34 失敗
(何が、言う通り置いてきた、よ。何も起きていないなんて)
ユリアナの言葉にほくそ笑んでいたら、次の日アンリエットが笑顔でドロテーアに挨拶をした。夜、屋敷が騒がしかったように思えたのは、アンリエットの行方がわからないからなのだと思っていたのに。
ドロテーアは馬車の中で、窓の外を眺めながら昨夜のことを思い出す。
馬に乗った者たちが敷地の外へ出ていくのが見えて、アンリエットを探しに行くのだろうと思っていた。ユリアナが報告をよこしてから少し経ってからのことだったからだ。
スファルツ王国の王女が帰国をごねたらしく、夜の出発はないと知っていた。だから部屋でもっと大きく騒ぎになるのを待っていたのに、そんな気配もない。きっとまだ見つからないのだろうと就寝したら、
(怪我も何もないなんてこと、ありえないもの。ユリアナは私に嘘をついたのね)
朝になり、王女が帰国するためそれを見送って、ドロテーアもシーデーン家の屋敷を出ることになった。ヴィクトルが帰ってしまったからだ。共に帰ろうと思ったのだが、ヴィクトルは急ぎの仕事ができたからと、王女を送ってすぐに屋敷を出ていってしまった。
そこにアンリエットもいたことが許せない。彼らは常に行動を共にしている気がする。
アンリエットは当たり前のように馬に跨り、ヴィクトルの側に控えて屋敷を後にした。その後ろ姿を見ているだけで、歯噛みしたくなる。
ユリアナがドロテーアの言葉に従わなかったから、アンリエットは未だ側にいるのだ。
(今後、あの子と付き合うことはないわね)
あの道のことは、父親の書斎にあった資料で知った。
アンリエットが王太子代理であった頃、父親に煮え湯を飲ませたという話を知るために、メイドに調査を命じていたのだ。どんなことをされたのか、どれほどの屈辱を受けたのか、知っておきたかった。
それで見つかったのは、シーデーン家への多額の投資。裏帳簿にはそれが記されていて、シーデーン家に長年何かしらの援助をしていたことがわかった。そして、書類の中に、国境を越えられる、秘密の道が記された地図があった。
物品を運ぶのに使用していたようだ。その道の先には魔物が住んでおり、どの魔物がどの辺りに住んでいるか、事細かに記されていた。魔物の狩場にも使っていたのかもしれない。
だから、思ったのだ。夜ならばきっと魔物は徘徊しているだろう。そんな場所に置いていかれたら恐ろしい。そうユリアナに仄めかしたら、ユリアナはその通りにアンリエットを連れて屋敷を出て行ったのだ。
(ユリアナはどうして私があの道をどうして知っているのか、疑問だったようだけれど)
それだけ大事な道なのだろう。それは正規の道ではないため、違法に作られた道だ。だが、それ以上のことを追求する気はない。すべてを正して生きていくのは、貴族にはとても難しいことだ。殊に、父親のように身分の高い家門の当主からすれば。だから、ドロテーアは見ぬふりをするべきだ。
父親は何をしているのか、知ってしまっては後戻りができないため、その書類はすぐに書斎に返すよう命じた。だから誰にも気付かれていない。ユリアナもドロテーアに聞く真似はしなかった。はっきりさせる問題ではない。全てが暗黙の了解。ユリアナは顔面蒼白になりながら、どうやってアンリエットを誘い出そうか考えたことだろう。
(本当にやるとは思わなかったもの、結局しなかったのでしょう。だからって、それを私のせいにして行ったことにするなんて、何て子なのかしら。それに、やるならばしっかり終わらせてほしいわ)
結局、アンリエットには何事もなく、ヴィクトルと屋敷を出るのを眺める羽目になってしまった。
「あの、姉上」
「ドロテーア様と呼びなさいと言っているでしょう」
どうしてこの男と馬車を同じにしなければならないのか。
前にいる私生児のフランは、いつも以上に怯えた顔をしてドロテーアを見上げた。そのおどおどした態度が気に食わない。貴族としての矜持を持たないのならば、親のない平民として物乞いでもしていればよいのだ。
蔑んだ目で見遣り、顔を見ないように窓へ視線を戻す。
「姉上が行ったことは、殿下は気付いていらっしゃいます」
いきなり言われた言葉に、ドロテーアはカッとした。震えて青白くなったその頬に、勢いよく手のひらを振り下ろす。
「あなたが有る事無い事言ったのではないの!?」
フランの顔に真っ赤な手の跡が残る。触れたことが気持ち悪くなり、ハンカチでその手を拭った。
フランは震えたままだ。怯えるくらいならば黙っていればいいだろうに。気分が悪くて仕方がない。だがフランは、まだ何か話したいと、声を震わせて言葉を紡ぐ。
「事態は、姉上の所業だけで済みません。覚悟なさっていて下さい」
「まあ、何のことを言っているの? 私に何の説教を? ヴィクトル様の側に置かれたからと言って、立場が上がったとでも思っているのかしら。お前は私生児なのよ。お父様に屋敷に住まわせていただいている身なのだから、態度を改めた方が良いでしょう」
「姉上……」
「ドロテーア様と呼びなさい。私はあなたの姉ではないわ」
はっきり言ってやれば、フランは口を閉じた。最初からそのようにしていればいいものを。
馬車はベンディクス家の門に近付き、馬が足を止める。御者と門兵が何かを話しているか、一向に先に進まない。何をしているのだろうか。
間を開けて馬車は動き出す。
御者と門兵が世間話でもしたのだろうか。
「あ、姉上」
だから、ドロテーア様と呼べと、口にしようとした時、窓の外の異様な光景にドロテーアは唖然とした。
「なに? どこの騎士?」
屋敷の前に騎士たちが並んでいる。王宮の騎士だ。
「何があったの」
屋敷の執事が迎えに出てきたが、それだけ。執事は真っ青な顔色をしている。
「お嬢様、とにかく、お部屋へ」
「お帰りなさいませ。ベンディクス令嬢」
階段の上から呼ばれて、ドロテーアは眉を寄せた。ヴィクトルの執務を手伝う、補佐のトビアスがゆっくりと階段を降りてくる。
どうしてここに、問う前に、トビアスが執事を横目で見遣る。執事はすぐに下がって口を閉じた。
(何なの?)
