第02話:一人じゃない。
私が驚いて隣に立った人を見上げれば、ぱちんとウインクを飛ばす。先程まで彼が纏っていた真面目な雰囲気はどこかへ飛んで、見慣れた調子を見せてくれる。それと同時に近衛騎士の怒気も少し緩和していた。
「フリード、どうして貴方が!?」
「説明はあとで。今は俺に合わせて、サラ」
少し伸ばした黒髪を揺らしながら彼、フリードがもう一度壇上へと視線を向けた。するとオットー殿下がよろよろと床から立ち上がり、シュヴァインフルフ公爵家のご令嬢が少し顔を赤らめながらこちらを見ている。謁見場に集まった人たちも何事かと戸惑い、近衛騎士も更に問題が発生したと警戒を強めている。オットー殿下は歯を食いしばりると、眉間を潜めて厳しい顔になった。
「誰だ、貴様は!? 何故、謁見場にいる!!」
「オットー、目の前の殿方はどなた?」
オットー殿下はシュヴァインフルフ公爵家のご令嬢にキリっとした表情を作って心配する必要はないと伝えているが、シュヴァインフルフ公爵家のご令嬢の目はフリードに釘付けになっている。
一方で私を庇ってくれているフリードも余裕の表情を浮かべているけれど、二年前より背が少し伸びているような。騎士然とした鍛えた身体とすらりと長い手足は絶妙なバランスを保っている。きっと彼の地元では女性から沢山のアプローチを受けているのだろうと、状況にそぐわないことを私の頭が勝手に考えていた。
「大丈夫だ、マルレーネ。この場には近衛騎士が大勢いる。一人で出てきた所で精々サラフィナを連れ出すことくらいしかできない。私の問いに答えよ!」
オットー殿下が近衛騎士の人たちを私たち二人を取り囲むようにと目配せをする。じりじりと迫りくる近衛騎士の人たちの表情は硬い。取り囲まれているというのにフリードは余裕の表情で、オットー殿下に礼を執る。
「オットー・アルデヴァーン第一王子殿下。お初目に掛かります。私は先の戦の功績により陛下から爵位を賜ったヴェルフリード・グレンツヴァハト男爵と申します」
顔を上げたフリードが片眉を上げながら私の方へと顔を向けて申し訳なさそうな顔になる。フリードがアルデヴァーン王国騎士だと知っていたものの、私は彼が今まで平民出身だと勘違いをしていたようだ。以前あった時の彼は今日のような儀礼用の衣装ではなく、アルデヴァーン王国騎士服を身に纏っていた。
確か、私が十四歳の頃、真夏の炎天下の中のことだ。戦争の真っただ中で治療士が足りないと私が他の陣地へ応援に向かい、彼の怪我を私が治したことから交流を持っていた。
彼の喋り方で私はてっきり平民だと思い込み、いろいろと馬鹿な話や未来のこととか語り合っていた記憶がある。名前しか知らなかったから仕方ないとはいえ、まさかフリードが爵位持ちだとは予想外だ。
「何故、たかが男爵位持ちが謁見場に忍び込んだ!?」
カッと目を見開いたオットー殿下が左頬に手を添えながらフリードを睨みつけた。状況を見ていた人たちも口々に『警備はどうなっている?』『近衛騎士はなにをしているんだ!?』『早く捕えてしまえ!』と囃し立てていた。私はフリードとこの場をどう収めようかと考えを巡らせる。
このまま捕まってしまうなら、謁見場から逃げ出すべきだ。ただ城を抜け出せたとしても、そこからの移動手段を得られる確率が凄く低い。
そもそも王都の地理にさえ詳しくない私がフリードを安全な場所に逃がせるという保証がない。舌打ちしそうになるのを我慢していれば、大勢の護衛を連れた人がすたすたとこちらへ歩いてくる。このお方は……。
「忍び込んだとは失礼ではないかな、兄上。私が謁見場へ入っても構わないと彼に許可を出したからね」
輝く金色の髪を一つにまとめて肩に流した美丈夫がフリードの隣に並んだ。細身であるものの女々しさは全くなく気品に溢れる姿をしていた。フリードに見惚れてていたシュヴァインフルフ公爵家のご令嬢は新たに登場した美丈夫に目移りしたようで、オットー殿下の側でぼーとした様子になっている。
新たに現れた方はアイロス第二王子殿下だ。王宮内では側室腹と疎まれているため、与えられた宮から出てこないと有名である。私もアイロス殿下のご尊顔は数えるほどしか見たことがない。
「……何故、アイロスが謁見場にいる! それにどこの者とも分からぬ奴を勝手に入場を許したのだ!!」
オットー殿下が眉を吊り上げながら怒っている。殴られた頬がまだ痛いのか手を添えたままだけれど。しかし第二王子殿下とフリードは厄介事に巻き込まれにきたのだろうか。
私がオットー殿下を殴ってしまったため最悪は処刑を言い渡されることになりそうだ。そんな私に価値などないし、助けて貰えるのは嬉しいけれど、私が犯した愚行に巻き込むつもりはない。でも、こうして首を突っ込んでくれたことには感謝しなければならないのだろう。烈火の如く起こっているオットー殿下を諫められる人は少ないのだから。
「兄上が……オットー第一王子が聖女殿に不穏なことを画策していると話を聞きつけましたから。信のおける彼を私の護衛に就け謁見場へと入った次第です。兄上の婚約破棄宣言には驚かされましたが、聖女殿の方が上手だったようですね」
