ep2.二度目の初仕事
ヘッドセットから着信音が鳴り響く。
画面に浮かぶ「花生涼太郎」の文字。
俺は通話ボタンを──
取らなかった。
着信音のコール数を、心の中で数を数える。
一、二、三、四──。
七回目で止んだ。
だがもう一度、電話が鳴る。
ワンコールで取った。
「……はい」
「おいジン……着いてるよな? 車は裏口に停めろ。表は客が来てたら嫌がられるからな」
同じ声。
だが──少しだけ違う言葉と声音。
俺はゆっくりと息を吐き、問い返した。
「花生さん」
「ん? どうした」
「今日が何日か、分かりますか」
「……は? どうした急に。十月二日だろ」
「時間は──九時半です」
腕時計を見る。倉治から譲られた物だ。
「ああ九時半だな。なんだ、寝ぼけてんのか?」
「……いえ、起きてます」
「あ〜お前、緊張してるのか。安心しろ、やることは単純だぞ。渡された荷を運ぶだけなんだからな」
通話が切れる。
そのまま、無音のスマホを見つめていた。
十月二日。九時半。
──昨日、あの日と同じ、いや、今日と同じだ。
考える。
この現象に付ける名前を即座に思い付くほどの知識はないが──
「……バグによるループ、というやつか?」
オンラインの授業で習った言葉を思い出す。
スナックの常連客に勧められて、受けてみた授業だ。
"バグ"により、プログラムが同じ処理を何度も繰り返す現象を"ループ"と呼ぶらしい。
『記憶だけが残ったまま再び同じ日を繰り返している』という現象を、そう呼ぶのだと直感した。
この現象も、そう呼べるのかもしれない。
ただ、プログラムではなく、現実の人間が巻き込まれているという、その一点だけが違う。
会話から察するに、花生は知らないようだった。
前回の記憶があるのは自分だけなのだろうか?
窓を開け、外の風を吸い込むと、覚えのある潮の臭いが鼻を刺した。
俺は、静かに決めた。
このままでは自分は殺されるのだ。
今度は、違う行動をしてみよう。
◇
二階にある事務所の扉の前。
またインターホンを押すと、同じように錠が外れる。
黒いパーカーの男──夜須波留が顔を出す。
細身で猫背気味、口の端に古い傷。本当に同じだ。
「おお、新入りか?」
全く同じイントネーション。
胸の奥で何か、不愉快な感覚が湧き上がるのを感じる。
世界が、前回と同じ脚本を読み上げているようだ。
距離を詰めるため、俺はわずかに微笑んでみる。
「車木夜須波留さん、ですね」
「お、おう? 知ってんのか俺の名前」
「朝、聞きました」
「……は?」
夜須波留の顔に「変な奴だ」という色が浮かぶ。
それを観察しながら、俺は心の中で整理していた。
同じ会話をしても、結果は変わらない。
ならば、違う質問をすればどうなるのか、だ。
「上にいる男は、何という名前ですか」
「なんだ急に、社長のか? ……知らん方がいい。名前で呼んだら殴られるぞ」
前回、聞きそびれた情報だったが──無理に聞くのは危険そうだ。
俺は小さく頷いた。
「ありがとう」
「お、おう……」
玲奈が階段の上から声を掛けてきた。
前回と場所が違う。少し到着が遅れたからか──。
「あなたがジン君、だよね? 倉治さんのとこの。来て。社長が待ってる」
スーツにポニーテール。前と同じだ。
声も、顔付きも、前と同じ。
「はい」
階段を上がり、玲奈に会釈する。
「おお~アッチ系の血が入ったミステリアスな顔ね! 確か21歳だっけ?」
「はい」
「私は藤森玲奈。今回だけのお目付け役よ。よろしくね?」
笑うと八重歯が覗く。
「倉治の養子のジンです。よろしくお願いします」
玲奈が微笑む。
その表情を観察する。綺麗な人だと思う。
だが笑っているのに、どこかで"冷たい"気配を感じる。
彼女はきっと、自分を観察──いや監視しているのだろう。
ジンの頭の中では、冷静な思考が続いていた。
もし、時間が本当に"戻っている"のだとしたら。
そう、彼女は自分に銃口を向けていたのだ。
視界から外れていたので、撃ったかは分からない。
自分以外の人間はその記憶を持たない。
恐らく前回と同じ行動を取れば同じ結末が訪れる。
倉治の声──"女だから危険が増える"という言葉。
そして銃声。
文字通り、何が引き金だったのか。
前回と何を変えれば、撃たれずに済むのか。
答えを探すための、二度目の初仕事が始まった。
◇
二階へ続く鉄階段を上がりながら、未来を思い出す。
扉の横の窪んた空間──銃声──火薬の臭い。
銃弾が額を貫いた瞬間の、焦げた金属の、味。
金属の段が軋むたび、胸の奥がじわりと冷える。
この感触を、もう一度味わう事になるとは、思ってもみなかった。
生きているからこそ、感じられるものではあるが。
事務所の扉。
曇りガラスに映る自分の影も、前と同じだ。
少し錆びたドアノブを握ると、指先が勝手に震える。
