第05話:侯爵領領都探索。
俺、ヴェルフリード・グレンツヴァハトは戦場で大きな傷を負い、治療士を務めていたサラに命を助けられた。
どうして大怪我を負ったのか詳しい記憶は残っていないけれど、俺の負った傷を見て目を丸く見開いたサラの顔だけは、まるで昨日のことのように覚えている。伸ばした栗色の髪をざっくりと纏め治療士の服を着こんでいた彼女は怪我を負い意識朦朧としている俺に『死なないでくださいよ!』と声を荒げていた。
俺が貴族だと知らないのかと少し面白くなって無理矢理に笑った記憶がある。まあ彼女が俺を平民扱いするのは仕方ない。親父殿が貴族ではなく一兵卒として戦場に向かい生き残れと命じ、俺は命を受け剣を執ったのだから。
治療魔法を受け傷が綺麗に塞がるまでの数日間、簡易の寝台の上で俺は天幕の中でちょこまかと忙しなく動くサラを見ていた。
どんな者に対しても彼女は平等だった。
横柄な態度の兵士や騎士に対して恐れることはなく『順番です!』と言い切ったり、死を待つだけの者に歯を食いしばりながら痛み止めの魔法を掛けていた。
暇を持て余して寝台から降りようとした俺に気付いた彼女が『動かないで!』と大声を出したこともあった。人生で初めて女の人に強く怒られてしまった瞬間だったと気がする。怪我が癒えた俺は前線に戻った。サラに救われた命だったけれど、置いてきた仲間を見捨てることはできないし、俺一人だけ故郷に戻るなんて真っ平だった。
傷が十分に癒え、前線に舞い戻った俺は仲間と共に戦場を駆けながら、陣地の治療士がいる天幕にサラの様子を見に行っていた。
相変わらずサラは忙しそうにちょこまかと天幕の下で動いている。誰かの命を救えなかったと夜の帳の中で、一人泣いていたこともあった。そんな彼女から俺は目が離せなくなっていた。
戦場の治療士は男と関わる機会が凄く多い。もしかすれば明日にでも俺のことをサラは忘れてしまうかもしれないと。俺以上に顔の良い奴や家柄の良い奴に奪われてしまうかもと。
だから俺は治療のお礼だと偽って、陣地の隅で咲いていたなんてこともない花を摘み取って彼女に差し出した。彼女を見つけては声を掛けて、邪魔にならない程度に話しかけていた。
功を奏したのか、彼女が俺を見つければ『フリード!』と呼び止めてくれるようになったのだ。俺の話を聞いた彼女が歯を見せながら笑う姿も新鮮だった。俺は彼女のことを好いていたのだろう。
けれど終戦を迎えて俺は領地に戻り、サラは生まれ故郷である王都に戻って行った。直ぐに会えると高を括っていた俺の下に、聖女の称号を賜ったサラが第一王子との婚約を果たしたと耳にして絶望を覚えた。
俺が親父殿にサラとの関係を認めて貰おうと動き出して直ぐのことだ。一体何故と慌てて親父殿に話を聞きに行けば『革新派である陛下の御採決だ』と教えてくれた。俺が急にサラと第一王子の婚約について問い詰めたワケを親父殿は直ぐに察知したようで『陛下の命を蔑むことは許さんぞ』と釘を刺された。
俺が仲間の弔意や見舞金の手筈に二年も要してしまったのは、きっとサラと第一王子との婚約話を耳にしてしまったからだ。
ただ、半年前に陛下がお隠れになったことで状況は変わった。
第一王子を筆頭に血統派が息を吹き返し王宮内で幅を利かせていると。聖女サラフィナは血統派に蔑まされていると耳にしたのだ。だから俺は侯爵領から王都へと向かい、血統派の動向を探りつつサラが不遇な目に合っている状況をどうにかできないかと第二王子で友であるアイロスに相談した。
『珍しいね。君が女の子に執心するなんて』
『……仕方ないだろ。好きになってしまったんだから』
アイロスに与えられている宮でそんな言葉を交わしていると、第一王子が婚約破棄を企んでいるという噂を聞きつけた。第一王子は平民と子を成すなどと平気で言葉を放っていた。
それも陛下がお隠れになってからだと言うのだから小さい男だと言わざるを得ない。王族や貴族であれば義務として受け入れろと言いたくなるが、第一王子が人目を憚らず『平民出身の聖女など俺には不要だ!』と言っていたのは有難い。王宮は血統派が力を取り戻している最中で、誰もサラを助けようとしていない。そんな中でもサラは陛下の命だからと我慢しながら王子妃教育を受けていた。
