第29話:少数精鋭。
――夜が明ける。
朝陽が昇る中、エーデンブルート侯爵領主邸の庭でなんとも言えない光景が広がっている。たった一晩で随分と皇太子殿下と侯爵閣下は距離を縮めたようで、固い握手を交わしていた。
二人は夜遅くまで盤上遊戯に興じていたようである。何度か対戦した末に引き分けとなったとか。侯爵家の使用人の皆さまは『ご当主さまに勝てない相手が現れるとは』と驚いていた。
帝国側の三人も『殿下相手に引き分けに持ち込む御仁が現れようとは』と唸っているので、お二人の盤上遊戯の腕はかなりのものらしい。
引き分けに持ち込んだことをお互いに讃えて、固い握手を結んでいるわけである。そんな彼らが口を開いた。
「やはり貴殿は喰えぬ狸だよ」
「なにをおっしゃいます。殿下の手腕に私は脱帽しました」
皇太子殿下の侯爵閣下に対する狸という評価は覆らないようである。侯爵閣下もなにも感じていないようで、狸を訂正して貰うつもりはないらしい。本当に妙な光景だと私が肩を竦めていると話が終わったようである。皇太子殿下と総督がこちらに戻ってくる前に、イロスが私たち三人を真剣な眼差しで見た。
「ヴェル、聖女殿、ヒルデ。僕の身勝手に巻き込んでごめん。血統派が勢いづくアルデヴァーン王国を放っておけない。血統派の行きつく先は破滅だ。だから今、止めないと」
イロスの声にフリードとヒルデと私が頷く。オットー王は少し前に『さらに貴族の価値を高める!』と告げ、貴族の婚姻は王家の許可がなければできないと定めた。
王家でさえ知らない、見えないであろう貴族家の複雑な関係を見抜けるのか分からないが、貴族の血を貴ぶオットー王らしい定めだろう。革新派の人たちは反発しているけれど、オットー王を止める術がないと諦めているようである。ただ、侯爵閣下が独立宣言を出したことで革新派の人たちに動きがあり、アルデヴァーン王国は変革期を迎えているのかもしれないとイロスが言っていた。
「気にしなくて良い。友のために剣を執ることに理由なんて必要ない。ま、アイロスが妙な道に突っ走るなら全力で止める。それだけだ」
フリードはイロスと友だから王都へ向かう。
「次は自分のためにあの人を殴りたいから。私も一緒に行くよ」
私は自分のために王都に行く。
「私はサラの護衛ですからね。どこまでもついて行き、サラの前に立ちふさがる壁を切り捨てることが仕事です」
ヒルデは私のためと言っているけれど、侯爵閣下の命もあるのかもしれない。それでも危険な場所へ、一緒に踏み込んでくれるのだからありがたい。お互いの無事を祈りながら、右拳を突き出して四つの拳を合わせた。すると皇太子殿下と総督がこちらに顔を向けて小さく笑っている。
「話は終わったか?」
「行きましょうか。そろそろ頃合いでしょうしねえ」
そうして私たちはイロスの転移で王都にある宮廷の門前へと辿り着いた。門を守る兵士が私たち八人を見て、何事だと視線を向けていた。
王都から出立した王国軍は、宮廷に戻るため約一日掛かる位置に今いる。連絡が届いて急いで戻ってくるとしても半日の距離だ。それまでに宮廷を掌握するというのが、皇太子殿下の言である。
「随分と呑気な連中だ! よし、正々堂々、正面から行くぞ。門の破壊はミハイルに頼む。あとはできる限り、君たち四人で王のいる場所まで突っ走ってくれ」
ニヤリと笑った皇太子殿下が腰に佩く剣を抜き、総督が魔法詠唱を紡いで宮廷の門だけを綺麗に破壊した。高威力の魔法だというのに、門を守っていた兵士に被害はない。
私は驚いて総督を見やれば、ぱちんと片方の目だけを閉じて『こんなこともできるのですよ』と言いげな顔をしながら、壊れた門へと突っ込んでいく。
私たちも遅れまいと走り出し壊した門の中へと身を投じた。真っ先に宮廷に向かうのは腰から抜いた剣を掲げるフリードだ。門を破壊された音に気付いた近衛騎士がなにごとかと庭に出始めている。
「抵抗するなら、問答無用で斬り捨てる! 道を開けろぉ!」
