発展と衰退の条件は同じ?
戦後直後大学の経済学部では日本が発展しない理由を
1:日本は資源が乏しい
2:日本は人口が多すぎる
3:日本は中小企業が多すぎて効率が悪い
4:日本は島国で半封建的な人間関係が多すぎる
5:資本蓄積が不足で巨大技術の導入が困難
6:日本は技術後進国で追いつくのは当面困難
7:ひらがな、カタカナ、漢字と覚える物が多く勉強が進まない
8:米を腹いっぱい食べると頭が合悪くなる
これらは変りようがない客観的条件なので日本は永遠に発展しない事になる。
これらが客観的条件だが
その20年後日本経済は急成長しアメリカ・フランスと肩を並べ
9000ドルになった。
この時の発展した客観的条件は
1:日本は資源がなくて島国だったからイイ(世界中からよりどりみどり
で一番安い石油や石炭、穀物を資源を買える)
国内資源産業保護の為の支出がない
2:日本は人口が多くて、優秀な人的資源が豊富だった
3:義理人情経営は効率がいい
4:中小企業は経営判断スピードが速く改善が進む
5:資本蓄積不足はいつのまに解消
6:漢字も一度覚えてしまえば情報伝達手段としては人間のパターン認識能力をフルに使える
この様に同じ客観的条件が20年で不振理由から優勢理由に変わる
学者は客観的条件だけを指摘して
その条件下で生き抜いてゆこうとする日本人の意欲と努力を指摘しないので分析は不十分なものになる
それは仕方のない事。それが学問の世界というもの
学問は「客観的条件」だけ抽出し「主体的努力」の領域には踏み込まないのを前提にしている
この様な再現できる条件のみを分析する事が近代科学のスタートなのでそれゆえに普遍的法則の発見が出来る
だから学者に主体的努力を分析させるのは困難なので責めちゃ駄目。
ただ前澤さんの様に余りにも個人的な主体的条件を理由にしても
それは個人の問題なので変えようのない数字です。
そもそも数字化出来なし。
これらを理由にすると日本は永遠に発展できない事になる。
昔の勤勉は良き工場労働者たれと教えている
産業化が未熟な国は工業化を国家目標にし、そうする事は何の問題も
無かった、国民一人一人も農業的労働観より
工場労働者的労働観で働けば収入も名誉も容易に得られた
国家もそうした国民を増やす事が富強への道だった。
明治からバブル期頃までは工業的勤勉さが本当の勤勉さであり
それ以外の勤勉さは存在しない様に見えていた。
休みなく体を動かし、単調な仕事のくり返しに耐え、衣服が汚れる事を厭わず、無駄口をきかず、命令通りやり遂げ、あたかも機械になる様な人間が勤勉に当てはまった。
頭脳労働も常に問題の所在と、コストカット等の効率中心な処理を求められた。
氷河期世代もこの勤勉さを求められたが、
不景気にも関わらず増税と金融引き締めによる急激な円高により
工場が国内から無くなったのでこれも意味が無い。
もっと突っ込んだ内容は動画で
https://youtube.com/live/KLQGAimtaUo




