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ep.10

 身を隠している場所は危険だが、時間はだけはある。運び屋としての仕事を完遂するにはどうすれば良いのか、その方法を考える。


 視界に収める儀式の場から目を離さない。倉庫の奥で、袴を着た何人かの宮司の様な格好をした連中と、作業着を着た連中が計器を調整している。


 見る限り、計器は何の反応も示してはいない。俺からすれば、この場に満ちる張り詰めた空気は、間違い無く星の欠片の限界を示しているが、どうやら連中の使う機器で検知出来るものでは無いらしい。


 機材の調整音が倉庫内に響く。ニンは無表情のまま蹲り、玲奈は蹲るニンに寄り添っている。


 俺は壁際の資材の影に身を沈め、スマホで時刻を見た。


 6時56分。


 あと数分で——今日を過ごした最長記録を更新する。俺の体が、柄にもなく緊張している。


 その時だった。


 大きな金属音が倉庫に響き、入り口の金属扉の横にあったシャッターが半分持ち上がり、二つの影が歩み出てきた。


 一人は——夜須波留(花生涼太郎)。

 そしてその横には、振らつく秋山がいる。


 秋山の鼻は真っ赤に腫れ、血が筋になって垂れていた。その頬の打撲は、俺に覚えが無いので、恐らく夜須波留に制裁されたのだろうと推測する。


 夜須波留は眉間に皺を寄せたまま、無言で秋山を放り投げるように床に座らせた。


「遅いぞ花生!! 何処で何をしていた!?」

 最奥にいたスーツの男が怒鳴った。

「いや待て。巫女は何処にいる? それに秋山⋯⋯何があった?」

 儀式の祭壇のような所で待機していた初老の男が前に出て、夜須波留と秋山に問いかける。


 その問いに秋山が答える

「⋯⋯外国人のガキにやられた。ここに来ていないか?」


「外国人? そんな奴は見ていない。花生、説明しろ」

 秋山の説明が突飛もないものだったからか、夜須波留、いや花生に説明を求めた。


「外国人のガキってのは心当たりがある。多分、新しく雇ったはずの運び屋だ。何故こんな事をしてるのかは知らん。それと、残念だが巫女も行方不明だ。この辺りに居るのは間違いないが⋯⋯」


 初老の男の目が鋭く尖り、怒気と共に言葉を放つ。

「巫女を見失ったということか?」


「ああ、そういう事だ。今日は会ってすらいねえよ。だが車はこの近くに乗り捨ててあったぜ。手分けして探したいから、人を出してくれ」


 花生の発言に、奥にいたスーツの男が声を荒げる。

「国から派遣されて来てる癖に、仕事も満足にできねえのか!」

「ガキのお守りも出来ない癖に何が監督役だ、無能が」

 スーツの男たちは口々に花生に文句を言い始めた。


 ──国から派遣? 花生が?


 同じく国の管轄にいるはずの、警察関係者らしき玲奈を見るが、驚いた顔で首を振っている。どうやら彼女も知らなかったらしい。


 花生は怒鳴られても一言も言い返さない。ただ、冷ややかな目で男たちを見返して、隣で息を荒くする秋山を無視して、外へと歩き出した。


 その姿を見た初老の男が、スーツの連中に声を掛けて外を探すよう命じる。袴を着た宮司の様な者達には、倉庫の中を探すよう命じた。


 薄々は気付いていたが、やはりこの初老の男が、この場の指揮官のようだ。


 だがその瞬間、嫌な汗が俺の背中を伝う。彼らが俺達を探し始めたからではない。


 "くる──"


