第12話:優先順位。
イロスとヒルデが前を走っているところをフリードが追い抜けば、野次馬の壁に阻まれた。フリードが舌打ちをしたそうにしているけれど、ぐっと堪えて違う言葉を吐く。
「通らせて!」
フリードの声は野次馬の人たちに聞こえていないのか全然動いてくれない。私たちを教会まで呼びにきてくれた若い男の人とイロスとヒルデも人の壁に阻まれて足を止めた。
集まった人たちは助けに入るでもなく、ただ興味本位で現場を見たいと背を伸ばしたり、誰かを押しのけたりしている。崩落現場に巻き込まれた人を助けるでもなく、ただ見ている人たちに私は苛立ちを覚えた。私はフリードに抱き抱えられたまま、すーーと長く息を吸う。そして胸の中に空気を留めて腹に力を込め魔力を練る。
「――どけっ!!」
私が声にすると同時、近くに合った木の枝が揺れた。魔力を練っていたから口にした声に魔力が乗ったからだろう。でも、少し魔力を練り過ぎたのか効果があり過ぎた。
集まった人たちが目を丸く見開いて私に何事かと顔を向けているし、若い男の人とイロスも驚いた顔で私を見ている。ヒルデは私のことを戦場で知っていたのか、平然としたままであった。驚いて私を見ていた人たちが一歩二歩と足を後ろに下げれば道が開く。フリードは今の内だと言わんばかりに走り出し、イロスとヒルデと若い男の人も現場に向かう。
「サラは相変わらずみたいだね」
「だって引いてくれないから」
現場に辿り着く寸然にフリードと目が合って、彼が小さく笑っていた。少し恥ずかしくなって私は視線を彼から逸らせば、現場に辿り着き地面にゆっくりと下ろしてくれた。
「ん。正解だと思うよ。俺の声は彼らに届いていなかった」
フリードがおかしそうに笑ったあとすぐに真面目な雰囲気になって現場の方を見た。私も崩落した現場を見るのだが、大きな壁の一部がごっそり崩れ落ちている。
それも大量に。どうしてこんなに大きく崩れてしまったのか原因を考えそうになって、今は気にしている暇はないと頭を振る。手作業で崩れた壁を運び出している人は涙目で作業をしている。一緒に戻ってきた若い男の人も『親方ぁー! 治療士の人がきてくれましたーー! 絶対に、絶対に助けるんで!!』と叫びながら、崩れている場所へ走って行った。そうしてフリードとヒルデが服の袖を捲り上げていた。
「サラ! 強化魔法!」
「ん! ヒルデにも施す! お願い!」
フリードの声に私は答えて強化魔法を施した。そしてヒルデにも視線を向ける。
「分かりました!」
返事をくれたヒルデに強化魔法を施せば、イロスが周りを見ながら腹から声を出す。
「崩れた壁を支える木材は!? 応急処置で支えなければ、崩落が酷くなる場合もある! 二、三人、木材の確保に動け!!」
いつものイロスの声色ではなく、いくらか低い声であるものの凄く通るものだ。イロスの声に『そうだ!』と気付いて、崩れた壁を支えるための木材を探しに向かう。そしてまたイロスが周りを見渡して声を再度上げる。
「集まった者たちは、少し後ろに下がれ! 作業の邪魔になる! 力に自信がある者はいないか!? 今宵の酒の肴に手伝ったと皆に自慢できるぞ!」
崩落現場に集まった人をイロスは下がれと告げている。はっきりと邪魔だと告げたことが功を奏したのか、ゆっくりと下がってくれた。ただ現場を去る気はないようで、遠目からこちらをまた眺めていた。
事故現場に興味本位で入ってくる人は少なくなるとイロスに感謝する。イロスの人となりは旅の間で少しは知っていたが、王子として教育を受けていたためなのか陣頭指揮を執る力がある。
私は怪我人に集中したいし、力のあるフリードとヒルデには救出活動に加わって欲しい。だからイロスの指揮は有難いし、的確な判断が下っている……はず。フリードとヒルデは崩れた大きな壁を運びだしており、強化魔法が十分効果を発揮しているようだ。なら、私は私にできることをしようと声を上げる。
「怪我を負った人は!?」
