失恋とお父さん……お義父さん?
床が冷たくて気持ちいい。
おでこ、手のひら、膝、爪先。
四点が床の冷たさを全身に広げていく。
冬に入っても、火照った体には冷たいものが良い、うんうん。
「申し訳っ!! ありませんでしたぁ!!」
土下座の姿勢のまま腹の底から全身全霊の謝罪をすること……何度目だろうか。
「じ……ジローさん! 顔をあげてくださいっ!」
「嫌でございます! 不肖、この昼河次郎! 遥さんのお父様への狼藉、まる一週間の土下座にて贖罪を申し出る所存でございます! これより、一歩も動くことは致しません!!」
ちなみにここは喫茶店のフロアの中。
新規の客は目を丸くし、常連客はニヤニヤと俺を笑う。
常連客のほうが性格悪い気がするのは気の所為なのかな、気の所為なのだろう。
「………………」
お父さん、いやお義父さん、いやお父さんは何も言わない。
少し歪んだメガネのフレームを弄りつつ、黙するのみ。あらやだ寡黙。
言ってる場合ではない、あろうことか遥の父君を不審者と思い込んだ挙げ句、俺の渾身のタックルをお見舞いしてしまったのだ。
腰を壊して病院に毎日お見舞いするほどの怪我ではなくて本当に良かった。
「私のタックルのキレが! 冴えが! 良すぎたために!!」
「謝ってるんですよね?」
「モチのロン!!」
その証拠に土下座の姿勢から動く気配はまったくない。
少し腰は痛くなってきたけど、そんなのお父さんに比べれば!
……さっきから、なんか背中に物を乗せられてる気がするけど……?
「コーヒーカップは割れたりしたらまずいだろー」
「なら、フレッシュを重ねて積み上げて……」
「おっさんんんんんんん!!」
常連組が俺の背中にどれだけ物を乗せられるかで遊んでいた。
体を揺すって物を落とす。
「ああ……! 崩れちゃったよ、動かないんじゃなかったのか?」
「遊ぶなあ! 俺は真剣なんだぞう!!」
遥がおっちゃんたちを追い払ってくれた。
心なしか新規の客の目もニヤニヤしてきた気がする。
たぶん気の所為、恐らく気の所為……気の所為だと思いたい。
「……ジローくん、と言ったかな?」
「……っ! はいっ! 名乗るほどの立派な名前ではございませんが、姓は昼河、名は次郎! チャキチャキの日本人にして骨を埋めるのもこの日本! 郷土愛という名の風呂に身を浸して幾星霜、取れる出汁は地元愛! 好きな言葉は産地直送! 座右の銘は地消地産のフレーズでお馴染みの昼河次郎でございます!」
「そのフレーズはまったく馴染みがないのだが……キミが、遥と付き合ってる男性でいいのかな?」
「へい! あっしなんかにゃ勿体ない女性でございやすが!」
「普通に喋ってくれないか」
「はい」
注意された。
心なしかフロアの中がシンと静まり返る。
お父さんが見えているのは俺の頭頂部のはず、だというのになんなんだろうかこの威圧感。
これが父のパワーか……!?
「私も、不審者を取り押さえようと遥を尾行していた訳だが……まさかキミもとはね」
「以心伝心ですね!」
「………………」
「すみません」
空回る俺の会話。
そんな俺を見て、遥は口元を手で抑えて顔を背けて肩は震えていた。
つまり笑っている。
「そろそろ、顔を上げてくれないか」
「いえ! 俺のような醜悪な面、見せないほうが世のため人のためってもんです!」
その時、常連組からヒソヒソと話し声が。
「まあ、確かにあの面を所見で見れば阿修羅もチビって裸足で逃げ出すってもんよな」
失礼な。
「俺も始めてみた時カジモドかと思ったしな」
それ醜悪の意味違くない? それとも心が綺麗って褒めてくれてる?
「とにかく、顔を上げてくれないか。このままでは他のお客様が困ってしまう」
他の、ってことは常連組はその中に入ってないんだろうな。
恐る恐ると顔を上げる。
カウンターの丸椅子に腰掛けた男性の足が目に入る。そしてどんどんと視線を上へ。
少しズレたメガネをかけた、短い黒髪をオールバックにした男性。
ところどころ白髪が入っているのがわかる。そしてメガネは俺の所為。
「まずは………………ありがとう」
椅子に座ったまま、お父さんが頭を下げる。
「私もずっと心配してはいたんだけれどね、こうして家以外からも味方が出てくれるというのは嬉しい」
「お義父さん…………!」
「それはまだ早い」
「はい」
止められた。
それにしても、俺の顔を見ても顔色一つ変えなかったな。
元々怖がられてたのって同年代とか年下、そして老人くらいなものだったけれども。
あれ、じゃあなんでフジさんたちは……?
