第06話:王都からの使者。
何度かエーデンブルート侯爵領領都の街に遊びに行ったり、領都の外へと足を運んでの遊びに興じていれば、王都から移動して三週間が経っていた。侯爵邸で働く人たちに良くして貰っており、なんだかむず痒い気持ちがある。
旅に出るための準備は整ったから侯爵閣下に申し出て旅に出ようかと考えていたお昼過ぎ、領都の外が騒がしいと領主邸に知らせが入ったようである。いつも静かな邸内はみんなどうしたとざわめき立っていた。
私はヒルデを連れ客室から出て、玄関ホールへと移動した。玄関ホールの階段上の踊り場で立ち止まると、入り口付近で侯爵閣下とフリードとアイロス殿下が丁度辿り着いたのか足を止めている。
三人の前には息を切らしながら床に膝を突いている、侯爵家の騎士の人がいる。私はヒルデに無言で降りようと視線で訴えた。階段を降りている間に侯爵閣下は騎士の人へと問いかける。
「何事か?」
「無理矢理に領都内に入ってきた近衛騎士が屋敷を目指しております!」
膝を突いた騎士に侯爵閣下がにやりと良い顔になっていた。近衛騎士が領都内に入ってきたというのに、慌てふためく様子は微塵もない。隣で話を聞いていたフリードとアイロス殿下も同じで、ようやくお出ましかと言いたげである。
「面白い。丁重に出迎えようではないか。屋敷にいる騎士を集めよ。ヴェルフリードは留守番だな」
侯爵閣下が声を張れば、右往左往していた屋敷の人たちの目の色が変わった。あ、これは戦闘態勢に入ったと私は階下に降りて三人に近づく。
「争いに発展すれば加勢しても?」
「我が家の騎士が近衛に負けると申すのか、お前さんは」
フリードは諍いとなれば彼も戦闘に加わるようだ。侯爵閣下はフリードの助勢を必要ないと判断しているようで、またにやりと笑っている。
侯爵閣下も若かりし頃に戦場で前線に立ち兵を率いていたそうだ。額の大きな傷跡は名誉の傷と言い張り、魔法で消すことはなかったそうである。フリードが言っていた通り、過去の彼の活躍を聞けば『豪快な人』というのが正直な感想である。今でも近衛騎士が領都に現れたというのに泰然としているのだから。
「失礼しました。しかしながら、なにもしないのは性に合いません。せめてアイロス殿下と共に見届けさせて貰います」
「好きにしなさい。だが、近衛の者たちに勘づかれないように」
「承知」
ふっと不敵に笑う侯爵閣下にフリードは恭しく礼を執る。私が話掛けるのは今だと言わんばかりに、失礼と理解しながら三人の輪の中に加わる。
「閣下、私もご協力させて頂きたく!」
三人が驚いた顔になったものの一瞬で鳴りを潜めた。私が協力できることは治療士としてだけれど、状況が悪化すれば怪我を負う人が出てくるはずだ。そうなって欲しくないと願いながら、私は侯爵閣下と視線を合わせた。
「聖女殿か。しかし、近衛騎士が領都へきたのは聖女殿とアイロス殿下とヴェルフリードが目的でありましょう。なに。我が騎士たちが近衛に負けるような鍛え方はしておりません。先ず状況を見守りましょう」
争いになった時は然るべき対処を執るそうである。侯爵閣下は簡単そうに言ってのけるけれど、先頭になれば領都の人たちも巻き込まれる。それは本位ではない。ただフリードとアイロス殿下と一緒に隠れた場所で状況を見守れることになったのは有難いことだ。
私が侯爵閣下に感謝を告げれば玄関の大扉が開いて歩き始める。玄関前には既に騎士の人たちが集まり始めて、侯爵閣下を認めた瞬間に敬礼をしていた。侯爵閣下が片手で答えると、彼らは近衛騎士に劣るなんてあり得ないと言いたげであった。
外にいる近衛騎士の編成規模が分からないけれど、大勢連れ込めば侯爵閣下に領地を落としにきたと勘違いされるから少数精鋭で赴いているだろうか。
