失恋と家族風呂、そして……
三方の壁をヒノキ材で板張りに、残りの一方を竹の柵で高く目隠し。
天井の板材との間には少し隙間があり、夜空が少しだけ見える。
昨今の覗き被害を鑑みた上での防犯対策だろう。致し方ないとはいえ景観を損ねているのは少しだけ残念だ。
体を洗った後入浴、湯船に浸かりながら空を見上げる。
見上げる…………見上げることしか出来ない。
「ぜ……絶対、こっち見ちゃダメですからね!?」
「はい」
いい夜空だなあ。
暗くて、曇ってて、星一つ見えない綺麗な空だあ。
恐らくは今、背後で遥が体を洗っていることだろう。振り返ったが最後俺の命はないかもしれない。
故に前を向く。人は前を向くことで生きていけるのだ。
次にシャワーの音。
音が止むと、ペタペタと足音が近付いてくる。
「は、入りますね」
今、背後で。
遥が入っています。
全裸で。私たちは同じお風呂にいます。
どうしてこうなった?
その経緯は詳しく説明しない。一つ前に戻っていただければ全てご理解いただけるでしょう。
兎にも角にも、我らカップルは混浴することと相成ったのである。
しかし条件があった。
絶対にお互いに見ないこと。
背中越しに会話すること。
片方が出る時はちゃんと目を閉じておくこと。
気持ち良いはずの温泉が、緊張によって何も感じることが出来ない。
それに、俺が今夜空を見上げているということは。
遥の視線の先には板張りしかないのではないだろうか。
「今日、楽しかったよな」
「え? ええ、そうですね」
「動物園に行ったのって、何年ぶりだろ。子どもの頃って動物がウロウロしたり寝てるのをみるだけで、何が楽しいんだって思ってたけど」
「今日も、同じ感想でした?」
見えていないだろうが、首を振る。
「いいや、動物がそこで生きてる、って思うだけですごく輝いて見えた。年も変わって考えも変わったのかな?」
もしくは、動物好きの人が隣にいるから考えが変わったのかも。
ずっと一緒にいると、少なからず影響されるっていうしな。
「かも、しれませんね」
後ろでふう、と息を吐く声が聞こえた。
これで少しは緊張も和らいだだろうか。
せっかく来たのに、楽しめなかったら損だもんな。
「お互いに顔が見れないだけで、いつもと変わらない日常だな」
いる場所は非日常的だけども。
「そう……でしょうか。お互い裸ですけど」
う、確かにそれは日常とは言い難い。
「ま、まあ……お互い見たことない訳じゃないんだし」
「………………」
しまった、失言だったか。
せっかく遥の緊張も和らいだように感じたというのに。
デリカシーの無さは一生治らないんだろうな。
と、思っていたが。
背中に何かがもたれてくる感覚。
恐らく……遥の背中。
背中すら触れないように気をつけていたが、今は彼女の方から寄りかかっていた。
「恥ずかしさが無くなる訳じゃありませんけど。こんなことで変に緊張して、せっかくの旅行を台無しにしたくありませんもんね」
軽い重み。しかしそれは彼女からの信頼の重みだった。
この信頼に応えるため。この愛情を裏切らないために。
俺は何食わぬ顔で平常心を維持しなくてはならない。
「でも、景色が見れないのがちょっとだけ残念ですね」
「覗き防止とかだろうね」
勿体ないけど、しょうがない。
ようやく解れた緊張。背中に感じる重みが愛おしく感じる。
無言だけど、落ち着いた時間が流れていた。
…………そう、隣から声が聞こえてくるまでは。
俺たちが家族風呂に入ることになった、若い二人。
その二人だろう、いや誰でもいいんだけど。
行為真っ最中であろう嬌声がこちらにまで響いてくるのである。
「………………」
「………………」
気まずい。
だが黙っていると余計に届いてくる声。勘弁してくれ。
「は……遥はっ! 食事何が美味しかったっ?」
「わ、私はニジマス? ですかね! ジローさんは?」
「う、うーん、俺かあ。俺はやっぱ牛肉かな!」
「ジローさんお肉好きですもんね!」
取り繕うような会話。しかし一度芽生えた気まずさは中々拭えない。
気が付けば背中の重みも消えていた。
ぬう、隣のカップルめ……!