アイロス殿下が私に視線を一瞬向けたあと、ふふふとオットー殿下に向けて笑みを浮かべている。そうしてフリードが半歩前へと進み出た。
「オットー殿下。貴方が彼女を必要としないなら、我がグレンツヴァハトが聖女殿を貰い受けよう」
「はあ!?」
「え?」
フリードのとんでもない発言にオットー殿下と私の口から声が上がり、謁見場の人たちもどよめき立つ。すると私の隣にいるフリードが顔を覗き込んで苦笑いを浮かべた。
「サラが驚かなくても」
「彼女が驚いても仕方ない気がするけれどね。だって、いきなりだ」
苦笑いを浮かべて肩を竦めるフリードと愉快そうな顔を浮かべているアイロス殿下。フリードとアイロス殿下は私を領地に連れ戻って、どうするつもりなのだろうか。
私がフリードとアイロス殿下に困惑していれば、オットー殿下がわなわなと肩を震わせながら左頬から手を放しそのまま私たちに指をさす。
「平民崩れの聖女など、高貴なアルデヴァーン王国に必要ない! そもそも聖女の称号は父上が勝手にサラフィナに与えたもの! 聖女という虚像に縋る国など私は目指していない! その地味な女欲しいならばくれてやる!」
オットー殿下は私に価値を見出していはおらず、側にいるシュヴァインフルフ公爵家のご令嬢にご執心のようだ。当のお相手はフリードとアイロス殿下に見惚れているけれど。オットー殿下の言葉にアイロス殿下もフリードも言質を取ったと言いたげである。どうする気だろうと私が二人の顔を見上げれば、フリードの腕が私の肩へと回った。
「そういうことなら。殿下、よろしくお願いします」
「ああ。分かった。僕の周りに」
フリードとアイロス殿下が頷き合えば、私の肩に延ばされていた腕に力が入る。アイロス殿下は魔力を練っているのか白い光が現れていた。足元には魔法陣が浮かび上がり煌々と謁見の間を照らせば、集まった人たちが『なにが起こるんだ!?』『逃げろ、逃げろー!』『防御結界を張れる魔法使いはいないのか!?』と声を上げている。
騒然とする中、アイロス殿下とフリードだけは随分と落ち着いた様子で場内を見渡していた。そうして魔法陣の光が更に明るくなれば、アイロス殿下が最後の魔法詠唱を声に出す。
「――Ubertragen」
アイロス殿下の声で臓腑が浮くような感覚に襲われれば、謁見の間の豪華な光景が一瞬で切り替わり城砦の壁が目の前に映り込むのだが、私とフリードが転移の衝撃で地面に腰をぶつける。アイロス殿下は二本の足でしっかりと地面に立っていた。
「アイロス、君だけ涼しい顔しているのは何故?」
「ごめん、ごめん。二人が僕の転移に慣れていないことを忘れていたよ。申し訳ないね、聖女殿」
フリードが地面から立ち上がりアイロス殿下は片眉を上げながら笑っている。そうしてアイロス殿下が私に手を差し伸べると、フリードが俺の役目を取らないでくれと言いながら私に向けて手を伸ばす。
アイロス殿下は伸ばした手を引っ込めて、やれやれと小さく息を吐いていた。私は良いのかなと迷いつつ、差し出されたフリードの手に手を重ねて地面から立ち上がった。
「あ、いえ。しかしここは」
私がきょろきょろと周りを見渡していると、フリードが眉を互い違いにさせながら笑う。
「父が治めている、エーデンブルート侯爵領領都だよ。屋敷の中に入るにはちょっと問題があるから、アイロスに頼んで壁の外に転移して貰ったんだ」
どうやらフリードのお父さまが所領している場所のようだ。壁の上に立っていた見張り役が私たちを見つけ、他の人に声を掛けている。フリードが顔を上げて手を小さく振ると、見張り役が敬礼を執った。フリードの話は本当なのか見張り役は落ち着きを取り戻している。
「ヴェルの無茶を聞き届けるのは何度目だろうねえ。でもようやく僕は王宮から抜け出すことができたから感謝しないとね」
アイロス殿下が腰に手を当てながら壁の上を見上げて清々しそうに笑っている。王宮で殿下を見たのはほんの数回だったけれど、今まで見た表情の中で随分と明るい顔になっていた。
それは良かったとフリードがアイロス殿下に告げれば、肩から腕を離して私と向き合う形を執った。
「ねえ、サラ。俺とアイロスの事情説明と、サラがこれからどうしたいのかを聞きたいんだ」
もし駄目なら、私が他国へと渡れるように手配をすると。でも、せっかく再会できたから、領主邸で話を聞かせて欲しいとフリードに乞われた。
「フリード……いえ、グレンツヴァハト男爵閣下。よろしくお願い致します」
「そう聞けて安心したよ。あと畏まった物言いは不要だから。今まで通り、フリードで良い。それにサラに畏まられるとむず痒いんだ」
私が礼を執るとフリードが肩を竦める。隣で見ていたアイロス殿下はなにも言わないので、今日起こったことについてある程度把握しフリードと話合っていたのだろう。
フリードが領都から迎えがきて私だけが馬車に乗り込む。フリードとアイロス殿下は騎乗して領都入りするようだ。ゆっくりと進み始めた馬車の中で私は窓の外を見る。街の外には一面に麦畑が広がり、まだ青い穂が風に揺れていた。風に波打つ麦はまるで私の心のようだと目を細めて、これから一体どうなるのだろうと馬車の中で息を吐くのだった。






