裏世界の表人
世界には表と裏があるんだよ。
嘘偽りだらけ、でも皆楽しそうに暮らしているのが表世界。
怖いよね、信じられないよね。
今まで一緒に遊んでたりしてた友達さえも、あなたは疑わなければならない。
そんなのって理不尽、そう思わない?
私だって共感するよ。この表世界において、心の底から信じられる物なんて無いんだから。
四方八方敵だらけ、近づいてくる奴ら全員拒絶したほうがマシなんだ。
⋯⋯⋯あなたもそう。これを読んで自分の心に聞いてみて。
本当に正直者って言えるかな?多分、言えないよね。
人生という長くもあり短くもある物語で、嘘を付かないって方が難しいんだし。
当然、その結果は分かり切っている事さ。あなたも裏人だっていう結果をね。
だけど、全てが真の裏世界っていうのもあるんだよ。
摩訶不思議な所、不気味さも若干はあるかな。
全体的に薄暗くて、灯る光は余計に輝いている場所。
それくらいなら別に普通って思うよね、確実にさ。大丈夫、その反応は至って普通だよ。
裏人であるあなた、いやあなた達の心がそうだから。親近感、そう言うのかな。
似た者同士は惹かれ合うとも言うし、裏世界に対して違和感を持つなんてあり得ないのさ。
フフッ。凄いよねぇ、嫌だよねぇ、気持ち悪いよねぇ。
あなた達は所詮、裏を曝け出さないで表を綺麗に保つだけの愚者っていう事実がさぁ?
表世界では良い奴感を漂わせて、実際はこ〜んな醜い化け物。
アハハ、アッハハハハ♪
───いやごめんね。笑うつもりは無かったんだ。でも、フフッ。あなた達は嘘の塊って思うと⋯⋯⋯⋯笑いを、堪え切る事なんて出来なくて♪
人間様。人間様。
どうせ、心の何処かではそう思ってるんでしょ?きったねぇ思いやプライドを宿してるお前達なんて、本ッ当に信用なんか出来やしない。
死んでしまえ。絶望の中、苦しんで死ね。
お前達なんて人の不幸を幸せと感じる、ただのゴミ以下の存在だ。
出来ることならこの手でお前達の息の根を止めてやりたい。された事をそのまま全部お返して、私の屈辱を晴らしてやりたい。
一人残らず、殺して殺して殺して殺して殺してコロシテコロシテコロシテ⋯⋯⋯。
だけど、また湧いてくる。ウジ虫のように何も無いところから、わじゃわじゃと。
人間という括りの中で、何故こうもクソッタレな種類が現れるのだ?何故差がつくのだ?
信じ裏切られ、お前達は私を嘲笑う。
どうして!?人の不幸がそんなに嬉しいか!?
私の母は交通事故で死んだ!ニュースでも大々的に放送される程に酷い死に方をした!!
なのにお前等は!それをネットで叩いて!バカみたいだとか!子供もこんな親で可哀想だとか!
うるッッさいんだよ!お前達の物差しで私の母を測るなッ!!
心配?そんなの元からねぇんだよ!!
友達さえも裏では私と母を面白がって、猿みてぇに喚いてさぁ!!!
それを知った時、私が何を感じたか分かるか?絶望だよ!真っ黒い絶望!
なのにお前等はまだ追い打ちを掛けるんだ!
もう人じゃねぇよ、悪魔だ。
私の心身を蝕む悪夢なんだよ!お前等は!!
