第22話:高貴な人がくる。
魔法学院への入学案内書は街のいたるところで受け取ることができるそうである。生徒募集のために学院側が配布しているとか。帝国内でも発行されており、かなり手に入りやすいそうである。
天幕に訪れていた患者さんからの受け売りだけれど、街の人たちは魔法学院を重要施設と位置付け、優秀な魔法使いを輩出できれば街の誇りだと言っている。
私たちは相変わらず図書館へと通ったり、天幕で治療士として働いたりとアルセディアの街で私たちは日々を過ごしている。街に入ってから二ヶ月が経っており、見知った顔も増えているし、随分と地理にも詳しくなっていた。
朝、教会の食堂でスープとパンを食べた私たちは今日も天幕の下で治療士として働こうと気合を入れたところである。初日に私の下に患者さんが一人もきてくれなかった状況は打って変わり、治療士さまお願いですと頼られることが増えた。もちろん、怪我や病気の内容によっては的確な魔法術を施せる治療士さんに変わって貰うことになる。逆に私でなければ駄目な場面も増えてきた。
アルセディアの街に溶け込めているようで少し嬉しい気持ちを抱えながら、教会の祭壇で祈りを捧げ終えると神父さまが額を布で拭いながら私たちの下へやってくる。どうしたのかと私は首を傾げながら祭壇の前で神父さまが立ち止まるのを待つ。
「サラさん! サラさん!!」
神父さまが先に私へ声を掛けた。基本的に落ち着いている神父さまが慌てる姿を見せるのは珍しい。彼の側にいるシスターたちもソワソワしているのは気のせいだろうか。
「神父さま、どう致しました?」
「あ、明日のサラさんのご予定は!?」
私の問いに神父さまが恐る恐ると言った感じで聞いてきた。どうしてそんなに遠慮気味なのだろうと私は首を傾げる。
「図書館に行こうとサラは仰っていましたよ」
ヒルデが私の代わりに答えてくれた。みんなで明日の行き先を決めていたから彼女が伝えても構わない。ヒルデの声に神父さまが息を呑む。
「…………!」
そうして神父さまは有名な絵画に描かれた叫びを上げている聖職者のような顔になっていた。ちょっと面白いと思ってしまったのは秘密である。私の後ろで話を聞いていたフリードとイロスとヒルデは大丈夫かと心配していた。
「神父さま、明日、なにかあるのですか?」
このままだと神父さまが膝から崩れ落ちそうだと私は慌てて声を上げた。すると神父さまがはっとした顔になり、止まっていた神父さまの時間が流れ始める。
「い、いえね。高貴なお方が天幕での治療士の仕事について視察したいという打診がありまして」
「随分と急な話ですね」
本当に急な話である。高貴な人がくるのであれば、最低でも一ケ月は時間を要しそうなものなのに。そういえば総督も動きの速い方だったから、帝国の貴族はアルデヴァーン王国より時間を有意義に使うのかもしれない。言い方を変えれば権力乱用とも取れるけれど。
「は、はいぃ。先方も急な話で申し訳ないと仰っているのですが、どうにかならないかと言われまして。そして参加している治療士をなるべく全員集めて欲しいと」
なるほど。神父さまが困っていた理由が分かった。そりゃお偉いさんに命じられれば、神父さまは命に従い奔走するだろう。私が後ろの三人に顔を向ければみんな頷いてくれる。
「大丈夫ですよ。予定は予定ですから、変えることができます」
私たちは教会でお世話になっている。もちろんタダではなく宿泊費、ようするにご飯代だけ払っているため宿に泊まるより格安となっているけれど。教会は旅人に軒下を提供してくれるため、こういうことはままあるそうだ。そういえばアルデヴァーン王都の教会でも旅人を泊めていたこともあったなあと私が目を細めていれば、神父さまの顔に光が差す。
「サ、サラさん、本当に宜しいのですか!?」
ぱあっと顔を輝かせた神父さまの目尻には涙が浮かんでいた。そんなに高貴な方を恐れているのだろうか。もし変な人であれば、つい手が出ないように気を付けないと。
「はい」
「お、お願いですから、当日に気が変わったとか仰らないでくださいね!!」
私の返事に神父さまが念を押す。誰か約束を破ったのだろうかと思うくらいに神父さまは必死である。私は肩を竦めて、神父さまが安心できる方法はないかと少しばかり考える。