「治療士さん、こっち!! 頼む!! 傷の痛みでのたうち回ってんだ! 俺たちじゃあどうにもできねえ!」
声を上げて刹那の間に答えがくる。声の主に視線を向けると、その奥で『痛てぇ! 痛てぇええええ!』と声を上げている人と、声を上げている人を押さえつけている人が数名見えた。
あの暴れ方は不味いと私は駆け寄って地面に膝を突く。抑えられた男の人の腕から白くて堅そうな物が飛び出していた。これは痛いと私は目を細めて、魔力を練りながら口を開く。
「一先ず、痛み止めを施します。気をしっかり持って! 気絶しないでくださいね! あと軽い怪我の人は一ヶ所に集まって! あ、出血の多い人や大怪我の人はそのままで待機で!」
気絶されると、やっては駄目なこととかを一緒に説明できない。あとで赴いても良いけれど、大勢怪我人がいると手間が掛かる。いろいろと注文を付けながら、痛み止めの魔法を先ず施した。
「骨が飛び出ているので、魔法で元に戻します。治ったからといってすぐに無茶をすれば、傷が開くこともあるので一ケ月くらいは安静にしてください」
痛みで叫んでいた人は暴れるのを止めて呆けながらも私の声が届いているようで、私をじっと見つめたあと傷の方へと目線を向ける。傷を見ない方が良いという私の助言は遅かった。
「なんじゃこりゃぁあ!?」
「骨が飛び出てますからね」
痛みで叫んでいた人の声に私と抑えていた人たちが苦笑いを浮かべる。
「治療士さん、お、俺は死んでしまうのか!? こ、このまま生きることになるのか!?」
痛みで叫んでいた人はこの世の終わりみたいな顔で私に問いかけてきた。先程の説明は届いていなかったのか、それとも傷を見て話が吹き飛んでしまったのか。
「落ち着いてください。魔法で元に戻すので大丈夫ですよ。ただ先程言った通り、治っても無茶は厳禁です」
私の声に痛みで叫んでいた人はほっと息を吐いている。今の状態ならきちんと話を聞いてくれるだろうと、治ったあとに気を付けること、痛みが残る可能性があることとかを伝えた。こくこくと頷く叫んでいた人に私は笑みを浮かべて治療を施そうとすれば、後ろから地面を踏みしめる音が聞こえる。
「おい! 治療士、私を先に診ろ!」
誰だろうと後ろに振り返ると、指揮棒のような物を持ち、質の良い衣装を纏った四十歳くらいの男の人が立っていた。不機嫌だとありありと態度に浮かべながら、脚の脛の傷を治して欲しいようである。血は流れているけれど大したものではないし、凄く力が有り余っていて元気そうだ。
「貴方の怪我は酷いものではありません。止血帯を巻いて貰えば十分でしょう。事故の報を知り、教会の方がいずれやってこられます。それまでお待ちください」
私が目を細めて言葉を口にしながら前に向き直る。いつの間にかイロスが近くにきていて『サラの目が怖いねえ』と言いたげな顔をしていた。魔力を練った私は叫んでいた男の人の怪我の部分に手を翳す。
「無視するな!! 私は総督から、工事を指揮せよと命じられた者だぞ!! 先に診ろ!」
不機嫌な男の人に私は翳していた手をぎゅっと握り込むと、叫んでいた男の人が眉尻を下げて小さな声を出す。
「……治療士さん。俺は良いから、先にあの人を診てやってくれ」
どうやら、不機嫌な人は逆らわない方が良い人のようである。周りの人たちも、良いから先に診てあげてと言いたげな顔になっていた。とはいえ叫んでいた男の人の処置を早くしなければ、別の問題が発生することもある。
治療が遅くなって傷が膿んだり、病気に罹ることもあるのだから。私は気に掛けてくれる人たちの声を無視して、叫んでいた男の人にもう一度手を翳して治療魔法を唱えた。すると誰かが私に近づいてくるのが分かった。
「何故、私の命令を聞かないのだぁ!!」
声に振り返れば、不機嫌な人が指揮棒を力強く握り込んで私の方へ振り下ろそうとしていた。周りの人たちが息を呑み、イロスも目を見開いている。
「危なっ――」
「――Die abwehr」
