15 気持ち
「なんてことしてくれたんですか!」
シメオンの大声に、ヴィクトルは耳を塞いだ。
「そう怒るな」
「怒りますよ! 家族全員で厳戒態勢だったのに。余計な真似を!」
「お前、妹が帰ってきてから、性格が変わっているぞ」
「話を逸らさないでください!」
シメオンが怒っている理由はわかっている。パーティでのダンスの件だ。婚約者候補がいる目の前でアンリエットを庇い、なおかつシメオンの後にダンスを申し込んだ。婚約者候補とも踊らず、最初のダンスの相手として、アンリエットを選んだ。
周囲がどんな噂をするのか、想像しなくてもわかる。デラフォア夫人が茶会でヴィクトルとの婚約などないと、笑い話にしていたという話も聞いた。それなのに、アンリエットだけとダンスしたのだ。
(今頃、皆が知っている話になっているのだろうな)
アンリエットは、婚約者候補を断る理由に使われたと思っているのだろう。子供をあやすように、ヴィクトルと踊ったのだから。
そんなに嫌なのですか? と言わんばかりだった。
なんなら、仕方ないですね。とでも言いそうだった。
(ダンスに誘って、あそこまで意識されなかったのは初めてかもな)
「聞いていらっしゃるのですか? 殿下、妹はスファルツ王国で辛い思いをしたのです。妹に興味がないのならば、」
「興味はあるぞ?」
「は?」
「興味はあると言っている」
「ま、まさか……」
シメオンが間抜けな顔をしたと思えば、途端顔を青ざめさせる。最近シメオンのイメージは狂いまくりだ。いつもシメオンの噂をしている女性たちに、この顔を見せてやりたくなる。
青ざめたまま抜け殻のようになったシメオンは放っておいた。そのうちぶつぶつ言い始めたので不気味である。
(アンリエットに興味がないと思うのか?)
興味はある。出会った当初からそうだった。どこの誰か調べたいくらいには気になっていた。
執務を同じにするようになって、その真面目さに驚き、聡明さに感心した。
ヴィクトルの前で、恥ずかしがることなく、視線を逸らさずに自分の意見を口にする。意思のある女性。今までに会ったことのない女性だ。
フランと一緒にいるところを見ただけで、なぜか焦燥に駆られた。
パーティでの美しさに目を奪われていれば、ドロテーア親子に絡まれていて、助け舟を出したつもりだったが、
「俺の出る幕ではなかったな」
前向きな女性。嫌味を嫌味と捉えず、裏表なく返答する。
あの性格で王太子代理としてよくやってこられたなと思う反面、それが好ましかった。王太子代理は王に認められることはなかったが、地方の貴族や民からは評価が高い。むしろあの性格だから、前に進めたのだろう。
ダンスを誘ったのは、シメオンの後を狙う男どもが多かったからだ。
だから割り込む形でアンリエットをダンスに誘った。シメオンはヴィクトルに気を取られ、気付いていなかったようだが。
自分の妹がどれだけ魅力的なのかわかっているならば、ヴィクトル以外も気にしたらどうなのか。
それにしても、と思う。
気になるのはベンディクスだ。アンリエットを嫌な目で見ていた。婚約の噂を聞いていただけならば、あそこまであからさまな視線は向けないだろう。他の令嬢たちにあんな目を見せたことはない。
ヴィクトルが声をかける前から、やけにアンリエットを敵視しているように感じた。
(ベンティクス家は叩いても出てくるものが少ないからな。もう少し深い場所で調査を行うしか)
廊下を歩いていれば、後ろ姿だけでヴィクトルの心が浮き立つ。
アンリエットだ。
「アンリエット嬢、」
呼んで近付こうとすれば、柱の後ろに男の姿が見えた。またフランと一緒にいる。
それだけで、胸の中に苛立ちが募った気がした。
(はは。落ち着け)
男と一緒にいるくらいで、自分の恋人でもないのに苛立つなど、身勝手にも程がある。
醜い嫉妬だ。
だから気付くのだ。この苛立ちは嫉妬だ。ヴィクトルはアンリエットに興味があるだけではない。
アンリエットが好きなのだ。
その言葉がすんなりと胸の中で落ち着いた。苛立つ理由など、それしかなかった。
アンリエットとフランはヴィクトルに気付いていない。
二人の面持ちは真剣で、アンリエットがフランを気にしている。
(様子がおかしい。何かあったのか?)
