46 説明
「朝から元気で良かったよ。昨日は疲れているようだったから」
あまりに浮き立っていたか、朝食を一緒にしていた父親に安堵した声で言われて、アンリエットは緩んだ頬を引き締めた。
朝食を家族一緒にすることを決めていたが、昨日のことを考えるとどうしても顔が緩んでしまう。しかし気を引き締めなければならない。両親にこの国に残ること、仕事を続けたいということ。それから、エダンと一緒にいたいということを伝えなければならない。
シメオンも同じ席についていたが、若干ぶすくれた顔をしていた。昨日はマルスランと何を話したのだろうか。まだ聞けていない。
シメオンはエダンとのことに反対するだろう。エダンと婚約など、そんな話はまったくしていないし、将来についてなどの展望などはまだ何も決まっていないが、執務を続けてエダンといることは話さなければならなかった。
デザートに口を付け、お茶を飲みゆっくりしはじめた頃、アンリエットは意を決した。
「お父様、お母様、お兄様も聞いていただきたいのです。私、伯父様のお仕事のお手伝いをしてきましたが、今後もお仕事を続けたいと思っているんです。ごめんなさい。言うのが遅くなってしまって。伯父様とはまだお話をしていないのですが、こちらに滞在したいんです。そこには、婚約者だったエダンもいるけれど、彼は誠実に接してくれているし、とてもうまくいっているんです」
一気に話し続けて、アンリエットは両親やシメオンの反応を待った。どんな反応をされても、説得するつもりで、それを待つ。一瞬、沈黙ができた。ごくりと唾を飲んで、喉を鳴らしそうになる。
「そう」
「そうかあ」
母親が言えば、父親も同じように続けた。
怒っているのだろうか。言い返す気力もないほどに。
そう思ったが、父親が神妙な顔をしてアンリエットを見つめ、大きく頷いた。
「好きになさい。アンリエットが選ぶことなのだから」
怒ってはいないのだと、小さく微笑む。それに安堵すると、隣で母親が紅茶のカップを置き、ニコリと微笑んだ。
「あなたに何かあったら、あとはないと思えと言ってあるのよ。当然だけれど」
(いえ、怒っているのかもしれないわ)
母親は、エダンを前にするシメオンのように、迫力のある笑顔を見せる。
マルスランには散々言ってきたので、戴冠式に会った時にまた何か言ったのかもしれない。だが一応は納得できていると考えて良いだろうか。アンリエットは自分に都合よく解釈した。そうであってほしい。
肝心のシメオンはと見やれば、ガタリと椅子を引いた。
「先に失礼します」
「お、お兄様」
「拗ねているね。あの子は」
「妹離れができていないのよ」
辛辣な両親の言葉を聞きつつ、アンリエットは両親に挨拶をして席を立った。今追いかけなければ、今度も話を聞いてくれそうにない。
「待ってください。お兄様!」
早歩きで去ろうとするシメオンの腕を掴んで、何とか足を止めてもらう。シメオンはやはりぶすくれたままで、納得がいっていない顔をしていた。
「お兄様、私は、今度は自分で選んだんです。ですから」
「お前が決めたことは続けるといいよ。けれど、許せることと許せないことがあるからね」
シメオンは眉尻を上げつつ、歪んだ微笑みを見せる。これは何とかしなければと説得を試みようとした時、急いだ様子でアンリエットを呼ぶ声がした。
「アンリエット様! 急ぎ王の執務室へお願い致します!」
「伯父様、何があったのですか!?」
執務室に急いで行けば、皆が顔色悪くアンリエットに振り向いた。執務室にはエダンや宰相だけでなく、騎士団長がいる。なぜこの部屋に騎士団長がいるのか。マルスランに視線を変えれば、マルスランはため息交じりで説明をくれた。
牢で、メッツァラが死んでいた。今回の関係者、特に製造に関わっていた者たちの死亡が確認されたのだ。
「宝石作りの研究を行っていた魔法使いもだよ。困ったねえ」
「では、牢を守っていた兵士たちも」
それだけの腕を持つ者が牢に忍び込んだとしたら、兵士たちの犠牲は避けられないだろう。アンリエットが悲壮な顔をして問うと、マルスランは首を振った。
「いや、そっちは無事だよ。異変に気付いて行った時には、もう皆死んでいたそうだ。朝食事を与えて、その後目を離した隙に」
「どうやって、誰がそのような。何のために。口封じとかでしょうか?」
「いや、ふっつうに私怨だね まったく困ったことをしてくれたよ。クライエン王国との兼ね合いもあるから、調べが終わるまで死なれると面倒だというのに」
マルスランは、もう少し待てなかったかなあ。とぼやく。
刑の執行などもなく、惨殺されてしまった。それを淡々と話すマルスランに、少しばかり背筋に寒気が走る。アンリエットには犯人に思い至るものがいた。
「犯人の想定はできているのでしょうか?」
「精霊だね」
