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2 帰宅

「アンリエット!」

 クセのある金髪をした男性が、馬車の前で走って迎えにきてくれた。幼い頃の顔を思い出して、その男性が誰なのか気づく。兄のシメオンだ。立派な青年になっていて、子供の頃の面影がなければ誰だかわからなかっただろう。


「お兄様。お久しぶりです」

「無事に戻ってきてくれて嬉しいよ。母上も父上も、首を長くして待っていたんだ。お前からの手紙を読んで、父上が飛び出そうとするのを押さえてね。母上は激怒していて、実の父親を呪う勢いだったよ」

 兄のシメオンはウインクをして笑わせてくれる。子供の頃から優しかった兄は変わりないようで安心した。屋敷の前で待っている両親に顔を向ければ、母親が涙をこぼしそうな顔をして手を伸ばした。


「お母様!」

「お帰りなさい。アンリエット。まあ、こんなに大人びて」

「素敵な女性になったな。会いたかったよ」

「お父様」


 久しぶりに見る両親は記憶と違い、少しだけ年老いたように見えた。それもそのはずか。長い間会っていなかったのだから。

 両親はアンリエットを抱きしめてくれる。離れていた時間を補うように。


「こんなくだらないことのためにあなたを利用したことは、永遠に許さないわ」

 三人で抱き合っていると、ぽそりと母親が呟く。怒りに満ちた言葉に隣で父親が大きく頷いた。


 両親はアンリエットがスファルツ王国へ行くことをずっと反対していた。断ることができなかったのは、スファルツ王の後を継ぐ者が本当にいなかったからだ。王妃の外戚はいても、王の血縁者がいない。両親は憤りながらもアンリエットを送らなければならなかった。

 それなのに、孫娘が現れたからと、アンリエットを用済みとして返したのだ。まるで物のように。両親が怒りを持って当然のことだった。


「とにかく、家に入りましょう。アンリエットも疲れているんですから」

 シメオンの言葉に両親がやっと相好を崩すと、アンリエットの帰宅を喜んで迎え入れてくれた。

 十年近く離れていた我が家だ。アンリエットの記憶に残る屋敷とは微妙に違いながら、けれど同じところを見つけて、涙が出そうになる。


「母上が急いで人を呼んでドレスなども揃えさせたからな。部屋は整えてあるけれど、幼い頃の物がそのままだから、驚くかもしれない」

「まあ。嬉しいわ。お母様、ありがとう」

「あなたの身長に合わせて、家具なども揃え直しましょうね。ドレスは明日にでも新調しましょう。サイズがわからなかったから一通り集めただけなのよ。今日は疲れているだろうから、一緒に食事をしたら、ゆっくりしなさい」


 スファルツ王国からクライエン王国まで馬車で数日かかる。早馬で届けた手紙のおかげで、父親の騎士団が迎えにきてくれた。そのため一人で危険を感じながら馬車に乗って帰ることもなくなった。安全に戻ってこられた分疲労は少なかったが、それでも長時間馬車に乗る疲れはある。アンリエットは母親の言葉に頷いて、食事だけ共にして部屋で休むことにした。


 両親と兄と、家族水入らず。十年ぶりの団らんだ。

 三人はアンリエットにスファルツ王国の話を聞くことはしなかった。疲れがあるため気を遣ってくれたのだろう。その心遣いが嬉しかった。


「本当に部屋をそのままにしておいてくれたのね」

 八歳の頃に使っていたものがそのまま残っている。今では座れない低めの椅子。淡いピンク色で揃えられた寝台。自分は大人だと主張するために自分で選んだ、鏡台付きのドレッサー。なにもかもがアンリエットにとって懐かしいものだ。


 ベッドに寝転んで見える天井が、やけに近く感じる。身長が伸びたため部屋の広さも違うように感じた。それだけ成長するほど、この部屋から離れていた。

 こんな風に突然帰ることになるなど思ってもみなかった。もう一生この部屋に戻ることはないと言われていたからだ。


「あの日々は私にとって、無駄な時間となったのね」

 アンリエットだけではない。エダンにとっても、なんの意味もない時間だった。

 子供の頃のままごとのように始まった婚約でも、心が通じ合えて結婚できるのだと思っていたのに、エダンにとってアンリエットとは、長い時間共に過ごした日々すら簡単に捨てられるほど、軽くて安っぽい存在だったのだ。


 涙がこぼれて、嗚咽が漏れる。

 あんな男のために泣く必要などない。それこそ無駄な時間だ。

 あんな国のことは忘れよう。耐え切れないほどの辛い日々だったではないか。


「私は頑張ったわ。褒めてあげたいくらい」

 だから忘れるのだ。あの国でのアンリエットの立場も、婚約者も、すべて偽りだったのだから。









 鳥の声が耳に届く。もう朝だろうか。夢も見ないほどぐっすり眠っていた気がする。今日行うことはなんだっただろうか。そう寝ぼけまなこのまま考えて、アンリエットは勢いよく起き上がった。


「大変、寝坊だわ!」

 今日の予定は早朝から剣の稽古。遅めの朝食を口にしてから書類の確認。貴族たちとの会議。頼んでいた地方の魔物についての報告が上がる予定。その対処を行わなければならない。

