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第04話:エーデンブルート侯爵領。

 来賓室に入ってきたエーデンブルート侯爵閣下は一人掛けの椅子にどっかりと腰を下ろして生やした髭を撫でている。確かにフリードが言った通り、額の所に大きな傷が残っているから厳つい雰囲気も相まって、侯爵閣下が恐ろしい人に見えてしまう。

 私はこの人がフリードのお父さまなのかと失礼にならない程度に見つめて、彼と似ているところを探してみた。フリードと侯爵閣下に似通ったところはないので、息子である彼はお母さまに似たのだろうか。フリードとアイロス殿下が事の経緯を報告し終えると、閣下が撫でていた髭から手を放して膝の上に置く。


 「まさか、聖女殿との婚約破棄を告げるとは。あの馬鹿……オットー殿下め」


 ふんと鼻を鳴らした閣下であるが、怒りより呆れの方が大きいようである。そして馬鹿と告げてしまい、名前を言い直したことに意味はあるのだろうか。そして来賓室にいる護衛の人たちが『ぷ』と吹き出している。

 どうやらオットー殿下は侯爵領内での評判は良くないようだ。人気があるなら侯爵閣下を諫めるはずだけれど、誰もしないということは馬鹿にしたことを認めているのだから。そういえばエーデンブルート侯爵家は血統派と革新派のどちらにも属していない中立派と聞いていた。だというのに血統派筆頭であるオットー殿下を蔑むような発言をして良いのだろうかと疑問が浮かぶ。

 

 「兄上ですからね。聖女殿と添い遂げたくなかったのでしょう」


 「そのお陰でサラを王宮から逃せたから良かったけど」


 アイロス殿下とフリードが軽い調子で閣下に声を返す。第二王子であるアイロス殿下を受け入れているから、中立派のエーデンブルート侯爵家はもしかすると革新派に近しい立場なのかもしれない。むむむと私が考えていると、侯爵閣下もむむむと口を動かした。


 「しかし叙爵式でヴェルフリードを殿下は見ていたはずだというのに、覚えておらんとは」


 「オットー殿下は人の顔を覚えるのことが苦手ですから」


 肩を竦めた侯爵閣下の声に私が答えた。オットー殿下は毎日会っている人やお気に入りの人は覚えているが、興味がない人の顔と名前を覚えるのが遅い。必要最低限は覚えているから良いだろうと言っていたけれど、貴族の世界で生きるならどんな人でも覚えておいて損はないと聞いている。

 私も王宮で働く人たちや爵位持ちの廷臣の名をなるべく覚えるように努めていたけれど、全員の名を口にできる自信はない。ただフリードのような黒髪紅目という目立つ特徴を持つ人の顔を覚えていないのは如何なものか。

 

 「まあ、聖女殿がオットー殿下を殴り飛ばしたと聞いたから、すっきりしたなあ!」


 にっと侯爵閣下が歯を見せながら笑い、フリードが私を見る。


 「殿下を殴ったサラはカッコ良かった」


 「良い物を見たのだな。儂も王宮に顔を出しておけば良かったか」


 フリードは私のことをカッコ良いと褒めてくれたけれど、戦場でのフリードの方がカッコ良かった。

 怪我を負い治療を受けた彼は直ぐに戦線復帰して、獅子奮闘の働きを見せ戦線を押し上げた。だからこそ王国から男爵位を賜ったのに、私に敬語は不要だと要求してくるのである。

 アイロス殿下も兄上を殴った私に対して紳士的な態度を執ってくれている。本来ならアイロス殿下は私を捕える立場だというのに、侯爵領にフリードと一緒にくるとは。いろいろと私には見えていない物があるのだろうと息を吐けば、集まった人たちが真剣な顔になっている。そしてフリードが沈黙を破った。


 「サラ、君は俺を助けてくれた命の恩人だ。あの理不尽な状況は見ていられなかった。サラの了解を取らないまま、こんなところに連れてきてごめん」


 フリードの声に対して侯爵閣下が『こんなところで悪かったなあ』と言いたげな顔をしていた。私はオットー殿下を殴ってしまったから、命があるだけマシである。

 向かう先が少し変わったことと、何故かフリードとアイロス殿下まで一緒だったことに驚くけれど特に問題ない。それより私はアルデヴァーン王国から犯罪者として指名手配されそうだ。


