失恋と仲間
冷蔵庫を開けてみる。
お茶を出そうとした…………けど無かった。
じゃあ水を………………無かった。
水道水を渡すのもどうかと思うので、慌てて自販機に買いに行った次第。
棚に仕舞ったまま一度も使わないコップに水を注ぎ、テーブルに置く。
「ありがとう、ございます」
目の前の女性はペコリと会釈。礼儀正しい好き。いかん、感情が漏れてる。
俺は向かい側に座り、無言で向かい合う。
不自然な沈黙。
ふと女性は顔を上げると、家をキョロキョロと見回す。
六畳ワンルームの俺の部屋、ベッドとテーブルを置いたらあまりスペースに余裕はない。
それでいて、脱ぎ散らかした服や通販で買った段ボールを開かずに積んでいるため、更にスペースに余裕は無かった。
「なんというか……汚くてごめん」
物珍しげに視線を右往左往させるその様子が、針のむしろのように感じた俺は思わず謝罪する。
「え? あ、いえ。お気になさらず……」
会話が弾まない。
それはそうだろう、俺はこの人の名前すら知らない。
深夜に出会った女性というだけで、それ以外は何も知らないのだ。
そうだ、自己紹介だ!!
「え……えーと…………俺は昼河 次郎。今後とも宜しく……?」
何だ今後とも宜しくって。俺は悪魔か。
緊張のあまり変なことを言っているようだ。
「あ…………私は、朝野 遥です。……よろしくお願いします……?」
疑問形、そりゃそうだ。
「二日酔いとか、大丈夫?」
「え? ええ、はい。大丈夫……みたいです」
俺は大丈夫じゃない。座っている今も頭を鈍器で殴られ続けているような痛みが走っている。
だがそれどころじゃない。
「………………」
「………………」
緊張感が半端ない。
お互い何を話せば良いのかわからず、無言で座り込む。
出した水をチビチビと飲む、吐き気が少し和らいだ気がする。
ふと時計を見ると、13時頃だった。起きたばかりだけど、昼飯時ではある。
「そ、そうだ。腹減らないか? もしよかったら近くのファミレスにでも行かない?」
「ええと……そうですね」
「うん、よかった。そこは俺がよく行ってる場所でね、味も結構好きなんだ」
「そうなんですね」
「うん、昨日も――」
言いかけて止まる。
――昨日も食べるつもりだったんだけどね、食べ損なっちゃったから。
それは何故? 振られたから。
誰に? 彼女に。
うーむ。吐き気以外の気持ち悪さが去来した。
「……昨日言ってましたね、ファミレスで………………っていう話」
「あれ? マジで?」
記憶にない。
「はい、ファミレスの前で待ってたらムキムキの男たちに囲まれた……って、その男の人たちのマネをしながら言ってましたよ」
あらやだ、俺の人生の恥部を赤裸々に語ってたのね。
そう考えると、あそこのファミレス行きづらいな……あそこは元カノと良く行っていた場所だ。
しかし、味を思い出す。あのカレー。あのオムライス。あの焼肉定食。
「……ダメだ、行こう。味を思い出してたら腹減ってきたよ」
味に罪はないのだ。強いて言うなら俺の顔つきに罪がある。どうしようもないけど。
「ふふふ、はい」
お腹を擦りながら立ち上がると、俺の様子を見て薄く笑う朝野さん。
可愛い。
昨日は暗くて良く見えなかったけど、とても美人だ。
黒い長い髪、ボサついておらず、とても艷やか。
昨日は大部分の髪が前に来ていたため、幽霊と見間違えるのもやむなしだったが、今見ると幽霊とは程遠い。
整った目鼻立ち、少しタレ目なのがまた可愛い。
身長は……160くらいだろうか? 俺が190だから、結構小さく見える。まあ元カノのほうが小さかった気がするけど。
茶色のワンピースが、大人しそうな雰囲気を醸し出していてとても似合っている。
「あの……?」
「え? あ、いや…………そういえば、昨日の夜とは随分……キャラが違うんだな?」
「キャラ? ああ、あの時は……その、イライラしてたので」
そりゃそうだよなあ、と思う。
しかしそうか、怒っていると随分性格が変わるんだな。それもまた良し。
「じゃ、じゃあ行こうか?」
「あ、はい…………っ」
立ち上がると、痛む様子を見せた。
「どうかした? …………って、そうか」
そうだよな。
「お、お気になさらず……」
そういうわけにもいかない。
そうだな、何となく昨日の夜のことは触れずに来たけど、そういうわけにもいかないか。
「朝野さん。俺たちって振られ仲間だよな」
「ええ……とても不本意な仲間ですけどね」
「その、仲間から……一歩進むことって出来ないかな?」
「一歩……って、友達とかですか?」
うーん、微妙な距離。
「じゃあ、後五歩くらい?」
「一緒の老人ホームに入るとか?」
「進みすぎ。それ五十歩くらい進んでない?」
濁して察してもらうのは無理そうだ。
というかそんなやり方男らしくないか。
「俺と……付き合ってくれないかな?」
「え……?」
「ほら、昨日……の一件もあるしさ」
「それは、責任感とかですか?」
それもあるかもしれない。
しかしそれだけじゃないし、責任感などむしろ瑣末事だ。
「ううん、むしろキミに一目惚れしてたんだ」
起きたときに見た、あの笑顔に。
頭痛も吐き気も吹き飛ぶほどに、あの笑顔に恋をした。
「え、ええと……」
困っている様子。
