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振られた同士で付き合ったら意外と幸せだった話  作者: 佐藤ヒロフミ


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失恋と芽生えていた恋心


 シャワーの音が聞こえる。


 自分のことのはずなのに、何故か他人事のように感じてしまう。


 手厚い看護を受けて色々麻痺していた俺だが、今のこの状況だけは間違ってると断言できる。


 体にかかる温かいシャワー。


 頭には俺以外の手が、俺の髪を頭皮を丹念に優しく洗ってくれている。


 無言で洗うその姿に、俺は何も口出しできない。


 水がかからないよう、右手と右足は出来るだけ遠くに。


「………………」


 二人の沈黙。


 部屋はシャワーの音だけが耳に残していく。


「………………あの」


 沈黙に耐えきれず思わず口を開く。


「どうした? まだかゆい所あるか?」


「いや、そうじゃなくて…………今の状況、おかしくないですか?」


「………………あたしもそう思う」


 思うんかい。


 背後に回っているため表情は伺えないが、非常にバツの悪い顔をしていることは間違いないだろう。


「なら――」


「でも、これはあたしの役目だから」


 やめてもいいんですよ、という言葉を遮ったのは、まるで義務感のような言葉。


 非現実的な日常に、何処か浮ついていた俺の感情が急速に冷めていくのを感じた。


「雫さん、もう大丈夫です」


 頭をわしわしと洗う手を、片手だけ掴む。


「……ジロー?」


「俺は良かれと思ってケーキを買ってきただけなんです。そんなに罪の意識を感じられると……俺は雫さんに何もしてあげられなくなる」


「いや、ただあたしは……」


「やらなきゃいけない、ですよね。友人としての優しさではなく、ただの贖罪。それならいっそ、折れた時に笑い飛ばしてくれていた方が良かった」


 あんなにも甲斐甲斐しい介護は、すべては罪を償うため。


 俺は、こんなことをさせるために、彼女が喜ぶことをしてあげたかった訳じゃない。


 今の現状は間違っている。それはさっき来ていた編集の人も言っていたことだった。今の空気がおかしい、わかりきっていたことだったが、何処か甘んじていたのも事実。


「すみません雫さん、もう一人で大丈夫ですから」


「………………」


 何も言わない彼女の掴んだままの手を、ゆっくりと下ろす。


 気まずい無言はシャワーが流してくれると、そう信じて。


 もう片手も掴み、ゆっくりと下ろす。


「…………いやだ」


 下ろそうとした時、後ろから呟くような声。


「え?」


 小さくてあまりよく聞こえなかった。


「イヤだつってんだよボケ!!」


「痛い痛い痛い痛い!!」


 下ろしたはずの片手は俺の頭部を握る。


 両指が俺の頭部にめり込み、まるで握りつぶすかのように力が込められていく。


「…………はあ、悪かったな」


「そりゃ悪いでしょうよ! くっそ痛えもん!!」


 頭へこんでないだろうな!?


 鈍痛が続く頭部を風呂場の鏡で見るが、曇っててよくわからない。


 白のシャツにグレーのハーフパンツをはいた雫さんの姿しか見えなかった。


 表情は曇っててよくわからないが。


 雫さんの手が動き出す。それは先程のように頭を洗い始めた。


「悪い、言い訳だわ」


「……言い訳?」


「あたしの所為、っていうのがな。言い訳にして逃げてただけだった。あたしはただやりたいからやるんだ」


「それって、どういうぶわっ!?」


 頭からシャワーをかけられる。


 片手で髪を梳き、シャンプーを洗い流していく。


「始めてだよ、人に対してこんなに献身的になったの。悪い気持ちじゃない……むしろ、楽しいな」


 髪を梳く指は優しく心地よい。


 だが俺の短い髪では梳くほど無かったが。


「ほい、頭終わり。次は体だな」


 タオルにボディーソープをつけ、泡立てていく。


 それは俺の手の指先から始まった。


「…………義務感とかでは?」


「無い」


 ハッキリと言い切る。


「最初は罪悪感から始めたかもしれねえ。だけどなジロー、今はこれが楽しくてやってるんだ。あたしがやりたいからやってる、なんか文句あんのか?」


 ヤンキーのような詰め寄り方だった。


 しかし、これでこそ雫さんと言った感じもする。


 いつの間にか腕は洗い終わり、背中を洗っていた。


「異性の親しい友人ってのが皆目出来たことないってのが最大の難点だったかもしれねぇな」


「何の話……ってうわっ」


 後ろが終わったのか、雫さんは前に回り込んでくる。


 白のシャツはシャワーが跳ねていたのか、軽く透けているようにも見える。


 慌てて目を瞑り、出来るだけみないように。


 タオルが胸を這う感触、とてもくすぐったい。


「ああ…………罪悪感といえば、罪悪感だな。このあたしが、こんな感情に振り回されるなんてな」


 独り言なのだろうか。それとも俺に語りかけてる?


 胸を洗っていたタオルは腹へと移動した。更にくすぐったい。


 しかし、そのタオルは途中で止まる。あれ、もう終わった?