⋯⋯⋯⋯もう信じられる人なんて、この表世界には居ない。
最初から間違っていたんだ。悪魔と共に生きる行為自体が、不可能なんだ。
絆、友情、愛、温もり、優しさ。全てが存在すらしていない空想の言葉。
絶望、愉快、不幸、悲しさ、そして嘲笑するお前等の顔。表世界は、これらで構築された人外の溜まり場だ。
一度、私は諦めたかもしれない。他人を拒絶する日々に終わりを告げようともした。
生きていたって、そう悩んだ。
分かっている。今思い返せば笑い飛ばせる程、無駄で馬鹿な行為だよ。
でもだからかな。裏切りという絶望を教えたお前等のお陰で、私は出会えたんだ。
もう一回、もう一回信じてみようと思える人達に。
些細な出来事かもしれないけど、私はそれで救われた。
皆が仲良く酒を飲み合ったり心の底から人生を楽しむその姿は、今の私にとっての宝物。
「お〜い、内の看板娘が皆を待たせてるニャ!」
「行きますから、少し辛抱してて下さい」
全く焦らせないで欲しい。こちらにも準備というものがあるのだ。
しかし、私のせいで店に迷惑は掛けられない。そう思い、私は用意された服に素早く着替える。
───さて、これで大丈夫だろう。
「当店の名物看板娘、今行きま〜す!」
まるでタイムカードを押すような感覚で私は言った。
既に営業は始まっているが、まぁその分皆には心ゆくまで楽しんでもらうとしよう。
1
一番初めに感じたのは冷たさだった。
どうやら私は今地面に倒れているらしい。頬とアスファルト製の道がディープキス状態だ。
こんなの確実に凸凹の跡が付いてしまう。早く起きなければ。
私は手足に力を入れ、食い込んでくる大きめな小石を無視しながら立ち上がる。
恐らく服は汚れているだろうが、後で何とかしよう。
「しかし、ここは何処だ?私の居た場所とは似て非なる。酒など未成年である私は飲むわけでもないし、酔っ払って知らぬ所に来るという線は先ず無いのだが⋯⋯⋯」
街灯光る薄暗い時間帯、推測するに夜か。はたまた夜明けのどちらと考える。
しかし、ここの建物は明かりがついているのがほとんどだ。
となると、今は夜で合っているんだろう。多分の恐らくのMaybeだが。
「人気が無い。私の考えが仮に正しいとしたら時は子の刻。住む者全員が老人な訳あるまいし、何かの用事で外に出る人が少なからず居る筈」
なのに、足音の一つすら聞こえない。
皆家に閉じこもっているのか?
いやいや、そうしたら人気が無く感じる理由にはならないだろ。
なんとなく⋯⋯⋯こう、誰も居ないっていう雰囲気が漂っているのだ。
家のインターホンを鳴らしてみたが、やはり出てくる人なども一切居ない。
まぁ、私的にはそっちの方が好都合だが、如何せん1も知らぬ場所。
無理をしてでもここが何処か聞き出したい。
余り得策ではないのだが、歩き回って人を探してみるのも視野に入れておこう。
そう思い私はこの場から立ち去ろうとすると、後ろの方からコツンコツンと誰かが歩く音がした。
ふぅ、少し此処の事を教えてもらうだけで良い。終わったら直ぐ走ろう。
「あの、聞きたいことがあるん⋯⋯⋯です、は?」
「ニャ?どうかしましたかニャ、私に用でも?」
「え、いや。そ、そそそんな。か、顔。顔が」
「顔ですかニャ。もしかして汚れが付いていたかニャ」
「ね、猫が喋ってるぅぅぅぅぅぅ!?」
私が指を指す先には、二足歩行をしている人型の猫が居た。
嘘だろ、私遂に幻覚が見えるようになったのか?
目をこすり、凝視するが依然として猫は居る。
手は普通に人と同じだ。それに全裸ではなく、まるでバーテンバーのような服を着ていおり、その風格は完全に着こなしていた。
しかし問題はその頭。なんだ、その猫は。
被り物?にしてはリアル過ぎではないか?
目は動かせてるし、耳もピコピコと本物みたい。
「ニャ、ニャんですか。そんな真剣に見つめても困りますニャ」
「⋯⋯⋯⋯どうなってるの、喋る度に口も動いてる」
「あ、あの?聞いてますかニャ?」
ニャンニャン、ニャンニャン言ってるし、もうコイツ猫確定なんじゃ。
って、駄目駄目!こんな事、余りにも現実味が無さ過ぎる。
───パチィン。
「え!?急にビンタですかニャ?」
「い、痛い。夢なら覚めると思ったのに。これ、本当に現実なの?」
掠りもしない可能性だと思っていたのに。よりにもよってその可能性を引き当ててしまった。
あぁ、何ていう事態だ。
つまり私は、ファンタジー世界に紛れ込んだとでも言うのか。
でもさっきまでは、部屋に閉じこもっていたのに。⋯⋯⋯記憶がない?
いやあり得ない。眠っているならまだしも、あの時はずっと起きていた。
そして不確定要素に過ぎないが、私がファンタジー世界に干渉出来たとしても、ファンタジー世界から私に干渉は出来ない筈。
アニメに影響されているのではなく、感覚的にそう思った。
なら私はどうやって此処に来たんだ?
