第一三話 衆目吊壁
ガタン ガタガタ ガタガタ
懸架装置のついていない馬車というのは衝撃が直に伝わってくる。
「すみませんポニーさん。ムリ言って……」
「いいんだよ。ファリド」
この日ポニーは、四歳年下のファリドとともに馬車にしがみつきながら、ジン王国の西に位置するエディルネの町へ向かっていた。
「ファリド! 落ちないように気をつけてね!」
「はい! ありがとうございます!」
二人がしがみついているのは貨物馬車と呼ばれ、積み荷の長距離運搬などに使われる馬車である。また、前方に三頭、両側に一頭づつの計五頭の輓馬が馬車を牽引していた。
移動手段が徒歩しかないジン王国の民にとって、貨物馬車にしがみついて移動することは常套手段であった。そして、荷台にしがみつく以外に乗車方法はなく、馬車から振りおとされるいうことは死を意味していた。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
男の声はすぐに風に掻きけされた。
「ポニーさん。もしかして……あれって……」
「あぁ、馬車の向かいで誰か落ちたんだろうよ。多分この辺りだと……生きちゃいないだろうね」
それを聞いてファリドはゴクリと唾を呑みこんだ。
「まぁ……しっかりと掴まっていれば大丈夫だよ。それよりファリド。ユースフの件は残念だったね。あんたのせいじゃないから、気を病むんじゃないよ」
「はい。ありがとうございます。でも、今でもまだ思いだして、辛いときがあります」
「思いだしてやることが供養になるんだ。あんたがいつまでもヘコたれてると、ユースフだって浮かばれないぞ?」
「そうですね……! ありがとうポニーさん」
ファリドは優しく笑ってみせた。
「あと、さんはいらないよ。あたしらはみんな運命共同体だ。堅苦しい呼びかたはごめんだよ」
ポニーはそう言うと気恥ずかしそうに遠くを眺めた。
ファリドは、ポニーに諭され、落ちこんだ自分を支えてくれた仲間たちの顔を思いうかべながら、心がじんわりと暖かくなるのを感じていた。そうするうちに、思わず涙が溢れそうになったため、あわてて話題を変え、ポニーへ話しかけた。
「ねぇポニー。ポニーはどうして、物知りなの?」
「そりゃあ、あたしの生業だからさ。あたしは情報屋なんだ」
「情報屋? ……ボクたちはお金を払ってないよ?」
純真無垢なその質問に思わずポニーは笑った。
「なに言ってんだファリド。子供からお金なんかとるワケないだろう?」
「でも、そうしないとポニーだって生きていけないでしょ?」
「確かにそうだけど。あたしはこうしてみんなと話をして、仕入れた情報をそのまま商材として売ってるんだ。どんなに些細なことでも点と点を繋いで線にして、それが形になれば重要な情報になる」
「ムズかしくて分かんないよ……」
「いつか分かるようになるさ。とにかく、あたしはみんなと話すことでお金になる種を得られるし、みんなは知らないことを知れる」
まだ理解に苦しむ彼に、ポニーはさらに言葉をつづけた。
「それに、この国は狂気に満ちている。だからあたしはこの国に殺されないで済むように、みんなを頼ってるんだ。そして、そのお礼に足りない物資や情報を渡している。あたしたちはお互いに生きる糧を与えあっているんだよ」
ファリドは納得した表情でポニーを見つめた。それに気づいたポニーは、穏やかな表情で見つめかえした。
「ファリドは笑顔が可愛いんだから、そのままでいいさ。傷ついたときは仲間を頼っていいんだ」
「ありがとうポニー。ユースフのためにも、前を向かなきゃね。そういえば……フィンは大丈夫かな。すごく悲しんでたから……」
心配そうに俯くファリドを見ながらポニーは優しい笑顔で答えた。
「フィンは強い男だ。だから心配ないよ」
「そっか、そうだよね!」
XXX~ジン王国 エディルネの町~XXX
ガタン ガタン ガタン
町へ入ると馬車は速度を落とし、それに合わせるかのように、しがみついていた乗客たちは一斉に降りはじめた。
「ファリド。よく頑張ったね。ここで降りるよ」
ファリドは必死にしがみついていたため馬車の側面しか見ていなかったが、降りて周囲を見わたすと、町は行きかう人々で溢れていた。
「うわぁ……たくさん人がいる。でもボクらとは……どこか違うような」
「今は丁度、年に一度の祭事の最中だから、リエール王国からやってくる人々で溢れかえっているのさ」
「お祭りか……そんなのがあるんだね」
「あぁ、まぁ……あたしらにはどうでも良いことさ! それより、早くお姉ちゃんに会ってきな! あたしはあそこの居酒屋で待っているから、用が終わったら裏口から入っておいで!」
「分かった!」
「くれぐれも気をつけるんだよ!」
ポニーはそう言ってファリドに手を振り、居酒屋へと向かった。
裏口から中へ入るとまだ昼前のためか、数人の客が酒を吞み騒いでいた。
「やあ! イフサン。またサボってるのかい?」
ポニーは厨房で暇そうにしている子供に話しかけた。
「うわっ、びっくりした……。なんだポニーか」
