第一四話 蝋燭と影
XXX~ジン王国 湖岸沿いの古民家~XXX
深夜、零時を回ったころ、少年が一人、湖岸沿いを歩いていた。普段ならとっくに寝ている時間なのであろう。少年は瞼を擦りながら、継ぎはぎだらけのコンパネの扉をゆっくりと開き、建物の中へと入っていった。
「やあフィン。こんな夜中に突然ポニーの伝書瓶が届いたものだから……ビックリしたよ」
「夜遅くにすまないクルヴス……」
「ドスさんの件は聞いたよ。君が国を抜けだそうとしてるのも。そこまで聞かされて、眠たいから明日にだなんて言えないよ。でもいったいどうするの?」
クルヴスの問いにフィンは、一言一言を噛みしめるように答えた。
「色々と考えはあるんだ。だからそれを実行に移せるかどうかを話し合いたい」
部屋の奥から出てきたポニーがつづける。
「クルヴス、あんたならこの国を抜けだすための抜け道を知ってるはず。そう思って呼んだんだよ」
三人は円卓を囲うように椅子に座り、話しあった。円卓の中心に置かれた蝋燭は、話しあいをする彼らの吐息で揺らいでいた。
灯油は貴重であるため、薄暗い部屋の中心に据えられたその蝋燭だけが、彼らを照らす唯一の光であった。
そして、それはまるで彼らの生命のようであった。この国にいるかぎり訪れるのは、虐げられ、己を殺し労働に勤しむだけの毎日。彼らの中にあるのは、途絶えかけた小さな命の灯火。それとは対照的にいかなる時も彼らにつきまとうは巨大な影。
灯火を絶やせば最期、身体が壊れるまで国に飼い殺されるだけの人生を迎える。もはやそうなれば、息をするだけの死人であり、その運命を受けいれるということは、その後の人生をすべて放棄するということだ。
だからこそ、フィンはなんとしてでもこの国を抜けださなければならないと考えていた。
「小さな筏を作ってルーダンまで湖を進むとか?」
「ダメだよクルヴス。そんなことをしてたら沿岸警備隊にすぐに捕まってしまう。湖を渡るにはもっと速くて精巧な船が必要だ」
「でもそんなのどうやったら用意できるんだ。手に入れるなんて不可能だ……作るしかない」
「ダメよクルヴス! そんなことしてたら、フィンが一五歳になるじゃない。それにあたしも……」
ジン王国では、一五歳になった者は皆強制労働を課せられる。それは一部の貴族階級を除き、男女ともに課せられる義務なのだ。そして、課せられれば最期、自由も娯楽も秩序もなくただ暴力に怯えながら死ぬまで働かされる。
また、この国では幼いこれから労働を課せられるが、それは洗脳のためだ。暴力とわずかな自由は、彼らを飼いならすための調教であり、一五歳を迎え強制労働へと切りかわるとさらに暴力は凶悪さを増し、自由は削られる。
思考するための常識は歪んでおり、意思を持つことさえも困難を極める。やがて理不尽を受けいれることが当たり前となり、それを前提に思考するだけの操り人形と化す。朝に目が覚めて夜となり目を閉じるまで、終わりのない労働に勤しむのだ。
「やっぱり抜けだす方法はないんじゃ……」
「考えるのを諦めちゃダメよクルヴス。朝まで時間はまだあるわ。もっと考えましょ」
「ルーダン王国へ行けても、きっとすぐに見つかって送還される。ジン王国はリエール王国の事実上の属国だからね」
「それとこれとがどう関係するんだい?」
クルヴスがフィンへ尋ねる。
「リエール王国はルーダン王国よりもあらゆる面で先を行ってる強国だ。そんな強国と揉めるきっかけになりそうな火種を抱えるのはごめんだということさ」
「それならリエール王国へ行くしかないわね。でもどうやって?」
「分からない。リエール王国の国民はジン王国に入国することができるが、逆は無理だ。そんなことが許されれば、皆とっくに抜け出しているからね。まぁ、行けたところで生きていけるかは別物だけど」
「船がダメなら、陸で行こう。端から端まで歩けば、抜け道を見つけられるかもしれない。いや、でも、やっぱり時間がかかるか……」
話は一向に進まないまま、悪戯に時間だけが過ぎていった。希望が薄れ、徐々に諦めの気持ちが脳裏にチラついてくる。歯切れよく進んでいた会話も、襲ってくる睡魔とともに、徐々にダレていく。
直立していた蝋燭は蝋が溶け、無様な姿になっていた。小さな灯火がわずかに溶けていない蝋の上に立っており、それはまるで彼らの心の写し鏡のようであった。
フィンが重い口を開く。
「残る方法は、ジン王国の王族の馬車に潜む事くらいかな」
「フィン……それはもっとも危険な方法だ。見つかればたちまち殺されちゃうよ……!」
クルヴスは状況を想像したのか息が荒くなっていた。
「でも……もう、それしかないんじゃない? 繁栄ノ鏡を隣国へ譲り渡す祭典。今年はジン王国からリエール王国だから、この国の王族は必ず出席するわ。ジン王国の人間がリエール王国に正式に行けるのなんてそんときくらいなんじゃない?」
「祭りはあと三週間続く。つまり、受け渡しの儀は二週間後だ! 使用される馬車や、日程はある程度目星がついているから、あとはどうやって忍び込むかだ」
フィンとポニーの発言にクルヴスも覚悟を決めたようであった。
「やるんだね……」
「あぁ……」
方針が決まり、フィンは少しだけ心持ちが軽くなった。
「リエール王国に辿り着けたからといって生きていける保証はない」
フィンはつづける。
「それに、リエール王国がどんな所なのか僕たちは知らないし、地形も一から把握する必要がある。それも僕らがジン王国から来たとバレないようにね」
「それは僕に任せてくれ!」
クルヴスが答え、ポニーが鼓舞する。
「あんたならやれるよ!」
「頼むよ。クルヴス。それと……」
フィンがとても悲しい声でつづける。
「僕は、できるだけ多くの子供達を連れていきたいと思っている。でも全員は無理だ。何人かは……ここに残る必要がある」
クルヴスが励ますように答える。
「仕方ないよ……でも、やり方を記録に残しておけば、後続できるはずだ」
「悲しいけど……それしかないわ……」
それから三人は、細かい計画を話しあった。
沿岸警備隊・・・ジン王国の民が国外へ逃亡しないよう、リエール王国によって作られたジン王国の衛兵で構成された組織。