第三話 森の夢
城下街へ足を運んでから数日が経ったある日、ステラは落ちこんでいた。
「王女様、最近元気がないようですが……」
昼食を食べのこしたらバーバラが尋ねてきた。
「お花、枯れちゃった……」
枯れてしまった花は、数日前に献上されたイッペーであった。この花を気にいっていた彼女は、心底落ちこんでいた。
「王女様はどうしてそんなにイッペーをお気に召していたのかしら?」
「えーっとね。前に一度だけ見たサクラに似てるからかな。でもサクラは今の季節は見られない」
「サクラを思い出していたのね」
ステラはイッペーの花をもう一度愛でたいという衝動に駆られた。しかし、隣国の花というのはそう頻繁に献上され送られてくるものではない。いてもたってもいられなくなった彼女は、城を飛びだした。
街では誰もがステラに優しく挨拶をしてくる。いつも通り混じり気のない満面の笑顔で返しているはずの挨拶からは、どこか虚しさが滲みでていた。
途方に暮れた彼女は、港のデッキへと向かった。そこはこのルーダン王国の中では、世界の中心たる森にもっとも近づける場所。水がサラサラと流れる水車があるこの場所もまた彼女のお気に入りであった。
気がつけば日が落ち、空は彼女の心を表すかのようにのように黄昏だしていた。
「もう帰らないと……バーバラが心配するわ。でも帰りたくない」
この湖を渡ればどこへでも行けるというのに、どこにも行けない。行き場のないもどかしさは、彼女の心に暗い影を落とした。
次第に空は薄暗くなっていった。
まばらに輝く星々を見あげて彼女は、ため息をこぼした。
「なんだろうこの気持ち。バーバラは絵本で色んな感情を教えてくれたけど、こんなに気持ちになったのは初めてだわ」
そんなときであった。ローブを羽織った大柄な男が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、お家に帰らなくていいのかい?」
「キャッ!」
突然声をかけられたことに驚くあまり、彼女は大きな声を出した。その声にまた、男も驚いているようであった。そして瞬きもせずに、ステラを凝視していた。
若干の恐怖を感じたステラは、数歩だけ後ずさりをした。
その間も男は目を大きく見開き、彼女のことを凝視しつづけていた。
「あの……なにか?」
「あ、いや、なんでもないんだ。人を思い出してしまって。すまない……」
男は妙に口ごもりながら、ボソボソと答えた。
「おじさん誘拐犯?」
ステラがそう尋ねると、男は慌てて否定した。
「あ、いや、違うんだ! ここは思い出の場所でね。たまたま寄っただけさ」
男は髭を撫でながら苦笑いを浮かべた。そしてステラにこう尋ねた。
「お嬢ちゃんはどうしてここに?」
「ここから見る森が好きで……私はいつか、あの森に行ってみたいの。おじさまも森に行ってみたいと思ったことはある?」
男は険しい表情になり、黙りこんでしまった。幼い少女の些細な質問にしては、男が考えこむ時間はあまりにも長かった。
周囲には、水車が軋みながらまわりサラサラと水が流れる音だけが響いていた。ステラが会話を諦めてその場を立ちさろうとしたそのとき、男はようやく口を開いた。
「私も森へ行きたい。しかしもう森は……」
ステラは意味が分からず、その意味を尋ねた。しかし男は強引に話を変えた。
「お嬢ちゃんはまだ幼いのに森に興味があるんだね。いや、だからこそか。あそこは特別な場所だ」
「おじさまは森について何か知ってるの?」
「人並みにしか知らないよ。世界の中心であり、この世でもっとも美しき所。命あるものが作り出す最高の極相。それがあの森だ」
「おじさまも森が好きなんだね。私と同じだ」
男は頷くと、おもむろに裾からなにかを取りだした。
「お嬢ちゃんにこれをあげよう。気に入ってくれると嬉しいのだが」
それは複雑な模様をした、深緑の綺麗な石であった。
「おじさま。掌に面白い模様を彫ってらっしゃるのね」
掌の模様が気になったステラはそう言いながら石を受けとった。その瞬間、石が微かに輝いた。
「石が喜んでいるかのようだね」
男は手をローブの袖にそっと隠し、微笑みながら言った。
「わたし、これとっても気に入ったわ! 森がこの中に息づいてるみたいだもの!」
「それはよかった」
歓喜するステラを見つめながら男は微笑んだ。暗くてよく見えなかったが、泣いているようにも見え、声は震えていた。
「お嬢ちゃん。気をつけて帰るんだよ!」
「おじさまも!」
そう言うと男は背を向けて立ちさっていった。
城へ戻るとバーバラが心配したようすで駆けよってきたが、ステラの表情を見るなりホッと息をついた。
「お帰りなさいませ。王女様」
バーバラは優しく声をかけてくれた。
その日の夜、バーバラの眠りを誘うような優しい声に耳を傾けながら、ステラは石を握りしめて眠った。眠りについた彼女の手の中で、石がまたしても緑色に輝いていた。
★★★~ステラの夢の中~★★★
彼女は、巨大な木々が聳えたつ森の中で優雅なドレスを身にまとっていた。森のさざめきを感じながら歩いていると、今まで想像すらしたことのないほど大きな巨樹に突きあたった。
その巨樹の幹には扉がついており、ステラは恐る恐る扉を開けた。
中に入るとそこは無数の翡翠の吊るし飾りに彩られた美しい部屋で、正面には片膝をつき彼女に手を差しのばす青年がいた。
「さぁ踊りましょう。王女様」
見慣れぬ民族衣装を身にまとう青年とともに、彼女は社交ダンスを始めた。
彼女は心を包みこまれるような奇妙な感覚を味わった。
「なんだろうこの感覚。懐かしい……ってやつかな。でもなんで?」
青年のリードからは、まるで優しく抱きしめられているかのような、暖かさが感じられた。心の琴線を情緒的に鳴らすそのステップは、夢が覚めるまで、彼女を癒しつづけた。