──この先で、俺は撃たれた。
肺の奥がひゅっと縮む。
あの瞬間の痛みを、体がまだ覚えている。
けれど、避けて通るわけにはいかない。
やり直すなら、まずはここを通るしかない。
「どうしたの?」玲奈が背後から話し掛けてくる。
「いや、なんでも⋯⋯ないです」
ノックして、扉を押し開けた。
薄暗い事務所の空気が、湿った煙草の匂いと一緒に漂う。
壁際にはスチール棚、机の上には灰皿と、溶けかけた氷。
──すべてが同じ位置にある。
窓際の椅子に、細身の男が座っていた。
眼鏡。黒いスーツ。
無駄がないようで、どこか不自然に整っている。
顎の線が細く、血管の浮いた手で煙草を弄んでいた。
顔立ちは穏やかに見えるのに、目だけが冷たい。
人間というより、獲物を測っている生き物のようだった。
「来たか。倉治の……弟子で合ってるか?」
声も、間も、まったく同じ。
銃声が──鼓膜の奥がじんと痛む。
前回もこの声を聞いた。
そして死んだ。
「⋯⋯真坂倉治の養子です」
固まっていても、言葉を絞り出した。
覚えている台詞を、もう一度なぞるだけだ。
「名前は」
「ジン──ミヤマジンです」
「ミヤマ、ジン⋯⋯倉治が名付け親とは思えんがな」
軽く笑う口元。
その仕草の順序まで、前と同じだ。
「小さい頃、誰かに呼ばれて、そうだと思い込んでました。ミャンマー人と」
自分の声が、妙に他人事に聞こえた。
今の俺は"前回の俺"を演じている。
今はそれだけでいい、演じ切る。
「皮肉な名前だな。──ハーフか?」
社長が煙草に火をつける。
紫煙がふわりと漂い、前回と同じ軌跡を描く。
まるで世界が録画されて再生されているみたいだと錯覚する。
「⋯⋯母親がミャンマー人で、返されたらしいです」
聞いておいて興味の無さそうな顔も同じか。
「そうか。まあいい。あいつの名前を出すなら、信用はしてやる。今日の荷は軽いが、扱いは丁寧にな」
「──荷」
「女のガキだ」
その言葉に、心臓が跳ねた。
仕事が始まった。
前回の記憶が、先程よりも鮮明に蘇る。
血の匂い。赤の混じった白い閃光。
人の倒れる音──俺だ。
──運んだ物が女だからといって、危険が⋯⋯
あの言葉の後に──。
「送迎だ。黙っていれば問題ない。車は用意した。送り先はコレを見ろ、途中で寄る場所も入ってる。持って行け」
男がポータブルナビを放り投げる。
空気を切る音が妙に鋭く聞こえる。
俺は反射的に体をこわばらせ、両手で受け取った。
前と同じ手触り。
「戻ったら報告に来い。それで初仕事は終わりだ」
報告に来た後に俺は──殺されただろ。
目の前の男が俺を殺した。
喉の奥が乾いて、言葉を出したくても出せない。
頷くだけで精一杯だった。
男が視線を外したとき、開いたドアの向こうに、玲奈の笑顔が見えた。
同じ表情。
同じ声色。
「行こうか⋯⋯えっ、大丈夫? 体調悪い?」
「⋯⋯いえ」
ドアを出る瞬間、俺は無意識に少し横へ避けた。
弾丸を撃ち込まれた場所、倒れた位置。
そこに立つことが、どうしてもできなかった。
階段を降りながら、玲奈が話しかけてくる。
「怖がらなくていいよ。うちの社長、顔が怖いだけで意外と優しいから」
「……そうですか」
「でも、あれでも"先生"って呼ばれてたりするの。昔は大学の教授だったとか」
そのセリフも覚えている。
そして夜須波留の笑い声も同じタイミングで響く。
「嘘だぞ、それ。どう見ても堅気じゃねえだろ社長は」
前回は、少し笑った。
今回は、笑えなかった。
世界が繰り返して再生されている。
俺だけが、前回の痛みを覚えている。
その理屈が分からなくても、事実として記憶にある。
手の中にあるナビを見下ろす。
赤いルートラインが光っている。
──また同じ場所に辿り着く。
「……途中で、道を変えてもいいですか」
玲奈が足を止めて振り向く。
「え?」
「確認したいことがあるんです」
同じ日を繰り返すのは、もう一度死ぬためじゃない。
何を変えれば、生き延びられるのか、少しでもいいから変化を混じえて確かめたい。
「ダメよ? 当たり前じゃない」
玲奈は笑っているが、目が全く弧を描いていない。
──残念だがルート変更は諦めよう。
「そうですか。分かりました」
「ええ、行くわよ」
玲奈の態度が、少し固くなった気がする。
◇
銀色のワゴンの後部ドアを開けると、少女は前と同じように座っていた。
十五、六。日本人らしい顔立ち。肌は白く、髪は肩までの長さ。目は開いており、じっと俺を見つめる。
──違和感。
前も見たはずなのに、何かが微妙に違う。
目が、前よりも少しだけ長く俺を捉えている。
わずかに、警戒とも好奇ともつかない光。
「送ります」
声を出すと、少女は無言で頷いた。
前回と同じ行動。
しかし、この視線は……なんだ?
