失恋とアジ
鼻歌交じりに商店街を歩く。鼻歌を聞きつけた通りゆく人が、俺の顔を見て道を開ける。まるで羊飼いだ。
だけどもう慣れた。慣れるべきじゃあないのかもしれないが、慣れるしかなかった。
時刻は夕方、個人の商店は賑いを見せていて、このワンシーンだけだとスーパーとかに客を取られているのが信じられないくらいだ。
個人商店をハシゴするのに忙しい主婦の方々は俺の鼻歌にも俺の顔つきにも目もくれず、如何に安いものを手に入れるかとマイバッグ片手に値札とにらめっこしていた。
「おおん? 誰かと思えば」
と、目の前から声をかけられる。
「えーと……?」
見覚えはある、だけど……。
何処で見ただろう。
青いキャップを被った中年の男性、黄色いメガホンを片手に持ち、胸には撥水性の高そうなビニールのエプロン。
「コンビニで……?」
バイト中に来る客だろうか?
「コンビニぃ? 違う違う! ほら、喫茶店で!」
喫茶店。……喫茶店?
「……ああ! 遥の店の常連のおっちゃん!!」
「そうだよ! やっと思い出したか!」
そう言って破顔するおっちゃんは俺の肩をバシバシ叩いた。なんか生臭い。
往来の真ん中で談笑していても誰も気に留めないあたり、商店街なんだなあ、と実感する。
「相変わらず顔が厳ついねぇ! 今日もみかじめ料はどうだったんだい!?」
「やめてくれよそんな事大声で言うの」
信じる人がいるかもしれないじゃん。ほら、なんかあの人俺を見てスマホを取り出した。やめてマジで。
俺の危惧もなんのその、豪快に笑うおっちゃんは俺の背中をバシバシ叩いた。なんか生臭い。
「がっはっはっ!! 冗談だよ冗談!!」
「おっちゃんは俺の顔を怖いと思わないのか?」
「思わないね。売り上げちょろまかして競馬に行ったのがバレた時のうちの嫁さんの方がよっぽど怖いぜ」
売り上げちょろまかすのはダメだろう。
っていうかそんなもんなのか。恐妻家に限った話かもしれないけど。
「んで、今日はどうしたんだい?」
「どうしたんだい……って、家に帰る途中なんだけど」
大学から家に帰るには商店街を通るのが一番早い。
賑わっている時間に通るのは久々だけど、初めて誰かに声をかけられた。ちょっと嬉しい。
人付き合いに飢えてるんだろうか、俺。
「へぇー、今日の晩飯は決めたのか? 今日はアジが安いよ!」
「アジ?」
おっちゃんがメガホンで指し示したのは、一軒の鮮魚店。
「鮮魚……フジタニ?」
「おう、俺の城よ」
ああ、だから生臭いのか。いや失礼。
仕事をする男の臭い…………いや、表現の言及はもうやめよう。
「気軽にフジさんって呼んでくれや!」
魚屋のおっちゃん改め、遥の喫茶店の常連のおっちゃん改めフジさんは気さくに笑い飛ばす。
「俺は昼河次郎。よろしくフジさん」
「よろしくな遥ちゃんの彼氏さん!」
名乗った意味よ。
「で、魚どうだい?」
「いやあ、俺自炊出来ないから……」
「遥ちゃんにやってもらえばいいじゃねえか!」
そんな急に言うのは流石に失礼じゃないだろうか。
俺ジロー! 魚買わされて料理できないから捌いてくれない? 言えるかそんなこと。
「………………ぱーい!」
「…………」
嫌な予感を背中から感じる。
背後からドドドドド……なんて聞こえてくるような聞こえてこないような。
「…………んぱーい!」
「……あん? 何の音だ?」
フジさんには聞こえたようだ。俺は聞こえたと思いたくない。
「せーんーぱーいー!!」
脳天気な大声が商店街を木霊する。
雑談に花咲かせていた主婦たちも、響き渡る声に矯正中断させられていた。
「とりゃあああああああああああ!!」
飛びかかってくるであろう掛け声。
横にサッと回避した。
「ぐはああああああああ!?」
「ふ……フジさーーーーーん!!」
しまった。アホの突撃をフジさんに押し付けてしまった。
周囲の視線を俺たちが独り占め。件の弾丸はむくりと起き上がり、俺に向き直る。
「ひなた!!」
「なーんで避けるんですかー!!」
そしてさらにタックル。
フジさんの被害を思えばもう避けることは出来なかった。
両肩を抑えて突撃を阻止する。こいつ……何処にそんな力を!?