 「フリードが……グレンツヴァハト男爵閣下とアイロス殿下が逃してくれなければ、私は王宮で幽閉か死刑に処されていたでしょう。ですから感謝しております。しかし今の状況は犯罪者を囲っていると同義ですから、エーデンブルート侯爵家にご迷惑を掛けてしまいます」


 本当にオットー殿下を殴ってしまったことは反省しなければ。後悔はしていないけれど、フリードとアイロス殿下を巻き込んでしまう形となったのだから。

 二人からは理由があってのことだから気にするなと言われているが、また頭に血が上って切れてご迷惑を掛ける可能性がある。はあと深い溜息を吐きたくなるのを我慢していると、侯爵閣下がにやりと笑う。


 「そう、それなんだがな。すぐに他国へ逃げろと言いたいところだが王家と各家の動向を知りたい。少しの間、我が家に逗留なさらんかな?」


 「父上の言う通りだよ、サラ。旅に出るとしても、いろいろと準備が必要になる。女性ならなおさらだし、街に降りて買い物を楽しんでも良いんじゃない?」


 「僕としてもそうしてくれると助かるよ。血統派と革新派の動きも気になるところだしね。とはいえ聖女殿は、閣下が仰った通りアルデヴァーン王国に縛られることもないだろう」


 噂が届くのは少し時間が必要だし、追手もすぐにこられないと侯爵閣下は肩を竦め、少し嬉しそうにフリードが告げ、アイロス殿下も苦笑いを浮かべている。私がどう答えたものかと迷っていれば、三人があれよあれよという間に私を客室へと案内した。

 そうして部屋付きの侍女の人と私の護衛を務めてくれる女性騎士が部屋に入ってきた。眼帯姿の女性騎士に私は違和感を受けて記憶を漁る。薄っすらと残る記憶の中に、両目に怪我を負って簡易天幕へと運び込まれてきた赤髪の女性が蘇る。私は治療士として彼女に魔法を施したけれど、怪我を治せたのは右目だけであった。


 「あの……ブリュンヒルデさん、ですか?」


 確か彼女の名前だったはずと私は恐る恐る告げる。彼女が運ばれてきてすぐ、意識を失わないようにとずっと声を掛けていた。貴女では味気がないと、私は即名前を問うていたのだ。私が名を覚えていたことに驚いたのか、彼女が右目を丸く見開く。


 「覚えていてくださったのですね! 凄く嬉しいです! 貴女のお陰で私は命を取り留め、今はエーデンブルート侯爵家お抱えの騎士となりました。本当にあの時に治療を施して頂き感謝致します!」


 彼女が私の下へと進んで、直前で床に膝を突いた。騎士が膝を突いて頭を垂れるのは主人のみであろうに、何故私に頭を下げるのか。せめて最敬礼であればと願っていれば、目の前のブリュンヒルデさんが顔を上げ私と視線を合わせた。


 「閣下に忠誠を誓う身ですが、私、ブリュンヒルデは貴女に命を救われております。貴女の側に侍ることをお許しください」


 キラキラと目を輝かせながら彼女が問うていることに、どう答えるべきかと私は迷う。一緒に客室きていたフリードとアイロス殿下は私たちのやり取りを見て苦笑いになっていた。


 「彼女はサラの信奉者だから裏切ることはないよ」


 「聖女殿には味方がたくさんいることを知って欲しいねえ。まあ、助け船を出さなかった僕が言えた義理ではないけれど」


 私は息を吐いて吸い、膝を突いているブリュンヒルデさんを見る。


 「よろしくお願いします。短い間だと思いますが」


 「はい。よろしくお願い致します!」


 床に膝を突いたままの彼女に私は手を差し伸べる。ブリュンヒルデさんは数瞬躊躇ったものの、手に手を重ねてくれた。私が腕に力を込めるまでもなく、彼女が立ちあがり私の横に並ぶ。

 

