失恋と大学
「あれえ?」
大学の構内を一人で歩いていると、そんな声が勝手に口から漏れた。
何故かと言うと。
「あれ? ジローさん?」
「…………遥ちゃん?」
いると思っていなかった彼女が、思わぬ所で出会ったからだった。
「……ひょっとして、大学生だったのか?」
「はい、そうですよ?」
知らなかった。なんで教えてくれなかったんだろう?
聞いてないからか、そりゃそうだ。
「ジローさんは工学部なんですよね? 私は経済学部で」
俺に秘密は無いんだろうか。無いんだろうな。
酔って話してしまうようなものは秘密じゃないんだろうな。
まあ隠すようなものでもないし。
「そうなんだ、今まで知らない間にすれ違ってたのかもなー」
「そうですね」
「それにしても……」
大学では、随分と雰囲気が違う。
元々大人しめな服装ではあったけれど、拍車をかけて大人しめというか。
いや、服装だけじゃないか。何か……他にも違いが…………。
「随分と失礼な考えをしてません……?」
少しむくれて、ずれたメガネを上げる。
ん? メガネ?
「メガネかけてるっ!!!!」
「そ、そんな大声で言うほどのことですかっ?」
思わず指を差してしまった、失礼。
今まで会った中で、一度でもメガネをかけていただろうか、いやかけていない。
「元々目は良くなくて……普段は裸眼でも平気なんですけど、流石に講義中は」
なるほど。理に適っている。
「でもジローさん、よくすぐにわかりましたよね。友人とか常連のお客さんとかはイメージが変わりすぎて気付かないって言われるのに」
「メガネをかけててもかけてなくても可愛いからな、すぐにわかった」
ん、常連のお客さん?
しかしそんな疑問は、赤面した遥ちゃんの可愛さに一瞬で吹っ飛んだ。
そして自分が歯の浮くようなセリフをさらっと言ったことに、俺も赤面。
「じ、ジローさんったら……」
なに? この人俺を殺す気?
胸にこみ上げてくる何かを必死に押し殺し、冷静な表情を作ろうとする。
咳払い一つ、二つ。よし冷静な表情。
「……どうしたんですか、ニヤニヤして」
ダメだ、冷静な表情を作れない。
世のカップルの皆さんはどうやって街中を普通に歩くんでしょうか?
「そうだジローさん、これから何か予定は?」
「これからバイトなんだ。ほら、俺の家の近くのコンビニ。あそこで」
「ジローさんが……コンビニで……バイト……?」
「悪かったな顔が怖いのに接客業してて!」
言われずとも察する。だって今までバイトの同僚とかにも言われ続けてきたからな。
揃って同じような表情をしていた。
「でも店長が言ってたんだ、顔が怖いと逆に犯罪の抑止力になるんじゃないかって」
「歩くカラーボールみたいなものでしょうか?」
「……………………」
言うなあ。
大柄で顔が怖いのはコンプレックスだ。誰に彼にも言われ続けて、トラウマといってもいい。
しかしなんだろう、遥ちゃんに言われるのだけは何も思わない。
嫌味で言ってるわけじゃないからだろうか?
「ま、まあ……そういうわけで、今日はバイトなんだ」
「……じゃあ私も、途中まで一緒に行ってもいいですか?」
「え? うん、いいけど?」
「良かった。途中の雑貨店でフィルターを買って帰らないといけないんです」
フィルター? フィルターとは?
俺の疑問符を読み取ったのか、補足してくれる。
「あ、私の家喫茶店を家族で営んでまして、コーヒーに使うフィルターが切れそうだとメッセージが」
喫茶店かあ、チェーン店以外行ったことないなあ。
個人店というのは、店構えからして入りづらさが多少ある。
あ、さっきの常連のお客さんって喫茶店のことか。
……興味が出てきた。
「じゃあ今度バイトが休みの時、お邪魔しようかな」
お店の売上にもなるし、個人店が苦手なイメージを払拭出来るかもしれない。
一石二鳥なのでは?
「えっ……! ダメです、絶対ダメ!!」
「なんで!?」
思っていたよりもガチトーンで拒否られた。
ドレスコードが必要なのか? Tシャツとジャージじゃダメか?
それとも顔が怖いからダメだっていうのか!?
