失恋と後輩
「ちょっと先輩! 何してんですか!?」
俺の上に乗り、覆い被さるようにしながらちっとも心配して無さそうな声を出す少女。
起き上がりたいのに上に乗ってるので起き上がることすら出来やしない。
「お、も……っ! どけ!!」
「あー、失礼に当たるんですよ、女性にそういうこと言うの!」
突然の脇腹への衝撃、そして上に伸し掛かる腹の重みで、上手く声が出ない。
それをいいことに上に乗ったままゆさゆさ揺れ始め、腹部が更に圧迫される。
「ぐ、ぐふっ……!」
「起きてくださいよー!」
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
吐く。何とは言わないが、何かが口から出ちゃう。
「ちょ……っと! 何してるんですかっ!!」
腹部の圧迫感が消えた。
視線が定まると、そこには少女の両脇に手を通して無理やり起こしている遥ちゃんの姿。
「あ、ありがとう遥ちゃん……うぇぇ……」
未だ止まらぬ吐き気。まだだ、まだ耐えれる。
とりあえず立ち上がり、上に乗った張本人へと詰め寄った。
「てめえひなた!! いつも急に来んなって言ってんだろうが!」
小日向ひなた。それがこいつの名前。
快活な性格に似合っている黒髪のショートポニーを微かに揺らして、破顔しているこいつ。
底抜けの明るさを持っており、底抜けのバカでもある。
こいつの近くで油断していると、今日のように唐突に攻撃される時があるのだ。
「油断するのが悪いんですよ! それよりいいんですか、タイムカードの時間過ぎちゃいますよ?」
「誰のせいだと思ってやがる!! ごめん遥ちゃん、遅刻しそうだから行ってくる!」
「え? あ、はい………………」
彼女には申し訳ないが、遅刻して無駄に減給されるのは避けたい。
説明はまた今度にしよう。
バックヤードのドアをくぐり、事務所へと向かう。
中で控える店長に挨拶をして、タイムカードを通す。ギリギリじゃねえかあのアホ。
制服に袖を通し…………よし、仕事モードへと切り替えよう。
と思っていると、後ろから何かが飛び乗ってきた。
「どわっ!!」
「先輩、あの女の人誰なんですか?」
俺の首根っこに腕を回し、ぶら下がりながら追求するひなた。切り替えようって言ったばっかだよな?
「ええい放せ! 俺は今日から始まった生クリームたっぷりシュークリームを陳列するという使命があるのだ!」
「それ明日からですよ?」
「あれ、そうだっけ?」
カレンダーを見る。確かにそうだった。
ぶら下げたまま店内へと入る。
最初の頃こそ店長から注意を受けたが、いつまで経っても改善する様子のないひなたを見て諦めたようだ。
特にそういったクレームも入っていないのが幸いしてるそうだ。
なのだが。
「……………………」
店内にいたお客様の女性からジト目で睨まれる俺。
っつーか遥ちゃんだった。
「いらっしゃいませ!!」
「うるさっ」
耳元で大声を出された。
「随分と、仲が良いんですね?」
「………………………………いや~?」
あんまり言葉が出なかった。
どうしよう、怒ってるようだ。そりゃそうか。
纏わりつかれてるだけ……というのは理由にならないだろう、たぶん、いや、きっと。
「先輩先輩、この綺麗な女性は誰ですか?」
「いいからとりあえず降りろお前は」
手を放してぴょんと地面へと足をつける。
そして遥ちゃんの周りをグルグルと周り、顔を覗き込む。
「……えっと…………」
戸惑う遥ちゃん。その気持ちはすごくわかる。
「ひなた、その人は朝野遥ちゃん。…………俺の彼女だ」
なんだろう、すっげえ恥ずかしい。
人に彼女紹介する時ってこんな気持ちなのか。
「初めまして! 小日向ひなたです、いつもうちの先輩がお世話になってますっ!!」
「誰がお前のだ」
「は、初めまして……朝野遥です。ジローさんの彼女を……してます?」
瞬足で距離を詰めてくるひなたに戸惑いを隠せないようだ。
俺もそうだった………………いや、そうだっけ?
