失恋とヤンキーみたいなお隣さん
築20年のボロアパート。俺以外に住んでいる人間は俺と同じ苦学生や、外国の人が多い。
人付き合いは皆無に近く、誰がどの部屋に住んでおり名前はなんなのか。何も知らない。
昔とは違い、昨今はこういった希薄な交流関係が集合住宅ではスタンダードとされるだろう。
だから。だからだ。
隣にどういった人がいるのか俺は知らなかったのだ。
昨夜は色々邪魔をされ、苛立ちが最高潮だった俺は隣の家の戸を叩いた。
そして出てきたのは、なんと。
「あ? 何見てんだコラ、ぶん殴んぞ」
ヤンキー顔負けの美女だった。
口汚く、寝起きだから髪はボサボサ、赤いフレームのメガネをかけ、かなりの美人。
服はラフにタンクトップ、下はジャージ。カジュアルな格好だが粗野な口調に酷くマッチする。
体型にフィットするタンクトップが、女性的な胸の膨らみを非常に豊かに表現していた。
髪色は黒くそして長い、腰まではあるだろうか。
寝起きで苛立っている細い目はさながら視線で射殺す女番長。
「おい」
「あ、はい」
意外な人物が現れ、俺の怒りはすっかり萎んでしまっていた。
代わりに目の前の女性が俺の怒りを吸い取ったかのようにキレている。
「なんなんだ、こんな朝っぱらから」
「ええと……ですね」
「ハッキリ言えやコラ!!」
何度目になるかわからないが、俺の顔立ちは初対面だと恐れられることが多い。
顔立ちの所為で絡まれることは多かったが、逆に言えば顔立ちのおかげでケンカになることはなかった。
だから俺はケンカをしたことがない。
なので、こんなに怒鳴られるとすっかり萎縮してしまうのだ。
そして驚くことに、目の前の女性は俺の顔に怯えることなく、むしろ今にも殴りかからん勢いで詰め寄っている。そりゃそうか、寝てるところを起こされたら。
「と、隣に住んでる者なんですけど……」
すっかり涙声になっていた。
「あ? 隣って………………昨日のテメェコラ!!」
「は、はいっ!!」
「ドッタンバッタンやかましいと思ったら、次はイチャイチャ! うるせえったらねえ! イチャイチャの擬音が形になって壁をぶち破ってきたのかと思ったわ!」
んな訳ない。
「聞いてんのかボケコラ!」
「は、はい! すいません!」
「すみませんだろうが! 舐めてんのか!?」
「すみません!!」
苛立たしげに髪の毛をかきむしり、掻き上げる。
なびいた髪からなんか良い匂いがした。
しかし浸る暇はない、俺から勇ましく行った割に今の俺は直立不動だ。
だって怖いんだもん。
「はあ……んで、なんの用だよ?」
「あ……いえ」
「ハッキリ喋れや!」
「昨日はうるさくて申し訳ありませんでした!!」
あれ、なんで俺が謝ってるんだろう。
邪魔をされて怒っていたはずでは?
いつの間にか攻守逆転どころか、主従関係まで出来てる気がする。流石にそれは無いと思いたいが。
「詫びに来たってのに茶菓子も無しか?」
カツアゲまでされた……!!
ポケットから財布を取り出し、なけなしの紙幣を震える手で渡そうとする。
「アホか、すぐそこのコンビニで買ってこい。…………今何時だ? 8時ぃ? くっそ早え……。おい、ついでに朝飯買ってきてくれ」
「あ、はい。パンでいいですか?」
「ああ、甘いのを頼むわ。目も覚めるような甘いやつ」
「わかりました」
あれ、俺パシられてる。
生まれて初めてのパシリ。そして何故か女性はパシらせ慣れてる。
「早く行ってこい」
「はい!!」
ダッシュする。
アルミの階段が小気味良い音を立て、俺の足音を軽やかにさせた。
普段は徒歩十分程度の距離を、五分ほどで到着。
自動ドアが開くと共に来店音が響き、中にいる店員が挨拶する。
「いらっしゃいませー……って先輩?」
ひなただった。
「そういえば今日は朝からだったか」
「はい、昼で終わりなんですけどね。どうしたんですか先輩、こんな朝早くから」
パシられてるんだ。それを言うのは流石にそれは俺の沽券が許さなかった。
問いには答えず、パンコーナーへ。
甘いパン……甘いパン……。あ、これでいいか、はみ出る生クリームサンドパン。うえ、甘そう。
よし、次は飲み物だ。……って、飲み物?