フリードの声に数名の騎士が斬りかかるものの、振り上がった剣を無難に捌いたフリードは鞘で首元や鳩尾を狙って意識を刈り取っていた。王宮の近衛騎士が鎧を纏っていなくて良かった。
王宮での近衛騎士は見目の良さを優先させ派手な衣装を纏い鎧は着ない方針だった。そうして王宮の玄関ホールに私たちは辿り着く。皇太子殿下が『狭くないか?』とぼやいているが聞こえない。騒ぎを聞きつけて廷臣や貴族の人たちが集まっていた。中には玄関ホールに辿り着いた私たちの姿を見て、脱兎のごとく逃げる人までいる。抵抗しなければ命を奪わない方針のため、逃げる人も追わないと決めていた。
玄関ホール正面にある階段の踊り場で、高そうな衣装を纏う髭を生やした男の人が両手で手摺を持って身を乗り出す。
「貴様たち何者だ!? 宮廷に乗り込むとは良い度胸だ!!」
彼は確か宰相補佐で革新派だったはず。午前中だというのに、奥にある執政部屋ではなく玄関ホール近くにいるのは何故なのか。偶々かと私が訝しんでいれば、イロスがフリードの横に並ぶ。
「私のことは忘れてしまったのかな?」
イロスは階段の踊り場にいる宰相補佐を涼しい顔で見上げている。
「ア、アイロス第二王子殿下! 失礼を致しました」
宰相補佐は手摺から手を放し、慌ててイロスに礼を執った。彼の声を聞いて集まっていた廷臣や貴族の人たちも頭を下げた。礼を執っている人たちは、比較的、爵位の低い人たちが多いような気がする。
アイロス殿下が前に出たことに気付いた爵位の高い人たちは、舌打ちしそうな顔をして宮廷の奥へと引っ込んでいった。彼らと入れ替わりに近衛騎士服の人が二階の廊下から走ってきて、階段の踊り場にいる宰相補佐の隣に立つ。
「何故、裏切り者に頭を下げる必要がある!! 陛下を殴った女を逃がした張本人だ! 捕まえろ!!」
激高した顔で近衛騎士の人が声を上げた。彼は第二部隊の隊長だったはず。集まっていた廷臣や貴族の人たちは第二部隊隊長の激高振りに一波乱あると察知し、すっと身を引いていた。その入れ替わりで駆けつけてきた近衛騎士が二十人ほどが二階から階段を降り、私たちの前へと立ち塞がる。
「陛下を殴った女まで戻ってきているのか! これは好都合! あれらを捕まえた者は、陛下に手柄を上げたと私が進言しよう! 行けっ!」
第二部隊の隊長が顔を引き攣らせながら笑みを浮かべ声を上げると、集まった近衛騎士が一斉に剣を抜いた。私は魔力を練ろうとすれば、ヒルデが私の前に出て、フリードは前を見据えながら左手を後ろに回して『補助魔法は必要ない』と合図する。
「そうはさせないよ」
「ええ。彼らに指一本、触れさせはしません」
フリードとヒルデが落ち着いた雰囲気で声を出したと同時、近衛騎士の一人が足を踏み出しフリードに大上段で剣を振り上げる。目の前で起こっている光景に皇太子殿下が『斬ってくれと言っているようなものだな』と呟いた。左手に鞘を握り込んでいたフリードは目の前の近衛騎士の横胸の部分に打ち込む。めきっという嫌な音が聞こえると、総督が『痛そうだねえ』と目を細めていた。
ぱたんと床に倒れた近衛騎士を見た他の人たちが咆哮を上げる。怖気づいた者の虚勢だなと言う声が聞こえてきたけれど、上がる音によって掻き消されていた。咆えた近衛騎士がフリードとヒルデに斬り掛かる。
鉄と鉄がぶつかり合う剣の音が耳に届き、暫く見守っていれば残った約十九人もフリードとヒルデが気絶させている。えーっと……戦力の差が凄いねと私が驚いていると、フリードが踊り場に立つ第二部隊の隊長に剣の切っ先を向けた。
「王はどこにいる?」
「知らん!」
フリードは声を聞くなり、左手に持った鞘を第二部隊隊長に向かって凄い勢いを付けて投げた。投げられた鞘は矢のように真っ直ぐに進み、第二部隊隊長の額に当たる。
「凄い音」
なんとも言えない音を聞いてしまうと同時に、第二部隊隊長はその場で膝から崩れ落ちた。綺麗に意識を失ったなと感心していれば、首筋に妙なものを感じる。振り返った先には物陰に誰かいて、すぐに奥へと走り去って行く……今のは。
――マルレーネ妃……?