 押し付けられていたタオルの感触が消えた…………と思った瞬間のこと。


 何かが覆いかぶさるように。……いや。


 雫さんが前から抱きついていた。


「……悪いジロー……遥。あたし、ジローのこと好きだわ」


「………………」


 何も言えない。


 俺はされるがままになっていた。


「もし許されるなら、片手片足が使えない今。全部を奪ってしまいたい気分」


「流石にそれは……」


 目を開く。すると。


 目の前には雫さんの顔があった。


「……冗談だよ」


 息遣いを感じるほどの距離。


 雫さんの服は濡れて泡まみれだというのに、気にする様子はなく俺の体に密着し続ける。


 そんなに近いのにも関わらず、離れる気配はない。


「そう、冗談だ……」


 心なしか近付いてきている気がする。


 このままキスされてしまうのだろうか。


 俺が体を離そうとする前に、雫さんが離れていく。


「…………後は、海パンの中だけだから。自分でやってくれ」


「………………」


 俺は答えることはなく、受け取ったタオルで緩慢に残った部分を洗った。


 洗っている最中、雫さんの言葉と目が何度もちらつきながら。



――――――――――



 風呂から出ると、雫さんは自分のベッドにいた。濡れた服は着替えており、俺に背を向けている。


 俺から掛けられる言葉はない。無言でドライヤーを取り出し、コンセントにプラグを差し込む。


 スイッチを入れて、左手で乾かしていく…………のだが、片手が使えない以上乾かしにくくてしょうがない。


 普段であれば雫さんに頼むのだけれども……今回ばかりはそうもいかない。


 悪戦苦闘しながら、ドライヤーを当てるだけで乾かしていく。


 ……はっ、そうだ。ドライヤーの先端で髪を動かせば……。


「あっつ!」


 皮膚に近すぎて火傷するかと思った。


 しょうがない、当てるだけで乾かしていくしか無いか……。


「………………」


 その時、後ろから髪に触れる手。誰かなんて確かめずともわかっている。


「ありがとう、ございます」


「気まずくして……悪いな」


「……いえ」


 後ろからなので表情は窺えないが……上機嫌というわけではないだろう。


 やがてドライヤーも奪われ、俺の左手は下に垂れ下がる。


 またも任せっぱなしである、怪我人だからとはいえしょうがないのだろうか。


「ほら、終わったぞ」


「ありがとうございます」


 後ろを振り返ると、俺に背中を向けたまま自分の濡れた髪を乾かし始めていた。


 あくまでも俺に表情は見せないようだ。


 小さくため息をついて、俺は自分のベッドに腰掛ける。


 雫さんが自分の髪を乾かし終わるのを待ってから、口を開いた。


「あの、すみません俺……そんなつもりじゃ」


「……言わなくて良い」


「でも」


 雫さんはつかつかと俺の元まで歩いてきたかと思うと。


 俺の両肩を掴んで、俺をベッドの上に押し倒す。


「言わなくて良いって言ってんだろ」


 そこでようやく俺は彼女の表情が見れた。


 瞳は濡れて、零れそうな涙を必死に留めている。


 口は一文字に結ばれ、小さく吐息を吐く。


「全部、壊したくなるから」


 言いながら、雫さんは俺の上にまたがる。


「ちょ……っ」


「あたしはジローが好きだ。もし叶うなら、遥から奪いたいくらいに」


 俺の腰の上に乗っかって、俺を見下ろす。


 ただならない体勢に思わず身を捩るが、怪我人ということもありビクともしない。


 まっすぐ見下ろしていた瞳が、徐々に近付いてくる。


 そのまま、俺の胸元に顔を押し付けた。


「でも、そんな事出来ない。二人の仲を邪魔したいわけじゃないんだ……っ」


 すすり泣く声。


 俺は抵抗をやめて、ゆっくり力を抜いていく。そのことが上に乗っていてわかったのか、腕を背中に回してきた。


「本当なら言うつもりじゃなかったし、気付いてもいなかった。鈴木さんが言うまでは……っ」


 誰だ。…………ああ、あの編集の人か。


 ……それまで気付いてなかったのか。


「好きじゃないのかって聞かれた時『好きなワケないだろ』って言うつもりだった。でも咄嗟に声が出なかった。なんで言えないのかって考えたら、もうダメだったんだよ……っ!」


 無自覚の親愛、俺はそれを友情と捉えていた。しかし本質は俺が予想していたものではなかったようだ。


 俺は了承することはない、それは雫さんも解っている。だからこそ、何も言うなと念押ししてくるのだ。


「一日、くれ。それだけであたしは……元に戻ってみせるから……っ!」


 すすり泣きながら、決死の吐露だというのがわかった。


 俺は何も言わず、乗り上げた彼女の背中を擦る。


「触んな……ボケ……」


 ダメだったらしい。身を投げ出して落ち着くまで待つ他なかった。


 ………………


 …………


 ……


 夜更け。


 雫さんは疲れて眠ったようだ。


 彼女のベッドから微かに寝息が聞こえる。


 …………もう、ここにはいられない。


 松葉杖をついて、歩こう……かと思ったら松葉杖をつく音がやけに響いて起こしそうだったので、ゆっくりと玄関へと向かう。


 そしてその日、俺は姿を消した。

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