失恋と遅すぎるハッピバースデー
こうしてやってまいりました、コーヒーフェスタ。
隣県まで電車で向かい、降りた後は路線バスで現地まで。
見たこともない景色にテンションはぶち上がる。
そうしてハイテンションは覚めやらぬまま、辿り着いたのはイベント会場。
様々な装飾を施した簡易店舗が並び、その店特有の色を見せている。
漂ってくるのは様々なコーヒーの香り、そして軽食の香り。
どちらも芳しく、香ばしい匂いが会場中何処までも広がっていた。
現地に辿り着くまでテンション高かったのが俺だとしたら、会場に着いた途端テンションの限界をぶち破ったのは遥だった。
「ジローさん! ジローさん早く!!」
俺の手を引き、引きずられそうな勢いで遥は足早に進んでいく。
握った手の強さが、どれだけ楽しみにしているかを物語っていた。
まずは一番近くの店舗から。
俺はコーヒーにあまり詳しくないため、遥に注文を任せることに。その方が美味しくいただけることを、身を以て知っているのだ。
遥に渡された紙コップに入れられたコーヒー。
コーヒーの良い匂いが鼻をくすぐる。
まずは一口。
「あちっ」
熱かった。
火傷しないように気をつけて啜る。うん、確かに美味い。
しかしさっきも言ったようにコーヒーに詳しくない俺からは『美味い』という感想しか出てこないのが玉に瑕。
コーヒー通なのであれば、コクとか酸味とか苦みとか渋みとか、なんかこう色々出てくるのだろうけど。
それに関して申し訳ないと遥に言ってみたが、上機嫌の彼女は笑顔を崩さずこう言った。
「いいんですよ。美味しいものは美味しいと素直に感じることが大事なんだから。難しい言葉で飾るよりも、シンプルな言葉の方が素直に伝わるものなんだよ」
興奮しすぎていつもの丁寧な口調を置き去りにするほどであった。
色々な店舗のコーヒーに目を輝かせる遥の横顔を見て、思う。
ああ、来てよかったな、と。
二ヶ月遅れの誕生日プレゼントだけれど、これだけ喜んでくれるなら調べた甲斐があるというもの。
「ジローさん、サンドイッチ食べるっ?」
「うん、食べる」
会場の中でずっと手は繋がれたままであり、片手で器用に会計をする遥。
すげえ、片手で財布を開いて、小指と薬指で札を出してる。
ってそうじゃなくて、払うのは俺の役目……!
「いーの。ジローさんはここまでの旅費出してくれたんだから、ここくらい払わせて」
ここで『しかし』と問答するのは時間の無駄だし空気を壊しかねない。
潔くご馳走になるとしよう。
紙皿に乗せられたサンドイッチを受け取る。
少し離れた所にベンチがあるので、そこで一息。
楽しさから疲れは感じていなかったのだが、腰を落ち着けると下半身の疲れはやはり自覚する。
足の疲れがじんわりと溶けていく感覚。それは遥も同じようで、ベンチの背もたれに体を預けていた。
「さ、食べましょうか」
「ああ、いただきます」
サンドイッチを一口。
野菜とチーズの何の変哲もないサンドイッチ。
だが、この会場の空気が何倍もの美味さを醸し出しているのだろう。
少ししなびたレタスすら美味いと感じる。
「美味しいですねえ」
「美味しいなあ」
腰を落ち着け、人心地ついたからか敬語が戻ってきていた。
どっちも可愛いし似合っているから、喋りたい方で良いのだけれども。
「辛くなくていいのか? タバスコいる?」
「いりませんっ、こんな所に来てまで無粋な真似はしませんよ、もう」
少し頬を膨らませる様子に、思わず笑みがこぼれる。
空は快晴、隣には上機嫌の彼女、手にはずっと握られた手。
来てよかったと、つくづく思う。
――――――――――
「………………どうしてこうなった」
部屋に入って、一人呟く。
元々泊まり予定だった旅行、予約していたホテルへと向かったのだ。
ツインの部屋を予約したはず。
だが鍵を渡された実際の部屋は。
「…………ダブル、ですね」
そうなのだ。ベッドが一つ。横幅のとても大きいベッドだった。
ちなみにフロントには散々ごねてみた。だが逆さに振ってもツインは出てこないと言われてしまった。
……ま、まあ最悪俺は床か椅子で寝ればいいよな。
とりあえず荷物を置く。一泊の着替えだから荷物自体はそこまで大きくない。
のだが、二人共沈黙する部屋では荷物を置く音がやけに大きく聞こえた。
