第14話:準備期間。
一週間寝込んで目が覚めてから、五日が過ぎている。
私の体調は特に問題はなく魔力量も元に戻っていた。ベッドから起き上がって問題なく歩くこと――最初はキツかった――ができているし、魔力も普通に練ることができる。魔力が練られるなら、魔法を使っても問題ないはずだ。
ベッドから起き上がり教会の中をウロウロしながら、私が最初にやったことは神父さまたちへのお礼である。怒っていた現場監督の人の怪我に手当を施したのは神父さまだ。
総督の威を借りて私を脅していたけれど、街を治めている人から命を受けたのであれば現場監督はそれなりの地位の人だろう。だというのに神父さまは私を助けるため庇ってくれたのだ。治療を拒否した私の態度が大事にならなかったのは神父さまのお陰だろうと、目覚めてからフリードとイロスとヒルデ以外に最初に探した人である。
『お気になさらず。それより、大怪我を負った親方を助けて頂いてありがとうございます』
お礼を告げた私にふふふと笑って神父さまが返してくれた言葉だった。現場監督は横柄な態度であったため、現場の人たちから嫌われていたそうである。なにかにつけて『総督の命だ!』『総督の顔に泥を塗る気か!』と言って、現場の人たちを委縮させていたそうだ。
現場の不満をどうにか収めていたのが大怪我を負っていた大柄の男性、親方なのだそうである。元々、信の厚い人で多くの現場の人たちに好かれていたそうである。神父さまは、彼が亡くなっていれば現場の人たちから抗議の声が上がり仕事を放り出しただろうと。
大柄で厳つい顔の人だったけれど、見た目によらないのだなあと神父さまを話を終えたのだ。朝食を済ませてたあと、なんとなく三人で教会の聖堂に向かえば、見知った人と私と目が合った瞬間。
事故が起きたと天幕に駆け込んだ青年が涙を大量に流しながら、こちらへと走ってきた。フリードとヒルデが一瞬身構えるものの、危険はないと判断したのか空気が弛緩する。イロスは『酷い顔だねえ』と苦笑いを浮かべていた。そうして、私の目の前には鼻水と涙を流しながらぐしゃぐしゃの顔を向けている年若い男性が立っていた。
「治療士さまぁあ! あ、ありがとうございましたぁ! 親方、まだ安静にしていなきゃいけませんが、治療士さまのお陰で助かったんですぅ!」
ぼろぼとと大粒の涙を流す青年が声を上げて頭を深く下げる。本当に事故の時からよく泣く人だと私は小さく肩を竦めて、治療士として答えるべく背を正す。
「いえ。親方に生きる気力がなければ、魔法を施しても無意味なものになります。きっと貴方の声が彼の耳に届いていたのでしょう」
そう。生きることを諦めた人や死を望んでいる人や寿命の人に治療魔法を施しても効果がない。本当に不思議だけれど……こういう時は神のご意思だと治療士の人たちが決まっていう台詞である。青年は私の言葉に納得してくれたかなと様子を伺っていると、頭を下げたまま彼が再度言葉を発する。
「そうかもしれませんが、貴女がいなければ親方の大怪我を治せる人がいなかったと神父さまが仰っていたんですぅ! 本当に、本当に現場にきてくださってありがとうございましたっ!」
青年に神父さまはなにを吹き込んだのだろうか。私はただ、他の人に任せられる状況になったから大怪我を負った親方に治療を施しただけ。もし、他に大怪我を負った人がいたならば、親方には魔法を唱えなかった可能性がある。
酷い話になるけれど、助けるべきは生き残る確率の高い人だろう。そりゃ全員助かれば良いけれど、都合の良い話なんてない。それに私が魔法を施しても失敗していたこともあったはずだ。陛下に聖女の称号を与えられたけれど、私は慈愛に満ちているような人でもないし、優しくもない。でも、こんなに喜んで貰えるなんて。
「え、あ……その」
「サラ、彼の気持ちを受け取ってあげなよ。きっと親方は凄く大事な人なんだ」
私がどう答えたものかと迷っていると、フリードが小さく笑いながら私の横に並び立つ。イロスとヒルデも受け取りなよと言いたげな雰囲気を私の後ろで発していた。