チッ、分からないことが多過ぎる。これだと堂々巡りになってしまう。
とんだ災難だ、一体神は私にどうしろと言うのか。
私は行動しようにも出来ない現状に苛立ち、髪を掻きながらうめき声をあげた。
「⋯⋯⋯ふむ、これは珍しいニャ」
「久し振りに訪れて来たせいで、忘れていたニャ」
「少しの間、バーは騒がしくなりそうニャ」
ブツブツ何か言ってるが、知ったこっちゃない。
私、今現在考える事多過ぎてそっちまで気が回せません。
そのせいで、重要な事を喋っていても聞き取ることは出来ないですから。
話が噛み合わなくてもそっちの責任です。
⋯⋯⋯責任転嫁が過ぎる?
フッ、笑わしてくるのは止してくれ。目の前の猫が勝手に話しだし、勝手に話を展開しているのだ。
私への文句は猫の方に言って欲しい。
「ボクの名前はニャット。お嬢さん?」
「⋯⋯⋯⋯」
「お〜い、聞いているのかニャ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「ニャ!聞こえるかニャ!」
「肩を揺らさないで下さい。何度も言わなくても声届いてますし、私は今考え事をしています。今しがたの貴方の行為はそれを邪魔しているのですよ?」
「お嬢さん、初対面の人に向かって言い過ぎニャ。言葉一つ一つが心に刺さるのニャ」
「うるさいです。説教なんて要りません。そうやって上から視点で話しして、気持ち良くなりたいだけでしょ。私はそんな奴らを散々見てきました。ですから、もう喋んなくて結構です」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
私が一喝すると、猫は耳を垂らして黙った。
そう、これで良い。こっちがダメージを受ける前に拒絶すれば、自然と相手は離れていく。
手を借りようとしたのが間違いだったのだ。
この猫も所詮は嘘つき、言っていること全てが本心ではない。
私は振り返り、元からしようとしていた事に戻る。
取り敢えずこの場から逃げよう。考えるのはその後だ。
そう思い、実行しようと走る次の瞬間。私の頭に急な痛みが走った。
遅れて、ゴツンッという鈍い音が微かに聞こえてくる。
「はぅ!?あ、頭が⋯⋯⋯頭が死ぬ程痛い!?」
「当然ですニャ。渾身の一撃を食らわせましたからね」
側に犯人が居た。ガッツリこの猫の仕業だ。
しかし何だ、何なんだその自慢気な表情と握り拳は!
痛さで涙になりつつも後ろを向くと、そんな猫が律儀に立っていた。
やったのはお前だぞ!何で「やってやったぜ」的な雰囲気醸し出してるんだよ!
「急にぶつなんて、頭おかしいんじゃないですか!!」
「安心して下さいニャ。私はいつもと変わらず平常ですニャ」
「だったら尚更でしょ!普通でそれなら貴方相当ヤバいです、本当精神科に受診した方が良いと思いますよ!」
「ふむ、そうですかニャ。でもお嬢さんこそ⋯⋯⋯⋯いや、何でもないですニャ」
「中途半端で終わらせないで下さい、一体何ですか。大事そうな事なら言ってもらわないと伝わりませんよ」
やはり声を掛けるべきではなかったんだ、もっと早めに気付いておくべきだった。
クソ、今日という日はツイてない。
目を覚ましたら全然知らぬ場所に倒れているし、第一住人を見つけたと思ったら急に頭をぶつイカレ野郎と出会ってしまったし。
やはりコイツも信用ならない奴なんだ。
「違いますニャ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
「違う、と言ったんですニャ。ボクはお嬢さんが考えているよりはしn」
「勝手に私の頭を覗くな!やめろ、辞めろ、止めろ!気持ち悪いんだよ!」
「⋯⋯⋯お嬢さん、全てが違いますニャ。ボクは何も心を読んでいるわけでも、信用出来ないわけでもありませんニャ」
「うるさい!何も聞きたくない!結局はお前も私を馬鹿にして裏切る気でしょ!?」
力任せに猫を突き飛ばすように腕を出すが、微動だせず逆に私が倒れてしまった。
目が熱くなる。頬を滴る涙が次第に多くなる。
盛大に尻もちをついたせいで、お尻が痛い。
その時、猫が手を差し伸べてくる。チッ、舐めているのか?熟と胸糞の悪い思いをさせるな。
私は手を払い、自分で立ち上がろうとする。
「きゃッ⋯⋯⋯!!な、何してるの!?この猫!」
