第三七話 嵐影湖光
ルスランはハッシュの隣で状況を打開する策はないか思考をめぐらせていた。
「くそっ、昨晩は時を伺っていたのか……もう……おしまいだ!」
「ハッシュさん。森まではあとどのくらいで着きますか?」
「分からない。でも進んできた距離から考えると、そう遠くはないはずだ」
「それなら、怪物の目を目がけてラクスムーンを投げましょう! 明かりのある船から離れて顔を出しているということは、光に弱いのは間違いない。きっと一時は目を眩ませて動けなくなるはず!」
「やるしかないな……。オレは出航の準備をする。ルスラン。船が出航できるまでの風が吹けば……俺たちは逃げられる! 攻撃の合図は任せたぞ!」
ルスランは頷き、会話を聞いていたサリーフや周囲の子供たちに目配せした。
風が彼らに味方するかのように、その機会は早く訪れた。彼らが配置についてから、それは数秒の出来事であったが、彼らにとってはまるで時が止まったかのように長く感じられた。
(まだか……)
帆柱がミシミシと音をたてる。今か今かと風を待ちながら締めつけられ軋む音は、怪物に怯える船の悲鳴のようにも聞こえた。
(まだか……)
風を待つハッシュの顔からは冷や汗が滴りおちる。
ビューーーッ
「ルスラン! !」
北西からの風が吹いたその瞬間、ハッシュはルスランの名を叫んだ。その合図を受けたルスランが、ヌライに向かって叫ぶ。
「今だヌライ! ラクスムーンをオッドフィーラーの顔めがけて投げこめ!」
「分かったわ! ルスラン!」
ヌライは重責に狼狽えながらも、すぐに反応し、投擲した。
ヌライの放り投げたラクスムーンは、綺麗な弧を描き、怪物の顔面に直撃した。その衝撃でラクスムーンはボロボロに砕けちった。
怪物は甲高い悲鳴のような唸り声を上げ、湖の中へと沈んでいった。と同時に、とぐろを巻いていた怪物の触手も帆柱から離れ、湖の中へと消える。
「今だ! ハッシュさん!」
「任せろ!」
船は突風に乗り、出発した。
「はははっ。やったぜ!」
「やったぁー! !」
子供たちは抱きあい、船に歓声が上がる。
「もう……追ってこないかな……ねぇお姉ちゃん」
「大丈夫よファリド。さぁ、こっちへおいで」
トゥヴァはファリドを優しく抱きしめ、湖を眺めた。
「お姉ちゃん。そんなに強く抱きしめなくても」
「あれを見て……。まっ赤な光がこっちに向かってくるわ……」
それは遠方の水面に赤く光るオッドフィーラーの目であった。絶望を前にしてトゥヴァの声は震えており、船内に再び沈黙が訪れる。
「ハッシュさん。このまま逃げきれますか?」
「ムリだもう一度、投げこむしかない」
「ヌライ! 任せたぞ」
ルスランにラクスムーンを渡されたヌライの手は震えていた。再び訪れた重責に押し潰されそうになっていたのだ。しかし彼女はそれを顔には出さなかった。闘志だけは負けてはならないと思っていたからである。彼女は、恐怖を隠し気丈に振るまいながら答えた。
「しょうがないなぁ~。うちに任せて! じゃあいくよ! えいっ!」
またもやヌライの放った投擲は綺麗な弧を描き赤い光のほうへと向かっていった。
「さすがだヌライ!」
ビュン! バンッ!
一瞬、成功したかのように見えたが、ラクスムーンは湖から現れたオッドフィーラーの触手によって、粉々に砕けちった。
「なんで!」
ヌライがガクンと膝から崩れおちる。
「こうなったらやけくそだ! みんな投げこめ!」
「ちょっと待ってサリーフ!」
ポニーの声かけ虚しく、恐怖に怯えていた子供たちは、物凄い勢いで近づいてくるオッドフィーラーの顔面を目がけて、一斉にラクスムーンを投げこんだ。
ビュン! バンッ! バンッ!
ビュン! バンッ! バンッ! バンッ!
一心不乱に投げこまれたラクスムーンは無情にも触手に叩き潰され粉々に砕けちったあと、湖の中へと落ちていった。
瞬く間に船内は、まっ暗になった。
「も……もう終わりだ。フィンさん。ぼく……」
ルスランの目からは涙が溢れだしていた。不甲斐なさから自身を蔑む気持ちで胸がいっぱいになり、情けなかったのである。
(僕ははやっぱり、フィンさんの代わりにはなれない……)
暗闇と恐怖が船を包みこむなか、子供たちの大半は諦め泣いていた。
怪物の赤い目が船のすぐ近くまで迫っていた。
ステラは、船首でただ一人、目を瞑りながら手を組み祈った。
(お願い……。フィン……。わたしたちを助けて)
暗闇の中近づいてくる恐怖に体はガクガクと震え、大粒の涙を流しながらも彼女は祈り続けた。
(お願い……。お願い……!)
次の瞬間、瞼の裏がぼんやりと青白い光に満ちていくのを感じた。
「ステラ! ステラ!」
体を揺さぶられたステラは、目も開けずに震えた声で返事をした。
「なに? ルスラン」
「これは、いったい……」
震えるルスランの声に違和感を覚えたステラは、眩い光に別れを告げることに名残惜しさを感じながらも、ゆっくりと目を開けた。すると、湖一面が透きとおるような光で満ち満ちていた。
「こっ……これは」
よく目を凝らして湖を覗きこむと、そこには集団で泳ぐラクスムーンの姿があった。
「きっと、祈りが通じたんだわ……」
少しすると船の辺り一面は光に包まれ、船を追っていた赤い光りもいつのまにか消えていた。
湖を泳ぐラクスムーンの透きとおるような輝きと、揺れる水面で辺りは神秘的な輝きに包まれていた。
船に活気が戻るなか、ステラの目からは涙がゆっくりと流れ、頬を伝っていた。
(助けてくれてありがとう……。この景色……一緒に見たかった……)
彼女の瞳から流れでた涙は、一滴、また一滴と彼女の頬を伝い煌めく湖の中へと滴りおちていった。




