47 噂
「申し訳ない。入り口が開かないかどうか、確認してくる」
「伯父様が直接行かれるのですか!?」
「精霊については私しかいないからねえ」
マルスランはげんなりした顔をしながら、パルシネン家の領地へ行って入り口を確認する間、執務を続けてほしいと頭を下げた。
「それはもちろん構いませんが、その、大丈夫なのですか?」
「精霊を放置するのもね。まあ、入り口が閉まったのならば、手遅れ、だとは思うけれど。精霊にとって十年は大した年月じゃないとしても、こちらで精霊が十年過ごすのはねえ。ぞっとしない」
精霊が帰りたがっても、入り口が閉まったら開かない。だからマルスランは十年出てこられなかった。ならば精霊も十年待つことになる。精霊の年は人間とは違い長生きなので、十年という時間でも気にしないようだが、人間の世界に十年精霊がいて何かをするかもしれないとなると、できるならば精霊の世界に戻したいのだ。
「執務はお任せください。どうかお気を付けて」
「悪いね、エダン。アンリエット、必ず戻ってくるからね」
再びマルスランが精霊の世界に閉じ込められるということは考えたくないが、マルスランは精霊を連れ、騎士と魔法使いと共に出発した。
精霊が奪った宝石については、誰が持っていたのかあっさりとわかった。医師を呼んで大騒ぎした貴族が、化け物に襲われたと騒いでいた噂が入ったからだ。メッツァラとの関わりがあった貴族なので、これから調査に入る。
もしも精霊が戻れないとなると、こういった事件が何度も起きるかもしれない。宝石を見つけてくれるのはありがたいが、騒ぎを考えれば、マルスランが精霊を送るのが一番の解決方法なのだ。
マルスランが出発すれば、いくつかの仕事は滞るが、減ることはない。アンリエットとエダンは変わらず忙しく働くことになった。
その間に両親は帰国した。シメオンに説得機会がないまま、シメオンも帰ってしまった。
そうして忙しくしている間に、マルスランはすぐに帰ってきた。頭の上に精霊を乗せて。
「伯父様……」
「やはり遅かったよ。帰せないから連れてきた。十年は見張っていないと。恐ろしいとしか言いようがない」
精霊に丸聞こえだが、特に気にならないようだ。何度か瞬いて、そのまま静かになった。
「もう癇癪を起こした後なんだ。疲れたみたいで寝たようだね。はあ、パルシネン家に補償を……」
何をしたのか、あまり聞きたくない。補償をしなければならないとなると、屋敷でも壊したのだろうか。
マルスランはその日から精霊を連れて執務をするようになった。放っておくと何をしでかすかわからないからだ。しかも、精霊は多くの人たちには姿が見えない。時折マルスランから離れると、食べ物や宝石が城でなくなることが増えて問題になった。精霊は食事が大好きで、光るものも大好きらしい。
マルスランはその度、精霊を説教する。
精霊は肩に乗っていたり、頭に乗っていたり、それはさまざまだが、もちろん周囲から見えるわけがない。そして、精霊から話しかけられて答える姿が、城の者たちの噂になった。
王が、空に向かって独り言を話している。
廊下で、誰もいないのに叱っている。
そんな噂が、聞こえるようになったのだ。
エダンは急いで、王は精霊を側に置いていると噂させた。
精霊の世界に十年閉じ込められたという話は皆が知っているため、すぐに納得される。
しかし、そうすると今度は、古い話が噂された。精霊に手助けされて魔物を倒した英雄の話だ。マルスランは英雄の生まれ変わりなのではないか。そんな話が囁かれはじめた。
「王だ。ここから見ると妙だな」
「伯父様。また、精霊にお説教しているのかしら」
廊下で一人、壁に向かって何か説いている。近くに寄れば、それはダメだよ。そういうことはしちゃダメなんだ。人間の世界にいる時は……、と小さな子供に叱るように説明をしていた。
「伯父様、今度はどうされたのですか?」
「ああ、アンリエット、エダン。すまない、また出かけなければならないかもしれない」
「どうされたのですか?」
「また宝石を見つけたようなんだ。そいつの首をもらってきていいのかと言うものだから、説教を」
「首は、まずいですね。証言が得られません」
冷静に返すエダンに、アンリエットは苦笑いしそうになる。
精霊はまたメッツァラが関わっていた宝石を見つけたようで、それを得るために持っていた者の首をもらっていいかマルスランに問うたのだ。ネックレスかイヤリングを着けていたに違いない。
