。
夜須波留は助手席で寝ている。
沈黙が長く続く。
「⋯⋯悪くはなかったわね」
玲奈が呟くように言った。
「あなた、随分と落ち着いてたわ。乱暴だったけど」
「慣れました」
「初仕事で"慣れた"なんて、あなたくらいよ」
彼女は窓の外に目をやる。
その横顔には、かすかな苛立ちと、疲れがあった。
今回、玲奈は俺をジン"君"とは呼ばない。距離を置かれているようだが、それで良い。彼女は俺を撃ち殺した人物だ。
とりあえず今回は、協力を仰がれる事は無さそうだ。
ジンは運転に集中していたが、額と後頭部には、前回の痛みの記憶が、まるで幻肢のように残っている。
だが今は、それが行動の支えになっている気がした。
◇
中古車ディーラーの工場に戻ると、やはり喧噪。
扉の向こうから、指示を飛ばす声が聴こえる。
事務所に入る前に一度だけ、深呼吸しておく。
玲奈が先頭に立って扉を開ける。
「ねえ、なんなの? 社長は?」
玲奈がツナギの従業員に声を掛ける。
「ガサ入れのタレコミだ、片付けてんだよ」
「お疲れさま。ジン君、とりあえず事務所行こっか」
玲奈がジンの手を引いて事務所へ向かう。
「社長、戻りました」
「ああ⋯おい通路に立つな。そこで待っていろ」
見慣れた流れを見る。
最初に死んだ、大きめの凹みで待機する。
スマホを手渡される。
画面には、初見だが見覚えのある番号が並ぶ。
「……ジンか」
「はい。無事に完了しました」
「そうか。──ひとつ聞く」
声の調子、間の取り方、すべて記憶通り。
俺の回答もまた、同じ。
沈黙の後、倉治の声が少しだけ和らぐ。
「……そうか。荷は荷だ。忘れるな」
「はい」
通話が切れる。そして誰も銃は構えない。
玲奈が軽く息を吐き「終わりね」と呟いた。
夜須波留が「お疲れさん」と声を掛けてくる。
「今日はもう帰って良いぞ。報酬の受取は倉治から聞け」
「分かりました。では、これで失礼します」
事務所を出て、少し赤みがかった水平線を眺める。
二度目だが、良い景色だ。
海から流れてきた風が、頬を撫でる。
──やっと、終わった。
倉治から譲られた自分の車に戻り、後部座席に玲奈が居ないことを確認した。どうやら暴力的な解決を図る者は協力者としては不適格なようだ。
知らず、口角が上がってしまう。
そこで、ふと、前回の死因を思い出して、運転席の下を探ると、ダクトテープで貼り付けられた、硬い何かに手が触れる。
死ぬ寸前、爆炎が足元から噴き上がった事を覚えていた。
どうするか⋯⋯。少し考えてから、依頼を終えた今、取り外す必要はないだろうと判断して、放置する事にした。
遠隔操作で爆発させられるものだ。
依頼が無事に完了した今、触れる事で死の危険に晒される可能性があるのなら、放置するのが良いだろう。
◇
自宅近くに借りているガレージに車を置いて、帰宅する。時刻は夕方の6時前。自宅は二階建てのアパートメントの角部屋。玄関を閉め、靴を脱ぎ、上着を壁に掛ける。
養父の倉治は出掛けているようだ。ほんの一時間程前に通話していたが、ここでは無かったのかも知れない。どちらにせよ、家で待つより他に無い。
ソファに腰掛けると、ようやく息が出来た気がした。
風呂を沸かす。
湯気が立ち上る。
ソファに寝転がり、部屋を見渡す。日常を取り戻す時間を堪能する。
風呂に入り湯船に沈み、目を閉じる。
少女の瞳が瞼の裏に焼き付いて離れない。今頃彼女は何をしているのだろう。
運ばれた理由は?
"荷は荷だ"──倉治の声が思考を遮る。
アレは、荷物が"何であろうと"依頼人に運搬の難度を悟らせてはならないという、問答だった。
一度目は、答えを間違えて処分された。倉治の教えを徹底して守る者かどうかの確認。恐らくは、技量よりも仕事への姿勢を試された。
湯上がりに、外で静かな足音が聴こえた。
予想通り、玄関のチャイムが鳴る。
窓を見る。気が付けば夜だ。
こんな時間にアパートを訪ねてくる人間など、思い当たらないが⋯⋯。
「どちら様ですか」
ドア越しに誰何する。
「俺だ、花生だよ。初仕事の祝いに来た」
聞き覚えのある声だった。
電話口で何度も聞いた、好奇心に満ちた男の声。倉治に紹介されてからこれまで、花生と会ったことは一度も無い。
ドアを挟んで立っているはずの男は、躊躇無く自分を爆殺した男だ。最大限に警戒する。
車に仕掛けられた爆弾を解除しに来たのだろうか。
タオルで髪を拭きながら、ドアを開ける。
そこに立っていたのは、黒いパーカーの男。
昼間、助手席に座っていた夜須波留だった。
「よぉ。さっき振りだな、ジン」
血の気が引く──頭の中で音が止まった。
「……花生、さん?」
「ああ。驚いたか? ま、電話越しじゃ分からんよなぁ」
軽く笑いながら、車木夜須波留──いや、花生涼太郎は部屋に上がった。
その笑い方、声の調子、全部が、あの日の電話のままだ。
──自分を爆殺した男は、ずっと隣にいた。
背筋が冷たくなる。湯気の残る部屋で、空気が凍る。
「ま、今日は挨拶だけだ。これからよろしくな」
その言葉を最後に、世界がゆっくりと滲み始めた。
「えっ? 今なんて?」
「あ? だからこりゅぇかぁ─らぁ⋯⋯──」
花生の声が遠くなる。
頭の奥で、何かが反転するような感覚。
視界が──暗転する。
◇
再び、港の朝の光が差し込んだ。
運転席に座り、ハンドルを握っている。
風呂上がりのはずの髪は濡れていない。
車内に海風が流れ、頬を撫でる。
スマホが震え、ヘッドセットから着信音が鳴る。
心臓が大きく跳ね、全身から汗が噴き出す。
首が固まって動かない。
喉を鳴らすが、渇き切っていて何も飲み込めない。
視線だけを動かして助手席を見る。
古いスマホの画面には「花生涼太郎」の文字。
この瞬間──直感的に理解した。
ループのトリガーは、自分の死ではない──。
この現象の、"バグ"の原因は⋯⋯。
頭の中、少女の海のような瞳がこちらを見ていた。