イフサンは驚きのあまり目を丸くしていた。
「あんた驚きすぎだよ。それよりどうだいお店は! みんな元気にやってるかい?」
ポニーが質問するとイフサンは意気消沈し、答えた。
「いや……前にポニーが来たときから、もう三人は連れていかれたよ。祭りが始まってからは、いつもは野暮な客もある程度はましになっているけど」
ジン王国は長年リエール王国に虐げられており、ここエディルネはそのリエール王国にもっとも近い町であるため、そこで働く子供たちというのは、よくリエール人の娯楽のために攫われていたのである。
「そうかい……」
ポニーは話題を替えるように呟いた。
「……にしてもあの人が呑んでるやつ、なんかこう、おしっこみたいな色してるね。レモンなんだろうけど……」
「あぁ……あれか! あれは、腹いせにちょっとだけ犬のおしっこを入れてやったんだ。あの客、常連なんだけど、ウゼェからさ。レモンをキツく入れてるから、言われなきゃ分かんねーよ!」
ポニーは、そう言ってしたり顔を見せるイフサンを見て、苦笑いを浮かべながら言った。
「相変わらずあんた……ぶっ飛んでるね!」
「あ、そういえばポニー。この話知ってるか?」
「どんな話?」
「<衆見吊壁>に新しい罪人が吊るされているんだってさ!」
「それはまた珍しい。なん年ぶりだろうね……。どんな理由でだい?」
「さぁ……。俺も客の話を又聞きしただけだから詳しくは知らねぇよ!」
「そうかい……」
<衆目吊壁>とは、リエール王国に仇なす罪人が処刑されたのち、戒めのために吊るされる壁のことである。また、リエール王国との国境にあるその壁は、山のように大きく巨大であり、そこには歴代の罪人たちの骸が吊られさがっていた。
イフサンの話を聞き、不安に駆られたポニーは実態を確かめるべく、衆目吊壁へ向かうことにした。
~~リエール王国との国境~~
ポニーが衆目吊壁のある場所へ訪れると、そこには人だかりができていた。
(リエールの暇人どもが)
「吊しあげたぁ、珍しいなぁ?」
「く、臭ぇなぁ……」
「うぅ、こりゃあ……痛そうだ」
ポニーは人混みを掻きわけ進み、遺体の見える位置まで近づいた。
そこには骸がズラリと並ぶ壁に一人だけまだ皮膚の付いた男が吊るされていた。腐敗した男の体はところどころ黒ずみ、膿が垂れる傷口の周りにはハエが飛びかっていた。そして、男の顔を見て彼女は絶句した。
「そんな……まさか……ドス……さん……」
それは数日前から行方不明になっていたドスであった。フィンが探していた父親は、衆目吊壁に吊るされていたのである。
ポニーは人混みの中、膝から崩れおちた。
「やぁポニー。遅かったな!」
居酒屋に戻ると厨房でイフサンとファリドが楽しそうに会話をしていた。
「ファリドが来るなら知らせてくれよ! こいつの姉には何回も助けられているからなにかもてなしたのに」
「あ……あぁ、悪かったね」
顔面蒼白なポニーを見たファリドが心配そうに声をかけてくる。
「ポニー。なにかあったの?」
「いや……ここでは……話さないでおこう。ファリド帰るよ! またくるよイフサン」
「あぁ! 大丈夫か? 帰り気をつけてな!」
「あぁ、ありがとう」
帰り道でのポニーはどこか危なっかしく、放心しており何度も貨物馬車から落ちそうになっていた。
アンカラへ辿りつくとポニーは、一目散にフィンのお店へ駆けていった。
「フィン! いるかい?」
「あぁ、どうしたんだいポニー。そんなに慌てて」
「ドスさんが衆目吊壁に吊るされていたんだ!」
「えっ? 何だって……」
「しっかりこの目で見たんだ! あれはドスさんだった!」
「嘘だ……。嘘だぁぁぁぁぁ」
フィンは地面に膝をつき、頭を抱えて叫んでいた。彼の頭の中では、父との懐かしい記憶が駆けめぐっていた。
その記憶は、この貧しい町で育った者なら誰しもが持つような、普遍的なものだ。しかし当事者である彼にとっては、かけがえのない思い出であった。
彼は心臓が強く脈を打つのを感じていた。なにもできなかった自分を呪うように、内側から熱く醜いものが沸きたち、全身を駆けめぐる。
額からは汗をかき、小刻みに震える体を、彼は両腕で抱きしめながら床に座りこんだ。
「またか……また僕の大切な人が……」
彼はポニーには聞こえないような、殆ど吐息でできた声で呟いた。
父を殺した者への憎悪。助けられなかったことへの罪悪感、そして父へ抱いていたかすかな違和感を追及しなかった己への後悔。そういった負の感情に飲みこまれそうになったとき。
「フィン……」
ポニーの聞きなれたその声でふと我に返った。
「ドスさんの遺体を取りもどすなら力を貸すよ! フィン」
フィンは間髪をいれず答えた。
「いや……いいんだ。それだとまた誰かが殺される。そんなのはごめんだ!」
彼は、この終わりなき負の連鎖から抜けだすしか、逃れる方法はないと悟った。だからこそ彼は決心した。
「それより、ポニー」
「なんだい?」
「この国から抜け出そう。僕は……今、そう心に決めたよ」