最初に指を奪った精霊だが、前にも別の宝石を見つけ、マルスランに腕をもらっていいかと問うたことがあり、これで何度目のことか。
「今度は女性の貴族のようですわね。身元はお分かりですか?」
「まだわかっていないよ。また精霊と一緒にその人間を探してくる。はあ、もう最近出かけてばかりだ。申し訳なさすぎて」
「致し方ありません。その精霊は王にしか話しませんし、我々にはその精霊は止められません」
「悪いね、エダン。アンリエットも、本当に。ほんっとうに」
マルスランは疲れた顔をしているが、精霊は喜ぶように窓の外へ飛び立った。マルスランが、すぐには行かないよ! 待ちなさい! と追いかける。
その姿を眺めて、アンリエットは一抹の不安を覚えた。
「ねえ、エダン。彼女って女性よね」
「そうだろうな」
我ながら妙なことを言ったと思い、アンリエットは言い方を変える。
「伯父様に、結婚相手の話を持ってきたことが何度かあったじゃない?」
「あったな」
マルスランにはひっきりなしに、結婚相手としてどうかと話が入ってくる。エダンの知り合いからも、女の子を紹介したいという話が届いた。たいていの女性は年が若く、女の子と称する年の子も多い。
マルスランは、君と同じくらいの年、何なら年下を紹介された私の気持ちがわかるかい? と頭を抱えた。
そんな折、精霊が宝石を見つけ、その持ち主を探すためにマルスランは外出することになった。それからだ、精霊が出かけては、マルスランに宝石があったと報告するようになったのは。精霊がマルスランにしかそれを報告せず、他の者では見つけた場所や人を教えてくれないため、外出するのはいつもマルスラン。他の者たちがついていこうとすると、精霊は癇癪を起こす。
結局マルスランはその度一人で出かけ、精霊を連れて行った。
「まるでかつての英雄のように、精霊を妻に娶るなんてことはあるのかしら」
「……考えすぎだろう」
「そうよね。考えすぎよね」
「……そういうことにしておく」
「彼女の年齢、どれくらいなのかしら」
「……若い女の子、と言うほど若くはなさそうだが」
「そう見えるわよね。私よりは年上よね」
「……精霊の年齢だから、王より年上の可能性もある」
「……だったら、いいのかしら?」
「……どれほど年上かはわからないが」
「……」
しかしその宝石探しはその後も続き、マルスランはとうとうアンリエットに話があると言って、部屋に呼んだ。
「アンリエット、エダンにも話したのだけど、これを渡しておきたくて」
机に置かれた箱を見て、アンリエットはマルスランとその箱を二度見した。中に何が入っているのかよく知っている。前王が見せびらかすように机に置いていたからだ。アンリエットはその判を押してもらうために前王の部屋に何度も訪れて、頭を下げて判を得ていた。その内前王は飽きて、あろうことかそれを宰相に渡していたが。
「御璽だよ。こうも精霊に振り回されていると、有事が起きた時に対処できない可能性も出てくる。君に持ってもらうということは、君や、君の両親の意に反すると思うが」
「伯父様、ですが」
「前王と同じことをするとは私も思わなかったよ。けれど、精霊を放置することもできない。機嫌を損ねて、いつぞやのように全員を殺されてはたまらない」
いつぞや、メッツァラたち牢屋にいた者は精霊に殺された。彼らが精霊に殺されたことはわかっている。セシーリアにも会ったようで、その結果もう正気を保っていない。髪の毛を使われて何かされたのかもしれないとマルスランは言うが、その辺りは不明だ。
精霊が怪しげな宝石を見つけるのも、その関係だろう。今は別の意図もあるように思うが、最初は似たような物として奪っただけだった。
「ごめんよ。またすぐに帰ってくるから。戻ってくるまで預かっていてくれ」
「承知しました。どうぞ、お早いお帰りを」
「うん。いつも我慢させて悪いね」
マルスランは申し訳なさそうに言って、アンリエットにその御璽を手渡した。
精霊はいつも通り、マルスランの隣にいる。何度か人の姿になってアンリエットの部屋にやってきたが、もうマルスランとアンリエットを間違えることはなかった。アンリエットがマルスランの姪と知り、半身ではないと知ったからだ。
「では、失礼致します」
マルスランの部屋を出て扉を閉める途中、隙間から精霊が人の姿になったのが見えた。
赤い髪の、魅力的な女性。それがマルスランの机に羽を動かしながら座る。
(まさか、よね。考えすぎ、よね)
そう一人自分に言い聞かせて、アンリエットは御璽を持ったまま、自分の部屋に戻ることにした。




