第10話:ノクシア帝国入り。
アルデヴァーン王国の王都ではオットー殿下の戴冠式が執り行われる頃だろうか。
もう済んでいるかもしれないなと、目覚めた宿の寝台の上で私は身体を起こす。窓から差し込む朝陽が眩しいと目を細めながら、両手を組んで天上へと伸ばす。
ぼきごきと骨が鳴り、少しすっきりしたと寝ぼけた頭が覚醒していく。隣の寝台ではヒルデが既に着替えや朝の支度をほぼ終えていた。おはようと私が彼女に声を掛ければ、丁度眼帯を付けるところだった。
「ごめんね、ヒルデ。邪魔したかも」
「いえ。鏡がないので少し難儀していただけですから」
そんなことを言いながらヒルデが眼帯を付けていた。私は治療士であるが、傷を消せるような器用さは持ち合わせていなかった。
「サラが準備を終えれば、朝食を摂りに行きましょうか」
「うん。直ぐ終わらせるね」
ヒルデとの朝のやり取りにも慣れ、着替えも直ぐに終わって部屋の外へと出る。宿に併設されている食堂に向かえば良い匂いが立ち込めていた。四人掛けの席を確保してフリードとイロスがくるのを待つ。
食堂にいるお客さんはまだまばらで夜の喧騒が嘘みたいだ。宿の人が注文を取りにきたので四人分の食事をお願いする。夜営業のように料理の種類はなく、朝の注文を考えることはない。どの宿もパンとスープが定番で、少し良い宿であればチーズやハムに干し肉が出てくるそうである。
「お待たせ」
「待たせたね」
フリードとイロスが階段を降りてきて、私とヒルデが座っているところにきてくれる。黒髪の偉丈夫と金髪の美丈夫のため、平民用の服を纏っていても凄く雰囲気がある。彼らの声に私とヒルデが顔を上げると、とんでもない光景が映っていた。
「え」
「おや」
驚きで口から勝手に声が漏れる。イロスが長く伸ばした髪を短く切り落としている。いつの間にと驚くものの、きっと昨晩食事を終えて彼らと別れた後に切って貰ったのだろう。
凄く豪快に切ったなあと私は目を細めていれば、フリードが見慣れないと愚痴を零して席に就いた。イロスも席に腰を下ろして、長い髪を振り払う仕草をとって『あ』と声を上げる。
「慣れないけれど凄くスッキリしたねえ。切った髪は売ってお金に変えておいた」
イロスは後ろ手で襟足を撫でながら苦笑いを浮かべていた。髪は貴族の人向けのカツラとなるため買い取ってくれるらしい。値段が高くなるのは金色と聞いている。貴族の人たちが多く持つ髪の色だから必然的に需要が高くなるのだろう。変装用で使う人もいるらしいから、割とどんな髪色のものでも買い取ってくれるそうだ。
「数日前の野盗が原因だろうね」
「違うよ、フリード。王宮の者に触れられたくなくて、髪を伸ばしていただけだよ」
イロスが目を細めながら否定している。けれど野盗は本気でイロスのことを女性だと勘違いしていたからなあと私は目を細めた。
「良いから、食事を頂こう。今日もまた歩かなきゃいけないからね」
イロスが言い終えると、丁度宿の人が食事を持ってきてくれた。篭に入ったパンと器に入ったスープが前に置かれる。良い匂いはスープから漂っていたようで、豆が大量に入っていて美味しそうだ。
フリードとイロスには物足りない食事かもしれない。けれど私は貧民街時代にゴミを漁り食料を確保していた頃に比べれば本当に贅沢だと祈りを捧げる。フリードからパンを一つ貰って、私は硬いパンを千切ってスープに付け込んだ。スープがパンに沁み込んだことを見届けて私は口へと運ぶ。王宮では冷めた食事を摂っていたので、温かいものは本当に美味しい。
「サラは美味しそうに食べるよねえ」
「見ているこちらまで幸せな気分になれるよ」
「残さず食べるところにも好感が持てます」
フリードとイロスとヒルデがまじまじと私を見ながら笑っていた。人が食べる姿を見て楽しいのか分からないが、私は三人も早く食べなければ出発の時間が遅くなってしまうと急かす。
食事を摂って部屋に戻り出発の準備を進めて、また一日が始まる。歩くことに慣れていないイロスだけれど、文句を一切聞いたことがない。フリードとヒルデは鍛えているため、私とイロスより体力があった。
今日の旅を終えれば、アルデヴァーン王国に隣接する首都に入る。そして明日にはノクシア帝国の六大主要都市のひとつとなるアルセディアへと向かう馬車に乗る予定だ。
学術都市アルセディアは魔法研究機関があり、優秀な人材が集まっていると聞く。魔法の才を認められれば、経歴不問で学ぶこともできるとか。もちろん危険人物と判断されれば学ぶことはできないだろうけれど。
まだ私が学べるかどうかは分からないし、そもそも学術都市に入れるかどうかも分からないけれど……行ってみないことには分からない。不安と期待を抱えながら、また旅が始まり……――隣国の王都を旅立って十五日が過ぎていた。
