3 町
「お、お兄様? そんなに使わないと思うのですけれど」
「まだこれしか決めていないだろう? 父上も母上も、できるだけ揃えるように言っていたじゃないか」
「そうですけれど。そんなに着ないと思うわ」
「何を言っているんだ。これから屋敷で過ごすのに必要だろう? 屋敷内で着る物だけではなく、外出着も必要だし、パーティ用のドレスなども」
兄のシメオンがドレスのカタログを広げて、あれやこれやと店の物に注文をつけた。
城でもそんな多くのドレスを持っていなかったのに、何着も注文するのだから、アンリエットも困ってしまう。
店の者は、今スファルツ王国で流行しているドレスや、最近女性に何が好まれているのかを教えてくれる。それにのってシメオンが注文をつけるので、何着作らせる気なのかと心配になってきた。
「お兄様、本当にほどほどに」
「そうか? なら、次はアクセサリーだな」
店を変えて次は宝石店だ。宝石の類はよくわからないな。と言いながら、まずは瞳に合った物を揃えようと、暖色系のアクセサリーを見せるように伝える。アンリエットの瞳はシメオンと同じ琥珀色だ。ドレスも瞳に似合う物を何着か頼んだので合わせたいのだろう。
城ではアクセサリーは程々にしか着けなかった。仕事をするのに着飾っていても仕方がない。ある程度の装いはしていても、重要な来客が来ない限りは気持ち程度にしていた。
(おじい様に嫌味を言われることもあったものね)
エダンからもらったネックレスと指輪を着けていれば、何の役にも立っていないのに金ばかり使うのかと叱られたのだ。元々贅沢などしていなかったが、注意を受けてそれ以上に気を付けるようになった。
そのせいと言うわけではないが、せめてネックレスはした方がいいというマーサの言葉に従い、小さな石がついているネックレスを身につけていた。
(そうね。あれくらい小さくて、邪魔にならない程度の)
アンリエットの前には出されない、小さな石をあしらったネックレスを見遣ったが、小さすぎてもマーサが困ったようにしたのを思い出して、見るのをやめる。王太子の代わりなのだから、それなりに装わねばならないのに祖父が口うるさく言うので、マーサも大変だっただろう。
「これはどうだろうか? よく似合うと思うんだ」
「とてもお似合いです! お嬢様にはこちらなどの宝石が散りばめられたものも」
「お兄様、そんなに買われても、着ける機会がありませんから」
「だが、これもいいだろう? アンリエットは何でも似合うな」
笑顔で言われて、アンリエットが恥ずかしくなってしまう。こんなに素直に感想を言う人だっただろうか。八歳の時、シメオンは十二歳。エダンと同い年だが、初めて会ったエダンより子供っぽかったかもしれない。離れ離れになる時は、涙を溜めて追いかけてきてくれた。
そんな兄も王宮では騎士団に入っており、副団長を務めていると聞いて驚いてしまった。
アンリエットは知らなかったが、家族からのアンリエット宛の手紙は届いていなかったのだ。アンリエットも手紙を送っていたのに、両親たちには届いていなかった。そんなことも知らず、一人悲しんで、そのうち王太子の仕事に忙殺した。
アンリエットの扱いがどれほどだったのか、両親はまだ詳しく聞いてこなかったが、手紙の件で母親の激怒は最高潮に達していた。
「うーん。母上が来られれば良かったが、おじい様に恨みの手紙を綴るからと言って、部屋に閉じこもってしまったからな」
「あはは」
母親はスファルツ王国への抗議だけでなく、伯父の娘という女性の素性をすぐに調べさせると言って、使いを出していた。伯父マルスランが行方不明になった時、妹である母親もクライエン王国に協力してもらい、あちこちを探したそうだ。それでも見つからないままだったのに今さら亡くなっていたとあれば、どうしてそうなったのか経緯も知りたいのだろう。
伯父は当時魔物討伐に出ていた。その年は特に数が多く、地方の騎士団では対処できないということもあり、伯父が討伐の指揮を執っていたのだ。伯父がいた場所に魔物が多かったわけではない。戦いに身を置いても唯一の後継者。危険は避けていたはずだった。しかし、森に入った後、忽然と姿を消してしまったのだ。
死体が見つからなかったため、魔物に殺されて食べられてしまったのではないか。それ以外に考えられることは、自ら行方をくらましたということになるが、兵士たちや魔物のいる場所で姿を隠すのは容易ではない。殺されたのか、逃亡したのか、他の理由があるのか、行方はわからないまま。最終的に亡くなられたのだろうということになった。
しかし、王である祖父はその事実を受け入れることができず、行方不明としたまま、アンリエットを城へ招いた。いつか必ず帰ってくるはずだと言って、王太子の代わりにするために八歳の少女を親元から引き離したのだ。それで用無しと追い出したのだから、両親の恨みはアンリエットが思うより強いのかもしれない。
「あとは靴や帽子だな」
「お兄様、今日はその辺にして、町を案内してくれませんか? 久しぶりの町なので、様子を歩いて見たいのです」
シメオンが次の店だと立ち上がるのを慌てて止めて、気晴らしに散歩をしないかと提案する。何度もドレスを試着しただけでなく、アクセサリーを端から見ていたため、さすがに疲労が溜まっていた。
それに町を見たいのは本音だ。久しぶりに戻ってきたのだから、クライエン王国の都を見学したい。
「それもそうだな。少し歩こうか。荷物はデラフォア家に送っておいてくれ」
とりあえず買い物は終了だ。それに少しだけ安堵して、アンリエットはシメオンと町を歩くことにした。リノンのさした日傘を、シメオンが持ってくれる。メイドのリノンや騎士も連れているが、後ろから離れてついてきていた。
デラフォア家。父親の家門は王女の嫁ぎ先となるだけあって、クライエン王国でも名門貴族として名高い。騎士たちがつくのは当然だ。が、スファルツ王国の時より多い気がする。
「ずいぶん騎士の方を連れて行くのですね」
「おじい様の気持ちが変わっては困るからな。お父様の提案だ」
「あ、そういう」
「当然だと思うよ。おじい様に振り回されてきたんだ。またよこせと言われたらたまったものじゃない」
それはアンリエットにも同感だ。突然やってきて、前の話は無かったことにしたいと言われても、頷くことなどできない。
けれど、もしエダンに帰ってきてほしいと言われたら。
そう考えて、アンリエットは唇を噛み締めた。やはりアンリエットがいいと言ってくれると思っているのか? エダンは、昨日の今日で別の女性をエスコートするような男性だ。
早く結婚したいと言ったのも、早く王族の仲間入りをしたかっただけにすぎなかった。
わかっていたが、それでも考えてしまうのは、エダンと共有する時間が長すぎたからだろうか。また気が変わるような人と一緒になどいられない。そう思っていても、後ろ髪を引かれてしまう。
「帰りたいかい?」
「――――いえ。私の家はここですもの」
アンリエットは考えまいと顔を上げた。エダンは王女と結婚したかっただけで、誰でもよかったのだ。アンリエットでなければならない理由など、彼にはなかったのだから。