失恋と新作小説
雫さんの職場兼自宅に厄介になって数日が経った。
部屋の片隅に衝立を用意してくれて、それを仕切りにすることでプライベートルームも作ることが出来た。
基本的に朝、昼飯、晩飯の時しか交流することがなく、それ以外の時間雫さんはノートPCに向かい合っている。
不干渉な日常だからか、思っていたよりも肩身も狭くなく、気軽に暮らせている。
そんなある日、バイトもなくダラダラしていたある日のこと。
「ああ…………くそっ!」
珍しく雫さんの独り言が漏れていた。
基本的に無言でパソコンに向かい合い、時折メガネを外して眉間を揉み込んでいるのは見ているが。
独り言で悪態をつくのは初めてのこと。
ちょっと怖いので様子見していると、苛立たしげに机を指で叩きながらモニターとにらめっこ。
そしてスマホを取り出したかと思うと、操作して耳に押し当てた。
電話か、静かにしておこう。
元々生活音を立てないようにしている俺に、静かに生きろというのは容易いこと。
魚に泳げというのと同義である。
「ああ、遥? いきなりごめんな」
遥? 珍しい電話相手だな。
雫さんの背中を眺めて様子を伺っていると、首だけ振り返って俺をちらりと一瞥。
またモニターに向かい合ったかと思うと、とんでもないことを言った。
「ジローとデートしてきてもいい?」
「は?」
――――――――――
「なるほどね、デートって……そういうことか」
「ええと、こうして……?」
スマホを操作して文章を確認しながら、俺の腕に絡みつく。
柔らかくて良い匂いがするが、今の俺はマネキンのようなもの。自我などいらぬ。
デート場面についてずーっと悩んでいたらしい。そんな雫さんは俺を疑似デート相手に見立て、自分が書いた内容を実践してみるようだ。
と、いうわけで以前やってきた自然公園にやってきた次第。
ジャージ姿にボサボサの髪、赤いフレームのメガネという部屋着そのままでデートをするようだ。
熟年夫婦もびっくりの身だしなみの気の使わなさよ。
かという俺も上下ジャージではあるのだが。
火災によって服が全て焼け落ちた俺。とにかく安い服をと適当に買い漁った結果、本日は奇跡のジャージペアルックのようになったという。
「よし、行くぞジロー」
「はあい」
どうせ俺はマネキン。横に引きずられるように歩くだけだ。
「んんっ……」
雫さんは咳払い。すると俺を見て、こう言った。
「『今日はゴメンね、一緒にいたくなっちゃったんだっ!』」
いつもは眠そうに半分ほど閉じた目をしっかりと開き、1オクターブほど上げた声で俺に語りかけてきた。
「……………………」
「おい、なんでそっぽ向いて肩を震わせてるんだ?」
言わせるな。言わせないでくれ。
「お前今笑ってるだろ」
「……大丈夫です」
「何が大丈夫だって? なあ?」
俺の腕に絡みついた肘で、俺の脇腹をゴリゴリと押してくる。地味に痛い。
「いいから、これ読めよ」
そしてスマホの画面を見せてくる…………が……?
待って。マジでこれ言わなきゃダメ?
助けを求める顔を雫さんに向けるが、当の本人は顎で促すのみ。
鬼か。
「……え、えー…………『いいんだ。キミに呼ばれたらどんな時でも現れるのが僕の役目だからね』」
「えー……なになに? 『やだぁ、嬉しい! 田中くんって優しいんだね!』」
「………………『キミにだけさ、キミだからこそ僕は優しくしたくなるんだ』」
「『やだぁ! 嬉しい!』……恥っずこれ……」
俺もそう思う。
キザとぶりっ子の恋模様。っていうかそんなキザな物言いのくせに名字田中て。
キャラに対して名前が平凡すぎる。
本当にこれが女性に受けてるんだろうか。この書いている内容もいつか映画化するんだろうか?
「『私も、田中くんとはずっと一緒にいたいんだぁ……好きだから…………聞こえちゃったかな?』」
「『ん? 何か言ったかい?』」
「『う、ううんっ、何もっ。やだ、恥ずかしい!』恥ずかしいのはこっちだっつの」
あんたが書いたんだ。
見ろ、真っ昼間の遊歩道で奇行を繰り返すもんだから周囲の人がびっくりなさってるじゃないか。
あの人なんてスマホをこっちに向けてるんだ…………ぞ……って、なんで撮ってんだあの人。
シャッター音が響く。
俺の腕に絡んだ雫さん、そしてまるでペアルックのような風貌の俺たち。
シャッターを切りながら近付いてくる女性。そして。
「ぶぇっ!!」
左頬を引っ叩かれた。最近叩かれすぎな。俺の左頬に何の恨みが。
「この…………っ!!」
写真を撮っていた人はなんと霜崎さんだった!