だから俺は謁見場で第一王子がサラに婚約破棄を告げた時は歓喜した。
これで堂々とサラに声を掛けることができる。王都に戻り、静かに王宮入りしてアイロスと会っていた苦労も報われると。
でも……サラを攫って侯爵領の領主邸に連れてきたのは良いものの、彼女が浮かない顔をしているのは何故なのか。今もサンルームの中で彼女は茶を楽しんでいるというのに、どこか思い詰めているような雰囲気だ。
侯爵領領主邸は城砦だったものを改築に改築を重ねて広くなっていた。入り組んだ廊下や急な階段が多いのはそのためである。王宮より住み心地が悪いのだろうか。
はたまた、王宮で仲の良い者と別れて寂しい思いをしているのだろうか。俺と三つ年下の彼女には婚約破棄という現実を受け入れるには辛いことだったのか。俺たちの前でサラは気丈に振舞っているが、護衛として就けた女性騎士のブリュンヒルデの前ではいろいろな表情を見せている。もしかして俺たちが鬱陶しいのだろうか。
彼女を陰から見ているだけでは進展なんて望めないと悪い考えを振り払う。そうして意を決してサンルームでお茶を楽しんでいるサラの下へと足を進めた。
サラより先に護衛のブリュンヒルデが俺に気付いて礼を執る。サラに先に気付いて欲しかったが、気配に敏感ではないサラには無理なこと。少し残念な気分に陥れば、テーブルの上にジャムの小瓶が添えられていることに気付く。俺が提案したジャムを入れた紅茶をサラは気に入ったようだと心が満たされ顔が勝手に緩んでいく。
「フリード?」
「サラ、街に降りよう!」
随分と伸びたサラの栗色の髪が揺れ、彼女の青灰色の瞳も揺れながら俺を捉えていた。俺は更に手を伸ばせば、きょとんと驚いていた。会えなかった二年という時間で彼女は随分と大人びて綺麗になっている。王宮入りして聖女たれと教え込まれたのか、化粧を覚えたようだし、纏う衣装もきっちりと着こなしている。でも、あの頃の彼女と心根は変わっていない。
「でも、街に出れば騒ぎになるでしょう? フリードは領都内で有名みたいだし」
「うん。だから、俺のことを皆が知っているから好都合だ。サラが横にいてくれればデート中だって理解してくれるだろうしね」
彼女は俺の手を取ることを迷っていた。だから俺は彼女の気持ちが少しでも楽になるようにと道化を演じる。それでもまだ迷っているサラの肩へと手を乗せて、強制的に椅子から立ち上がって貰った。
「買わなくても誰もなにも言わないし、せっかく時間があるんだから楽しもう」
俺を見上げたサラが困惑しつつも足を踏み出してくれ、護衛のブリュンヒルデがはあと息を吐いていた。まあ、護衛としては誰がいるか分からない場所に赴くのだから、彼女の態度を咎めるつもりはない。
でもまあ、暴漢の一人や二人でてきたところで俺が対処できるし、サラも身を守る術を持っている。心配し過ぎは良くないと肩を竦めながら、街に降りる準備を始めるのだった。
◇
侯爵領領都の街は活気に満ち溢れている。
計画的に造られた王都の街並みとは違い、一歩路地に入ればすぐに迷子になってしまいそうだけれど。街の中心部となる商業区で馬車から降りた私たちは露店が並ぶ道を歩いていた。
フリードから受け取ったお金を鞄の中に忍び込ませているのだけれど使う機会はあるのだろうか。買い物なんて孤児院で過ごしていた頃に、言い付けられた品を買いに出たくらいである。あとは治療士として軍生活となり官給品の配布で生活が成り立っていた。上手く買い物ができるだろうかとごくりと息を呑んだ私ははたと気付く。
すれ違う人たちがフリードの顔を見上げ、ご子息さまだと驚き年若い女の人は頬を染めていた。店の人たちもフリードに気色の色を向けていた。私の隣をフリードが歩き、ヒルデは真後ろで周囲を警戒している。少し異様とも取れる光景は侯爵領の人たちにとって驚くものではないらしい。
「ご子息さまー! ウチの野菜は新鮮ですよ!」
「ヴェルフリードさま、ウチの店も鮮度は負けてないですぜ! なにか買っていってください!」
口々に売り込んでくる店主に笑顔を向けたフリードが片手を挙げる。
「ありがとう。でも今日は食べ物を買いにきたわけじゃないんだ。すまない!」
口を伸ばしながら笑うフリードがやんわりと声掛けに答えた。確かに野菜を買ってもフリードが調理をするわけはない。貴族の屋敷に住んでいたなら料理人がいるから包丁を持つことはあり得ないのだ。