まあいいか。
「先輩の趣味もなかなかバカに出来ませんね。綺麗な長い髪! お化粧も薄そうに見えるのに凄く整ってて!」
「いや、そんな……っ」
そう。大抵の人はこいつの褒め殺しにやられるのだ。
遥ちゃんも多分に漏れず、恥ずかしそうに照れていた。
「それにおっぱいも大きいですね!!」
「おっぱ!?」
「それは大声で言うな!!」
ここ何処だと思ってんだ、店の中だぞ!?
ああほら、他の客がチラチラとこっち見てるじゃないか。
それに、どちらかというと。
「ひなたちゃ…………さんの方が大きく見えますけど」
…………うん、そういうことだ。
「私は体が小さいのでそう見えるだけですよ!」
小さな体に似つかわしくない肉体。
スキンシップが過剰なこともあって、ドキドキさせられることも多々あった。だが。
こいつはただのアホなのだ。特に何も考えていない。
そう考えれば、スキンシップに動揺させられることはほぼ無くなった。
「朝野さんの方が、背も高いのに大きく見えますよ」
「いや、そんなこと……」
「いい加減にしろ!」
「ぐえっ!」
制服の首根っこを引っ張って強制的に終了させる。
おっぱい談義が永遠に続くことは職務上よろしくない。
「ほら、レジ行って来い」
「えー、先輩が……」
「はよ行け!」
追い払うようにレジに追いやった。
顔を真っ赤にしてる遥ちゃんに、まずは謝ることに。
「ごめんな、あいつ遠慮が無くて」
「いえ……構いませんけど、随分と仲が良いんですね?」
先程のような咎める言い方ではない。
ひなたの元気に体力ゲージを削られた、疲労混じりの口調だった。
「あいつは俺がバイトに入った時の教育係でね、いわば俺の先輩なんだ」
「え、でもさっきはジローさんのことを先輩って……」
確かにややこしいよな。
「ひなたは1個下で大学一年らしいんだ。俺たちとは違う大学なんだけど……それで、俺のことをいつからか先輩って呼び始めた」
最初は戸惑った。先輩に先輩って呼ばれることに。
しかし、ひなたの人懐っこさ、そして天真爛漫な笑顔によっていずれ慣れることに……いや、慣らされた。
「先輩! レジ終わりましたよ!」
「ぐふっ!」
ショルダータックル。
なんとか転ばずにすんだ。
「よーし、じゃあ次は補充に行くんだ」
「えー、でも先輩働きだしてから会話しかしてな――」
「これはお前にしか頼めないことなんだ!!」
「……っ!! 任せてください先輩!!」
たったかたー、と走り去っていった。店内を走るな。
「……というわけで、悪いやつではないんだ」
「それは、よくわかります。……ですけど…………」
上目遣いにチラリと見られる。可愛い。
「…………いえ、じゃあお仕事頑張ってくださいね」
「あ……うん」
じゃあ、とコンビニを去って行く遥ちゃん。
腑に落ちない部分はあったけれど、仕事中に抜けるわけにもいかない。
他にもまだまだやるべき仕事はある。
今度こそ仕事モードに切り替え、目の前の職務に従事することにした。
――――――――――
「おつかれさまでしたー」
定時で仕事終了。後は夜勤の人に引き継いで、コンビニを出た。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
パタパタという足音と共に、後ろから駆けてくるのはひなた。
「いつもみたいに送ってくださいよー!」
時刻は日付が変わった頃。確かに、女の子一人で帰るには物騒な時間帯だ。
それに、送っていくのが初めてという訳でもない。
「ああ……しかし、腹減ったなあ」
「私は昨日の作り置きがあるので、帰って食べます! 先輩も来ますか?」
今まで何度かひなたの飯をご馳走になったことがあるけど、料理の腕は相当な物だ。
大学進学とともに上京して一人暮らし、炊事洗濯掃除と帰ってから何でもやってるらしい。
……あれ、俺も似たような状況なはずなのに、この差はなんだろう?