ノクシア帝国入りを果たし、国境から一番近い学術都市アルセディアに辿り着いた。都市を囲う巨大な壁の向こうにある小高い丘には、帝国最高峰の学院が聳え立っている。私たちは幌馬車から降り、検問を受けるため順番を待っているところだ。
「やっと着いたね」
高い壁を見上げると首が痛くなりそうになる。私の隣にフリードとイロスが並び、少し後ろでヒルデも壁を見上げているようだ。
「長かったけれど、ようやく目的地に辿り着いた」
「凄い壁の高さだね」
「よくこんな高い壁を築いたものです」
三人が感心しながら声を上げる。旅券は名前を偽装しているものの、エーデンブルート侯爵家が発行した本物だ。オットー殿下が――陛下になっているかも――ノクシア帝国に私たちの問い合わせをしていなければ問題なく検問所を通れるはず。荷物も着替えくらいしか持ってきていないし、高価な物を持っているわけではない。買い付けのためにと称しているので、お金を凄く用意して貰っているけれど。
お金の管理はフリードが担ってくれ、保管はイロスが収納魔法で仕舞ってくれている。盗まれる心配がないため、凄く落ち着いて旅をすることができた。また旅に出る時はフリードとイロスとヒルデが一緒ということはないだろう。
「……お金の管理もできるようにならないと」
壁を見上げながら私が決心していると、フリードとイロスが肩を竦めている。
「旅慣れしないと少し難しいかもね」
「僕はさっぱりだよ。サラが無理に覚えなくても良いんじゃない?」
二人は任せられる人に任せれば良いという考えのようである。ヒルデもなにも言わないので、そういうスタンスなのだろう。私がそういうわけにはいかないと二人に声を掛ければ、気を張り過ぎないようにと笑っていた。
四人で話をしながら検問を待っていれば、学術都市アルセディアの入り口となる大門に辿り着いている。高い壁に備えられた門は今まで見た中で一番大きいものではないだろうか。開くのが大変そうだと妙なことを考えながら私は門兵に旅券を見せた。
「アルデヴァーン王国のエーデンブルート侯爵家の認印か。確か、国境を護る家と聞いているが……アルデヴァーンの者が帝国にくるとは珍しい」
門兵が声を上げれば、それを不思議に感じたのか他の門兵が集まってきた。問題になるだろうかと私たち四人は身構える。とはいえこれを見越して侯爵閣下は対応を考えてくれていた。
「ええ、アルデヴァーンは小国ですから。ノクシア帝国の素晴らしい魔法技術に触れたいと、我が商会の会長が口にしまして」
「魔道具を持ち帰ることはできませんが、学べるものがあるだろうと我々を遣わせたのです」
集まった門兵に対して、フリードとイロスが芝居がかった態度と口調で説明をしている。侯爵閣下が考えた筋書きが通るのか見守っていれば、私以外の旅券も調べ終えたようだ。
「特に問題はないな。向こうで入都料を払えば中に入ることができる。進め」
私の旅券を受け取った門兵が大門の隣にある小さな門の方を指差した。その前には多くの人が集まり、暫くすると中へと入っていく姿が見える。無事に検問を抜けられたことに私は安堵して門兵と視線を合わせた。
「ありがとうございます」
私が口にすれば、フリードとイロスとヒルデも門兵に軽く頭を下げていた。そうして指示された小さな門の前へと進む。フリードが懐から財布を出して四人分の入都料を払ってくれる。金額を丁寧に確認した門兵は『進め』と声を上げ、私たちは人の流れに乗ってノクシア帝国学術都市アルセディアへと入った。
「うわあ……凄い」
私たちの目の前には白で統一された街並みが広がっている。小高い丘の上には魔法学院や図書館があるそうだ。人に懐いた幻獣や魔獣の研究も進められているそうだ。アルデヴァーンの王都より規模が大きいのは気のせいだろうか。
帝国の主要都市の一つだから、小国の王都を上回ることもあるのかと私は勝手に納得していると、三人も各々なにか感じるものがあったようだ。
「壮観だ」
「凄いねえ」
「流石、帝国ですね」
白亜の街を見上げていると、周りの人たちの視線が刺さっている。田舎者だと思われたのか、呆けていたことが不思議だったのか分からないけれど、彼らの視線に気づいた私たちは一先ず宿を探すことになる。
近くにいる人を捕まえたフリードが宿のある場所を聞き出してくれていた。不意に視界に入った大門の近くでは、崩れた壁を修理している人たちが忙しなく動いていた。視線をフリードに戻して、旅慣れしている彼に感心しながら私はふと思う。
ノクシア帝国が同じ大陸内に位置していて良かった。アルデヴァーン王国やノクシア帝国のある大陸は言語が共通している。訛りの強い地域に向かえば少し苦労するそうだが、他の大陸へと渡るよりマシだとか。
他の大陸に渡り戻ってきた人たちは口を揃えて、言葉が通じなくて苦労したという話を残している。会話が難しければ十分に学ぶことはできないし文字も同じだから、大陸の言語が共通であることは本当に便利だ。