 理由も無く俺がそう思った矢先、ニンが震え出した。


 膝を抱えたまま、体全体を細かくガタガタと震わせはじめ、その肩が不自然に跳ねた。


「⋯⋯っ、ニン、どうしたの?」

 小さな声で呼びかける玲奈の声も、震えている。


 その呼び掛けにニンの震えが止まる。そして顔が、まるで糸に引かれる人形のように、ゆっくりと上がる。その顔を見た玲奈が、驚愕に目を見開いて固まった。


 玲奈の横から回り込み、覗き込んだニンの相貌。暗い倉庫の光を反射したその瞳は──漆黒。白目すら残っていない、ただの深淵だけがあった。


 次の瞬間、ニンの口が開いた——いや"開いた"というより、赤い色が裂けたように広がり、そこから鼓膜が破れるほどの甲高い金切り音を放った。


 倉庫内に、金属を激しく擦り合わせたような音が響き渡る。


 俺は咄嗟に、玲奈の肩を抱いて引き寄せる。


「な、なんだ!?」

「悲鳴か!? 祭壇は⋯⋯何処から聞こえる!?」

 倉庫にいた全員が騒ぎ出す。足音が聴こえ、外にいた花生や秋山らが異変に気付き、戻って来た。


 そして、当然こちらへ視線を向ける。だが今はそれに構っている余裕が無い。


 叫び声を上げるニンの背中から、黒い"煙とも影ともつかないもの"が噴き出す。瘴気だ。それは濃度を増しながら左右へ広がり、まるで鳥の翼の様な形を成していった。


 ニンの体が、瘴気の翼を広げて地面から浮き上がる。


「巫女はそこに居たか! 急いで鉱神に⋯⋯なんだ、その瘴気は⋯⋯おい、降りてこい! 儀式を始めるのだ!」


 初老の男がニンを見て喚き出す。俺はそれを見て、前回もニンは儀式の際に服をはぎ取られたり、偉そうに指示されていた事を思い出す。こいつはニンを雑に扱っていたな。


 重要な役割であるはずのニンに対して、随分と偉そうだ。ニンの扱いが分かった。だが今は、そんな事を気にしている場合ではないだろう。


 ニンは重力を無視してゆっくりと浮き上がり、その影の翼を、音も無く大きく広げた。


「その娘を止めろ! 祝詞だ、神官は祝詞だ! 妨害しろ! 瘴気の動きを!」


 袴を着た連中が、両手を合わせて何かの動きを始めるが、即効性は無いのか全く意に介さず、ニンは祭壇の中央に据えられた巨大な星の欠片へと、真っ直ぐに飛んだ。


「ニン!! 待って!」

 玲奈の声にも反応は無い。視界の端で、花生が銃を構えるのが見えた。咄嗟に玲奈を突き飛ばし、銃の射線から外す。銃弾が俺の脇腹をかすめたが、軽傷だ。花生が発砲を続ける。


 俺は素早く物陰に隠れようとして──だが後ろから何者かに羽交い締めにされた。どうやら挟み撃ちで誘導されたようだ。


 後ろにいるのは秋山か。


 しかし残念だが、組み技はお粗末と言わざるを得ない。重心が安定していない。俺は両手の指を組み合わせ、秋山の肘関節に腕を下ろして羽交い締めを解く。その勢いのまま右足を後ろに振り上げて、秋山の股間を蹴り上げた。


 今回は手加減する余裕は無かった。日に二度も股間を蹴られた秋山は、激痛に悶絶して地面に転がった。


 俺が花生に視線をやると、俺の目の前には玲奈が背を向けて立っている。花生は口の端から血を吐きながら、銃のマガジンを交換しようとしている。


 心臓が音を立てて大きく跳ねた。


 なぜ玲奈は俺の前に立っている?

 なぜ花生は血を吐いてマガジンを交換している?

 玲奈が動かない、いや──ゆっくりと膝を落とした。


「玲奈──っ!!」


 気付けば叫んでいた。地面に膝を付き、そのまま横に倒れそうになる玲奈を支える。胸元に二つ、赤いシミが──大きく広がり出す。


 花生のいる場所からカチャリと音がした。見ると、マガジンを落とした花生が、膝をついていた。肩と胸の上の辺りに赤いシミがある。どうやら玲奈に撃たれていたらしい。マガジンは交換出来ず、取り落としたようだ。