「どうぞ、こちらへ」
「説明が欲しいわ。ヴィクトル様ならば、先にお帰りになったはずなのだけれど。あの方がこちらに寄ったのかしら?」
「殿下はお忙しい方ですからねえ。私が参った次第です」
だから、それは何の用なのだ。トビアスは細めにして笑うだけで、ドロテーアに部屋へ入るように促した。部屋にいたのは両親で、他に王宮の騎士が扉を守っているのに気付いた。
「お父様、お母様、これはどういうことでしょうか」
「私から説明させていただきますね。シーデーン家当主が違法な宝石を売り捌いており、それをご購入された形跡がございました。危険があるかもしれないので、こちらで待機していただいているのです」
「どういうこと?」
父親は顔を歪め、怒りを抑えきれないような形相をしている。母親はよくわかっていないと、何度も父親を見てはトビアスを見遣った。
「スファルツ王国王太子殿下暗殺に使用された宝石に、シーデーン家当主が関わっている可能性があるので、売られた宝石を全て回収しているのですよ」
「あ、暗殺!?」
「あくまで可能性の話です。ただ、」
トビアスは片眉だけ上げて、ちらりと横目で父親に視線を流す。
「ただ、ベンティクス家当主が多大な投資をシーデーンに行っていたので、少々、確認に時間が掛かることとなっております」
多大な投資。ドロテーアも知っている、巨額の援助だ。
事の重大さに、足元が震えるような気がした。
「私は知らん。援助は新しい事業への投資のためだと言っているだろう! 大体、なぜ私が隣国の王太子を殺さなければならないのだ!」
「申し訳ありません。事が事ですので、王の命令で宝石全てを集めたいのです。この屋敷には、いくつかの宝石を売っているようですからね。危険な宝石がこの屋敷にあっても困りますから。ですので、これから外出はお控えください」
トビアスは騎士たちに目配せして部屋を出ていく。騎士たちも部屋の外に出たが、扉の前を守るのだろう。この部屋に閉じ込めて、屋敷内を調べるのだ。
「どうして、そんな。何かの間違いではないのですか!?」
「うるさい! 王め、許さんからな。私の屋敷を勝手に調べるなど、許されることではない! 宝石を購入しただけで、暗殺だと!?」
「あなた。ですが、危険な宝石と言うではないですか。ここは静かに従うしかないのでは、」
「危険なことなどあるか!! ドロテーア! シーデーンの屋敷で何があった!」
「な、何もありませんわ」
「シーデーン令嬢が、姉上の指示で、デラフォア令嬢を地図に載ってない国境を越える道に置き去りにしたのです」
フランの言葉に、ドロテーアはギョッとした。今までの仕返しのつもりか。こんな時に告げ口をするとは。
「な、何を言っているのよ。私は知らないわ。お父様、こんな私生児の話など聞かないでくださいませ」
「地図に載ってない、国境を越える道だと……?」
「シーデーン令嬢が、魔物をおびき寄せる宝石を使い、デラフォア令嬢を亡き者にしようとしたため、殿下が宝石の売買について一斉に捜査をすると、王に確認されるとおっしゃっていました」
「魔物をおびき寄せる? 何の話?」
そんなこと、ドロテーアは知らない。フランは何の話をしているのかと思ったが、父親の真っ赤になった顔が、途端血の気の引いた顔に変わったのを見て、何か間違えたのだと察した。
「それから、なぜ姉上が地図に載っていない道を知っているのか、それも調べる予定だと」
「嘘よ! なぜ、私がそんなことに巻き込まれなければならないの!? シーデーン令嬢が勝手に行ったことでしょう!? 私は何も知らないわ!」
ぺらぺらと、フランは何と余計なことを言うのか。それに、ドロテーアも知らないようなことを、なぜフランが知っているのか。フランを睨みつければ、バチン、と顔に衝撃が走った。
「きゃあっ」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。頬がじんじんと痛み出す。平手打ちをされたとわかり、その手の先を見上げた。
「お前だったのか」
「お、お父様?」
「書斎に侵入したのは」
「あ、わ、わたしでは」
「うるさい! 書斎の前でうろついていたのは、お前付きのメイドだ! お前は、何てことをしでかしたのだ!」
「お父様、何かの間違いですわ。シーデーン令嬢が勝手に、」
「お前がここまで役立たずだったとは思わなかったわ! ヴィクトルの婚約者にも選ばれず、着飾るだけで王太子妃気取り、実も結べず、ただ遊び歩いている分際で!」
父親の激昂に、ドロテーアただただ呆然とした。そんな暴言を浴びせられたのも初めてで、何が起きているのかも理解できない。
母親は涙を流している。フランは全て理解していると口と目をギュッと閉じていた。父親だけが荒れて、机の上の花瓶を勢いよく叩き落とした。
ほんの少し、嫌いな女を痛めつけるだけだった。死んでも構わないと思っただけで、行ったのはドロテーアではない。
だが、その言葉だけで、すべてが終わりに近付いたのだと、ドロテーアはやっと気付いたのだ。




