失恋と呼び方問題
何故俺は縛られているのだろう。
いつから俺はこうなったんだろう?
普段通りの講義、レポートを提出した帰りのことだった。
何かを被されたかと思うと、突如視界が暗転。
布を取ろうとした俺の腕は何者かに掴まれ、何かで縛られた。
持ち上げられる体、何故か聞こえるワッショイワッショイという祭り囃子。
俺は神輿か? なんて思う暇もなく、何処かに連れて行かれていく感覚。
何処か屋内に入った。祭り囃子の反響が変わる。
こんな短い時間で屋内に入れるということは、大学の構内か?
ということは、過激なことをされるわけではないのかもしれない。
ほっと胸を撫で下ろす。だがそれも束の間。
「隊長! この男どうしますか!」
知らない男の声。
その問いに更に知らない男が答えた。
「この男は我らの主が拷問の末、口裂きの刑に処すそうだ。それまでは丁寧に運べ…………いや、怪我くらいはさせてもいいだろう」
前言撤回、何も安心できない!
「もごもごもご!!」
いつの間にか猿轡もされていた。まともに喋ることが出来ない。
誰かー! 助けてー!
「もごもご! もごもごおおお!!」
しかし言葉にならない叫び声は誰かの耳に届かない……ていうか、届いたかどうかもわからない。見えないもん。
何やら空気が変わる。その場所だけ少し温かい。
暖房か人が密集しているのか。
「もごんっ!?」
仰向けに運ばれていたのが、唐突に垂直にされる。
されたかと思うと何かに座らされた。
パイプ椅子?
そんな感じのものに座らされたかと思ったら、改めて後ろ手に縛られる。
ついでに足も縛られた。なんて入念なんだ……。
その後、何やらぞろぞろと去って行く気配を感じた。
訪れるのは静寂。
しかし無人ではない、数人の息遣いを感じる。
目が見えないと他の感覚が鋭敏になるって本当だったんだね。
って言ってる場合か!
「もごもご!?」
体を揺さぶってみるがビクともしない。
恐らくこのまま左右に振れば椅子は倒れるだろう。だが周囲の状況がわからない以上無駄に暴れるのは得策ではない。
まずは頭を振って被された布を取るんだ!
ロックバンドに行った時のように頭を上下にシェイク。行ったこと無いけど。
シェイクシェイク!
「もご! もご!」
なんかクスクス笑い声が聞こえる。……女性か?
少しずつズレ始める布袋。だが。
誰かが後ろから引っ張ってる!!
「もごごーっ!!」
やめろー! そう言ってみるが伝わるわけもなく。
返ってきたのは大爆笑だった。
「ぷっ…………あははははは!! もうダメ……あははは!!」
この声……!?
「もごもんもん!?」
さあ、皆は今なんて言ったか分かったかな?
一緒に考えてみよう!
………………。
さあ、じゃあ答えは……!
布袋が取られる。
眩しさに目を細め、目が慣れるのを待った。
そして、俺の目に映ったのは。
「もごもんもん!!」
志保ちゃんさん!!
でした!!
正解した人にはジローくん人形をプレゼント。
抱くも良し、愛でるも良し、撫でるも良し。
……それはともかく。
「もご!?」
「あっはははは!! なんて言ってるのかわかんない!!」
しょうがないだろうが!!
体をガタガタ揺らして抗議する。
それと同時に場所を確認。
ここは……フリースペース?
周囲には俺に奇異の視線を送る知らない人たち。
そして俺の周りには志保ちゃんさんの他に、霜崎さんと二夕見さん。
三人が俺を取り囲んでいた、なんで?
「もごごもごもご!!」
俺が何をした! 椅子をガタガタと揺らす。
ってことはさっきの野太い男の声はマッチョたちか!!
二夕見さんの仕業だな!
俺はキッと二夕見さんを見るが、返ってきたのは冷たい視線だった。
え、この人マジで二夕見さん?
双子の片割れだったりしない? 目が怖いんだけど。
志保ちゃんさんは大爆笑、霜崎さんは『なんで私ここに連れてこられたの?』みたいな顔をしていた。
「……これより」
二夕見さんの口が開く。
その声はいつもより低く、冷たさすら感じさせていた。
「昼河次郎氏への裁きを開始します」
「もご!?」
審判すらなく!?
せめて何の罪状かくらいは!!
「罪は……」
あ、良かった。ちゃんと言ってくれるんだ。
「この私、二夕見花蓮への呼び方問題について」
「……も?」
「は?」
俺の疑問は霜崎さんが代わりに言葉にしてくれた。
霜崎さんの疑問の声は無視し、二夕見さんはカバンから何かを取り出す。
それは一枚の写真。
キャンプに行った時の集合写真だった。
「これは誰でしょう?」
一人を指差した。
「ももも」
それは遥。俺の彼女だ。
「じゃあこれは?」
「ももも」
ひなた。俺の後輩。
「じゃあ、この人は?」
「ももももん」
雫さん。元お隣で今は俺を住まわせてくれている人。
「…………なんて言ってるかわからないよっ!」
しょうがないじゃん猿轡されたまんまなんだから!
誰か、これ外してよ!!