やべえ、あの人の好み知らねえぞ。甘い飲み物? 苦い飲み物?
甘いパンに甘い飲み物って胸焼けするんじゃないか? じゃあ苦い飲み物か? うーむ。
一通り悩んで、俺は飲み物を手にする。そのままレジへ。
「はーい……珍しいですね先輩、甘いパンなんて」
「……ああ、まあたまにはな」
「それで飲み物が……正気ですか?」
「良いから早く打ってくれ」
「はいはいっと、今日は先輩バイト休みですよね? 大学は?」
「今日は大学も自主休講だ」
「何処か行くんですか?」
その予定だったが。
どうもその予定は無くなりそうな予感がした。
「いや、今日は予定は無い」
そういうことにしておこう。せめてもの俺のプライドだった。
「へえ、そうなんですか……」
早く戻らないと、と焦るばかりで、俺は気付かなかった。
ひなたが何やら含み笑いをしていることに。
「じゃあ、またなひなた」
「はーい。お疲れ様でーす」
店を出て帰宅する。
急がないと……!
――――――――――
「はみ出る生クリームサンドパン。まあこれはいい」
お隣さんの家の前で背筋を伸ばして立つ俺。
学校の気をつけですらここまで綺麗な姿勢を取ったことはないだろう。
「飲み物だが、なんだこれ」
「ビールですが」
「今何時だと思ってんだ」
「8時半ですね」
「朝からビールだと?」
ヤンキーだと普通じゃないのだろうか。
寝起きにビール、昼にビールで夜にビール。そういうイメージだったけど。
「そのイメージはただのアル中だろうが」
「ですか」
「それにあたしはヤンキーじゃねえ」
え? と言いかけた口を慌てて塞ぐ。
しかし仕草でバレたのだろうか、軽く睨まれてしまった。
「はあ、まあいいや。とりあえず入れよ」
「え、いや俺は……」
「いいから」
「はい」
俺に拒否権は無かった。
部屋に足を踏み入れる。俺の部屋と同じ間取り。
しかし鼻をくすぐるのは何やら甘い香り、同じ家でも匂いが違うとは。
「あんまり嗅ぐんじゃねえよ。恥ずかしいだろうが」
「すいま…………すみません」
無機質な俺の部屋とは違って、華やかさを感じるのは何故だろうか。
あの飾ってる花の所為か? あれって造花か?
それとも観葉植物? あれって生きてるのか?
同じ六畳間とは思えない。
「悪かったな。寝起きはいつも悪くてよ。口悪かったろ?」
「いえ、そんな」
今も悪いです。とは言いたいが言えない。
俺がコンビニに行ってる間に整えたのだろうか、ボサボサだった髪は流れるようにサラサラに。
上半身はタンクトップのみだったのが、ジャージを羽織っていた。でもやっぱジャージなのか。
履いているジャージと同じ色柄だった。
「コーヒーで良いよな? 嫌だと言われても家にはそれしか無いけど」
「お構いなく」
産まれてきてこの方、これほどまでに行儀よくしたことがあっただろうか?