「言いません。不安であれば契約書を結びますか?」
少しは神父さまの気持ちが楽になるのではないだろうか。契約を交して魔法を使えば拘束力が高めることもできる。大袈裟かもしれないけれど、破るつもりのない契約書を結んでも私的に問題はない。
「で、では祭壇で神に誓って頂ければ!」
神父さまが自身の胸の前で両手を組んで、祭壇の方へと視線を向けた。私は祭壇の前でしゃがみ込み神さまに誓う。私が神さまを信じているのかと問われれば、微妙と言わざるを得ない。でも助けられなかった人たちが神さまの下に辿り着いて幸せに過ごしているというのであれば、神さまがいることを願いたい。だから私は祭壇に祈りを捧げていた。
まあ、本当に効果があるのか分からないし、救えなかった命が報われるようにという本当に身勝手な思いだけれど。そう考えると私の祈りは神さまにとって迷惑極まりないものだ。でも、聞き届けてくれれば嬉しいと、目を開けて立ち上がり神父さまと向かい合う。
「では、では! 明日、よろしくお願い致しますね! あっ! 明日の朝食は一品多く作るようにと、料理番に伝えておきます!!」
神父さまは立ち上がった私を認め、嬉しそうな顔のまま場を去って行く。何故か明日の朝ご飯はおかずが一品増えるようだ。なにを作ってくれるのだろうと期待をしていれば、フリードとイロスとヒルデが私の後ろで小さく笑っていた。
「サラの食いしん坊がみんなに露見しているね」
フリードのいう通り、周りの皆さまは私が食い意地を張っていることに気付き始めている。こうして恩恵に預かることもあるので悪い話ではない。
「治療術を使うなら、食べなきゃ持たないからねえ」
イロスは魔法使いの視点で語っているようだ。魔力が減ると、自然回復を待つか、食事から魔素を取り込むかのどちらかである。全ての生き物には魔力が備わっていると言われており、魔法を使えるかどうかは一定量を超えれば可能と言われている。
「サラの食事を摂っている姿は可愛らしいですからね。こちらも嬉しくなります」
ヒルデは私の食事姿が気に入っているようである。そんなに私がご飯を食べている姿は良いのだろうか。今度鏡で確認してみてみようか。でも食事に集中したいから、鏡を確認するのは止めよう。
食事は楽しくないと食べている気がしないのだから。そんな朝の一幕があり、天幕の下で治療士として活動を終えて一夜が明けて……朝。
――お偉いさんがくる。
と、教会内が凄く騒がしい。私も失礼のないようにといつもより入念に朝の支度を済ませた。そういえばどなたがくるのか聞いていないが、天幕の下に向かったならば私は治療士である。
街の人たちを癒すことが目的であり、お偉いさんに媚びを売るためではない。緊張していると判断が鈍ることもある。そうして教会の食堂に赴けば、朝食に一品増えていた。
「一品増やして貰ったなら、頑張らないと」
増えた一品は野菜サラダであった。いつものパンとスープとサラダに、なんとチーズとハムまで付いていた。それにサラダ用のドレッシングも添えられており神父さまの気合が伺える。
食堂に集まった人たちは豪華な朝食に舌鼓を打っている。私とフリードとイロスとヒルデも食べようと、神に祈りを捧げて食事を摂り始めた。美味しいことと贅沢ができたことで私は嬉しくなっていく。今日の仕事も問題なく終えられそうだと食事を終え天幕の下へ行こうと席を立てば、三人が声を上げる。
「高貴な人がくるなら天幕が狭くなりそうだ。サラ、十分気を付けてね」
「患者さんは選ばれた人のみがくるかもしれないね」
「選別をするのは仕方ないのでしょうか」
横柄な人が紛れ込めば、横柄な人の命が危ういからねえとヒルデの疑問にイロスが答えていた。たしかに横柄な人は場と空気を読めないことが多いから、先に患者さんを厳選している方が無難だろう。
さて、どうなることやらと私は息を吐いて背を正す。いつも通り治療士として働いて、失礼のない態度でいれば問題なく過ごせるはずだ。天幕の下へと私が顔を出せば、忙しなく指揮を執っていた神父さまに『サラさん!』と熱烈に迎え入れられるのだった。
なんだろう、これ。