1章21 『テミス』の町 9
「あら区長。どうかしたの?」
「い、いえ……。その、井戸のことで相談がありまして……」
言いにくそうに、モゴモゴ口を動かしている。
「ええ、相談を聞かせて頂戴」
「はい。先程スープを我々に振舞っていただき、ありがとうございました。とても美味しかったです。それに水も……我々が飲んでいる水とはまるで違っていました。匂いも、味も……全く違いました! どれだけ酷い水を使用していたのか、身に染みて分かりました」
「ね。私の言った通りでしょう? このままあの井戸水を使用していれば、きっと今に健康被害が起きるわ。それだけじゃない、有毒ガスも発生する可能性があるし」
「ええ!? ガ、ガスもですか!?」
区長が驚いてのけぞる。
うん、確かにこんな話をされれば誰だって驚くだろう。だけど信じてくれるかどうか……。
「有毒ガスが発生するなんて、それは一大事です! だったら、尚更井戸は埋めなければなりませんね!」
え? 嘘。信じてくれたの?
「ええ、そうね。早急に埋めた方がいいわ」
「ですが、井戸を埋めてしまえば我々の生活が……それに埋めるにもお金が必要ですし」
区長の顔が暗くなる。
「大丈夫、それなら私に任せて頂戴。井戸を埋める費用も、この区域迄水道を引く工事費用も全額私が出してあげるから」
「え!? ほ、本当ですか!?」
「オフィーリア様! 何をおっしゃっているのですか!?」
区長と爺やが同時に驚く。
するといつの間にか人々が集まっており、私に拍手と歓声を送り始めた。
パチパチパチパチッ!
「ありがとうございます!」
「何て素晴らしい貴族の方だ!」
「感謝します!」
感謝の言葉を述べられるのは、悪い気がしない。
「ありがとうございます。本当に何とお礼を申し上げれば良いか言葉に出来ません」
「いいのよ、別に。元はと言えば井戸のことを言い出したのは私なのだから」
ペコペコ頭を下げる区長。その時ドレスの裾を引っ張られていることに気付いて足元を見た。
「え?」
すると、手ぶらで列に並んでいた少年が私のドレスを引っぱっている姿が目に入る。
「やだ! ごめんなさい! そう言えばまだ話の途中だったわね」
慌てて少年に謝ると、区長が気付いた。
「おや? この少年は……」
「区長、この子を知っているの?」
「はい。この子供は1年程前に父親とこの地区に移り住んできたんですよ。鉱山採掘の仕事に就く為に引っ越してきたらしいのですが……つい最近父親を亡くして1人になってしまったんです。それで今は1人で住んでいます」
「え!? こんな小さな子供なのに!? 誰も保護している大人はいないの?」
「……我々も生活に余裕が無いので……」
申し訳なさげに区長が頷く。
「そんな……」
あまりの話に少年をじっと見つめると、少年はバツが悪そうに視線を逸らせた。
脳裏に、『ルーズ』で飢え死にしていった子供たちの姿が受かぶ。
そしてチェルシーも……。
もう二度と、あんな光景は見たくない。
私は覚悟を決めた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
少年に名前を尋ねる。
「僕……ビリーです」
「え? ビリー?」
何だか懐かしい名前に聞こえる。どこかで聞いたことがあるけれど……でも多分気のせいだろう。
「ビリー。それなら私の所に来ない?」
私は笑顔でビリーに手を差し出した――




