第16話:彼の目的。
私たちが名乗りを上げて暫く。総督府の来賓室では、ゆらゆらとティーカップから湯気が立っている。中身は紅茶だそうで、先に総督がティーカップを持ち上げて匂いを確かめてから一口嚥下した。先程、軽い調子でおどけていたというのに総督の所作は凄く洗練されている。
ノクシア帝国の人だというのに肩幅は広くなく、女の人と言われれば信じてしまいそうだ。もちろん声は男性特有の低さのため、喋れば女の人と間違うことはないけれど。
「うん、美味い茶だ。貴女の口に合えば嬉しいけれど、どうだろう?」
ふふふと笑った総督が目を細めながら問うてくる。流石に飲まないわけにはいかないと私は慌てて紅茶を口に着けた。王宮や侯爵邸で飲んでいた紅茶と比べると、がらりと趣が違っている。
上手く表現できるか分からないけれど、ミントの味がして凄く爽やかに感じる。でもきちんと紅茶の深みがあって、飲みやすいものではないだろうか。まあ、紅茶好きの人から言わせれば、私の評価なんて百点満点中の十点くらいだろうけれど。とはいえなにも言わないのは凄く失礼にあたると、私は慌てて口を開いた。
「はい。美味しいです」
「良かった。ウーバという地域の茶葉を使っていてね。頭が冴えるから、私が好んで飲んでいるんだ。気に入ってくれたなら、あとで分けて差し上げよう」
私がティーカップを机の上のソーサーに置けば、総督が控えていた人に『じゃあ、茶葉の用意をしておいてね』と声を掛けていた。紅茶の美味しさに気付いたのは私が侯爵邸に赴いてからだから、フリードが少しむっとしている。
今、飲んでいる紅茶に合うジャムはあるだろうかと考え込みそうになるものの、私は総督の話を聞かなければとまた背筋を伸ばした。
「じゃあ、本題。工事現場での救命活動、感謝する。神父が言っていたけれど、君がいなければ死者が出ていただろうと。護衛の二人と転移で現場に向かった貴殿にも感謝を」
総督は私の雰囲気を察知してくれたのか、すぐに本題に入ってくれた。そして先の事故の件について感謝を述べてくれる。どうやら現場の人たちからも声が上がっていたようで、報告書を読んだ総督が私たちに興味を持ったそうだ。
この街に転移を使える人は限られる上に、高度な治療魔法を扱える人も少ないそうである。生き埋めになって意識朦朧とした大怪我を負った人を治せる治療士はいないのではないかと。総督に感謝して貰っているのに、私の心の中は微妙な気持ちになる。親方を救えるのは賭けだった。魔力を最大限に突っ込み、運良く唱えた魔法に効果があっただけ。とはいえお偉いさんからの謝罪を受け取らないのは不味い。
「ありがとうございます。治療を受けた皆さまが、日常生活に戻るにはまだ時間が掛かりましょう。その間、怪我を負った皆さまの経過観察を行いたいのですが許可を頂けませんか?」
「逆に助かるから、もちろんだよ。どんな魔法を使ったか把握している人が当たれば治りが良くなると言われているからね」
私の提案に総督が快く認めてくれた。しかし、目の前の彼は何故、治療士の間でしか知らないことを知っているのだろう。私が首を傾げていれば、総督が不思議そうな顔をして『どうしたの』と問うてくる。
気になるから正直に聞いてみようと私は『治療士の者しか知らないことを、総督がご存じだったことに驚きました』と答えれば、彼はきょとんと目を丸く見開く。
「あれ、知らなかった? 私は魔法学院の学院長も務めているし、現役の講師だよ。それくらいのことは把握しているからね。もしかして君たち、この街の、いや帝国の者ではないのかな?」
「はい。私たちはアルデヴァーン王国から参っております」
私の声に来賓室にいる帝国の人たちが『確か、二つ向こうの国か?』『最近、王が変わったよな』『どこにあるっけ?』と呟いている。確かにアルデヴァーン王国はノクシア帝国と比べれば、大人と子供のような国だ。彼らの驚きは仕方ない。しかしオットー殿下が玉座に就いた報は届いているようだ。
「なるほど。だから街の者とは少し雰囲気が違っていたのか」