「騒がしいですニャ、それに暴れないで下さいニャ。黙って身をボクに委ねるのニャ」
現在、私はお姫様抱っこ状態。
手足を振って脱出を試みるが、猫は依然涼しい顔をしている。
これ以上の抵抗は無駄だろうか。多分、コイツ見た目よりタフだな。
色々と考えている内に私の身体は自然と大人しくなっていった。
その事を察して、猫は何処かへと歩き出す。もう疲れたよ。
───私は何をするにしても、その気力は湧かなかった。
2
カランカラン、店内に綺麗なベルの音が響き渡る。
私は下を向いていた顔を上げてみると、そこには趣がある空間が存在していた。
まるでバー、まるでカフェ、まるで酒場。それらが混合した不思議な場所。
人は余り⋯⋯⋯というか全く居ない。その代わりと骸骨が一人で静かに座っていた。
「カタカタ!」
「まだ営業時間前ですニャ、ちょっと早くニャいか?」
異形の姿をしている何かが喋るのは既に慣れた。
様子から察するに2人は知り合いのようだ。話す内容から、今の店は準備中らしい。
「猫、何だ此処は。それに早く降ろせ」
「んニャ〜、気性が荒いお嬢さんだニャ。一先ず座ってニャ」
私は強引に空いている席に座らせられると、猫は手を叩いてカウンターの向こうに行った。
一つコップを取ると、それをフキフキと丁寧に磨いている。
何だこの状況。逃げたいんだが。
「⋯⋯⋯⋯ふむふむ、それは君の奢りですニャ?⋯⋯⋯なら良いですニャ」
骸骨と猫が私を見ながら話し合っている。
こちらが睨むと、何事も無かったかのように静かになった。
はぁ、疲れる。
私は肩を大きく落とし、ため息をすると左の方からコップが滑ってきた。
「あちらの骸骨からですニャ」
「カタカタ!」
骨になった親指を立てて微笑んで?くる。
頼んだ覚えも無いし、別に要らないんだけど。
「飲んで下さいニャ、美味しいですよ」
本当か?少し疑心暗鬼になりつつも、私は茶色の液体を一口飲んでみた。
⋯⋯⋯苦さが先行するも、程よい甘さが包み込む。これはチョコレートだろうか。
カカオの風味が鼻を抜けてきて凄く美味しい。
「ココア?」
「正解ですニャ、採れたてのミルクに香りの強いカカオが合わさった人気の代物。気に入ってくれたかニャ?」
認めるのは悔しいが、これは自分の舌に良く合った。
最近はレトルト食品しか食べていないから、それもあるだろう。
私は猫に対して無言で頷く。
「良かったですニャ。おかわりが欲しいなら何時でも言って下さいニャ。少しおまけしときますよ?」
何だろうか。ホイップクリーム?はたまたアイス?
スイーツなどの甘味は、温かいものと冷たいものの相性が結構良い。
考えるだけで喉が鳴る。
「さて、お嬢さんの身と心が暖まってきた頃合いですかニャ。やはりこういうのは雰囲気から入るものが定番とされているからニャ」
要するに下準備が整ったとでも言うのだろうか。
余り猫の考えている意図が分からない。
「ここからはラジオ感覚で聴いてもらえると有り難い。まぁ、ちょっとした説明だけどニャ?」
丁度いい。ココアを飲むついでに聞いてやろう。
そしたら此処じゃない何処かに行こうか。長居するのも嫌だし。
「では早くして下さい」
「そう焦らせないで。⋯⋯⋯先ず始めに、この世界はお嬢さんが元いた世界では無いのニャ。恐らくボクとそこの骸骨を見れば、自ずと分かる筈だニャ」
それは別に説明しなくても理解している。
猫が人の言葉を喋る時点で、ファンタジー世界の一種だろう。
「でも、大雑把に見ればどちらの世界も同じと言えるニャ。例えるなら、お嬢さんが知る世界を表。ボク達が住んでいるこの世界が裏ニャのだ」
そうなると、この裏世界はパラレルワールドなのか。
微かに覚えている、いつか歩いた道。それに似ていると最初に感じたのも、納得出来るな。
「しかし、お嬢さんから見たボク達は異形そのものだろうニャ。猫が話して、骸骨が生きている。裏世界に住む者は皆こうだニャ」
もはやファンタジー世界である此処なら、そんなのも当然だろう。
逆に私みたいな人間が居たら、それこそビックリである。
「そして、ボク達は自分の事をハーディストと呼ぶのニャ。まぁ、種族名みたいなものだから気にしなくて良いのニャ。それでハーディストって言うのは、表世界の人々の本心が具現化した存在だニャ」
つまり、この猫はバーテンダーをしたい猫好きの人間の本心が元となっているのか?