「先輩?」
ひなたは前に回り込んで顔を覗き込んでくる。
「……いや、やめとくわ」
「そうですか。聞いてもいいですか? ダメって言っても聞きますけど」
「なんだよ」
「今日の彼女さん、前に先輩が言ってた人と違いますよね? 浮気ですか?」
夜中の住宅街を歩いているということもあり、ひなたの声はコンビニの時に比べて大分抑えられている。
周囲への気遣いは出来るのに……なんで俺のことは気遣ってくれないのかね。
「前に言ってた彼女とは別れたんだ。それで、あの子は新しい彼女だ」
「随分早くないですかね?」
……まあ、確かに。
「ひなた、お前さ。俺の顔が怖いと思ったことないか?」
「ありますよ。毎時間毎分毎秒思ってます」
「え、そんなに?」
誇らしげに胸を張り、得意顔で頷いた。今そんな表情を見せる場面か?
「まあいいや、それでな……」
あの時に起こったことを話す。
特に隠しておくような事でもない。要約すれば俺の顔が怖いから振られた。ただそれだけ。
俺からすれば恥ずかしいやら情けないやらって話だが、ひなたはその程度じゃ引かないだろう。
「…………っぷ、ぷははははははっ!! 顔が怖くてしょうがないから受け入れたって! 交際のカツアゲみたいなもんですね!」
ああ、確かに引かなかった。大爆笑だった。
まだあれから一月程度しか経っていない。傷もまだ癒えない期間だというのに、こいつは遠慮なしに笑い飛ばしてくれる。
まあ、この明るさに救われた部分も少なからず存在する。
「それで、今の彼女さんに一目惚れしたってわけですか」
「ああ」
朝起きたら隣で寝てたくだりは流石に端折った。
あれは他の人に言うべきことではないからな。
「……で、彼女さんも振られたばかりでちょうどよかった、ってわけですね」
「だな」
「次はどれくらい続くんでしょうね?」
と、悪戯っぽく笑って俺にショルダータックル。
軽めだったからか、そんなに衝撃は無かった。
「次こそ一生ものだな」
「だといいですねー。まー、もし次もダメなら私が慰めてあげてもいいですよ!」
「うるせー、付き合ったばかりでそんな心配したくねえよ!」
「確かにそうですね」
そう言いながら笑い、二歩三歩と前に出る。
目の前にはオートロック付きのマンション、気が付けばひなたの家まで到着していた。
「じゃあ、おやすみなさい!」
「ああ、おやすみ」
中に入るのを見届けること無く、俺は踵を返す。
「先輩!」
と、背中から声がかかる。
「ん?」
首だけ振り返り、ひなたの姿を捉えると。
「もしもその時にあったのが私なら、どうなってたんでしょうね?」
その表情は真面目っぽくもあり、それでいてからかっている節もあった。
だから俺は、こう答えた。
「どうもこうもなってねえだろ。酔っ払った俺に飛びついて、吐いてる姿しか想像つかねえよ」
ありありと想像できる。
酔って視界が回っている俺に伸し掛かり、更に蠕動して…………。
考えてるだけで胸が気持ち悪くなってきた。もうやめよう。
「…………ですよねっ! 私と先輩ですもんね!」
「もしアレなら、タックル行為を金輪際辞めてくれても構わんが」
言うが早いか、ひなたは首が取れんばかりに横に振り続ける。
頭の後ろのショートポニーが荒ぶっていた。
「イヤです、やめません。最近の私は飛びつきたくて飛びつきたくて、飛びつきワーカホリックになってるんですから」
「んなもんワークにするな」
「じゃあ、おやすみなさい! ありがとうございました!」
「ああ、おやすみ」
手を挙げて踵を返す。
数歩進んだ所で、後ろから足音が聞こえてくる。
振り返ろうとするよりも早く、背中に衝撃。この重みは……。
「ひなた! お前早く帰れよ!!」
「日付変わっちゃいましたからね、今日の分の飛びつきノルマ終了です!」
「ワークにすんなって言ってんだろうが!!」
「それじゃ!!」
そのまま振り返ることなくマンションの中に入っていく姿に、大きく溜め息を吐いた。
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