表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/68

12 ドロテーア

「ベンディクス令嬢だわ」

 声が届いて、ドロテーアはニコリと微笑む。城にいるメイドたちが頬を染めて頭を下げた。


 王城ではドロテーアを憧れの目で見る者は多い。

 ベンディクス家の長女。眉目秀麗と言われた一人娘。

 パーティではいつも主役で、男女関係なくドロテーアを囲んだ。視線が釘付けになる男性たち。それを羨むように見る令嬢もいる。


 王妃様からの覚えもめでたく、ヴィクトル王太子殿下の婚約者候補筆頭として、皆から羨みの目で見られていたのに、未だ婚約者候補から脱することができていない。









 ガチャン。

 花瓶が床に落ちて、花や水が床に散らばった。


「お嬢様、お怪我は」

「ねえ、私はいつまで我慢しなければならないの? 王妃様は私を選んでくださっていたのに、あの女!」

 ドロテーアが落ちた花を踏みつけて、金切り声で怒鳴りつけた。メイドがびくりと肩を揺らす。


「はあ、ごめんなさい。少しイライラしてしまったみたい」

 鏡に映る自分の姿を見て、ドロテーアは乱れた髪を直した。息を吐き、口元に笑みをたたえて、メイドに振り向く。メイドはその顔を見ても、体を震わせていた。


「一人にしてくれるかしら?」

「は、はい」

 逃げるように出ていくメイドが扉をしっかり閉めるのを確認して、ドロテーアは鼻を鳴らした。

「ふんっ。ああ、王妃様まで、どうしてあんなことをおっしゃるの?」

(あとで花に触れた者には注意をしておくと言ったのに)


 王妃は庭園の花を処分するつもりだ。どうしてそんなことを言うのか。あの花々は王妃が庭師に命じて植えさせた花なのに。たまに庭園へ散歩に連れてこられて、その話をされた。気に入っている花だが、花粉が多いのだと。けれど触れることがなければ、美しく可憐な花なのだと。

 なのに、


『ドレスが汚れてしまってはいけないでしょう? 間違ってそんなことがあれば、かわいそうだわ。アンリエットをもてなしてあげてと言ったけれど、花を愛でるのにドレスを汚してもね』

 帰り際、王妃はドロテーアにそんなことを告げたのだ。

(私が命令したと言いたいの? でも、花を持っていたのは私ではないわ)


 王妃は、アンリエットのドレスに花粉を付けようとするのに、気付いていたに違いない。

 いつから見ていたのだろう。まさか、最初から?


「あの女を任せてくださったのも、私たちが何をするのか試したわけではないわよね?」

 王妃は茶会が始まる前に、初めての茶会に参加するアンリエットが萎縮しないように、それとなく面倒を見てくれと頼んできたのだ。幼少の頃に他国へ行ったが、結局戻ってきてしまったため、同世代の友人は少ないだろうからと。

 だがそれは建前で、ドロテーアが何をするのか監視していたら?


「今まで、どれだけ我慢してきたと思っているの?」

 ドロテーアは爪を噛む。

 まだ候補なのだ。婚約者になれていない。ずっとそのまま。どうして、ヴィクトルはドロテーアを選んでくれないのか。


 婚約者候補に決まって喜んでいたのも束の間、ヴィクトルは婚約を望んでおらず、結婚相手は自分で決めるため、できるだけ早く辞退するようにと言ってきた。王妃は進めたがっていてもヴィクトルは消極的で、けれど王妃はそれを強要しない。

 王妃は場を設けてはくれるが、乗り気のないヴィクトルはどこ吹く風。


『ならば教えてください。どのような女性がお好みなのですか?』

 それを問うたこともある。

『王族の心得を理解している人だ』


 ドロテーアはベンディクス家の一人娘だ。貴族の令嬢たちを従える力を持っている。王太子妃になるべき者として、令嬢たちを引き付けるために、流行をくまなく確認しドレスやアクセサリーに念を入れ、令嬢たちの興味の中心になるように心がけた。ドロテーアの言うことに間違いはない。そう思われるように、令嬢たちを誘導してきた。誰かの顔色をうかがう必要はない。


 王妃はパーティでのドロテーアの人気ぶりを見ている。人心掌握だけでは足りないのだろうか。

 ヴィクトルの役に立つために、執務の立候補でもすればいいと言うのか?