そんな奴本当に居るのかよ。
「お嬢さんが今何を考えたのか分からないが、続けるニャ。ハーディストが住むこの裏世界は、表世界とは水面に映る景色のように逆の所ニャ。普通はお嬢さんみたいな人間は来れないのですが、ある一定の感情が引き起こすバグみたいなものによって、裏世界に来れてしまうのニャ」
「ある一定の感情?」
「そうだニャ。お嬢さん、失礼な質問かもしれないが此処に来る前に強い絶望と裏切りを経験しましたニャ?」
「⋯⋯⋯⋯ッ!」
「図星かニャ。良かったら話してくれるニャ?」
この時の私は成るがままに猫に全てを打ち明けていた。
母が死んだ事、それを友達にさえ馬鹿にされた事、信じられる人が居ないと気付いた事。
話し終わった後、私は自然と涙が溢れていた。改めて思い出すと心が苦しくなる。
猫は静かに聞いていた。少し経って私が落ち着くと、伸ばされた手が頭に触れそうになる。
先程のぶたれた光景が浮かび、咄嗟にその手を触れ払う。
「安心してニャ。今度はぶったりしないのニャ」
恐る恐る私は頭を出す。目をつぶり、力を入れるが思い違いな事が起きた。
猫の手が私を撫でているのだ。優しい大きな手が心地良い。
「⋯⋯⋯お嬢さん、名前は?」
「ララ」
「そう。ララ、ここまで本当頑張ったニャ。誇っても良い、ララは強い子ニャ」
枯れたと思っていた涙が、どんどん出てくる。
こんな事言われたのは久し振りだ。母が死んでからというもの一度たりとも聞いていなかった、心が温かくなる言葉。
私はニャットの手の中でわんわん泣いた。ず〜と泣いた。気が済むまで泣いた。
それをニャットは何も言わず、受け止めてくれた。
涙が全部枯れ、ひゃっくりが出るまで永遠に。
「⋯⋯⋯⋯もう、大丈夫」
私はそう言った。
少し気まずい雰囲気になるが、それをニャットがぶち壊す。
「ここで会ったのも何かの縁だニャ。ララ、少し店の手伝いをしてくれないかニャ?あっちに服があるからそれに着替えて来てニャ」
ニャットは立ち入り禁止と書かれた扉を指差して言った。
まぁ、手伝いくらいならやってあげてもいいかな。
「分かりました、着替えてきますので少し待ってて下さい」
「遅くても大丈夫だからニャ」
優しく微笑むニャットを後にして、私は扉の向こうに行った。
3
店の中が騒がしくなってきた。もしや営業時間になったのか?
いやでも、今はそんな事を気にしている場合ではないな。少しニャットを問い詰めなければ。
「ニャット、私にこれを着させるとはどういう意図があるんだ」
新品同然のメイド服、そして動きづらいフリルが付いたスカートを身に着けた私。
騙された。ついコイツを信じてしまった結果だ。
「ニャ、やっぱりボクの感は正しかったみたいだニャ。凄く似合っているニャ!」
「感想云々は聞いてない。何故私にこれを勧めたんだ?」
「素材はとても良い。それに可愛さを具体化したメイド服を合わせれば、もう堪らないのニャ」
⋯⋯⋯っていうことは、私はコイツの性癖を押し付けられたという訳か。
ふむふむ、そうか。そうなんだな。
「結局はお前のキモイ趣味じゃねぇか!!」
「ムフフフ、良いニャ良いニャ。怒る所も可愛いニャ〜♡」
ブチ殺そうか、褒められるのは悪い気がしないでもない。
だが、下心丸出しならそれも該当しないのだ。いやらしい目で見やがって、ニャット。それに骸骨!お前もニヤついてんじゃねぇ!