「殿下?」
アンリエットが気付くと、背筋を伸ばしながら、一歩前に出た。さりげなく、フランを背に隠したのだ。
苛立つなと思いながら、ムカムカが胸の中に広がっていく。何を庇う理由があると言うのか。
「どうかしたのか?」
「体調が悪いそうなので、少し休まれていただけですわ」
「も、申し訳ありません」
フランの顔色は青ざめている。だが、その理由ならばフランを背に隠す必要はない。アンリエットが隠したい理由があるのだ。そんなことで苛つくなと再度自分を抑えて、すぐに気付く。フランの体重のかけ方が普段と違った。
「足をどうした」
「あ、いえ、」
後ろに下がろうとすると、一瞬顔をしかめる。ヴィクトルはフランの細い足に手を伸ばして、無遠慮にズボンの裾を上げた。
「いっっ!」
「これはどうした?」
フランのふくらはぎに包帯が巻かれていたが、血が滲んでいる。
フランは口を噤んだが、言わないでも想像がついた。ベンティクス当主か、娘のドロテーアの仕業だろう。
「はあ、治療室へ行くぞ」
「えっ。殿下!? うっ」
フランの腕を自分の肩にかけてやったが、身長が低すぎて逆につらそうに声を上げた。
「おぶってやった方がいいか?」
「いえ、だ、大丈夫です。申し訳ありません」
「謝らなくていい。その必要はないから、そんな怪我をさせられた理由を教えるんだな」
「それは」
「殿下、まずは治療室へ参りましょう。衆目がございますので」
アンリエットが小声でささやく。メイドが通り、何事かと近付いて来ようとしていた。フランは自分で歩けると、礼を言ってゆっくり歩き始める。
家に帰るわけには行かず、書庫で過ごすつもりだったのだろう。そこでアンリエットに会ったのだ。方向から元々治療室へ行くつもりだったようだ。
我慢して歩いて、休憩して、それをアンリエットが隠していたわけだ。
私生児が父親と姉に虐待を受ける。それを表沙汰にしても、フランの立場は変わらない。むしろ噂が立てば悪くなるだけ。
(下らない嫉妬をしたな)
自分の想いに気付いた途端、急に嫉妬深くなっている。それに羞恥して、ヴィクトルは普段通り前を歩いた。後ろからアンリエットとフランがついてくる。これで良かったのだ。
「ひどい傷だな。手当てもしなかったのか」
ふくらはぎは傷だらけだ。みみず腫れになっていたり、皮膚が裂けていたりしている。明らかにムチで叩かれた跡だった。
「傷は拭ったのですが」
治療室で治療をさせてから、別室で話を聞くことにしたが、最初フランは誰にやられたか口にしなかった。ならば、父親か娘に直接聞くが、と半ば脅して、口を割らせた。
やったのは、ドロテーアだった。
「僕が悪いのです。ドロテーア様に屋敷でお会いして、ぶつかりそうになってしまい」
「それだけで、ですか?」
「機嫌が悪かったようです」
「ベンディクスは知らぬのか?」
フランは沈黙する。知っていても、止めはしないか。
「聞いている話では、ベンディクス家を継ぐということだったが」
「そんな。今は勉強をさせていただいているだけです。僕なんかが当主なんて。おそらく補佐など、雑務をさせていただけるかどうかというだけです」
「わかった。とにかく怪我を治せ。傷の治療はここで毎日行うように」
「ありがとうございます」
「殿下、申し訳ありません。フラン様の事情でしたので、私がお話しする話ではないと判断いたしました」
部屋を出て二人になれば、アンリエットがいきなり頭を下げてきた。その姿を見て、自分が恥ずかしくなってくる。ヴィクトルに対し、秘密にしたことを詫びたのだ。
「頭を下げるな。気にしていない」
アンリエットはそれでも頭を下げている。黙ったまま、深く詫びるのだ。フランのために。
アンリエットが秘密にしたのは、フランの名誉を守るためだった。わかっている。
それでも、フランを守ろうとしたことに妬くなんて。
(まったく。そこまで彼女を気に入ったか)
気に入ったでは済まない。もうとっくに惹かれていた。
「顔を上げてくれ。アンリエット嬢。君のことは信じているし、疑うこともない。そう簡単に首を垂れたりするな」
「殿下、」
「感謝もしなくていい」
アンリエットが口にする前に、ヴィクトルはきっぱりと言い放つ。アンリエットが困惑するような表情を浮かべた。
「怒ったわけではない。いや、怒ったが、そのことで怒ったわけではない」
感謝も詫びもいらないのだ。無理な願いとわかっているが、対等でいてほしい。
「はっきり伝えておく」
ヴィクトルはアンリエットの瞳をじっと見つめた。この視線を独り占めにしたい。気持ちに気付いただけで、そこまで思うようなるとは。
「先ほどは、君がフランを守ろうとしたことに妬いただけだ」
「え……?」
「君が誰かといると、俺の心がかき乱されることを、覚えておいてほしい」
アンリエットがシメオンのようにポカンと口を半開きにした。その顔ですら愛らしいと思ってしまうのだから、病気だ。
「無論、君には事情があって、多くの辛い思いをしてきたことは理解している。すぐに答えをくれと言っているわけではない。だが、俺が君を好ましく思っていることだけは、知っておいてほしい」
ヴィクトルの言葉に、アンリエットの白皙の肌が、みるみるうちに赤くなっていった。
(ああ、その顔は反則だな)
せめて意識はしてほしいと思うが、アンリエットは今後どんな態度をしてくるだろう。
そんな意地悪なことを考えながら、その顔を眺めていた。