 「じゃあ、サラ。少し休憩したあとは夕餉の時間になる。侍女を寄越すから食堂にきてね」


 「ありがとうございます」


 「親父殿はいないし、アイロスしかいないんだ。少し前も言ったけれど敬語は必要ないよ」


 私が頭を下げると、フリードが片眉を上げながら敬語は要らないとまた告げた。確かに必要ないのかもしれないが、お礼はキチンと告げておきたい気持ちがある。けれどフリードには居心地が悪いようで微妙な顔になっていた。

 女性には女性の用があるだろうと少し寂しそうなフリードとアイロス殿下はそそくさと客室から出て行った。私は侍女の人に言われるまま、数日分の着替えを用意して貰う。ブリュンヒルデさんは私がドレスを纏うことが嬉しいようで先程から目を輝かせている。服以外となる身の回りの品を用意して貰っていれば、いつの間にか時間が過ぎていて夕食の時間となっていた。

 

 食堂に通されれば既にフリードとアイロス殿下が着席している。給仕の人たちも恭しく控えており、私が最後に食堂へ足を運んだようだ。待たせてごめんなさいと頭を下げれば、二人が早く座ってと私を呼ぶ。

 席に就いて、運び込まれてきたのは王宮の食事と遜色のないものである。久しぶりに豪華な食事を頂いたなあと感謝しつつ、マナーに気を付けながら食事を進める。


 フリードもアイロス殿下も綺麗な所作で食事を食べていた。時折、フリードが私に『美味しい?』『嫌いなものはある?』『サラの好きなものも知りたいなあ』と声を掛けてくれる。

 アイロス殿下も『ワインは飲めるかな?』『ソースが美味しいね』『産地はどこだろう』と気を使ってくれていた。私がどう二人にどう答えれば良いのか迷っていると、護衛として就いてくれているブリュンヒルデさんが『遠慮などせず答えて宜しいのでは』と助言をくれる。でも、流石に好き放題口に出してしまうのは違うだろう。急に変わってしまった環境に戸惑いつつも、私は彼らとの時間が穏やかに流れるようにと願うのだった。


 ――数日後。夜


 獅子の口からお湯がざあざあと流れ落ちている。領主邸にある大きなお風呂に身を鎮めている私は考えていた。


 この数日間をエーデンブルート侯爵領領主邸で穏やかな時間が流れていたけれど、王宮で王子妃に、果ては未来の王妃になるために勉強漬けだった日々を思い出す。

 なんだかんだと言いつつ、大変ではあったものの学ぶ日々は面白かった。オットー殿下との婚約も陛下のためだと割り切っていたものの、婚約破棄を受けて多忙な日々から解放されている。東屋でお茶を飲んだり、屋敷の庭を散策したり、図書室で本を読んでみて暇を潰していた。

 

 「……虚しいのはなんでだろう」


 王宮で過ごしている頃は大変だと愚痴を零していたけれど、こうして暇を弄んでいれば足りないと感じてしまう。王子妃になるという目標を失った私が次にすべきことはなんだろう。

 十歳で戦場に治療士として放り込まれたこと、二年間王宮で過ごしていたのは陛下の采配だ。陛下がお隠れになった今、私を導いてくれる人はいない。身体を更に湯舟へ沈みこませて目の下までお湯に浸かり、ぶくぶくと口から空気を吐き出す。

 

 「サラ、どうしました?」


 お風呂にまで護衛としてきてくれていたヒルデが私の様子に気付いて声を掛けてくれる。侯爵邸にお邪魔している数日間で一番距離を詰めたのはヒルデ――愛称で呼んで欲しいとブリュンヒルデさんに懇願された――だった。彼女は年齢が私より七つ上のだし、落ち着いている人なので良き相談相手となってくれている。


 「あ、ごめん。なんだか私が贅沢していることが申しわけないなって」


 「申しわけない? 何故ですか?」


 こてんと不思議そうにヒルデが湯舟の側で首を傾げた。


 「こうしてお風呂に入れているのも、侯爵領の人たちが汗水たらして収めてくれた税のお陰だよね。侯爵家になにも貢献していない私だから」


 「サラの気にし過ぎでは。今はお客人ですから、遠慮なく贅沢すれば良いと思いますよ」


 気負い過ぎだと彼女が言ってくれるものの、流石にいつまでもお客さんでは駄目だなあと私は頭まで湯舟に潜り込むのだった。

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