そう言ったあと総督がぽんと手を叩いて、彼の後ろに控えていた使者の人が『総督。何故、彼らが他国の者だとすぐに気付かないのです……!』と嘆いている。
「あ、そうだ。もっと大事なことがあった。工事現場の監督が君に横柄な態度を執ったそうだね。それを詫びなきゃいけなかったけれど、魔法の話題になってすっかり忘れるところだった!」
危ない、危ないと総督が軽い調子で呟く。
「詫びの印になにか私にできることはないかな? 私の名を使って現場監督が君を脅したなら、私にも責任の一端はあるだろうしね」
確かに私が命じたことだけれど、私の名を持ち出して良いとは一言も言っていないのにねえと総督が眉を互い違いにさせて困っていた。なにかあるかなと考えてみるものの、すぐに思い付けるようなことはない。
どうしたものかと私が悩んでいれば、総督がゆっくり考えなよと申し出てくれ、衣装とか宝石とかなんでも良いよと助言をくれる。女の人であればドレスや装飾品に興味を示しそうだけれど、生憎私は王宮生活で少々飽きている。
美味しいご飯が思い浮かぶものの、アルセディアの街のご飯は美味しい。まだ赴いていないお店は多くあるから、楽しみは取っておきたい。それ以外、それ以外と考えていると、提督府の近くにある建屋が頭の中に浮かんだ。
「あ」
「なにか思いついたかな」
「この街の図書館に入る方法か、魔法学院に入学できる方法や授業料を教えて頂けませんか?」
私は早速思いついたことを伝えてみた。
「え、君、才能あるのに魔法学院に入りたいの? 変わっているねえ」
総督が驚いていると『貴方に言われたくないのでは』と使者の人が呟やいて、他の護衛の人もうんうんと頷いている。総督は全く気にしていない様子で話を続けた。
「あと図書館は街の者であれば誰でも入れるんだけれど、外の者となれば入場料が必要になる。えーっと……いくら取っていたかな?」
総督が考える仕草を執れば使者の人が総督に耳打ちする。
「あ、そうそう」
教えてくれた図書館への入場料はアルセディアの街の人は無料、帝国の人には良心的な値段を、帝国の外の人にはかなり良い値段を払うようだ。
「でも、情報だけじゃあお礼にならないし、私が入館許可証を発行しよう。それで良いかな?」
それ故か、総督が閃いたと言いたげに許可証を作ると言ってくれる。総督の許可があれば無料で入れるようで、私以外にもフリードとイロスとヒルデの分も発行してくれるとのこと。
有難いことだと私は頷けば、使者の人が部屋付きの侍女に告げてなにかを持ってくるようにと命じていた。暫く待っていると侍女が戻ってきて、恭しくお盆に乗った四枚のカードを提督の前に置いた。カードは金属製なのか硬質そうだ。でも凄く薄く鞣しており、帝国の技術力を窺い知れる。カードになにかの魔法を付与したようである。
「はい、どうぞ。これで君たちは無料で図書館に入れるようになるよ。魔法学院は入学時期が過ぎているからねえ。ちょっと難しいかな」
総督から四枚のカードを受け取る。銅板で造られており、裏面には総督府の紋章が刻み込まれていた。金属製のため衣服の内袋に入れても問題ないだろう。なんだか凄い品を頂いてしまったと私は総督と目を合わせてから頭を下げる。
「いえ。総督に図書館の入場許可を頂けただけでも凄く嬉しいです」
「なにか調べたいことがあるの?」
小さく首を傾げた総督が私に問うてきた。
「治療魔法に連なる事柄を調べたいのです。私は怪我であればある程度治すことはできますが、病気となれば専門的な知識が必要となるので」
正直に答えた方が良いだろうと、私はありのままの答えを口にする。事故現場で無茶をしてしまったから、それらに対応できる魔法も調べられると良いけれど。他にも魔力の制御や使い方も調べてみたい。アルデヴァーン王国の魔法とは違うかもしれないので、凄く図書館に向かうのが楽しみだ。
「なるほど」
総督が声を半トーンだけ落して頷いたことを、私は許可証を頂けた嬉しさで気付くことはなかったのだった。