なににせよ、近衛騎士を動かしたとなれば王命となる。なるのだけれど、王太子に任命されていないオットー殿下が近衛騎士を自由に使って良いのかという疑問が湧いた。一週間後の戴冠式を経て近衛騎士を派遣したならば、まだ理由は整うだろう。なにかを急いでいると疑問に感じながら、領主邸を囲う壁へと辿り着いていた。
侯爵閣下は壁の見張り台へと上がると言って私たちと別行動となった。私とアイロス殿下はフリードに『こっちだ』と手招きされて、言われるまま移動することになる。
「エーデンブルート侯爵に告ぐ! 疾く開門せよ!!」
壁の向こうから叫ぶ声が届けば、壁の上にいる騎士が槍の石突を床に叩きつける音が聞こえた。
「近衛騎士の皆さまとお見受けする! 侯爵閣下は直ぐこられよう! その場で待機願いたい!」
騎士の人が堂々と答えると壁の向こう側が静かになる。侯爵閣下は壁の上に向かう階段を昇っている途中だ。騎士の人が言った通り、直ぐに近衛騎士の人たちと相対することになるだろう。
そうして叫んだ騎士の人の隣に侯爵閣下が並んだ。私たちは壁の下で様子を伺うことになる。フリードは壁の上にいる他の騎士たちと手信号でやり取りしていた。情報のやり取りをしているようだけれど、一体なにを話しているのか。
「ふむ。外には十人ほどの近衛騎士がいるようだね」
「兄上も流石に今以上の人数を派遣すれば、侯爵に対して宣戦布告と同義だと理解したようだね。まあ、誰かが兄上を諭したのかもしれないけれど」
フリードは手信号で外の状況を知ったようだ。アイロス殿下は息を吐き、オットー殿下が少数精鋭で近衛騎士を派遣したことに安堵している。
「さて、近衛騎士の方々よ。用件はなにかな?」
侯爵閣下は壁の上で腕を組み、外側にいる近衛騎士を見下ろしながら声を出す。外にいる近衛騎士の人たちは騎乗しているのか馬の嘶きが街に響いた。そうして近衛騎士の代表の人が名乗りを上げて言葉を続ける。
「領都の者たちは我々の問いに白を切ったが、裏切り者のサラフィナがいるはずだ! 我々に差し出せ!!」
やはり私は裏切り者として王宮では扱われているようだ。おそらくアイロス殿下とフリードも同じだろうと目を細めていると、二人が私をじっと見ていた。なんだろうと私が彼らに視線を向けると、大丈夫と言わんばかりに左右に首を振ったあとウインクをする。
「最近、目が悪くなりましてなあ。書状が誰のものなのかはっきりと見えぬのです。それにまあ、そう怒りなさるな。都の者が命を受け田舎に派遣され、つまらぬ日々を送っているのは理解できますが!」
近衛騎士の人の声には怒気が含まれているのだが、侯爵閣下は物ともせず受け答えをしていた。はははと閣下が笑う幻聴が聞こえてきたような気がする。聞き方により近衛騎士の人たちを揶揄っているように捉えられるのは気のせいだろうか。
「王都と比較すれば領都は田舎に見えるけど、発展はしているのにねえ」
フリードが目を細めながらふうと息を吐く。確かに王都と比較すると街の規模が小さい。おそらく平野にある王都と、断崖絶壁を利用した城砦から発展した都市では赴きが違う。
それにアイロス殿下の転移を利用して私たちは移動したけれど、近衛騎士の人たちは馬で街道を移動しながら侯爵領へと辿り着いたのだろう。疲労が溜まってイライラしているから、荒い口調になるのは仕方ないのだろうか。
「だよねえ。それぞれの街にはそれぞれの特色がある。安易に否定しない方が良いのだけれど……王宮で過ごした時間が長い彼らなら、仕方ないことなのかもしれないね」
アイロス殿下もふうと息を吐いているものの、彼もまた王宮で過ごした時間が長いのではという疑問を口にしない。壁の下で私たちがやり取りをしていれば、壁向こうの近衛騎士の人たちがイライラしているのが伝わってくる。