荷物を置いた音で、遥の体がビクリと跳ねる。
彼女も彼女で相当緊張しているようだ。かくいう俺もだ。
あれだけコーヒーを飲んできたというのに、喉が乾く。
心臓が飛び出しそうなほど早鐘を打っているのが分かる。
「じ……ジローさん」
「な、なに?」
振り返った遥の顔は真っ赤に染まっていた。恐らく俺もそうだろう。
「れ、れ、れ…………レストラン! 行ってみましょうか!」
「……そ、そうだな! そうしよう!」
無理に声を大きく張り上げ、この気恥ずかしい空気を払拭するべく奮闘する。
廊下に出てからも変な空気は変わらず、なんならレストランで食事をしている時もぎこちないままだった。
ホテルの豪華なレストランでテーブルを挟んで向かい合い、珍しい料理に舌鼓を打つ。……つもりだったけど。
「……あはははは」
「あはははは……」
目が合うなりギクシャクした笑みを漏らすばかり。
正直、味なんてわからなかった。
夕食後、部屋に戻ってきた。
戻ってきたらベッドが分裂していることに一縷の望みを託したが、そんな事が起こるわけも無く。
綺麗にベッドメイクされた巨大なベッドが俺達を待ち受けた。
ふう、と息を吐く。それだけで遥の体は跳ねた。
「お……お風呂入ってきます!!」
返事をする前に遥はユニットバスへと駆け込んでいった。
遥の姿が無くなってから、大きく溜め息を吐く。
「はあああああ~…………」
倒れそうになる体を無理やり支え、膝に手を置いて息を整えた。
いや…………どうするよこの空気。
昼間はあれだけ多幸感を振りまいていたにも関わらず、チェックインしてからはずっとこの空気である。
嫌だとか、そういったネガティブな感情ではない。
ただただ、恥ずかしい。どうすればいいのかわからないのだ。
ほら、今も風呂場からシャワーの音が聞こえてくるわけで。
つまり、遥が薄壁一枚向こう側で。
「おおおおおおおおん!!!」
声に鳴らない雄叫びを上げて、シャワーの音をかき消そうとするが。
一度鼓膜に焼き付いた音はそう簡単に消えないのだ。
やがてシャワーが止まる。何やらゴソゴソと物音も。
いかん、落ち着け俺、別の何かを考えるんだ。
ピラミッドを作るお爺ちゃん。
カジキ漁をするお婆ちゃん。
入浴中の遥。
「バカか俺は!!」
壁に頭を打ち付ける。
打ち付け終わるのと遥が出てきたのは同時だった。
バスローブを身につけていた。
「――――――」
ヤバい。
濡れた髪、ヤバい。
まだ少し濡れた腕や足が、ヤバい。
ヤバい。
「ジローさんも……どうぞ?」
「ヤバい」
「ヤバい?」
「ヤバくない。行ってくる」
「は、はあ……」
ギクシャクしたままユニットバスへと入る。
床がまだ濡れている。
先程まで遥が入っていたということだ。
そこでは当然、風呂場なのだから何も着ていない。
「…………やっべえ……」
俺の語彙力は死んだ。
………………
…………
……
ダメだった。
心頭滅却すべく水のシャワーを浴びたりしたが、一向に落ち着く様子はなく。
風邪を引きかねないのでしっかりと温まって来た次第。
俺が入っている間に髪の毛は乾かしていたようで、いつもの長い髪が揺れていた。
だがしかし、いつも纏められてるのが、今日は纏められていない。
その小さな変化一つで俺は限界だった。
「………………遥」
「……はい?」
遥の顔は赤い。
保温性の高いバスローブなのだろうか。肌触りも良いし。
…………そういうわけじゃないのだろうけど。
「……飲もう」
「え?」
飲むのだ。そうすれば細かいことは考えずにすむ。
今は酒が俺達を救うはずだ。
しかし、当の遥はあまり動こうとしない。
バスローブをぎゅっと握り俯いていた。
「……お酒に逃げるの、やめませんか?」
「……………………ぁ」
その言葉の意味は、わかっている。
「私は……構いません」
その言葉の意味も……わかっている。
「……良いのか?」
俺の情けない問いにも、遥は顔を真っ赤に染めて頷く。
その仕草一つですら、俺は鼻血が出るかのような血の巡りを感じた。
「私は……ジローさんが、大好きですから」
「俺も…………遥が、大好きだ」
こうして。
二ヶ月遅れの誕生日プレゼントの旅行の一日は、終わろうとしていた。
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