そりゃそうか、朝野さんも別れたばかりなんだ、気持ちの整理っていうものがある。
俺も完全に忘れられたわけじゃない。だけど、それ以上に一目惚れをしたんだ。
「ごめん、急ぎすぎたよな」
「………………」
無言で俯く朝野さん。
これは……ダメかもな。
「今日の所は……失礼します」
そのまま玄関まで歩みを進めていく。
それを止める術は、俺には無かった。
掛ける言葉も…………無かった。
玄関を出て、扉が閉まる前に俺を見て頭を下げて…………扉は閉まった。
「………………は~あ」
勝手に溜め息が漏れる。
さっきまで減っていたはずの腹は、いつの間にか空腹を感じていなかった。
「……もう、食べに行かなくていいか」
ベッドに倒れ込む。
嗅ぎ慣れた匂いとは別に、違う匂いがほのかに香る。
それが朝野さんの匂いだと分かった時には、胸中は後悔で満たされた。
急ぎすぎた事。彼女の意思を無視していたこと。
しかし時既に遅し。朝野さんはもういない。
何度目かの溜め息を吐いた後、目を閉じた。
………………。
…………。
……。
あれから一週間。
特に何事もなく、大学生活を過ごしていた。
いや、何事も無いのは嘘だ。別れたのが噂になっているのか、何処に行っても見られている気がする。
単に自意識過剰になっているだけかもしれない、誰が誰と付き合って別れたとか、周囲の人物は気にしていないのかも。
時折感じる視線も、単に勘違い。……だといいなあ。
……ま、まあ。大学とバイトを行ったり来たりするだけの一週間だった。
あれから朝野さんとは会えていない。そりゃそうだ、元々何処にいるのかもしれない。
何歳なのか、どの辺りに住んでいるのか、連絡先も、何も知らないのだ。
「まあ、断ってくれただけいいよな」
顔が怖いからとりあえずオッケー、なんて気の持たせ方はせず、ハッキリと断ってくれただけマシなんだろう、うん。
自分で自分を慰めつつ、買ってきたコンビニ弁当を食べようと袋をガサガサと漁る。
その時だった、呼び鈴が鳴った。
インターホン? そんな上等なものはうちにはない。
誰だろう。時刻は既に21時、配達されるものも特に無いはずだ。何も頼んでないから。
「はーい?」
扉越しに返事。
扉の向こう側から、くぐもった声が聞こえてきた。
「あ、あの…………朝野です」
「……っ!?」
弾かれたように立ち上がり、脱ぎ散らかした服で滑って転びそうになりながら玄関へと向かう。
この時ばかりは掃除をしない俺を恨めしく思った。
慌てて扉を開くと、そこには待ちわびた女性がいた。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
そして無言。
「と、とりあえず入る……?」
「……お邪魔します」
散らかった家に入ってきても嫌な顔一つしない。
ローテーブルの周りの服を隅にやり、座る場所を確保。
「……しまった、座布団が!」
「お構いなく…………って、それはちょっと」
服を畳んで座布団代わりにしようとしたが、流石にダメだったらしい。
「あ……やっぱり?」
テーブルの向かい側に座る俺。目の前にはコンビニ弁当が入った袋。
「…………食べる?」
「え?」
じゃあいただきます、とはならんだろう俺。
いきなりの来客にテンパっているようだ。
「この前の話、なんですけど」
「この前……?」
「え、忘れたんですか?」
何かあったか?
おもむろに告白して、振られて、終了。あら簡潔。
「………………」
咎めるようなジト目で見られている。可愛い。
じゃなくて、思い出せ俺。彼女は最後なんて言ってた?
最後、扉から出ていく前に……。
腕を組み、首を傾げながら目を閉じる。
その時の情景を思い浮かべて……。
――今日の所は、失礼します。
「……あ」
振られてないじゃん俺! 保留じゃん!!
「思い出しました?」
何度もコクコクと頷く。朝野さんはホッと胸を撫で下ろした。俺も撫で下ろした。
「それで、考えてきたんです、一週間」
固唾を飲み込む、とはこういうことだろう。
どんな言葉が出てくるのか、何を言われるのか。
心臓がバクバク鳴り続けているのがわかった。
「…………よろしくお願いします」
「……え?」
「責任、取ってくれるんですよね?」
「…………マジで?」
「取ってくれないんですか?」
「いや、取る。取るよ、総取りする」
訳のわからない返事に、朝野さんはクスリと笑う。
感情が遅れてやってくる。
胸の奥からこみ上げるように、感情が爆発していく。
「……ありがとう、ありがとう!!」
いかん、嬉しすぎて泣きそうだ。
むしろちょっと泣いてるかもしれない。
「でも、一つだけ条件があります」
「金よこせ……とか?」
「なんでですか。この部屋……掃除させてください。先週来たときから気になってたんです……!!」
部屋を見渡し、袖を捲る。
「あ、朝野さん?」
「遥でいいですよ。ええと……次郎さん」
交際して初めてのイベントは俺の家の掃除という奇抜な始まり方だけど。
振られた者同士、仲良くやっていけるに違いないはずだ――
読んでいただきありがとうございます。
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