目で訴えると、二夕見さんが俺の後ろを見た。
誰かが後ろに立つ気配、それと同時に後ろの髪に指が触れる感覚、それと同時に、猿轡はようやく緩んでいく。
「ぶはあっ!!」
息はしづらいし、口が半開きのままで顎が疲れるし。
俺の口を結んでいた正体はタオルだったようだ。
口をあてがっていた部分が俺の唾液で濡れている。
「………………」
綺麗に畳んで、カバンに仕舞った。
二夕見さんが。なんでだ。
「ちょっと、それ」
「それで、この人は?」
何事もなかったかのように続けようとする。
「なあ、そのタオル」
「この人は?」
「タオル……」
「答えてよっ!」
はい。
「雫さん……」
タオルのことはうやむやにされ、縛られた俺は言われるがまま従うことしか出来ない。
「そう、雫さん。ついこの前までは雨宮さんじゃなかったかな?」
酒盛りが切っ掛けで名前呼びになった。
しかしそれがなんだというのか。
「じゃあ、この人は?」
腹を抑えてうずくまっている、未だ笑っている人の頭頂部を指差した。
「……志保ちゃんさん」
「どうして私だけ、未だに名字のままなの!?」
………………。
「別に良くない?」
「良くないよ!」
「ねえ」
誰かが声をあげた。しかし誰も反応しない。
「私だけなんか、仲良く無いみたいに思えるよ……」
そんなこともないんだけどな。
遥は勿論トップに躍り出ているが、他の皆は同列二位って感じに思っているのだけども。
呼び方一つでそこまで変わるのだろうか?
ああ、でも前に遥も名前で呼んで欲しいって言ってた事があったなあ……。
「ねえ」
「あの……二夕見さん……」
「花蓮」
誰か呼んでる、そういいたかったのだが。
名字を呼ぶと途端に訂正が入る。
「誰かが……」
「花蓮、だよ」
「ねえ!」
大声。
「もうっ、なんなんですか!?」
面倒くさそうに声の主への応答を開始する二夕見さん。
声は俺の後ろからするため、誰の声までかはわからない。
いや、嘘。今俺の視界に入っていない人が一人だけいる。それは……。
「なんで私呼ばれたの?」
霜崎さんだった。そう、霜崎。
「霜崎さんも名字で呼んでるよ! 二夕見さんだけじゃない!」
味方だ! 味方がいた!
「……む、確かに……」
言葉を詰まらせる二夕見さん。よし、これで俺は解放されるはず……!
「でも、ジローたまに私のことみーちゃんって呼ぶよね」
「………………」
味方に後ろから撃たれた気分だった。
いや、呼ぶけども。たまにだし、ああいうのってイレギュラーじゃない?
普段は霜崎さんなんだし、別に良くない?
ゆらり、と。
幽鬼のように体を左右に揺らす二夕見さんは、俺の肩を掴む。
怖い。
「私以外、下の名前じゃない……」
怖い。
んーと、じゃあ、じゃあ……!
「かーちゃん……」
「母親じゃないんだからっ!」
ですよね。
周囲の人に助けを求める視線を送るが、それぞれ俺にスマホを向けているだけ。
撮るなよう!!
キョロキョロしてると、俺の顔の両側を何かが挟み込む。
「よそ見しないで」
二夕見さんだった。
「じゃないとキス……するよ?」
目がマジである。
もう一度言う。目がマジである。
「いいじゃんジロー、名前くらい呼んであげれば」
簡単に言う霜崎さん。
そう、簡単なはずなのだが、改めて呼ばれるとなると妙に照れくさい。
「……なんか、変な気分になってきた、かも」
顔を赤らめている二夕見さん。
目を閉じた。やっべえ!
「じ……ジロー! 早く言いなさい!」
「か……花蓮、それはまずいって!」
笑っていた志保ちゃんさんも、流石にマズいと思ったのか正気を取り戻した。
「…………」
徐々に近付いてくる。
「か……花蓮! 花蓮ちゃん! 花蓮さん!?」
ヤケクソ気味に名前を呼び続ける。
しかし止まらない。呼んだじゃん!?
「た……助けてええええ!!」
しかし周囲の人は携帯を持つのに忙しいようだ。この依存症めが!!
「落ち着きなさい花蓮!」
志保ちゃんさんが左側を。
「流石にそれはダメだよ!」
霜崎さんが右側を拘束した。
「……ちぇ」
顔を赤くし、恥ずかしがりながらも唇を突き出しむくれ顔。
た……助かった……。
「でも、やっと呼んでくれて満足満足っ。じゃあ、また明日学校でね!」
「え」
ほくほく顔のままフリースペースから立ち去ろうとする二夕見さん。……いや、花蓮さん?
志保ちゃんさんも霜崎さんも、出ていく二夕見さん、いや花蓮……二夕見さんについて行った。
「……え?」
残された俺。
未だ拘束されたまま。
周囲を見渡すと、未だに俺に携帯を向けている人が。
「……助けてください」
「ヒィ! ドM緊縛趣味紳士!!」
「散々見といてその悲鳴はおかしいだろおおおおおおおおお!!」
結局。
数時間後に見回りの人が来るまで俺はこのままだった。