 口から血が出ているということは、恐らく肺を貫通している。夜須波留は、あのまま助からないだろう。俺は腕の中で呼吸を荒くする玲奈を見つめた。


「⋯⋯俺を、庇ったのか?」

 玲奈の目を真っ直ぐに見て問う。

「⋯⋯ちがう。夜須波留、撃ったら、撃ち返された、だけ⋯⋯気に、しない、で⋯⋯」

 玲奈が痛みに耐えながら、荒い呼吸で話す。


 玲奈は明らかに俺を庇う動線に居た。俺もそれが分からないような馬鹿ではない。

「玲奈⋯⋯すまない、俺のミスだ。ニンの姿に動揺して秋山の存在を考えていなかった」

 動揺から判断を誤るなど以ての外だ。


「違う、てば。⋯⋯ニンは? あの子、は?」

 儀式の祭壇に目をやると、大きな星の欠片の真上で両手を上げて、空中に瘴気を集めていた。翼の生えた後ろ姿しか見えないが、甲高い声で狂ったように笑っている。


「瘴気を⋯⋯集めている。止められそうにない」

「そう⋯⋯。作戦は失敗ね」

「ああ、また次に⋯⋯いや、すまない、玲奈⋯⋯」


 俺の言葉に、玲奈は薄く微笑んで、口を開いた。

「⋯⋯⋯⋯ねえ、お願い、聞いて、くれ、る?」

「ああ、何でも言ってくれ」


 玲奈の瞳が、俺を見ている。真っ直ぐに。

「キス、したい」


 俺は眉根を寄せて、頭の中で言葉を反芻する。

「⋯⋯なに? すまない、キスと聴こえたが」

「うん、キス、さいご、に⋯⋯してみたいの」

 玲奈が潤んだ瞳で俺に願う。


 意味が分からない。なぜ今ここでキスを?

「俺は⋯⋯した事が無い」

「わたし、も⋯⋯だから、して、みたい、の」

 玲奈はキスをした事が無いらしい。美人だから意外だ。今はどうでもいいことだが。


「キス⋯⋯だめ?」

「いや、分かった。任せろ」

「まかせる、フフ、うっ⋯⋯うう」

 玲奈が痛みに呻きながら、荒い呼吸のまま、薄く目を閉じる。


 なぜ俺はこの状況で玲奈にキスをするのか。いや、気にしても仕方がない。どうせ今日はもう終わる。それに俺は──玲奈の事を魅力的な女性だと思っている。この状況で色々と不謹慎だが、今はもういいだろう。


 俺はゆっくりと玲奈に顔を近付けて、唇を重ねる。玲奈も余力を絞って俺の口付けに応えた──気がした。


 俺の視界の端で、空中に渦巻いた黒い影は、まるで嵐の目のように一点へ収束し──そして。


 その瞬間、世界が、白く、弾けた。


 俺と玲奈は唇を離し、見つ合ったまま、祭壇の光に飲まれる。限界を越えた何かが時間を巻き戻す。これまでの1日を、無かった事とする為に。


 明日、いや今日の朝になれば、彼女は覚えていないのだろう。だが生きてはいるんだ──なら、それでいい。


 次は必ず守ってみせる。玲奈を、そしてニンも。


 ◇


 俺はまた、あの朝の光景へと引き戻されていた。


 運転席の下に手を突っ込み、ダクトテープで固定された黒い塊を、躊躇うこと無く引っ剥がして、海に放った。


 着信音の煩いヘッドセットを外し、スマホのSiMを無理矢理に引き抜いて海へ放り投げる。


 もうここまでをルーティン化する。


 さて、儀式を行わずとも、瘴気を身に宿したニンは大きな星の欠片に捧げずには居られない事が分かった。これは大きな収穫だ。


 そしてもう一つ、瘴気が大きな星の欠片に触れる瞬間、確かに計器の矢印が振り切っていたものがあった。つまり瘴気が近付けば反応はするのだ。


 ここまでの情報を元に、どうすれば良いか。

 出した答えは、ニンが瘴気を身に宿さなければ良いという事だ。ニンの集める瘴気では量が多過ぎるのだ。


 つまり、今回からは、ニンをコージンビルには行かせない。それが俺の出した結論だ。


 即座にエンジンを掛け、ギアを入れる。


「玲奈⋯⋯」

 意図せず口から溢れた言葉に、唇を噛み締め、それを振り払った。


 ◇


 私の目の前にいるスーツ姿の男が、煙草を片手にじっと私を見つめていた。姿を見た瞬間、背筋が伸びた。細身で、冷たい目をした男。黒縁眼鏡の奥の瞳は一切笑わず、声にも温度が無い。


 社長──そう呼ばれる男。


 名前は知らない。仕事中に誰かが"先生"と呼んだのを聞いた事があるけど、それだって自己紹介など無く、何処にも書かれてない。私の所属する特化情報局でも、情報が殆ど出てこない。名前も顔も、どこかのタイミングで変えたのだと思われる。


 でも今の私は知ってる。この人がニンの父親で⋯。


「⋯藤森、返事をしろ。積んだかと聞いている」

 その男を呆然と見つめ返す私。何が起きているのか分からないが、この会話には覚えがある。

「⋯はい。積みました。いつも通りです」


 男──社長は、小さく頷いて椅子に腰掛けた。もう用はないらしい。そうだ、いつもの流れだ。


 待って⋯⋯⋯⋯同じ過ぎるっ!?