「だ、だって……恥ずかしいじゃないですか」
「………………」
口元を隠し、上目遣い。可愛い。
可愛いの成分だけ抽出したら遥ちゃんになるのだろうか?
しかし、逆に興味が出てきた。
「よーし、俺俄然頑張っちゃうぞー」
「な、何を頑張るっていうんですか……!? 頑張らないでくださいっ!!」
大学の構内でそこそこの大声でやり取りする俺たち。
行き交う人に少なからず見られていることだろう。
つい先日まで感じていた噂の目ではない。そう、これは……
妬みの視線だ。
はたから見れば往来でイチャついているだけに見えるのかもしれない。
いや、実際イチャついてるのだろうか。やったことがないからわからん。
「おっと」
ふと時計を見てみれば良い時間、そろそろ行かないと遅刻する。
「とりあえず行こうか?」
「はい」
背中に刺さる鋭い視線が鍼灸の針のような心地よさ。
じんわりと温かくなるのを感じながら、二人で並びながら大学を後にした。
――――――――――
「じゃ、お疲れ様でした」
シフト終了、日付が変わる前少し前に退勤。
腕を高く上げ、背筋を伸ばす。
解れた筋肉と労働の疲労感が心地良い。
やかましい奴とはシフトが別で楽だったなー。
手を降ろすと、手に持ったコンビニの袋がガサリと音を立てる。
いつもなら帰って寝るだけなのだが。
「ちょっとくらい掃除しておかないとな……」
俺は綺麗好きだ。嘘だ。
優先順位が一番下なだけで、家を汚いとは思っている。
ただ、優先順位が一番下なだけなのだ。
しかし、これからは遥ちゃんもやってくる可能性がある。
ならば、少しは綺麗にしておかないと。付き合う条件に部屋を綺麗にするっていうのもあったしな。
彼女が出来た、と浮かれた俺は考えていなかった。
面倒臭がって、弁当とフローリング用洗剤を一緒の袋に入れて帰っている事を。
浮かれて袋を振り回しながら帰る俺が、その悲劇に気付くのは――――帰宅した後だった。
そして畳み掛けるように翌日のこと――――
――――――――――
「な………………っ」
遥ちゃんが家に足を踏み入れるなり愕然とする。
……あれ、思っていた反応と違う。
綺麗になってる部屋を見て、喜ぶかと思ったんだけど。
この表情はどちらかといえば……怒ってるに近い?
「……何か、問題でも?」
「問題大有りです……!!」
おおう、怒り心頭。
「なんで綺麗にしちゃったんですか……!?」
「え」
「綺麗にさせてくださいって言ったのに……どうして私から楽しみを奪うんですかーっ!!」
頬を膨らませぷりぷりと怒る。
……って、あれ? 俺勘違いしてた?
というわけで回想入ります。
………………。
…………。
……。
「…………………………勘違いしてました、ハイ」
「鬼! 悪魔! ケダモノ!!」
何と言われても返す言葉がございません。
遥ちゃんは相当な綺麗好きらしい。俺と一緒だね。嘘だね。
汚れた俺の部屋を見て、掃除欲が溢れんばかりだったそうだ、だけど親しくない人の家を掃除させてくれとも言えない。
だから付き合――――
「……え、ひょっとして掃除したいから付き合ったとかある?」
「そんなわけないじゃないですか、もう」
良かった。本当に良かった。
「……よく見ればフローリングも洗剤で軽く擦っただけだし、服は隅に追いやっただけ……まだまだ改善の余地はある……」
なんかブツブツ言ってる。
頼もしい反面ちょっと怖い。
「…………うん、まだまだやれることはありますね。ジローさんが掃除下手で良かったです」
「遥ちゃんの楽しみになれたなら良かったです…………たぶん」
袖を捲り、髪を結ぶ彼女の表情は、とても活き活きとしていて。
「可愛い、好き」
「っ!!」
手に持った雑巾をぽとりと落とした。
「ごめん、勝手に漏れてくるんだ」
「もうちょっとキツく栓をしてください……」
それは無理かな。
「で、でも…………私も好きです……よ?」
照れながらそういう顔は、とんでもなく可愛くて。
ゴム手袋姿じゃなかったら最高だったのになあ、なんて考えたりしていた。
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