第35話:治療士として私にできること。そして。
――オットー王失脚から一年が過ぎていた。
婚約破棄もとんでもなかったけれど……あの日から随分と日が経っていた。私は当初の予定通り教会の一室を間借りして、治療士として王都の人たちの病気や怪我を治している。もちろん無料ではなくお金を頂き、必要な生活費を残してあとは教会に寄付していた。
住処も教会の宿舎を借りられたため、お金の掛からない生活となっている。イロスはアルデヴァーン王国の新たな王となり、国内の復興と人口回復と経済の立て直しに忙しい日々を送っている。フリードはそんな彼の下で護衛を務め、ヒルデも王宮に残って王となった彼の側で護衛を務めていた。フリードは近衛騎士団長の座に就く話が出ているらしく、返事をどうしようと迷っているそうだ。ヒルデも近衛騎士団の女性部隊を率いないかという話が出ているらしい。
何故、王宮から出た私が細々とした彼らの話を知っているのか。
フリードが暇を見計らっては教会に顔を出してくれて近況報告を行ってくれていた。ヒルデもフリードほどではないけれど、美味しいお菓子を持って教会に遊びにきてくれている。
何故かノクシア帝国からも手紙が届いて、皇太子殿下から妃の胎の子が生まれそうだから取り上げて欲しいとも言われている。総督からも魔法を学びにきませんか~というお誘いもきているけれど……さて、どうしたものだろう。
私の新な趣味となっている紅茶のジャム集めも王都という土地柄か、いろいろな品を手に入れられて結構楽しんでいた。紅茶の茶葉によって合わせるジャムを変えてみたり、お菓子の味でもジャムを選んでいるので、味の組み合わせを考えることが凄く楽しい。
教会での治療好行為は戦場で行っていた時より患者さんと時間を掛けて向き合えるため、治療方法の最適解を探すことも頭の運動になっている。
緊急であれば大量の魔力を術に込めて力技で治すのだが、大体の患者さんが日々の身体の悩みの相談や現れた症状に対しての相談が多く、ゆっくり判断できる環境だ。私の性に合っていたのかどうかは分からないけれど、一年という時間を掛けて王都の皆さまには『腕利きの治療士が教会にいる』という噂が立ち私は忙しい日々を送っている。
今日も今日とて治療士として教会の一室で治療行為を行っていた。目の前の椅子に座す人は中年の男の人である。私がどうされましたかと問えば、少し恥ずかしそうにしながら症状を彼が教えてくれた。
「治療士さま、腕が上がらなくなってしまいまして」
腕が上がらなくなったという男の人は、数日前から症状に悩み仕事にならないため教会を訪れてみたとのこと。仕事で酷使しているようだから魔法で治したとしても、再度同じ症状が現れる可能性や無茶を続ければ今以上に酷くなる可能性もあることを伝える。男の人は凄く困った顔になって仕事を止めるわけにはいかないと、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
「無理をしないことが一番ですが……仕事ができないのは辛いですよね」
仕事ができなければ、ご飯が食べられなくなってしまう。おそらく彼だけの問題ではなくなるだろうと私が視線を合わせると必死な様子で訴える。
「は、はい! もちろんです! 自分は家族を養わなければいけないのです! まだ小さい子供もいます! どうにかならないでしょうか!?」
男の人が前のめりになりながら、まだまだ自分は働かなければならないと教えてくれる。腕をなるべく動かさないで生活するのは無理だと判断して小さく息を吐いた。
「一先ず、腕が動かせるように治療を施します。仕事で腕を使う前に準備運動をして、急に体に負担を掛けないようにしてください」
「準備運動、ですか?」
男の人が首を横に傾げて、なんだそれと言いたげな顔になる。王都住まいの人だから、先の戦争で徴用されることはなかったようだ。軍隊に入っていれば、動く前に身体を解しておけと教えられる。
急に動いて筋肉が引き攣ったり、各所にある腱が切れることがある。目の前の男の人の場合は腕の酷使なので少し違うものの、肩回りの筋肉をほぐしていれば少しは違うはずだ。私は一通り説明を終えると、男の人が凄く懐疑そうに声に出す。
「こんなことで……」
確かにこんなことかもしれないが、現状よりマシになる。本当に人間の身体って不思議なことばかりだし、気持ちも身体に影響を与えるため一筋縄ではいかない。
「騙されたと思って試してみてください。さて、治療を施しますね」
「あ、はい。お願いします」
私の声に男の人が答えてくれ魔法を施した。効果が表れたのか、男の人が腕を回して稼働範囲を確かめ、顔を赤くしながら私を見た。
「う、動きます! 腕が動きます! こ、これで首にならずに済みます! 良かったぁ! 良かったぁ……!!」
男の人が言い終えると、流れてきた涙を拭いながら『ありがとうございます!』と何度も何度も礼を告げる。戦が終わって治療士として活躍することはないだろうと、二年間宮廷で過ごしていたけれど……困っている人はどこにでもいるのだなと実感する。