彼らが騎乗している馬が忙しなく動いているようで、カチャカチャと蹄の音を鳴らし『どう! どう!』と諫める声が届いている。
「侯爵、我々を揶揄うな! 書状はオットー殿下の直筆だ! 裏切り者のサラフィナはどこにいる!! そして貴殿の子息、ヴェルフリード・グレンツヴァハトと王子、アイロスも匿っているはず! その二人も我らの前に突き出せ!」
やはりフリードとアイロス殿下もお尋ね者になっているようだ。今の状況で国内に留まっていれば、侯爵閣下に迷惑を掛けてしまう。私が身を差し出せば解決するのだが……と考えていると、フリードとアイロス殿下が『駄目だよ』『だねえ』と無言で告げる。
「ヴェルフリードは王都に向かってから我が領地に戻っていない。アイロス殿下も以前、王宮でチラリと見ただけでそれ以降は目も合わせておらんよ。他を当たった方が良いのではないかな?」
はははと笑い髭を撫でながら侯爵閣下が大嘘を吐く。壁の中では既に侯爵領の騎士の人たちが百人規模で隊列を組み、扉の前で近衛騎士の人たちを待ち構えていた。短時間で百人規模の騎士団を編成できるとは驚きだ。普通であればもっと時間が掛かりそうなものである。私が驚いていれば、また壁の外から怒声が届く。
「笑止! 裏切り者のサラフィナが向かう場所など侯爵領しか有り得ぬ! オットー殿下の婚約破棄を受けてサラフィナは殿下を殴り倒し、あまつさえ謁見場から逃げた! その時にはヴェルフリードとアイロス殿下が一緒であった! となれば侯爵領しか有り得ぬのだ!」
「転移で我が領に移動してきたならば、既に他の地へ行っているのではという疑問を抱かぬのかな?」
ううん? と更に侯爵閣下が愉快そうに近衛騎士の人を煽っていた。壁の外では近衛騎士の人が青筋を立てていそうだ。
「匿っていれば可能だろう!」
その証拠にさらに張り上げた声が届いている。ふうと目を閉じた侯爵閣下は後ろを見る。
「開門せよ!!」
閣下の声で領主邸の門が開かれると、集まった騎士の皆さまが覇気を一気に放出する。一戦交えるのもやぶさかではないという雰囲気に気圧されたのか、近衛騎士の人たちがたじろいでいた。
「侯爵閣下、我々と敵対するおつもりか!?」
近衛騎士の人と侯爵閣下のやり取りにフリードが『ははは。どの口が』と意地の悪い笑みを浮かべ、アイロス殿下がうんうんと頷いた。本来近衛騎士は陛下直属の部隊であり、王族の警護を担う人たちである。
そんな彼らが命を受け王都以外の領地に入ったならば、領主が不正を働いて捕えにきたか、国家反逆の意思ありとみなされたか……なににせよ大きな事件が起きた時に陛下から勅命を受けて動くのが近衛騎士だ。
「私は貴殿らと争う気はないぞ。我が領の血気盛んな騎士たちは空気を察したようでな。勝手に集まっただけのこと。だから貴殿らが屋敷に一歩でも入れば、騎士たちが牙を剝く可能性は捨てきれない」
侯爵閣下が近衛騎士の人を煽り倒している上に、盛大な嘘を吐いていた。侯爵家の騎士を集めたのは確実に閣下である。閣下であるが、現場にいなかった近衛騎士の人に嘘か真かは判断できないだろう。フリードが言っていた、侯爵閣下は破天荒な人だという意味が今理解できた気がする。
「く! 仕方ない戻るぞ!」
「お、オットー殿下にはどう説明を!?」
「……――!」
開門したためか近衛騎士の人の声が良く通る。何度か言葉のやり取りをしながら、近衛騎士の人たちは領主邸前から去って行ったようだ。殺気立っていた雰囲気は霧散して、以前の静けさを取り戻していた。そうして私は壁の上に立ったままの侯爵閣下を見上げる。
「つまらんのう。骨のある相手はいないものか……」
はあと深い息を吐く侯爵閣下に集まった騎士の人たちが頷いている。私はなんて人だろうと驚くのだった。