「闘牛かお前は!!」
「もー!」
それは牛の鳴き真似なのか、それともタックルできなかったことに対する不満なのか。
「って、お前の相手してる場合じゃないわ、フジさん大丈夫か!」
「あ、ああ……」
ピクピクと痙攣しているフジさんの手を握って引き起こす。
ダメージは甚大だが何故か満足そうな笑みを零していた。何故?
「久々に若い娘に触れたぜ……」
変態じみた言葉を漏らしていた。それ以上はいけない。
「嫁さんは貫禄ばっか付いてきておっかねえったらねえし、息子は魚くせえって寄り付きゃしねえ。俺の味方は犬だけよ……それも散歩の時と飯の時しか寄ってこねえけど」
なんか……苦労してるんだなあ。
商店街のど真ん中でおじさんの結婚後の苦労話を聞かされても、どういう反応すればいいかわからない。
それに、奥さんと思しき女性が鮮魚店からすごい視線を飛ばしてきている。気付け、気付くんだフジさん。
「久々に若いエネルギーに触れたことで十歳くらい若返った気がするぜ、ほい嬢ちゃん! もう一回!」
「セクハラっぽいからイヤですー!!」
「がはははは!! そうか!? セクハラっぽいか!!」
何がおかしいんだろう。
話の中心にはいるはずなのに、全てにおいて置いてけぼりにされているこの感覚。
これも友達がいなかった弊害だろうか? 関係ある?
「アンタあ!!! 早く戻って仕事しな!!」
「ちぇ、もう少しくらい良いだろって、なあ?」
「それは同意を求められても困る」
「まあしょうがねえ、仕事してくるわ。じゃあ兄ちゃん、また喫茶店でな!」
メガホンを振りながら店へと戻って行くフジさん。
奥さんに頭を一度叩かれ、ずれた帽子を被り直してからメガホンを口に当ててに客寄せを始めた。
「今日はアジ!! アジが良いのが揚がってるよ! 焼くも良し、刺し身にしても良し! なんならフライだって美味しいよ! アジー! アジアジアジ!! 奥さん! 道行く人も今日のメインは魚でどうだい!?」
美味そう。
口内で想像がかき立てられ、生唾が出てくるのがわかる。
しかし悲しきかな、わたくしジローは料理が出来ません。
…………そうだ、今度リクエストしよっと。
ウキウキ気分で帰路につく。…………つこうとした。
服の裾を掴まれていた。
「なんだ、まだいたのか」
「お腹すきました、喫茶店ってなんですか? アジ美味しそうです!」
「どれかにしろやかましい」
「お腹すきました」
俺も。アジの売り口上ですっかり腹の虫のプレリュードが始まった。
「なんか食ってくか?」
「ご馳走様です!!」
「奢らないからな」
「ありがとうございまーす!」
「奢らないからな!!」
「ケチー」
まったく。油断も隙もない。
しかし、何を食べようか。
口の中はすっかり魚なのだけれど、この辺に美味しい魚を食べられる店を、俺は知らない。
ひなたは…………知らないだろうな。
「なんですか?」
「美味しい魚を出す店知ってるか?」
「知りません!」
だろうな。
どうしたものか、と考え込んでいると。
「あれ、ジローさん?」
「遥?」
買い物途中と思われる遥と出会った。
「こんにちは!」
「こんにちは、ひなたさん……でしたっけ。…………お二人で何を?」
「こいつがフジさんにタックルして、そしたらフジさんの魚の売り文句の所為で魚が食べたくなったところなんだ」
「…………もうちょっと詳しく」
かくかくしかじか。
「なるほど。聞いてたら私も食べたくなってきました」
「じゃあ三人で行きましょうよ!」
「良いんですか?」
と、何故か俺に聞いてくる遥。
「勿論。一緒に行こう」
「じゃあ、ご一緒させてもらいますね。……あ、その前に買った物だけ冷蔵庫に入れに行ってもいいですか?」
「うん。ひなたも構わないよな?」
「はい、もちろん」
こうして、三人で晩御飯を食べに行くこととなった。
「ところで、遥は美味しい魚が出るところって知ってる?」
「……知りません」
前途は多難だった。
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