だけど、これでいいのかもしれない。
旅行中味わう非日常感、それは羽目を外す要因にもなりかねない。
羽目ではなく、お互いしっかりと考えた上で。ちゃんと踏み出したいから。
「遥」
「な、なんです?」
隣の所為で気まずくなったからこそ。
だからこそ、落ち着いた頭で考えて導き出した答え。
「愛してる」
「…………ジローさん?」
湯船から湯を掬い、顔にかける。
「俺は人に求められるがまま、遥が喜ばないことをしてきた。俺に友達がいないって言うのを理由にして、君に甘えてきた」
だけど、それは彼女に負担を強いる行為。
軽いものでも、積み重なってやがて耐えきれなくなるだろう。
「友達を失いたくなくて、だから……」
理由にはならない。少なくとも俺はそう考える。
遥が不安に思ったのも一度や二度じゃ効かないはず、それだけのことを俺はしてきた。
「でも、これからは……」
「ジローさん」
遥が俺の言葉を遮る。
息を吐く声と共に、改めて背中に重み。
「私もジローさんを愛しています。私を救ってくれて、私に尽くすだけじゃなくていいって教えてくれて」
後ろからも、水をパシャリと跳ねる音が聞こえた。
「だけど、私も我慢だけをしているわけじゃありませんから。二人きりで旅行に行けるのは私だけですし、こうして一緒にお風呂に入れるのは私だけ、ですし?」
「遥……」
「……あ、それとも、もう誰かと一緒に入ったんですか?」
「そんなワケないだろ。これが初めてだよ」
流石にそんな不義理なことは出来ない。
「そ、そうですか……よかった」
内心不安だったのか、胸を撫で下ろすように言った。
「私はジローさんを愛してます、だから信用してます。本当に私を裏切るようなことはしないって。だから……友達を、大事にしてください」
「遥……」
本音で言ってくれている。それくらいは解るくらいには時を重ねてきた。
ここで言い合っていてもしょうがない、か。
俺は俺で彼女を裏切らないように気をつけながら。友人を大切にしていくとしよう。
「遥、愛してる」
「私もです」
背中越しに、指を絡めて握りあった。
――――――――――
そして翌日。
チェックアウトを済ませて、いざ外へ。
「もう、帰るんですか?」
体を伸ばしていた遥が、振り向きながら俺に問う。
俺の目の前に広がるのは、観光地ながらの賑わい。
昨日は着くなり動物園に行って、閉園した後まっすぐ旅館に来た。
「この辺を散策するってのはどうかな。夕方くらいまでに帰れればいいと思うんだけど」
「良いですね、行きましょう!」
差し出された手を握る。
笑顔で握り返したあと、俺たちは観光地へと赴いた。
足湯やお土産屋、木彫りの工芸品やご当地品など。
「これひなたへのお土産で良くないかな」
おたふくが描かれた……ペナント。
これご当地品か? なんかおかしくない?
しかし何故か惹かれるものがあった。呪われてんのかなこれ。
「……なんでしょう、おかしいはずなのに、これでも良いと思えてくるのは」
……呪いの品か!
手から離し、見えないように他のペナントの間に差し込んで隠す。
すると不思議なことに、先程まで必要と思えていたのが嘘のように過ぎ去っていった。
「やっぱいらないよな」
「あれがお土産というのはどうかと思います」
……なんだったんだろう、あれは。いや、深く考えるのはよそう。
ここはやはり手堅く温泉まんじゅうか。
しかしキャンプ地にいった時のまんじゅうを思い出すな。
ほとんど俺は食べられなかった。
………………。
「俺からはこれでいいや」
木彫りのこけしにした。
絶妙な必要の無さが素晴らしく良いチョイスだと思わせてくれる。
「ほ……本気ですか?」
「ああ。俺はキャンプのまんじゅうの恨みを忘れない。あれは子々孫々受け継いていくつもりだ」
「恨みを受け継がれる私の子どもが不憫ですね……」
「え?」
今なんて?
聞き返そうとした時、遥の顔が真っ赤に染まる。
「こ……っ、こけしでいいんじゃないでしょうか!?」
「あ、ああ……」
聞き返せる雰囲気では無くなってしまった。
まあ、いいか。
それからは二人で色んなお店を渡り歩いた。
予定の時刻になるまでは一瞬だ、気が付けば電車に乗る時間。
急いで駅へと向かい、特急に乗って地元へ。
帰りの電車の中では旅の話に花を咲かせていたが、気が付けば二人とも寝入っていた。
そして、地元。
「ただいま我がホーム。ようこそ我がホーム」
見慣れた駅、見慣れた景色。
「なんだか、あっという間でしたね」
「そうだな、でも楽しかった」
「はい!」
笑顔の遥を見ていると、行ってよかったと思えてくる。
「じゃあ、帰ろうか?」
ここからなら遥の家の方が近い。
まずは遥を送っていって、それから家に帰ろう。
「……あれ?」
遥の声。どうかしたのかと見てみると、スマホを見て小さく声を漏らしていた。
「うそ………………」
「どうかしたのか?」
誰かからのメッセか。内容はよく見えなかったが。
「ジローさん、一緒に来てください」
先程までの楽しそうな顔から一転して真剣な表情。
何処に? など聞く余裕もなく、ただ頷いた。
早足で向かう足の向きは、俺の家方面。迷いなく進んでいく遥の足は、間違いなく俺の家へと向かっていた。
もうすぐ俺のアパートにたどり着く。ほら、そこを曲がれば……。
「え……?」
見慣れた駅から見慣れた道を歩き。目的地に辿り着いたと思えば。
見慣れた家が、全焼して見慣れない物になっていた。