前回との違い──時間がズレ込んでいるくらいか?
俺は倉治の教え通り、座席下、バックドア、車の足回りと正面を確認して運転席に座る。
特に見る必要は無いが、習慣だ。
少女はちらりと俺を見てから、窓の外へ視線を戻した。
助手席に夜須波留が乗り込み、後部座席には玲奈。少女は俺の後ろに座る。
出発前、玲奈が軽く俺の肩を叩いた。
「目的地で降ろすだけ。誰かに何か聞かれても答えなくていいから」
俺は無言で頷く。
無言の少女は、じっと俺の背中を見ている。
微かに、眉を寄せているような気がした。
──いや、違う。眉ではなく視線が強いんだ。
銀のワゴンは倉庫を出て港の道を走る。灰色の空、錆びた柵。
少女は依然として一言も喋らない。
でも、その瞳の中で、何かがこちらを追っている気配がある。
これは前回にはなかった違和感だ。
暫くして少女を見ると、もう窓の外を見つめていた。
だが信号で止まるたび、少女は小さく息をつく。
理由など俺には分からない。
1時間ほど運転して街中の中継地点に着いた。
5階建てのビル──そう言えば何と言うビルなのだろうか。
打ち付けられたプレートに目を凝らす──。
『コージンビル』と書いてある。
歩道を挟んで、ビルの前の路肩に停める
玲奈と少女を降ろす。
少女は一度、こちらを振り返った。
その瞳が、俺の瞳とぶつかり合う。
じっと俺を見ていた。
でも、それ以上のことは何もない。
少女は何も言わず、玲奈と歩いていった。
俺はハンドルを握り直す。
心臓が少し早まる。前と同じ行動をすれば、同じ結末になる。
だが、今は少女の目が、どこか違うことを告げているような気がする。
そう言えば次に何が起きるか、俺は知っている。
どうするべきだ?
ひとつだけ確かなことは、何もしなければ、このまま死ぬかも知れないという事だ。
俺は呼吸を整えた。
──前回の記憶がある。それだけで今回は違う。
危険を回避するために、慎重に行動する。
夜須波留が話し掛けてくる。
「詮索はするなよ?」
頷きで返す。
「寡黙だねぇお前、俺達もションベン行こうぜ」
近くのコンビニを指さして、夜須波留が"連れション"に誘うが、前回と同じように断る。
「仕事中は行かない」
「そうか。じゃ、留守番頼んだぜ」
夜須波留は車を降りて、1人でトイレに向かった。
夜須波留の姿が見えなくなるまで待つ。
車を降りる前に、周囲を見渡す。歩行者、スーツ姿の人、車の動き。
──見覚えのある五人の男達が路地裏に入って行く。
こちらに背を向けて、道を塞ぐつもりだろう。
だが今回は、先に道を開ける方法を考える。
彼らは時間稼ぎをしていたのだと思う。
理由は分からないが、少女に手を出さなかったから。
そして俺に仲間を傷付けられたにも関わらず「充分だ」と言って去った。
俺は彼等の後ろに立ち、低い声で呟く。
赤い派手なシャツの男に視線を向けて。
「……道を開けてくれないか?」
前回と同じ言葉でも、今回はタイミングを調整する。
男達が一斉に振り向いて俺を見る。
戸惑い、俺に視線が集まっている間に、玲奈がビルの裏手から、少女を連れて出て来る。
「おい! 聞いてるのか!」
退かない男達に向かって、俺は意図的に大きな声を出して威嚇した。
玲奈と少女も立ち止まって驚いている。
「早くしろ!」
俺は"どちらにも意味が伝わる言葉"で声を荒らげた。
男が渋々と言った雰囲気で道を開ける。
その隙間を玲奈と少女が戸惑いながらも駆け抜ける。
男の一人が女二人を見て、前に出ようとする。
足を払って転がしておいた。
先を歩く玲奈と少女に付いて行くかたちで、素早く路地裏を抜けて歩道に出た。
玲奈が後ろを振り返るが、俺は後ろを振り返らない。
歩道に出れば男達は追って来ない。
何かの時間稼ぎがしたかったのかも知れないが、騒ぎは起こしたくないらしい。
銀のワゴンに玲奈と少女を誘導する。
気が付けば夜須波留が助手席に乗って、走って戻って来た俺達に向けて、訝しげな視線を送っていた。
後部座席に乗った少女は、車窓から外の景色を見ながら、時折こちらを確認する。
視線に、何かを探る気配を感じるのは気の所為だろうか。
玲奈は何故か、下唇を噛んでスマホを見ていた。
周囲の安全を確認しなが、、俺はエンジンをかける。
ここらか前回と同じ、少女を安全に次の中継地点へ送る。
たが頭の中では、もう一つ考えていることがある。
──この違和感の正体は何なのか。
少女はただ静かに座っているだけなのに、何か違う。
気の所為か?
俺は勘が悪い⋯⋯違和感の正体が分からない。