「…………おい、なんかこっち見てきてるぞ」
「面白半分でからかってんのがバレたのか?」
……後で仕返ししよう。後で。
「キミの行動力には感心した。どれだけ遥のことを大事に思ってるのかもね」
そのセリフで感動したのか、遥が目を潤ませて。
「お父さん……」
だから俺も。
「お義父さん……」
「だからまだ早い」
「はい」
『まだ』早いらしい。
ふふ。
「正直、私も年だからね、この子に何かあっても私じゃあもう助けるのは難しい。だから考えがあるんだが……」
その時だった。
俺のポケットに入っているスマホがけたたましく鳴り響く。
お父さんを見ると、軽く頷いたのでポケットから取り出す。
着信相手が見えたのか、遥が呟いた。
「……みーちゃん?」
「水香くん?」
あ、そうか。昔からの知り合いだもんな、お父さんも知ってて当然か。
全員知らない仲じゃないし、聞かれて困る内容を喋るわけでもない。
スピーカーにして通話……っと。
『ちょっとジロー、いつ帰って来るのよ? しかしあれね、アンタの布団気持ち良いわね、これって何処の』
切った。
「………………」
「………………」
「………………」
気まずい沈黙。
またスマホが鳴る。
相手はまたしてもみーちゃん。もう出たくないよう。
「………………」
遥はしゃがみ込み、指でスピーカーをオンにして通話を始める。
『ちょっと! なんで切っちゃうのよ!』
「……やあ、水香くん」
『……その声って、おじさん? あれ、もしかして……はーちゃんも?』
「いるよ」
『あ、あはははははは……』
切れた。
「みーちゃん……ジローさんの家で何を……!!」
怒っていた。無理もない。
当事者ながら他人事のように観測する俺である。
「キミは……彼女がいるのに、他の女性を連れ込むような人なのかね?」
「誤解にござる!!」
動揺のあまり口調が変になった俺だった。
「霜崎さんは、昨日……俺と遥……さんがケンカするのを見て、心配して夜も眠らずに考えていてくれたそうなんです!」
めっちゃ早口。
しかし嘘は一つも吐いていない。
「で、何故か俺の家を知っていて、訪ねてきたかと思うとそのまま布団で寝始めたので置いてきたんですが……」
「まだ私も行ったことないのに」
「俺も最初に招待するのは遥が良かったんだけどさぁ!!」
何故か言い訳がましく聞こえてしまう。言い訳じゃないのにね?
「……それで、話を戻してもいいかね? もはや続きを話すのも面倒になってきたのだけれど」
「はい! どうぞ!!」
お父さんは咳払い一つ。
俺を見下ろした。その視線は先程よりも冷たい。床が冷たい所為かな?
「つまり、私も年だし……体力のある若者に遥の身を任せようかと思ったんだが…………やっぱり撤回してもいいかな?」
「ダメです! 日本男児、一度言った言葉は飲み込むべきじゃありませんぜ!!」
「キミがそれを言うのかね」
「申し訳!!!!」
土下座再び。
「え? お父さん、それって、どういうこと?」
「………………………………遥が、この……ジローくんの家で寝泊まりして、守ってもらいなさい……ということ、なんだが……」
心臓でも吐き出すのかと思うくらい苦しそうに言葉を紡いでいた。
「…………いいの?」
「いいの?」
「どうしてキミもタメ口なのかね」
「ございません!!!!」
土下座。
「聞けば大学も同じらしいし、喫茶店の場所も知ってる。唯一すれ違うのは……彼のバイトの時くらいだろう?」
「それは、調整します。させてください」
遥の身を守るためなら、たとえ火の中水の中アイスの冷凍庫の中。最後のはやっちゃダメだぞ。
「お父さん……ありがとう!!」
「ありがとうございます!!」
「礼を言われると、なんだか複雑なんだが……これだけは絶対に守ってほしい」
「なんなりと!!」
どんなことを言われても守り通す自身があります!
お父さんは真面目な顔で……手遅れなことを言った。
「婚前交渉は禁止だ」
俺は遥を見る。遥も俺を見た。
「…………………………かしこまり!!」
「なにかねその間は」
バカ正直に話す気にはなれないし、話していいことでもない。
ここは『これからは守る』という体でいきましょう、うん。
「もしもご心配ならば、こちらを」
俺は平べったい卵型のリモコンを渡す。
「これは?」
「スイッチを押していただければ」
スイッチが押された。
「ぎゃああああああああああああああああっ!?」
「ジローさん!?」
そう、あれは俺の体内に埋め込まれた電撃信号のリモコン………………ではない。
「これ、車の鍵だね」
「ええ……今のは演技です。受賞出来るほどの名演でした」
「でもジローさん、車持ってませんよね?」
頷く。
「ええ……それはさっき拾ったやつです」
よく見れば車のエンブレムが刻印されている。
「返してきなさい」
「かしこまり!!」
「っていうかあれ俺の車のキーじゃねえか!?」
……兎にも角にも。
遥を守るという名目のもと。
遥の親の許可を得て、同棲することになったのであった。
これからどうなりますことやら……。