まるで俺を殺そうとしているかのような殺意を持って、俺を睨みつける。
その伸ばしている両手は胸ぐらを掴むだけなのだと信じたい、首にいかないよな?
「はーちゃんがいるくせに! あんた……あんた…………っ!!」
本気で怒っている。気持ちはわかるが、誤解なんだ。
雫さんに助けを求めるが、普段見ることはない、誰かのマジギレにたじろいでいた。
「ちょ、ちょっと霜崎さん……待って待って!!」
「待つかっ! 絶対許さない!!」
左腕はビビった雫さんがホールドしているため使えない。
右手だけでなんとか霜崎さんを凌ぎつつ、雫さんが正気に戻るのを待ち続ける他なかった。
………………
…………
……
「へ? ジローん家って燃えちゃったの?」
正気を取り戻した雫さんに説明してもらい、証拠として途中であろうスマホを見せたことでようやく誤解が解けた。
「そうなんだ、それで行くところもないから、映画を見た家あるだろ? あそこに厄介になってるんだ」
なのでそういった実体験から、読み合わせといった羞恥的体験も断ることが出来ないというわけだ。
「はー……なるほどね……」
「っていうか雫さん、霜崎さんとか志保ちゃんさんには連絡しなかったんですか?」
「ああ……動転してて、忘れてた」
その二人に聞けば旅行してるっていうのがすぐにわかったのにな。
ここまで大事に…………いや、火災自体が大事だから無理か。
「大変だったのね」
「そうなんだ。だからあの写真はもう……」
消してほしいんだけど。
そう言おうと思ったが、霜崎さんは目を逸らし滝のような汗を流す。
まさか。
「………………もう、送っちゃった」
「……みーちゃんめえええええ!!」
前もって説明しているため、理解はしてくれているだろうが。
それを写真で見せられるのとではまたワケが違う。
「ご、ごめんって。……そうだ! 冗談でやってたって送ればいいかな?」
「それだと変に取り繕ったみたいでもっと怪しくなるだろ!」
「……ごめん、もう送っちゃった」
「またかよ!! もう!!」
やることなすこと全部裏目に出てやがる。
こうなったら神様仏様遥様の懐の広さと恩情に縋るしか……。
「………………今から行きます、だって」
オウ、ジーザス……。
もはや読み合わせどころじゃないというのに、何故か俺の腕に絡みついたままの雫さんだった。
この人も気が動転するとアドリブ壊滅的に弱いよな……。
来るまでの地獄へのカウントダウンの間、俺は旅行の写真を見せていた。
苦肉の策である現実逃避とも言う。
それから十数分後。
目の前に見えるのはマイラバー遥。
足音も何処か荒々しく聞こえるのは、俺の誇張表現だと思いたい。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は無表情。
怒っているのか、泣いているのか判別が出来ない。
一歩一歩と近付く毎に俺の胸の鼓動は早くなる。
そして俺たちの近くまで来て、発した言葉が――
「姫宮先生! 次の新作って良い感じですか!?」
小説にしか興味無かった。
「お……? あ、うん……それなりに?」
「え……はーちゃん、怒ってないの?」
「え? どうして怒るの? ジローさんが次の新作の手伝いをするんだよ? 次のヒーローの成分の半分はジローさんってことでしょ?」
……やだなあ。
あのキザキャラ田中くんの半分が俺?
……やだなあ。
「なんなら、主人公を遥がやってくれてもいいんだけど」
「私が先生の主人公を演じるなんて畏れ多いです! そこはやっぱり先生に!」
ええ……。俺も遥が相手の方がやりやすいんだけどな……。
俺の心の叫びは誰にも通じない。
「ぁ……じゃあ……」
なんて言いながらまた俺の腕に腕を絡めてくる。
じゃあ、ってなんだよ。
こうして。
彼女立ち会いのもとによる雫さんの新作の読み合わせは。
まさに地獄だった。
もう二度とやりたくない。そう心に誓って。