「それから、」


 呟いて、アンリエットは大きく息を吐いた。ただ疲労で眠るだけの寝所とは違う。寝所には、アンリエットをリラックスさせるための柔らかな香り。アンリエットがゆっくり眠れるように整えられたベッド。アンリエットが好きだった人形やぬいぐるみがそのまま置いてある。


 ここは、スファルツ王国ではない。自分の国、クライエン王国にあるアンリエットの家、デラフォア家の屋敷だ。アンリエットは自分の生まれ故郷に戻ってきたのだ。

 朝目覚めてすぐに午前に行うことを反復するのは、いつもの癖だ。予定を頭に入れておかなければ、時間がもったいない。いつも予定通りにいかないため、余裕を持って過ごさなければならないからだ。なんと言っても、アンリエットは王太子の仕事、城のこと全てを把握していた伯父の仕事を行わなければならない。本来ならば王に確認することも伯父が行なっていたため、それすらもアンリエットの仕事になっていた。そのせいで、予定を作っていても端から別の問題が横入りしてくるのだ。

 だから時間は切り詰めて動くことが必要で、それこそ分刻みに働いていた。 


「けれど、もうそんなことをしなくていいのよね」

 代わりの仕事はこれから王女が行うのだろう。仕事の引き継ぎも何もせずにこちらに来てしまったが、問題ないのだろうか。そう考えて頭を振った。

「私が考えることではないわ」


「おはようございます。アンリエット様」

「おはよう、リノン」

 ベッドから起きようとすると、メイドのリノンがやってきた。アンリエットの髪をとかし、身支度を手伝ってくれる。


「アンリエット様の髪は美しいですね。艶やかな黒髪で、櫛がスッと通ります。こんなに長くて綺麗な髪は初めてです」

「そう? 忙しくて手入れも適当にしていたのよ。メイドに嫌々綺麗にしてもらっていたわ。誰も見ないから適当でいいと言っておいたの」


 それでもマーサは忙しい朝にきちんと髪型を整えてくれた。あまりの忙しさのせいで腕が上がったと冗談交じりで笑っていたほどだ。

 マーサたちに二度と会えないことを思い出して、気落ちした気分になる。芋づる式にエダンの顔が思い浮かんで、アンリエットは急いで首を振った。


「アンリエット様?」

「あ、ごめんなさいね。邪魔だから一つに結んでしまっていいわよ」

「まあ、こんな素敵な髪なのですから、美しく仕上げましょう。肩に流して、後ろに髪飾りをつけて」


 アンリエットは父親と髪色が同じで黒。兄のシメオンは母親の金髪と同じだ。母親の兄、マルスランも金髪だった。会った時のことはほとんど覚えておらず、絵で見たくらいだが、シメオンのようにクセのある髪をしていた。

 マルスランの娘である女性。彼女もまた、同じクセのある金髪。


 行方不明だった伯父のマルスランがどこでどうしていて、彼女が生まれたのかは聞けなかった。昨夜母親にマルスランが亡くなっていたという話を伝えたが、その実情を知らないため詳細を話すことができなかった。

 マルスランは行方不明ということで、葬式すら行われていない。亡くなっているのならば、その事実を国民に報告し葬式も行うだろう。そうであれば、アンリエットも参席することになるかもしれない。


「ドレスはどうなさいますか? シメオン様が何着か選んでいらっしゃったので、それにされます?」

「そうね。その中から選んでくれる?」

 兄のシメオンは、アンリエットにどのドレスが似合うかと、昨日のうちに確認していた。妹のドレスなどどれでもいいと思うのだが、母親が急いで集めてくれたドレスが既製品であることが母親含め皆気に食わないらしく、シメオンがその中から数着選んでくれていたのだ。

 そして、今日は町でドレスを購入しに行く予定である。


「これだけ先に買ってくださったのに、何が気に食わなかったのかしら。サイズも問題なさそうなのに」

「それはもちろん、アンリエット様にお似合いのドレスを着せたいからに決まっています! 奥様もどうせオーダーメイドでできたドレスが届くまでだからと仰っていましたし」

「それなのに、こんなに購入したの? そこまでしてくれなくてよかったのに」

「今までの分もご購入したかったのですよ」


 今までの分。子供の頃から空いてしまった分。その隙間をうめるためだと言われて、なんだか気恥ずかしい。けれど、愛されていることがわかる。スファルツ王国では祖父である王から罵られてばかりだったのに。

 祖父から愛など感じたことはなかった。常に伯父のマルスランと比べられ、こんなこともできないのかと怒鳴られ、時に暴力を受けたりした。頬を打たれ、舌打ちされ、蹴り飛ばされたこともある。


 それを哀れに思ってくれていたマーサたちメイドや騎士たちも、王の前では助けることはできない。唯一、婚約者であるエダンだけが王に対して庇ってくれた。王女への叱責は婚約者である自分が受けると言って。

 考えるたびにエダンを思い出していることに、アンリエットは唇を噛んだ。そう簡単に、あの長い時間共にいた人を忘れることは難しい。


「――、楽しみですね」

「え?」

「本日はお買い物日和ですし、久しぶりの町を散策なさるのですから、楽しみではないですか?」

「え、ええ。そうね。とても楽しみよ」


 そうだ。と思う。過去に囚われていてばかりではならない。今は家族と過ごすことを楽しんで、これからを考えなければ。

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