すると聖堂にまた新たな人が現れた。青年と私の顔をマジマジと見た女性が幼い子供の手を引きながら、こちらへと歩いてくる。青年によると、親方の奥さんと子供だそうである。奥さんは青年の隣に立って私に深々と頭を下げれば、私にお礼を告げるのだった。そうして彼女の足下にいた幼い女の子が私に向かって白い花を掲げる。
「おとーちゃ、たしゅけてくれて、ありあとう!」
これあげりゅと三歳くらいの女の子がぐいと白い花を私に向かって押し付けてくる。このままでは駄目だと私はしゃがみ込み、女の子と視線を合わせた。
「どういたしまして。お花、ありがとう」
私のお礼に女の子が照れ臭そうに笑っている。小さい子は可愛いなあと口元を伸ばしながら、彼女が持つ白い花を受け取った。切り口が真っ直ぐではないので、女の子が手摘みしたのだろう。
奥さんも深々とお辞儀を執って『ありがとうございます』と声を上げる。そして今まで大粒の涙を流していた青年がからりとした笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、親方のところへ行ってくるっす!」
へへへと歯を見せながら笑う青年が軽く手を挙げ、聖堂の奥にある扉を目指して歩いていく。そこは教会の奥へと続く扉となり、客室や教会で働く人たちの部屋がある。その一室に親方がいて、青年は会いに行くようだ。
「私も行きます。本当に主人を救ってくださり感謝します」
「おねーちゃ、ばいばい!」
深々とまた頭を下げる奥さんとにししと笑う女の子に私は小さく手を振った。
「こら、駄目よ。お姉ちゃんじゃなくて、治療士さんと呼びなさい」
「え~! あ、おとうちゃ、行く!」
奥さんの声に女の子が抗議をするけれど、親方の下へ行かなければと考えがコロリと変わったようだ。小さい子供は一瞬で考えていたことが変わるのかと驚いていれば、隣に立っていたフリードが私の顔を覗き込む。
「どうしたの、サラ?」
「あ、うん。あの子が笑ってくれていることが嬉しいなって」
助けた人の家族からお礼を言われた経験は数えるほどしかない。戦場では治療を施した本人から良く礼を告げられていたけれど、他の人からこうして花を貰ったのは初めてだ。そして小さな子供から受け取ったものである。なんだか恥ずかしいような、照れ臭いようなと手に持っていた白い花を顔に近づけて香りを楽しむ。
優しく甘い匂いが鼻孔をくすぐり、女の子が親方を失わずに済んで良かったと私は息を吐く。救えない人もいたから本当に自分勝手な気持ちだけれど……それでも無茶をして良かった。私が小さく笑っていることに気付いたのか、フリードがもう一度私の顔を覗き込む。
「さて、サラ。あと少しで提督府に赴かなきゃいけない。街に出て衣装を買いに行かなきゃね」
今日は三人で街に繰り出して買い出しに行こうと決めたのだ。神父さま曰く、招待だから提督府にはみすぼらしい格好でなければ良いだろうと仰ってくれている。
ただ三人で話し合った結果、正装を一着くらい持っていた方が良いのではという結論になった。持ってきている荷物は旅装だから正装とは言い難い。ただ無駄使いをするわけにはいかないと、庶民の人たちが手に届くような店に入ろうと決めた。初めてアルセディアの商業区に足を踏み入れるので、少し楽しみでもあった。
「うん。ご飯も食べたし行こうか」
私がフリードに答えるとイロスがにやりと笑う。
「僕の衣装はサラに選んで貰いたいねえ」
「イロス、それは抜け駆けだろう!? サラ、俺のも選んで!」
二人は仲が良いねと私がヒルデに顔を向ければ、彼女はなんとも言えない表情になっていた。どうしたのと聞いてみれば『私もサラに選んで貰いたいです』とポツリと呟く。じゃあ、私の衣装はヒルデが選んでねとお願いすれば凄く彼女が喜び、何故かフリードが慌てて、イロスがくつくつと面白そうに笑うのだった。
あ、服は無事に買えました。三人とも背が高いし顔が良いから凄く似合っていた。私はどうだろう。フリードとヒルデが何着か選んでくれて、フリードの服が良いとなったけれど……服に着られているような気がしてならない。