金持ちの国の紛争予防
1:移民受け入れ。若者過剰国は命の値段が安くなるので争いの元
若者を受け入れる事で争いの種を事前に摘む。
2:自由貿易。働けば品物はかってやるという姿勢を明らかにする。
GATTやらOECDやらIMFやらアジア開発銀行やら様々な国際機関を作って
現状に不満を持つ現状打破勢力に向けて暴れなくても発展できる可能性を見せる。
3:NATO等の集団安全保障体制作り戦争仕掛ける奴に対して集団でお灸を据える
で1の移民受け入れはもう限界になった。
例えば日本でも貧乏な国の人達が「日本に移住させろ。日本列島を広く人類に解放しろ」
と言われてもそんな事をしたら日本が日本でなくなっちゃう。
一日1個金の卵を産む鶏を潰す話だが、今までの日本は金の卵を周辺国に配って
難民流入を自制してもらっていたが、やがて軍事力を増強して日本を脅し
俺の国には卵を1日2個持ってこいと言い始める国が現れたが
その頃には鶏は疲れ果てて卵を沢山産む事が出来なくなっているので、
日本政府は鶏を潰して日本国を他国へ解放し始めた。
これが今。
人口増加国は命の安いので戦争コストが安い
隣に人口が少なくて金持ちで清潔な国がある。
難民として移住したいが受け入れてくれない。
働きに行きたいが入れてくれない
自国で一生懸命作った製品には高い関税を課して買ってくれない。
ならばアメリカやロシアや中国から安い武器を買って攻め込んでやろうと思う国が
出るかもしれない。
たまにくれる援助金で武器を買えば次は兵隊が必要だが人間は沢山いる。
中国も日本の力を間接的に削げるし、武器を売って設ける事も出来る。
日本の援助金が武器や麻薬に流れない保障なんて何処にもない。
日本が第二次大戦で戦争したのも何か国家戦略があっての事ではない。
日本は世界の端っこで今まで通り平和に暮らしたいと思っていた。
アメリカやイギリスと戦う気など最後の瞬間まで無かった。
日本が求めたのは勤勉と輸出によるそこそこの生活で
アジアの片隅に自分の為の4畳半を維持したいだけだった。
すこし成長して6畳一間位になったら良いなと思っていた位。
ところが人口が増えてそれまでは余剰人口をアメリカに出していたが、突然
割り当て制になって止められた。
白人はいいが黄色人種のしかも日本人は受け入れないと言われた。
1924年の排日移民法
で日本国内に若者が溢れかえった。
そこで満州に出したがこれは間違った判断だった。
石橋湛山が言っていたように
韓国や満州は不良債権で持ち出しばかり、だったら日本国内を充実させた方が良かった。
不良債権とは
投資効果がマイナス
回収の見込みがない
国内投資の方が有利
回収努力に外交力が必要になる
回収しようとすると国際問題になる
等々
現にそうなったが、
石橋湛山の言ったとおりに国内投資を充実させても輸出が拡大しないと雇用問題は解決しない。
日本の輸出は当時アメリカやイギリスによって妨害されていた。
安くていい物を作っても買ってくれる人がいなかった。
当時は保護貿易まっさかり
そのうちアメリカは石油も屑鉄も売ってくれなくなった。
石橋湛山は
大陸進出に対し中国は反発し、アメリカは中国に同情する
ただでさえ日本の輸出を締め出そうとしているアメリカは一層保護貿易に走る
大陸進出は日本の生きる道をさらに狭める物だと
じゃあどうすればアメリカが自由貿易に応じてくれるかは石橋湛山は答えてくれない。
明治維新の元勲達なら
西洋列強と同等の力を付けるまでは臥薪嘗胆し力で納得させると辛抱して
南方に日本の経済圏を作ったと思うが、
当時の日本にはその我慢強さを持つ指導者はいなかった。
力を付け戦う以前に相手を屈服させられるほどの経済圏を持ってから殴り合えば良かった
明治はそれをした。
つまり移民を受け入れないなら自由貿易が必要になる
どちらもしなければ戦争になる。
貧乏国の政府に直接援助金を渡すやり方では国民の生活は改善されない
政府の腐敗。堕落を招き援助金その物では買わないが、援助で浮いたお金で
軍艦や戦闘機を買う。
終戦直後は裸足で過ごしていた日本が80年経って曲がりなりにも発展したのに
「まだ我が国は貧しい。援助が必要だ」と言っている国は何かがおかしい?
何かがおかしい国に援助してもそのおかしさを助長する事はあれど、改善される
事はない。
もしそれでもお金を渡したいなら政府にではなく、国民一人一人に働きに応じて
渡すべきである。
それは援助という形ではなく賃金になる。受け取る側は頭を下げる必要もなく
胸を張って受け取ればいい。
それが自由貿易である。