………………無いな。少なくとも記憶にはない。
「ほい。砂糖とミルクは?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
「なんだなんだ、これがあたしの家の扉を殴ってたやつと同一人物だってのか?」
ガラスのローテーブルの向かい側に片膝を立てて座り込む。ちなみに俺は正座。
借りてきた猫のように大人しくなった俺に対して、女性は破顔する。
お淑やか、という言葉とは程遠いが、軽快に笑うその様は少し粗野な女性のイメージにぴったりだった。
「ところで、昨日のやつは彼女か? それともデリ嬢か?」
「彼女ですよ。そういったサービスは頼んだことありません」
「そうか!」
何故か顔を明るくする。え、なんで? この人デリ嬢なの?
「ぶん殴んぞ」
「ごめんなさい」
ガサガサと袋を開け、生クリームサンドパンにかぶりつく。
「あっま。ちょい半分食ってくれ」
生クリームたっぷりのサンドパンを半分ちぎり取り、口を付けてない方をよこしてくる。
指に大量の生クリームがつく。
とてもいらないとか言える雰囲気じゃなかった。
「昨日はすこぶるイライラしてたんでな。悪かったな」
「いえ、こちらこそ騒がしかったみたいで……」
「本当にやかましかったのはドッタンバッタンと誰かと取っ組み合いをしてるかみたいな音だったな。それ以外は別に」
「あれは俺が転んだだけなんですけどね」
半分の菓子パンをぺろりと平らげ、壁際に置いてあるノートPCの隣から、何やら紙の束を持ってきた。
俺も慌てて詰め込むように食べきる。めっちゃ甘い。
ブラックコーヒーが甘さにちょうどよかった。
「今詰まっててよ。ちょっとこの会話の部分読んでみてくれ」
「これは…………」
「いいから。ほら、さんはい!」
両手をパンパンと叩き、急かされる。
水道を借りて指についた生クリームを洗い落とし、改めて紙の束の前に。
深く読む時間はなく、字を目で追いながらカギカッコがついた部分を読み上げた。
「えー…………『オレは男だとか女だとか細かいことは気にしない。ただただお前が欲しい、引き締まった肉体、艶のある肌、逞しいお前のその……』ってなんだこれ!!??」
そこまで読み上げた瞬間、紙の束を奪われた。
「ごめん、間違えた。これじゃなかった」
「え、あれなんですか? なんだったんですか!?」
見た感じ男と男のラブストーリーって感じだったが。
「いや、マジで悪い、ホント忘れてくれ」
と言われても。会話だけで情景が浮かんでくるほど生々しい表現だった。おえー。
見てみれば、お隣さんは顔を真っ赤にしていた。
俺の視線に気付くや否や、長い髪で顔を隠す。え、読ませたのに照れてるのか?
「悪い、こっちだこっち。こっちを読んで欲しい」
渡されたのは違う紙束。…………こっちは普通みたいだ。
「『俺はお前を愛している。他のすべてを投げ売ってでも、お前を手に入れる為ならどんな犠牲でも払う。こんな荒れ果てた世界でも、お前と一緒にいればそこは全てがエデンなんだ。お前が欲しい、お前を愛している』」
悲恋なんだろうか、一枚目だとまだ先はわからないが、ラブストーリーであることはすぐにわかる。
これで良いんだろうか、とお隣さんを見ると。
「………………」
何やらこっちを呆けたように見ていた。
「あの……?」
「あ? い、いや……お前、案外良い声してんだな。イメージに思ってたよりもピッタリだった」
「はあ、それであの、これって一体……?」
この話ってなんなんですか? と聞きたかったが。
紙束を奪い、俺に立つようジェスチャーする。
言われた通り立つと、扉を指さした。
「あ、ありがとな。今日は助かった。悪いな、彼女とイチャついてるのを邪魔しちまって」
急かされるように追い出され、口をきちんと履く前に扉を開けて外へ促される。
開けた瞬間、見知った顔が目の前にいた。
「……先輩?」
「…………ひなた?」
「………………知り合い?」
ひなたの視線が俺とお隣さんを行ったり来たり。
最後に俺に留まる。
「………………」
大きく息を吸うひなた。そして。
「浮気だああああああああああああああああああ!!!!」
その声は、隣の県まで聞こえるほどだったという。
読んでいただきありがとうございます。
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