『腹の虫。』
『目覚めたら非日常が並べられていた。』
「魚の切り身はサプリメントに取って代わられる」という優越感と不安が連続するシークエンス、それは駄菓子のような無類のグルメという取り立てる価値がないと思われている社会共通の嗜好品かもしれません。
魚の切り身。木になっていない果物。鶏のささみ。 私の日常の中には非日常が並べられている。
それは白いポリエチレンパックの中で動くことも語りかけてくることもない。ただラップでふたをされたバーコードつきの商品が陳列されている。さもその形で生まれてきたように、こじんまりと。そこからは生温かさも濃いにおいも柔らかさも感じられない。ただ生臭い、同じ赤身のかたまりが冷蔵ケースのなかで納まりをよく陳列されている。
それを補充しているパートタイムの顔には笑みもなく疲れもない。ただ仕事の流れる早さはかわらない。
工場見学のときにみた微動だにしない美しい流れを思い出していた。幼いながらに工場の機械は生きていると感じたことを思い出した。あの機械は新鮮な命を食べていた。感情のおさまらない暴れ狂う生き物を。その生きた唯一無二が絶え間なく赤身に加工されていく。まるで輪廻転成のようにベルトコンベアーの上に乗せられている。無いようで確かにあるその工程が我々の食べる習慣に飲み込まれていく。
私たちの生活は、生き物を殺してむさぼるのが残酷なのか、生き物と認識できなくさせた利便性が残酷なのかが分からない。私の虫は右心房と左心房の間から、私の鼓動を激しく煽りたてた。