(あの部屋には、女性を近付けたりしないのに)

 婚約者候補がいるため、執務室に女性を近付けないと思っていたのに。


「どうして、あの女が。デラフォア家の娘だからに違いないのよ。だから王妃様も、あの女をひいきしているんだわ!」

 ドロテーアは目の前にあった紅茶のカップを払い落とした。ガチャン、と大仰な音を立てて割れると、ノックの音が聞こえた。


「うるさいぞ。廊下まで響いている」

「お父様」

 誰か言い付けたのか。ドロテーアは背筋を伸ばしてニコリと微笑む。その床が水浸しになっていても、それを感じさせないような笑みだ。

 父親は床の惨状を冷眼で見遣ったが、何も言わず床を片付けるようにメイドに命じる。


「申し訳ありません。手が滑ってしまい」

「茶会で何があったと? デラフォア家の娘が呼ばれたのだろう」

「いいえ、何もありませんでしたわ。それよりもお父様、あの子が城内をうろついていたのですけれど、なにかご命令でもされたのですか?」

「書庫を使っているだけだろう。あれは頭だけは良いから、学びの邪魔をするな。無視していれば良い」

「ですが、私生児が城に出入りするなど」

「私生児だろうが、使えるのだから良いだろう。お前はまだ婚約者候補のままなのだから、このままではお前のほうが役立たずだろうが」

 父親の言葉に、ドロテーアは一瞬笑顔を強張らせた。


「そういえば、お茶会でお話が出たのですけれど、デラフォア家のご令嬢ですが、ヴィクトル様のお手伝いが務まっているのでしょうか? 兄のシメオン様はともかく、妹、女性であるご令嬢にヴィクトル様の執務を行わせるのは、いかがかと思います」

「わかっている。婚約者候補のように見えて、印象が悪いと言うのだろう。政治に口を出す娘がよいのか知らぬが、そのような娘を婚約者として立てるとすれば、お前の立場が終わってしまう。今までどれだけの時間を費やしたと思っているのだ。ポッと出の娘に、その座を明け渡すことは許さないからな」

「もちろんですわ」

「しかし王太子代理か。あの娘は前から邪魔だったからな。追い出されるとは思わなかったが。あちらの王も能がない」

 ぽそりと呟く言葉に、ドロテーアは笑顔のまま首を傾げる。


「お父様のお仕事の邪魔をされたのですか?」

「お前が知ることではない。その娘が婚約者にならないように、お前もそれなりの努力をするんだな」

 言うだけ言って、父親は部屋を出ていく。側で床を片付けていたメイドは、ドロテーアの睨みにびくりと体を揺らした。


「あなたがお父様を呼んだの?」

「ち、違います! 旦那様がお嬢様にご用があったようです」

「あら、そうなのね。なら、早く片付けてくれるかしら?」

「は、はいっ!」

(忌々しい。どうして私がこんな扱いをされなければならないの?)


 邪魔な娘。城をうろつく私生児もうっとうしい。どうしてあんな者たちを放置しなければならないのか。二人ともドロテーアにとって邪魔でしかない。ヴィクトルと婚約するのはドロテーアであるし、ドロテーアの後ろ盾となる家門を継ぐのは、私生児ではない。


 それと、気になることが。

(あの女が、お父様の邪魔をした? 王太子代理として? お父様はスファルツ王国で何かしたのかしら?)

 隣国に関わることなど、ほとんどないはずなのに。


「ねえ、あなた?」

「はいっ!」

「頼まれてほしいことがあるのだけれど?」

 ドロテーアの微笑みに、メイドは青ざめながら顔を引きつらせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