 窓から見える雲の位置まで同じ。別にはっきりと雲の位置を覚えていた訳ではないけれど、既視感が恐ろしい精度で、私の頭の中に迫ってくる。


 これは何? どういう事?


 頭が混乱していて理解が追い付かない。ほんの数秒前まで、私は死にかけたまま、運び屋のイケメンのジンと、キスしていたはずだ。いやそれも何やってんだと言う事ではあるけれど、そこからの今この状況は、本当に意味が分からない。


「倉治の弟子が来たらここに連れて来い」

 社長がいつもの抑揚の無い口調で指示を出す。


「はい、分かりました。⋯⋯失礼します」

 社長専用の事務所を出る。


 これでは、まるで時間が戻っているかのような。

「⋯⋯うそ、でしょ!? まさか、これ⋯」


 自分の頭の中に記憶が二つある。車木夜須波留と口頭で簡単な段取りを話し、別れて二階の事務所へ戻った記憶と、倉庫で撃ち合い、殺し合った記憶。


 そのまま事務所を通り過ぎて、外に出る。扉を閉めた瞬間に中の雑音が途切れ、代わりに胸の鼓動だけがはっきり響いた。


 時間が戻ってる。

 その記憶がある⋯⋯。

 ジンとニンが言ってたのと同じ状態⋯⋯。


 どうして私が?


 ニン、そうだ。ニンにも記憶があるはずだ。気付いた私は鉄階段を素早く降り、倉庫街の端へと向かう。


 途中、夜須波留を視界に確認して、目を逸らす。ついさっき殺し合った男と、まともに目を合わせる事は出来なかった。いえついさっき打ち合わせしてたんだけど⋯⋯花生さんから連絡が来たらって、あ⋯⋯花生が夜須波留だったんだったわね?


 混乱してきた。頭がバグりそう。

 ジンがバグがどうとか言ってたの、ちょっと分かるわね。


 高くはないが、ヒールを履いたまま走る。銀のワゴン。スモークのかかった後部座席。そこにニンがいるはずだ。私が乗せたんだから当たり前だけど。


 息を切らせてワゴンの横に立ち、ドアハンドルに手を掛けて──手を止めた。最後に見たニンの顔を思い出す。あの白目の無い、漆黒の瞳に、裂けたような真っ赤な口元。甲高い叫び声と狂ったような笑い声。


 ゾッとして硬直する。人間ではない何かに変貌した、あの美しい少女の印象が拭えない。拳を握り込んで、必死になって恐怖の感情を抑え込む。


 今ここで答え合わせに出来る人物は、ニンしかいない。⋯⋯大丈夫、今回まだニンは瘴気を取り込む前だ。


 ドアハンドルを引いて、ドアをスライドさせた。


 そこには──居た。ニンが居た。目は黒くないし口も裂けていない。だが、顔が真っ青だ。自分の肩を抱いて震えている。


「ニン! どうしたの? 大丈夫?」

 ニンがこちらを見る。そして目を見開いた。

「⋯⋯⋯⋯ニン、て⋯⋯呼んだ。⋯⋯玲奈?」

 まだ顔色が悪いが、私を見る目は確かだ。


「そう。びっくりしたけど、そういう事みたいよ。あれからニンはどうなったの?」

 ニンの、ちゃんと白目のある瞳が揺れ、大きな涙が零れ落ちた。

「大丈夫よ。今度は、今ここから私が味方だから安心して」

 私の言葉を聞いたニンが、車から飛び出して抱き着いてきた。


 玲奈を落ち着かせ、震えていた事情を聞くと、どうやら変貌したところから最後の瞬間まで、自分の自我を少し残したまま、何かに身体を奪われていたことに恐怖を覚えていたらしい。


「目の前が真っ赤になって⋯⋯恨みとか、怒りとか、妬み、みたいな⋯⋯凄く嫌な声が溢れてきた。私の知らない色んな事が頭に流れてきて、私が意識が塗り潰されて、だけど必死に抵抗して瘴気を吐き出して⋯⋯大きな星の欠片──鉱神に全ての瘴気をぶつけた」


 話しながら思い出したのか、また肩を震わせている。いつもより饒舌に話しているのは、私に心を開いてくれているのか、それとも恐怖を紛らわせるためなのか、恐らくはどちらもだろう。


 鉱神、あの大きな星の欠片の事かしら?