アンリエットの問いに、マルスランは即答し、肩をすくめる。
やはりそうか。あの牢は厳重で、簡単に人が入り込める場所ではない。ましてや、兵士が無事な状態で、しかも気付かれることなく殺すには、普通の人間では難しい。
牢の番人たちは全員無事で、異変に気付いただけだ。それには安堵したが、宝石の製作についての調査が難しくなる上、真実を語られることはなくなってしまった。クライエン王国とどのような関わり方をして宝石を作っていたのか、それはまだ明らかになっていなかったからだ。
「あの、セシーリアは、彼女もでしょうか?」
「いや、関わっていたとはいえ、製作には関わりないから、殺されることはなかったみたい。だけれど、」
「だけれど?」
「ちょっと、様子がねえ」
マルスランがエダンと顔を見合わせる。エダンは、精神を病んだ可能性があると淀みなく言った。
「男女別の牢とは言え、騒ぎは聞こえていたかな。その後、脅されたのかもね。それとも髪を使ったかな。怯えてぶつぶつ言って奇声あげて、まともに話ができないそうだよ。セシーリアは自分が知っていることはペラペラと話してくれたから、証言については問題ないけれどね。どちらにしても罰は重いし」
セシーリアは恩赦を願って多くを語ったが、それが本当か嘘かは正確性に欠けていた。人から聞いたことなど噂話も含まれているため、時折嘘も混じっていた。それもあり、セシーリアの証言は確実性がないとみられた。セシーリアの話を聞いても、事件の真相はわからないと判断されたのだ。
そして、王女を語った罪は重い。刑は決まっている。それがいつ執行されるのか、決めるだけだったのだ。
「まいったねえ。とにかく精霊を探さないことには。けれど、変に刺激すると影響が出るから、どうにもできないんだよね。精霊の姿を見れる者も限定されるし」
魔力が強い者でなければ精霊の姿を捉えることはできない。もしくは精霊がわざと姿を現す時だけ。兵士たちの中に白い光を見た者はいなかったため、城内で目撃情報はないか探すくらいしかできない。しかも探してもどうにもできないのが問題だ。
「ひとまず、見つけ次第、私に報告かな。間違っても手を出さないように。刺激しないように。即座に報告だけを徹底して」
マルスランの命令に、騎士団長が急いで出ていく。精霊がどれほど恐ろしく、常識が通じないかは、マルスランがよく知っている。
「ちゃんと罰するからって、説得したつもりだったのになあ。甘かったよ。君たちも見かけたら話しかけずにすぐに私に伝えてね。特にアンリエット、あと妹とシメオンか。また半身だ何だと言って、ちょっかいかけてくる可能性もあるからね。気を付けるんだよ。二人にも伝えておいてくれ」
「わかりました」
今すぐ伝えると、アンリエットは急いで部屋を出る。
討伐の後、まだ精霊の世界の入り口は開いていたが、精霊の働きもあり、マルスランの強さも相まって、早い段階で討伐を終えられた。あとは領地の騎士や魔法使いたちが対処できると、王宮の討伐隊は撤退したわけだが、精霊の入り口が閉じたことを確認したわけではない。
マルスランが言うには、何日かは空いており、それが一日なのか一ヶ月なのかはわからないとのことだった。精霊の気分次第なため、その辺りははっきりしていないそうだ。
マルスランが閉じ込められた年は、入り口が閉じるのが早かった。運がないとぼやいてはいたが、運で語るには長い時間を過ごすことになってしまった。だが、今回はどうなのだろう。
「大変な一日だったわね」
結局城中を探したが、精霊は見つからなかった。面倒なのは、見れるものと見れない者がいるということだ。急いで母親とシメオンにも伝え、アンリエットも捜索に関わったが、見つけることはできなかった。マルスランはもう帰ったのかもしれないと諦め気味だった。
どちらにしても、捕えることはできない。殺したかどうかの確認ができるかどうかだ。
「半身だと言われて、連れて行かれないようにと言われても、よね」
アンリエットは自分の部屋の窓を開けると、ひとりごちる。
そんな注意をされて、母親とシメオンも困り顔だった。とにかく声をかけられたら、半身がいないと話ができないとでも言い訳を言って、精霊をマルスランの元に連れていくしかなかった。
エダンとゆっくり話すこともできなかった。両親たちに話したが、シメオンには納得してもらえなかったことを伝えたかったのだが。明日またシメオンの説得にかかるつもりだが、聞いてくれるのか、心配だ。
「はあ、お兄様が心配してくださっているのはわかっているのだけれど」
『おい。お前』
「きゃっ! え!?」
いきなり目の前にひっくり返った赤髪の女性が現れて、アンリエットは悲鳴を上げそうになった。かろうじて上げなかったのは、それが人間ではないとわかっていたからだ。
精霊。しかも、人の姿をしている。




