マンホールグラタン
「うわぁ、お母さん見てみて! マンホールグラタンだよ!」
「あら、本当ね。今日の夜ご飯はサバ定食にしましょ!」
今日も東京は盛り上がりを見せる。
シティボーイの俺は、自慢の黒光りカマロを唸らせる。
「まさか、この俺が世を騒がせている怪盗だとはわかるまい……」
目の前の赤色が青色に変わった時、俺は再び走り出す。
フランソワ・ヴィドック、その末裔。
それが俺だ。
彼はあらゆる物語のモデルになった大怪盗だ。
ブルー・ラザニーア、この名前が後世に残ることを祈っている。
ハードボイルドに、俺はウィスキーを引っ掛けに行くところだ。
車内で流れるジャズを口ずさみ、俺はただひたすらに愛車を走らせ続ける。
「ちょっとお待ちなさい」
急にマンホールが打ち上がるものだから、俺のカマロはハンドスピナーの如く電柱にシボレーした。
「あ゛ぁ゛! 俺の15年ローンがああぁぁあ!!」
「運転初心者なのですか、可哀想に」
「お前が急に現れたからだよ!」
マンホールグラタン、この世界に無数にいる存在。
急にマンホールから飛び出してきては、通りすがりの人間にフランクに話しかけてくる存在。
公害だ。
少なくとも、今の俺にとっては。
「お前、よくもやってくれたな!」
マンホールグラタンは、俺の構えるベレッタに物怖じしていない。
「刑法第2編283条、マンホールグラタンをいじめると懲役400年、または3恒河沙の罰金ですよ」
フランソワ・ヴィドック、その末裔。
マンホールグラタンをいじめたことにより、生涯を終える訳には行かない。
DNAを、汚す訳には行かない。
余裕の表情で鼻を鳴らすマンホールグラタンは、イケメンなのがさらに腹が立つ。
無数に存在するマンホールのイケメン。
俺は、下唇を引きちぎらん勢いで噛み締めながら、銃をそっと腰にしまう。
「野生生物に請求ができないこの世を恨むぜ……」
「恨みは心の毒素、吐き出しなさい。溜め込んでいてはあなたの心はどんどん侵食されていきますよ」
「一応、マンホールの蓋を構えておけ。一触即発で遺伝子を穢してしまうかもしれん」
目の前で煙を上げるカマロの横で空を見上げる。
流星群の絶えないこの夜空は、俺の涙を形容しているようだ。
すごく、泣きたい。
ハードボイルド精神の俺には、泣くことも目の前のマンホールグラタンを撃ち殺すことも出来ない。
こだわりというものは、何の役にも立たない。
「ロマン、人はそれを追い求め、時に否定され孤独になることでしょう。しかし、ロマンとは大衆から好かれようとするものではないのです。あなたは、あなたのペースで人生を歩みなさい」
なんだこいつ、めっちゃいいやつやん。
俺の愛車が殺されなかった世界線でなら、こいつと美味い酒でも飲めたかもしれない。
「俺は、遺伝子に囚われていたのかもな……」
「告白しなさい、あなたの毒素を」
妙に説得力のあるオーラで、マンホールグラタンは俺の心に入ってくる。
深呼吸をひとつして、俺は今までの罪をマンホールグラタンに告げた。
「絵画、宝石、人の心、俺は何でも盗んできた。誰も気づかない事に悦を覚えて癖になってた。でも、俺はおふくろがよく作ってくれたグラタンの味を思い出すことが多くて、いつか辞めようと、実は悩んでいたんだ」
「そうですか。さぞ辛かったことでしょう。グラタン好きに悪い人はいません。あなたの罪は、グラタン神がきっとお許しになりますよ」
俺は、マンホールグラタンが好きになった。
偏見だけで公害だと決めつけてきたその存在に、俺は涙をこらえきらなかった。
人型ならば、思わず抱きしめたいところだが軟体であるため難解。
後悔だけはしたくない。
俺は握手だけでも求めたくなり、膝を着いて目の前のイケメンに手を差し出した。
「グラタン神が許しても、あなたは普通に罪人ですよね。私、罪人とは関わりたくないので、これで失礼します」
俺はフランソワ・ヴィドックの末裔。
世の中を騒がせた大怪盗の直系。
あの日の事をきっかけに、俺は怪盗からは足を洗った。
今、俺がやっている仕事は誇りに思う。
涎を垂らし、白目を向いて、拳銃を乱射する仕事。
「マンホールグラタンは消毒だああぁぁぁあ!!!」
マンホールグラタンバスター、これが俺の新しい人生だ。