「もういい、脱ぎます。こんな服なんて着たくないです」
「ちょっと!?ララ待ってニャ!お客さんが楽しみにしてるのニャ!」
え?私は驚きながら店内を見渡してみると、凄い。
先程まで空席だらけだったのが、今では既に満席だ。そうか、騒がしいと思ったのはこれが原因か。
「此処ってそんなに人気なんですね、では尚更脱ぎます。大人数に見られるのは流石に恥ずかしくて死にそうです」
「そんな事言わねぇでさぁ、楽しもうぜぇ!」
「おっ、ニャットが言ってた小娘はお前か。別嬪さんやな!」
「まだお子様だけど、今の時点でそのポテンシャル。将来はどんな感じになるのかな」
物凄い視線が私に集まる。やめてほしい、見ないでくれ。
その目の奥に何を思っているのか分からない。怖いんだ、その笑顔は作り物なのか?
あぁ、やだ。手が震えて。こ、声も出せない⋯⋯⋯。
「ララ、此処に居る人達は優しいニャ。君を傷付けはしニャい。だから大丈夫」
「⋯⋯⋯⋯本、当?そうなの?」
「そうニャ、何も心配することは無いニャ」
ニャット、貴方の事信じてみても良いのかな。
まだ会って間もないけどさ、何故かそう思えるんだ。
そんな貴方が言うんだから此処に居る皆は、嘲笑ったり裏切ったりするような人達じゃないんだね。
「ほら、お客さんが待ってるニャ。折角のメイド衣装なんだから、沢山魅せてやれ」
「私が?私がするの?」
「ニャ、頑張ってくるのニャ」
そう言ってニャットは私の背中を押し出す。メイド衣装を魅せてやれって、そんなの。
そんなのって、まるで───。
「内の可愛い可愛い看板娘、遂に登場だニャーー!!」
「うおぉぉぉぉぉーーー!!」
店内に活気が満ちる。先程の騒がしさが嘘みたいだ。
耳が痛い。
「ララ!ビールをくれー!」
「おっ、俺も同じのー!ついでにツマミも!」
「禁酒してんだよな。仕方ねぇ、ハイボール1つ!」
「レモンサワーだろ、レモンサワー!ララ、レモンサワー3つ!」
「ハッ、皆分かってねぇな。こういうのはなぁ、ララの愛情たっぷりオムライスよ!」
「「「馬鹿か!それ今の子だとセクハラ判定だぞ!!」」」
「フフッ」
思わず笑ってしまった。余りに真剣に言うもんだからこの店では当然なのかと。
反応的に違うんだな、やはりメイドカフェみたいな事はしないのか。
「まぁ、でも強い要望があればやってみても良いですよ」
「オッシャ!ララちゃんありがとう!」
「ズルいぞお前だけ!ララ俺にも!俺にも愛情たっぷりオムライス!」
「レモンサワーキャンセルで!やっぱりララのオムライス3つ!」
「ま、待ってて下さい。順に聞きますから」
そんなに皆私のやったやつが欲しいのか。仕方の無いお客さん達だ。
ニャットに言ってみよう。
「ニャット!オムライスの注文沢山きてる!」
「⋯⋯⋯うちの店、卵2つしか無いのニャ。だからオムライス一つしか作れないのニャ」
「えっ?そうなの?」
「おいニャット!どうすんだよ!楽しみなんだがよ!?」
ヤバい、解決方法は何かないのか?
出来れば皆に食べてもらいたいんだけど。
「んじゃあ、お前等!ここは一つ勝負だ!」
「「「なんだ?」」」
「こういう系で古から使われてる手法だ。その名も⋯⋯⋯⋯じゃんけんだ!!」
「「「良いぜ、やってやろうじゃねぇか!!」」」
皆が楽しそうにしている。それを見ている私も、何だか気持ちが高鳴ってきた。
⋯⋯⋯⋯⋯いつからだろう?こんな思いが消え去ったのは。
表世界に居た時は絶望で一杯だった。生きるのが嫌だった。
でも今は、この皆と生きる時間が楽しい。愛おしくも感じる。
「皆さん!大丈夫ですから。直ぐに私が注いだビールをお持ちしますよ!勿論、ニャットの奢りで♪」
決めた。裏世界の表人と一緒に人生を謳歌しよう。もう一回楽しんでみよう。
───この瞬間、本当に薄っすらと私の頭に光輪が浮かび上がった。
一つ、苦しい時は誰でも良い。自分の素直な気持ちを吐いて下さい。
恥ずかしくてもです。
そしたら心が少し軽くなると思います。