ある意味、婚約破棄を受けていなければ私は今のような気持ちには一生なれなかったはず。その点についてだけはあの人に感謝しなければならないなと苦笑いを浮かべて、目の前の男の人に注意事項とまた腕が動かなくなればすぐに此処にくるようにと告げた。椅子から立ち上がった男の人は鼻をすすりながら頭を下げて部屋を出ていく。一緒に部屋にいた助手の女の人が『良かったですねえ』と告げ、扉の方へと歩いて行きお決まりの台詞を吐く。
「次の方、どうぞー」
助手の女の人の声から暫く、また新たな患者さんが目の前の椅子に腰を掛け、私は症状を聞き取ることになる。そうして治療と聞き取りを繰り返していれば診療時間が過ぎていた。
今日も患者さんが途切れることはなかったと助手の人と話していると、ひょっこりとフリードが顔を出す。平民服を身に纏っているけれど、整えられた髪や仕草で助手の人にはフリードが貴族だとバレている。
それでも助手の人が黙っていてくれているのは、私とフリードの仲を知っているからだろう。邪魔者は退散しますねと言いたげであるが、少し前に私の事情が少し変わったために助手の人は部屋に残る。そうしてフリードが部屋の中へ進んでくるのだが、身体の後ろになにか隠していた。
「サラ、お疲れさま」
「お疲れさま、フリード」
いつもの挨拶を交わして私たちは笑い合う。フリードは仕事の合間に宮廷から王都の教会に足繁く通ってくれている。そのため宮廷の様子は彼から知ることができていた。王都の状況もイロスのお陰で随分と状況が好転していると、問診に出掛けた際に実感できたことだった。
フリードが椅子に腰を降ろす前に後ろに隠していたものを前に出して私の方へと向ける。
「叙爵式はまだだけれど前祝ってことで。はい、サラ。受け取ってくれると嬉しい」
そう告げたフリードが持っていたものは大きな花束だった。薔薇の花をこれでもかと言わんばかりに包まれており、赤をメインに差し色で薄い桃や白がところどころに彩られている。何本の薔薇があるのだろうと数えるのも億劫になりそうだった。
「凄い綺麗! でも良いの?」
花束が贈られるなんて初めてのことで、受け取って良いのかと悩んでしまう。
「大丈夫だよ。あと、どこか美味しい店にもみんなで行けると良いけれど」
フリードが前みたいに、美味しい店に四人で行きたいねと言いながら、私に花束を手渡してくれる。私は彼から受け取った花束の香りを楽しむ。ふんわりと甘い柔らかな匂いが鼻孔をくすぐり、私が目を細めているとフリードが小さく笑っていた。
「叙爵おめでとう。サラ・エラリアンス医爵」
「感謝致します。ヴェルフリード・グレンツヴァハト子爵」
お互いの名前を呼び合えば、なんだかおかしくなって二人で声を上げて笑う。私は一年間、王都で治療士として働き多くの人を助けたということで、アイロス王より新設された爵位『医爵』を賜ることになったのだ。
法衣貴族の男爵位と同程度の扱いで国から年金が支給されることになる。フリードも王の護衛を務めるにあたり、法衣男爵位から法衣子爵位となる予定だ。正式に公表はされておらず、内定を頂いている状態である。
「ねえ、サラ。俺、近衛騎士団長の任に就くつもりだよ。その話を聞いた親父殿が法衣では格好が付かないって、領地持ちの騎士爵位を譲ると言ってくれているんだ」
フリードが真面目な顔で語り始めた。どうやらフリードは迷っていた近衛騎士団長の座に就く気になったようだ。イロスから熱心に誘われていたようだし、エーデンブルート侯爵閣下もお認めになっているとのこと。
そして近衛騎士団とこの一年、手合わせをしていたフリードの実力は団員の皆さまに認められていた。反対する人はおらず、侯爵閣下からはいくつか持っている爵位のうちの一つをフリードに譲るそうである。凄い出世だなあと私が『おめでとう』と伝えれば、フリードがそうじゃなくてと片眉を互い違いにさせて笑う。
「前に君のことが好きだと、俺が伝えたことは覚えてくれている?」
もちろん私は覚えている。けれどあの時の私はフリードの気持ちに答える余裕はなかったし、仮に受け入れていても、目標もないままフリードに支えられるだけの生き方になっていたはず。
「あの時の気持ちは今も変わっていない……いや、前よりサラのことをもっと好きになっているから。だから」
フリードが膝を突いて私を見上げ、右手を取った。とくんと跳ねる私の心の臓の音がやけに煩い。
――サラ、俺と添い遂げてくれませんか?
◇
あの日、フリードが真剣に告げた言葉は私の胸の奥に鮮明に残っている。彼の言葉に私が迷うことはなかった。時間は流れ、何度も過ぎる季節を共に過ごした今、二人の距離は言葉以上の安心と信頼で結ばれている。
朝陽が射し込む寝台の上で、穏やかに眠る彼の寝息に私は耳を傾け微笑み『好きだよ』と囁いた。そして、私の中に宿る新たな命にも。
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