「都市の外縁部は居住区だから、奥へ進めば見つかるって」
行こうか、とフリードが言って歩き始め、私たちも行こうと頷いて足を進める。大門から続く道に沿って街の奥へと歩き進むと少し様相が変わってくる。
店先に野菜や果物が並んでいたり、武具を販売している店に雑貨店や日用品店が点在するようになった。宿はどこだろうとキョロキョロと顔を動かしていると、教会のシンボルマークが目に入り私はつい足を止めてしまう。
「教会」
久しく立ち寄っていないと目を細めた。孤児院で生活していた時に教会のシスターや神父にお世話になっていた。王宮で二年間聖女として過ごしていた時も、貴族用の教会で祈りを捧げていた。
信仰心が深いというわけではないけれど、懐かしい気持ちになり教会を見上げる。教会の横では天幕を張って、人の出入りがある。あれはなんだろうかという疑問を抱いていると、フリードとイロスが私の顔を覗いていた。
「サラ、寄る? 時間はあるから構わないよ」
「情報収集も兼ねて寄ってみるのもアリかもねえ」
二人が私に声を掛けた。大陸では同じ神を讃えているため、どの教会に立ち寄っても問題はない。少し立ち寄って良いならば、私の我が儘を聞いて貰おう。教会の扉へと続く階段を昇り扉を開ければ、運良く神父さまが目の前にいる。神父さまは信者がきたと、笑みを浮かべながら身体をこちらへ向けた。
「ようこそ旅のお方。如何なさいましたかな?」
神父さまが私たちを見て直ぐ、余所者であると気付く。アルデヴァーンの人とノクシアの人を比べると、少し見た目が違う。ノクシア帝国の人の方が背が高く肩幅が広い。
男性も女性も同じ感じであり、神父さまが直ぐに見抜けたのは当然のことなのだろう。とはいえフリードとイロスは背が高いので、ノクシアの人たちの平均といったところである。私は神父さまの前で立ち止まり教会式の礼を執る。
「無事に目的地へ辿り着いたので、主にお礼を捧げたく立ち寄らせて頂きました」
「これはこれは。主もお喜びになられるでしょう。どうぞ祭壇へ」
私の声に更に笑みを深めた神父さまが祭壇へと身体を向ける。フリードとイロスは言いたいことがあると少し前に出て神父さまを引き留める。
「神父殿、我々は旅の者で街に詳しくないんだ」
「あとで少し話を聞かせて頂いても良いかな?」
二人の願いに神父さまは快諾し、一緒に祭壇まで付いてきてくれる。私は先程教会の横で見た天幕が気になり、再度神父さまに問う。
「神父さま、教会の横に張られていた天幕は何のために?」
「あれは、治療院です。怪我や病気の者に治療魔法を使える者が格安の値段で施しております。旅のお方も怪我を負われていたり不調があれば、立ち寄ってみてください」
医者や薬師を頼るより安く済む可能性もありますよ、と神父さまが教えてくれる。確かに医者や薬師を頼るより魔法で治した方が早い場合がある。こればかりは本当に怪我や病気の内容によるし、医者や薬師を頼る方が良いという人もいた。私はなるほどと頷いて再度神父さまに問う。
「あの……不躾で申し訳ないのですが治療士として参加することはできませんか?」
王宮での二年間、時折治療魔法を使う機会があったけれど、従軍していた頃とは頻度が全く違っていた。腕が鈍っているかもしれないが誰かの役に立つし、お金も稼げそうである。
「貴女さまは治療魔法の使い手で?」
神父さまは少し驚いた顔になる。魔法は得手不得手があるため、使い手が限られることもある。魔力持ちで攻撃魔法が使えるならば国のお抱え魔法使いを目指す人が多い。
治療系の魔法を使えるとなれば、教会のお抱え魔法使いを目指す人が多くなる。国のお抱えとなった方が給金が良いし名誉にもなるため、大体の人が国のお抱え魔法使いを目指すのだ。だから神父さまは少し驚いていたのだろうと私は苦笑いを浮かべる。
「はい。病気はまだ修練が足りず苦手としておりますが、怪我の治療であればある程度使いこなしております」
私が言い終えるとヒルデがずいと身体を前に滑り込ませて神父さまの前に立つ。
「サラ、それは謙遜です。神父殿。彼女は私が負った両目の怪我を治してくださいました。他の治療士では無理だと告げられ最後にサラに託された。これで彼女の実力は保証できましょう」
ヒルデは左腕を動かして目の方へと持っていく。恐らく眼帯を捲って傷の状況を見せたはず。ヒルデの左目は見えていないけれど、私が修復を試みたため眼球は失ってはいない。
眼帯を外すと濁った翡翠色の瞳が見える。ヒルデが眼帯を付けているのは濁った目を隠すことと敵を欺くためだそうである。容赦のない相手なら確実にヒルデの左側を狙うから、らしい。
「……なるほど。確かにきちんとした実力をお持ちのようだ」
神父さまは一瞬驚くものの直ぐに鳴りを潜める。そうして私が治療士として参加することを認めてくれ、一先ず明日、時間がある時にきて欲しいと凄く大雑把な約束を取り付けるのだった。