イロスの危ないという声と同時に私は魔法を発動させた。私が戦場に放り込まれた時は治療魔法しか使えなかったが、戦場で出会った人たちから身を守る術を教えて貰っている。今、唱えた魔法もその一つで、術者の正面に魔力障壁を展開させるものだ。
「力で解決するならば、こちらも力で対応させて頂くのみ!!」
私の声に不機嫌な男の人は口の端をぴくぴく動かし、こめかみに青筋を浮かべてなにか言おうとしている。
「嗚呼、これはこれは大変な傷を負われておりますな。我々、教会も話を聞いて参った次第です。現場指揮で大変な目に合われましたなあ。先ずは聖水で傷を清め、清潔な布で傷を覆い血を止めましょう。ささ、こちらへどうぞ!」
教会の神父さまが不機嫌な男の人の下にしゃがみ込んで、大袈裟な物言いで傷を覗き込んでいた。神父さまはちらりと私の方を見て『こちらはお任せを』という視線をくれる。
天幕の中にいた治療士の人もきてくれており怪我人を見つけて声を掛けていた。あとで神父さまにお礼を伝えなければと頭に刻み込んで、私は次の人を診なければと周りを見渡す。丁度、治療士さんと声を掛けられてその人の下へ向かえば、外傷はないものの足が膨れ上がっていた。中で骨が折れているなと私は判断して、先程の叫んでいた男の人に使った魔法を再度唱える。もちろん魔力の出力は抑えていた。
「痛みと浮腫みが消えた! 凄い!」
「しばらくの間は無茶をしないでくださいね。折れた骨がまた折れてしまうので」
喜んでいる人にしばらく動かない約束を取り付けて、私は次の人の下へいく。どんどん診ている人の怪我の度合が軽くなっており、私は息を長く吐く。
「ヴェル、遅いよ……と言いたいけれど、サラに助勢は必要なかったみたいだね」
「街の暴漢一人くらいなら、サラでも対処できるよ。俺が心配だったのは、サラの極度な方向音痴だ。陣地内ですら迷っていたからね」
イロスと騒ぎを聞きつけたフリードの声が聞こえるけれど、事実なのでなにも言い返せず私は治療を続ける。
「親方!! 親方ぁああ!! 生きて、生きてください!! 俺たちを庇って死ぬなんて冗談、止めてくださいよぉ!!」
教会に走ってきた若い男の人が大柄な男性の下で泣き叫んでいた。大柄な男性は今し方、崩れた壁の中から助け出された人のようである。若い男の人の慌てぶりから分かるように、大柄な男性は大怪我を負い虫の息となっていた。
私は若い男の人と大柄な男性の下に走って向かい怪我の様子を見る。口から血を吐き出したようで、服が真っ赤に染まっていた。他にも骨折に擦過傷、今日診てきた人の中で一番傷が酷い。
若い男の人が大柄な男性の胸を揺らしている。止めた方が良いだろうかと迷って、やりたいようにやらせてあげるべきだと私は目を瞑る。戦場で助けられなかった人は多くいる。沢山の怪我人が運ばれてきて、もう駄目だと判断を下した人は見捨てる他なかった。
――でも。
ここは戦場ではない。なるべく多くの人を診るためにと魔力をなるべく温存する癖が自然と身に付いていた。でもここは戦場ではない。ただの平和な街の中だ。
仕事に精を出し、日々を暮らす人たちがたくさんいて、ご飯の美味しい匂いが漂って、子供たちの楽しそうな笑い声に赤子の泣き声が聞こえる街である。魔力を温存する必要があるのだろうか。ここには神父さまもいて、他の治療士の人もいる。なら!!
「すみません、場所を空けてください」
若い男の人に声を掛けると同時にありったけの魔力を練った。
「え?」
振り返った若い男の人が私を見ると赤く腫らした目を丸く見開く。魔力風が湧き起こっているので少々驚くかもしれないが危険はない。地面にしゃがみ込んだ私は大柄な男性に手を翳す。
「――|Blutung Stoppen《止血》・Wiederherstellung《復元》・Heilung《治癒》」
私が知り得る限りの治療魔法を大柄な男の人に掛けて、傷が回復していくところを見届ければ意識が遠のくのだった。