「人間の持つ負の感情⋯⋯瘴気って確かにそういうモノってイメージあるわね。フィクションの話だけど」

 またもファンタジーな展開になっちゃうけど、もうここまで巻き込まれたら受け入れるしかない。それよりも──


「何度もやってる"巡礼"の正体が、こんなだったなんて⋯⋯ごめんなさい。今までも辛かったわよね」

 腕の中にいるニンの頭を優しく撫でながら謝罪する。

「違う。初めて、こんなのは。今回の、何度目かの回収の時から、苦しくなってきたの」

 ニンは首を振って否定する。

「ずっと辛かった訳じゃなくて、今回から? というか今回の何度目から⋯⋯何か思い当たる事はある?」


 ニンは黙って私から体を離し、少し考え込む。

「分からない。⋯⋯ジンが、来ない時があってから、かも知れない」


「ジンが⋯⋯そう言えばそんな事を言ってたわね」


 その時、後ろから足音が聞こえた。咄嗟にニンを背中に隠す。顔を青くしているニンは見られない方が良い。

「よお、何やってんだ?」

 車木夜須波留だった。意図せず、私の中に警戒心が湧いてくる。


 落ち着け。今は敵対してる訳じゃない。いつも通りの接し方で⋯⋯。


「夜須波留⋯⋯別に、何でも無いわ。車の中が寒くないか見に来ただけよ」

 咄嗟に、それらしい嘘を付く。


「へぇ、随分と優しいじゃねぇか。まあ風邪でも引かれたら困るからな。それより、花井の旦那から事務所に連絡が入ったらしいぜ? 新人の運び屋がバックレやがったから、人を回せねぇそうだ」


 白々しい、花生は夜須波留だ。だがそんな感情は少しも表には出さない。

「え? じゃあどうするのよ、倉治を呼ぶ?」

「爺さんは引退しちまったからな。その弟子っつう話だったんだが、とんだ期待外れだぜ。ったく、お陰で俺は今回は不参加だ」

 夜須波留は別行動のようだ。都合は良いが、本来の流れで私がここで直ぐに納得するのは違和感がある。


「ええっ、じゃあ私が一人でこの子を連れ回すの? 参ったわね⋯⋯」

 心にも無いが、ここはしっかりと演技しておくところだ。


「残念だが社長の命令だ。手当も付くってよ。頼んだぜ」

 ポンッと私の肩を横から軽く叩いて、夜須波留は去って行く。叩かれた肩を手で払って、それを見送った。


 腕時計を見る。もう予定時刻はとっくに過ぎている。予定では毎回、この段階で仲介人の"花生涼太郎"から電話が入り、運び屋が到着する。今回は新人の運び屋である、ジンが来るはずだった。


 胸に不安が広がっていくが、納得も出来た。私もそう考えるだろうから、ジンも同じ結論に達しているはず。


 つまり、この"巡礼"の仕事でニンが瘴気を取り込んでしまうと、自動的に大きな星の欠片に向かう。それなら最初からニンが瘴気を取り込まなければ良い。


 つまり、ジンが仕事を受けなければ良い。恐らくジンは何らかの方法で、ニンの巡礼を妨害するだろう。腹の底が冷たくなると同時に、覚悟していた展開ではある。


 胸ポケットのスマホが鳴る。社長からの通話だ。

「藤森です」

「夜須波留から聞いたか」冷たい声音。

「はい」

「今日だけだ」

 社長は私の反応を待つ気もなく、淡々と告げる。

「"それ"を連れて、例の五箇所を回れ」

「はい⋯⋯承知しました」

「新人が来ないのは想定外だが巡礼は止められん。今日中に必ず終わらせろ。いいな」

「はい」


 私の返事を最後に、通話が切られる。いつも通り、社長に変化は無い。違いがあるとすれば⋯⋯私の方なのよね。


 父親が娘を"それ"と呼んだり"荷"と呼んだり⋯⋯どういう意図があって今の関係になったのか、私には分からないけれど、複雑な感情を持ってしまう。


 もちろん、それを表に出したりはしないけれど。


 私は息を吸い込み、空を見た。薄い雲が港の上を流れている。彼も──ジンも、この同じ空の下、何処かで何かしら手を打っているはずだ。


 これが、ジンがいない巡礼の始まり。私が一人でニンを運ぶ今日。そして、前とは違う──同じ今日。


 ⋯⋯ジンが居てくれたら心強かった。ああ、でも会った時にどんな顔をすればいいのか分からない。


 考えても仕方ない。

 私は、ニンの目を見て頷き、運転席に向かった。

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