かくいう私も王宮生活の間は料理を一切しなかった。従軍時代に主計部の中に混じって、調理のお手伝いをしていたくらいだ。物珍しさに私はきょろきょろと顔を動かす。そんな私を見ていたのかフリードがクスリと笑いながら私を見ていた。
「サラはどこか行ってみたい店はある?」
「あ、えっと……ジャムを売っているお店はありませんか? 違う味を試してみたいなと」
行ってみたい店なんて考えていなかったけれど、ふと先程のお茶の時間を思い出す。侍女の人は私がジャム入り紅茶を気に入ったと判断したようで、お茶の時間に毎回ジャムを出してくれている。
ヒルデからジャムはいろいろな種類があるので、いろいろ試して私好みのものを探すのも楽しいかもしれないと教えてくれていた。そしてジャム専門店があるとも。だから行ってみたいと私はフリードの顔を見上げる。
「また敬語になっているよ。なかなか抜けないね」
「ごめんなさ……ごめん」
ふふと目を細めたフリードに申しわけなくなった私は言い直す。
「無理をさせているかもしれないけれど、俺は以前の君の喋り方の方が好きだから。まあ……だから追い追いで良いよ。ジャムを売っている店はあったはず。確か……ああ、こっちだ、サラ」
露店が並ぶ場所を抜ければ、店舗を構えた場所へと足を踏み入れる。雑多で騒がしい雰囲気が消え、落ち着いた感じをヒシヒシと受けた。もしかしてお金持ちの人たちが利用するところかなと首を傾げるも、私は侯爵領領都の事情が分からない。
フリードから預かったお金が足りると良いなとか、美味しいジャムはあるだろうかと考えていれば、自然と楽しい気持ちになっている。
「いらっしゃいませ」
お店に入れば声が上がる。店内には瓶に詰められた色とりどりのジャムが置かれており、小瓶や大瓶に入ったものもある。店の人はフリードがきたことに驚いて、側にいる私は誰だろうと首を傾げている。
フリードはお店の人に『中を見せて欲しい』とお願いしていた。ああして、一声掛けておいた方が無難なのだろうか。私はフリードにありがとうと礼を伝えて、たくさんの瓶が並ぶ店内を見て回る。フリードの目の色と同じジャムが入った瓶もあれば、紫やオレンジ色のものまである。手前の札には材料となった種類が記されていて、本当にいろいろ種類があることに驚くし、中には知らない品種もあった。
いくつか美味しそうなジャムを手に取り篭の中へと入れた。フリードは私が悩んでいる間、ニコニコとこちらを見ていたり、時折助言もくれたりする。詳しいなあと私はフリードに感心するのだが、持ってきたお金は足りるだろうか気になり始めた。
お財布の中に入っている金額は知っているものの、多いのか少ないのか判断はでずにいた。ヒルデが買い物するには十分な金額だと教えてくれたものの、目の前にあるジャムが高いのか安いのかすら分からない。ただ、なにも買わずに店を出るのは申しわけないし、フリードがせっかく教えてくれたのだ。篭に入れたジャムは買って帰ろうと決めお店のカウンターへと進む。
「すみません、こちらを頂いても良いでしょうか?」
「盗って喰われるなんてしないから、そんなに緊張しなくても」
くすくすと笑うフリードに店の人も苦笑いを浮かべていた。無事に購入を終えれば、フリードが買った品を持ってくれる。瓶だから重いでしょと彼が言っていたけれど、私は全く気にならなかった。
でも、こうしてフリードが気遣ってくれるのは嬉しいとお礼を告げておく。それからいろいろな店に入って、フリードがなにかを買っていたり、甘いお菓子を勧められたりと時間が随分早く過ぎていく。フリードが街で一番見晴らしの良い場所に連れて行ってくれると、陽が沈み空が茜色に染まっていた。
「サラ、戻ろうか」
「うん。今日はありがとう、フリード」
「どういたしまして」
お互いに笑い、迎えの馬車を待っていた。フリードが一日街を案内してくれて思う。私にできることは少ないし、知らないことが多いと改めて思い直したのだった。
【宣伝】10/14 控えめ令嬢が婚約白紙を受けた次の日に新たな婚約を結んだ話 第二巻、発売となります! 完結巻となっておりますので、王道婚約破棄モノにご興味があれば読んでみてください!┏○))ペコ